六 痛手
金曜夜のビル街に、ときどき突風が通り抜ける。上着の前を合せながら仕事帰りの人間たちが同じ方向へ向かって歩く時間帯が過ぎ、酔客が公共交通機関にあふれるころ、特段の特徴のない中肉中背の、青年と中年の間くらいの年齢の男性が路上で数人の男女と挨拶を交わしていた。
挨拶を終えるとほかの人間たちが歩いていった方向とは逆方向へ、のろのろと坂を下っていく。
ビルから落ちてくる光、そしてコンクリートの庭の方形の浅い水辺のライトアップ、さらに街路樹の合間から洩れる街灯が、辺りを夕暮れ時のように照らし、笑いさざめきながら通り過ぎる人々の多さとあいまって時刻の遅さを感じさせない。
携帯電話からメールを打ちながら、歩道を地下鉄駅へ向かってゆっくりと下って行く村瀬博史は、数メートル後ろを歩いていた人影が右手をつかまれなかったら自分の背中へ刃を突き立てていたであろうことを、ついに知ることはなかった。
強い風が渡り、乾いた葉を細かく落とし街路樹がざわめいた。
背の低い、しかし肉付きの良い体型をした若い男性は、自分の右手を斜め後ろからつかんだ人間のほうを、驚きを隠さず振り返った。
「あなたのやり方は、お父さんより猪突猛進型だね」
「・・・・・」
艶やかな黒髪が肩を滑り、冷たい美貌に微かな笑みを浮かべて、細い体を地味な服装で包んだ青年が、そのすんなりとした手に似合わぬ力でナイフを奪い取った。
「お兄さん、と呼ぶのがいいかな?」
「・・・・・」
「妹さんの仇。あそこでのろのろ歩きながらメールを見ている馬鹿を、死ぬほど殺したいんだよね?」
「ええ、そうですよ」
小柄で肉づきのよい男性は、月ヶ瀬の顔を見上げながら吐き捨てるように言った。
何組ものグループが大声で騒ぎながら通り過ぎていく。
「独身の男女しか参加しないはずの飲み会に、指輪を抜いて参加して・・・・。村瀬さんも、懲りない人だね」
「ええ。まったくです。」
「奥さんには当然内緒。」
「そうでしょう。だから・・・・」
「そう。だから、ボディガードだってつかない。命がけでも、浮気したいんだね」
「おろかな人間。死ねばいい。」
「そうだね。」
男性は驚いたように月ヶ瀬の冷たい美しさの両目を見た。
そして眼鏡をかけた疲れた両目に、苛立ちをこめる。
「同意するなら、邪魔しないでください」
「そうはいかない」
月ヶ瀬の手を振りほどこうとしても、意外なほどの力がそれをゆるさなかった。
男性はやがて表情の怒りを疑問に変え、質問をした。
「なぜです」
「なに?」
「なぜ、私が村瀬を襲うって、わかったんですか?」
「あなたのお父さんがプロの殺し屋を雇う前に、村瀬は三度、素人っぽい襲撃のされかたをした。」
「はい」
「三回とも、あなたのお父さんの仕業だと、最初は思ったんだけど、ふっと気がついたんだよ。」
「・・・・・・」
「三回のうち、一回だけ、ちょっと毛色が違うんだ。人混みのなかでいきなり襲いかかっている。ほかの二回は慎重に人目のない場所を選んでいるのに。つまり、別の人間がやったってこと。」
「・・・・」
「家族構成を考えれば、お兄さん、あなたが最大の容疑者ってこと。簡単だよね。そして、襲撃のまたとないチャンスが、今夜だね。僕も同意するよ。」
「・・・なるほど、わかりました。」
月ヶ瀬はちらりと周囲を見渡し、そして男性に視線を戻して、笑った。
「手を離してほしい?・・・通りがかりの酔っ払い達は、僕があなたを誘っているって思っているかもね。僕には同性愛の趣味はないけど。」
「離してもらえますか。もう、奴は行ってしまったんですから・・・。それとも私を、警察へ突き出しますか」
「警察へ突き出したいんじゃなくて、話をしたかっただけだよ。」
「?」
「今は、業務時間じゃないんだ。」
「なるほど。一般市民としては多少怠慢ですけど」
「そうだね」
男性は、整った良い身なりをしている。経済的に豊かな生活をしていることがうかがえる。
