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四 襲撃

 村瀬博史は中肉中背で特段の特徴のない男性で、人混みでは見失いやすい。

 月ヶ瀬は長く艶のある黒髪を後ろでひとつに縛り、クライアント以上に目立たない努力を尽くした地味な服装で数メートルの距離を保って斜め後方から追随している。

 警護員がついていることが分からないように、というクライアント側の意向を受け入れたことを後悔するだろうと思っていたが、やはり後悔していた。

「歩くルートもなにひとつこちらの要望を聞かない。守ってもらう気、あるのかね」

 電車を降り、改札を出て、人とぶつからずに歩くことさえ難しいコンコースを、クライアントは地下鉄改札へ向かってのろのろと歩いていく。

 身軽に体を人混みからかわしながら、地下鉄の同じ車両に乗り込み、ふたつ先の降車駅まではほぼクライアントの背後にぴたりと着く。月ヶ