冷たく美しい切れ長の目を、残酷な色に染めて月ヶ瀬は男性を見下ろす。
「お父さんがせっかく雇ったプロの殺し屋を・・・・邪魔したのは僕だよ。そしてあなたのことも、邪魔をするよ。」
「業務時間じゃないなら関わるのはやめてください。」
「犯罪者がそれを止めようとする人間に、あまり威張って命令できるものじゃない」
「あなたに、なにが分かりますか?カネのために、どんな人間も守る、あなたたちに。」
男性は手を振りほどくのをあきらめ、強い視線を月ヶ瀬に向けた。
月ヶ瀬は男性の手を離した。しかしもう男性は逃げようとはしなかった。
「それじゃあ、あなたに、家族が犯罪者になった人間の気持ちがわかるの?」
「・・・・・では、あなたは・・・家族が殺された者の気持ちはわかるっていうんですか・・・・」
「わかるわけないでしょ」
月ヶ瀬は頭を振って髪を払いのけ、冷酷な笑い方をした。
「それでは、お互いさまですね。もうお話することもないようです」
「僕は家族が凶悪犯だった。人殺しは、家族も人殺しの同類と世間に見られる。殺したいならまず自分の家族から殺すんだね」
「・・・・・・・」
「それからね」
「・・・・・・」
「あなた、人を殺したことなんかないでしょ。お兄さん。」
「ええ、ありませんよ」
「人が目の前で死ぬというのがどういうことかわかる?」
「・・・・・・」
「自分の手で人が死ぬっていうことが、どういうことか」
「・・・あなたは、では、知っているんですか」
「知ってるよ」
「犯罪者が、犯罪者を非難してるわけですね。くだらない。そして、あなたたちボディガードは、ただの偽善者ですよ。正義面して、理由ある復讐を妨害した。人殺しを守った。まさに・・・あなたたちこそが、犯罪者だ。」
しばらく相手の顔を見下ろして月ヶ瀬は黙っていたが、やがて上着の胸ポケットから細く銀色に光るものを取り出した。
男性がぎょっとしてその刃物を見つめる。
「なんですか・・・・私を、殺そうとでも?」
「ちがうよ」
繊細な刃物の、刃のほうを左手の指で挟んで持ち、それを相手の右手に向かって差し出す。
さらに月ヶ瀬は、右手で相手の左手を掴み、コンクリートの人口の池の周囲の、いくつかの塀のようなオブジェの間へと引っ張っていく。
「どういうつもりですか」
「ほら、見てごらん。ここなら、歩道からもビルからも見えない。」
「・・・・・・」
「通行人は酔客ばかりだし。絶対に、見つかる心配はないよ。」
「・・・・・」
「僕を刺してごらん」
「え・・・・?」
男性は右手に渡された刃物と、目の前のボディガードとを見比べ当惑した。
高原は、思わず出て行こうとした隣の同僚の、二の腕をつかんで止めた。
山添が無言で高原の顔を見て抗議する。
低い声で高原が言った。
「まだだ。」
「・・・どうしてだよ。まずいぞ、あれは」
「わかってる。しかしタイミングを間違えたらもっと危険だ」
「・・・・・・・」
男性は右手のナイフの、美しい刃先の銀色を見つめる。
「いいナイフだよ、それ」
「・・・・・・」
「一度地面に落ちたから、研ぎ直した。僕がガードしていたときに、殺し屋が村瀬を襲った、そのときのナイフ。」
「・・・・・・」
「村瀬の背中に刺さっているべきだった、ナイフだよ。でもね、それで仇を刺殺したいのなら、僕を殺すことを、まずやらないといけない。」
「そうしないと、これからも私の邪魔をするということですね?」
「そうだよ。そして、この状況で僕ひとり刺せない人間に、村瀬を殺すなんて絶対にできないよ。」
「たしかに、そうですね」
月ヶ瀬は微笑し、相手の、ナイフを持った右手を両手でつかんだ。
「人を殺したことがない人間は、なぜか心臓をよく狙う」
「・・・・・」
「でも、それはやめたほうがいいよ。服を着た人間の、心臓を真正面から狙うなんて、成功率は極めて低い。よほどのプロじゃないと、難しい。」
「そうなんですか」
「肋骨もあるしね。胸はなかなかよく守られてるもんなんだ」
「なるほど」
「だから」
男性の右手と、それを包むようにした月ヶ瀬の両手とに握られたナイフが、月ヶ瀬のほうへと切っ先を近づけていく。
「・・・・・」
「狙うべきは、ここ。首だよ。」
「・・・・・・」
「刺してよ。できないの?」
「妹を、殺した男に・・・どんなことをしても、報復します」
「そう」
「奴を殺したら、私も死ぬつもりです」
「・・・そう。」
「だから邪魔をする人は、誰であっても、殺します」
「そうだね」
「あなたを殺すことができたら、きっと、奴も殺すことができる。」
相手の手とナイフを自分の首元まで導き、月ヶ瀬の手が離れる。
男性が右手で持つナイフの、切っ先が月ヶ瀬の喉元へと触れた。軽く触るだけで血が流れた。
「早く。できないの?」
「・・・・・」
それ以上男性の手は動かなかった。
「だめだね」
「・・・・・・」
「臆病者。」
月ヶ瀬が右手で男性の右手を、ナイフごとつかんだ。
そのとき、後ろから山添が月ヶ瀬へ飛びかかった。
脇の石造りの塀のようなオブジェに、月ヶ瀬の体を横向きに押し付け、両手を拘束する。
ナイフが切りかけた首の傷から、一筋の血が流れていた。
小柄で肉づきの良い男性の背後から、長身のボディガードが静かに近づき、言った。
「ナイフを渡してください。」
男性は逆らわなかった。
高原は受け取ったナイフの、刃のほうを持ち、胸ポケットへしまった。
「犯罪者の持ち物を・・・大切なご家族の仇討のために使うのは、どうかと思いますよ」
「・・・・・」
「我々ボディガードは、確かに、誰彼かまわず守る。ですから、あなたを止める資格など、我々にはありません。しかし、殺すのはいつでもできます。よくよく、お考えになってから、決められても遅くはないのではないですか?」
メガネの奥の知的な両目に、愛嬌を少しだけ湛えて、高原は微笑んだ。
「私を警察へ連れていかないのですか?」
「そんなことはしませんよ。私はべつにあなたが犯罪を犯すところを見たわけでもないし」
「・・・・・・」
「では、失礼します。」
「ちょっと、待ってください」
「はい」
男性は落ち着きを取り戻した顔で、背の高い相手を改めて見上げた。
「あなたたちボディガードのことを、犯罪者とまで言ったことは、お詫びします」
「・・・・・」
「でも、ひとつだけ言いたい」
「はい」
「犯罪の・・・、人殺しの、全てが、ゆるされないわけではないと思います。私は、そう思っています。」
「・・・・・」
「さようなら」
男性は少し頭を下げ、そして歩き去った。
高原の運転する車の後部座席で、山添は隣に座ったまま窓の外を見ている同僚のほうを、何度目かに見て、そして言った。
「波多野さんには報告しないけど」
「・・・・・・」
「多少は、反省しろ」
「・・・・・・」
「仕事は、勤務時間内にやれ」
月ヶ瀬はなにも言わない。
「それから、自殺は、ひとりでやれ」
「他人のこと、言えるの?」
「他人のことを言うのが他人の役目だ。」
「自殺なんかじゃない。」
「……」
「犯罪防止しようとしただけ。」
「とても、それだけには見えなかったけどな。」
「解釈は自由だよ。」
「何日、食事してない?」
「…」
運転席の高原がちらりとバックミラー越しに後ろを見た。
「よくそういうことがわかるね」
「栄養管理はスポーツの基本だからね。顔色見ればだいたいわかる。三日、いや、もしかしたら…」
「四日。」
「…晶生。」
「ああ。わかった。電話はよろしく。」
「オーケー。」
山添は携帯電話から発信し、会社名を言って予約を取り付けた。
そして隣の同僚を見て言った。
「文句はないな?」
「言ってもダメなんでしょ。」
「口からはもう受け付けないだろう?」
「そうだね」
「睡眠は?」
沈黙があった。
そして車内に山添の叫び声が響いた。
「月ヶ瀬!」
高原が再びバックミラー越しに後ろに目をやった。
「どうした?」
「おい、月ヶ瀬…月ヶ瀬!」
「気を失った?」
「…ああ。」
「呼吸は?」
「してる。大丈夫だ。」
山添は、窓にもたれ意識を失っている月ヶ瀬の、上着とシャツのボタンを開け、衣服を緩めてやる。
「あと十分くらいだ。」
「ああ。連れてくことにしてよかったよ。さっきのあれで、残りのエネルギー全部使ったんだろうな。張ってた気も、弛んだんだろう。」
契約病院に到着し、高原が入口から入り、やがてストレッチャーを押した看護師二人と共に出てきた。
看護師たちが高原と山添の手を借りてストレッチャーに月ヶ瀬を乗せ、病院に運び入れる。
月ヶ瀬には山添が付き添い、高原は車を駐車場へ移動させた。
救急外来の待合室へ入ると、間もなく診療室から山添が出てきた。
「点滴してもらってるよ」
「意識は?」
「まだ戻ってないけど、大丈夫だろう。先生は今夜一晩入院するようにとおっしゃってた。」
「そうか。」
「食べ物だけじゃなく水分もほとんど採ってなかったみたいで、脱水症状も酷い。体の衰弱度合いから考えると、おそらく睡眠もほとんど・・・・。」
「・・・あいつらしくないな。」
「そうだよな。」
高原と山添は待合室の固い椅子に腰かけ、ため息をつく。
「警護の現場ではいくらでも無謀なことをする奴だけど、私生活で何かおかしくなるようなことは、絶対になかったのに。」
「ああ。」
「崇、お前あの現場で朝比奈逸希と月ヶ瀬が話していたこと、通信機越しに聞いたりは全然してないんだよな。」
「スイッチを切られていたからね。でも・・・ほんとに、三村さんの予言どおりになったね。次の襲撃を防ごうとするであろうこと、そして」
「自らの安全を省みないどころか、進んで犠牲にするであろうこと。」
「・・・・まあ、俺たちも・・・・全然、他人のことは言えないけどね。」
「そうだね。でも、これをしたのがあいつだっていうこともだし、何より、あんなボロボロの体で・・・・。信じがたいよ」
「そうなんだよな。」
次々と救急車が病院の敷地内に入ってくる音が聞こえる。薄暗い待合室にも人が絶えることがない。
高原は社員証を見せ、許可を得て診療室へ入った。カーテンで囲まれた寝台の上で静かに横たわる月ヶ瀬の顔色は、まだ血の気がほとんどなく、白いというより死人のようだった。
ベッド脇に丸椅子を持ってきて腰かける。高原はその長身にふさわしい長い両足を持て余すように折り曲げ、両膝へ両肘を乗せる。
「どうしたんだよ、月ヶ瀬」
話しかけても答えない同僚に向かって、低い声で高原は問う。
「そんなんじゃ、後輩たちのますます悪い見本になるぞ・・・・」
少しうつむき加減のまま、高原は床へ視線を落とした。
「どうして、言ってくれないんだよ」
廊下を、あわただしく人々が出入りする音がする。
すべてを知らぬように、月ヶ瀬は穏やかに呼吸し眠っている。
「誰かに言わなきゃ・・・解決しないじゃないか・・・・・」
カーテンを開けて高原の様子を見ようとした山添が、手を止め立ち止ったことにも気がつかない。
「・・・・お前も、一緒に悩んでほしいんだよ。後輩たちのために、何ができるか・・・。悩んでほしいんだよ。そのためには、自分を大事にしないといけないんだよ。なのに、なんだよ、これは」
高原の声は低く、細い。
「仲間も、自分も・・・・だからお前を、大事にしたいんだよ・・・・だから、苦しいことは、言ってほしいんだよ。・・・・・。」
山添は足音を立てないように、待合室のほうへと戻っていった。
酒井は夕暮れ時の高層ビルの地下入り口で、自動ドアを一歩入ったところで固まっていた。
出てくるチームリーダーと鉢合わせしたからだった。
「なんだか久しぶりね、酒井」
「・・・はい、恭子さん」
「以前のお前なら、仕事がないときもふらふら事務所に顔を出してたのに、今は自宅とここをひたすら往復してると聞いた。」
「・・・はい。」
「リハビリ熱心なのはいいけど、和泉もほかのスタッフたちも淋しがってるから、たまには顔を出して。」
「・・・・了解しました・・・・・」
吉田は乾き切らない髪を耳にかけ、運動したばかりの少し紅潮した頬の色をしている。服装もいつもの地味なシャツとタイトスカートではなく、カジュアルなパンツ姿だった。
その鼈甲色の淵のメガネの奥の、静かな両目だけはいつもと変わらない。
「あ、それから」
「はい」
「社長のご様子はその後、どう?」
「そうですね・・・・かなり回復は順調なので、予定より早く復帰される見込みです。しかし・・・」
「相変わらずなのね」
「はい。社長のキャラから考えれば、前代未聞の深刻な状態ですな。」
「愚痴を、まったくおっしゃらない。」
「そうなんです。あそこまで体に来る、そういう状態なのに、なにひとつ相談してくださいません。もちろん、俺だけじゃなく、庄田さんにもです。」
「ということは、もうほかの誰にも、ということだわね。」
「そうでしょうな。」
立ったまま吉田は腕組みをして、しばらく考えた。
「なにかいいアイデアありませんか?恭子さん」
「・・・・こればっかりは、ね・・・・。人の気持ちの、ことだから・・・・」
「そうですよね・・・・・・」
「でも」
「?」
吉田は再び部下の顔を見た。
「我々に、社長の悩みを減らすことはできない。考えるべき事柄の分担が、やはり絶対的に、違うから」
「・・・・・」
「ただし、できることも、あるわね。」
「それは、どんなことですか?」
少し情けなさの混じった笑顔で、吉田は自分の考えを口にした。
遅れてトレーニング・センターに到着した深山と板見が、入り口で向かい合って立ち話をしているチーム・リーダーとエージェントを見て、不思議さと驚きの混ざり合った表情になった。
午前中の穏やかな太陽は、薄い雲に覆われてさらに少し光を弱めている。
デザイナーが自分のために設計したような、簡素だが重厚な外観の、そして個人の住宅とは思えないサイズの一軒家の前で、乗用車が停まった。
「ここでいいよ。ありがとう」
「だめだ。車まで一人で歩けなかっただろ」
「・・・・・」
運転席から降りた山添は助手席の扉を開けた月ヶ瀬に肩を貸し、ドアをロックすると門から玄関へと階段を上る。
山添に肩を借りたまま、空いているほうの手で月ヶ瀬が玄関のカギを開ける。
「寝室は?」
「そこの奥の階段あがってすぐに右。」
二階の寝室のベッドに月ヶ瀬を座らせると、山添はドア口まで戻り、振り返った。
「ちゃんと寝巻に着替えて布団に入ってろ。薬と水持ってくるから」
「・・・・・・」
月ヶ瀬は特段の抗議はしなかった。
山添が戻ってくると月ヶ瀬は言われたとおり寝間着姿でベッドに入って上体を起こし、正面のガラス戸越しにほの明るい外の風景を見ていた。
薬を飲み、促されるままにベッドに横になる。
あまりにも従順なので逆に少し不安になったように、山添はしばらく黙って同僚の様子を見ていたが、やがて言った。
「じゃあ一旦帰るけど、夕方また来るから」
「・・・・もう大丈夫だよ」
「今のお前がいくら大丈夫と言っても、全然説得力がないってわかるだろ?」
「・・・・・・」
「自分の食生活も管理できない一人暮らしの人間に、大丈夫とかいう資格はないんだから」
「・・・・・・・」
「ついでに、聞くけど」
「なに?」
「あの若い未熟な暗殺者、相当めんどくさいこと言ってたか?」
「・・・・・・」
「ずいぶん長話してたからさ。お前」
「警察が来るまでの間、暇だっただけだよ」
「逸希は、純粋な奴だ。」
「・・・・・」
「そして、純粋な奴は、最強だからね。」
「・・・ああ・・・確かに、そうだ」
「最強の奴に、勝てる人間はいないんだから。負けても気にするなよ。」
「・・・・・・」
ドアまで歩き、去り際に、最後に山添が言った。
「お前、泣き虫だったんだな。男のくせに。」
月ヶ瀬は何も答えなかった。




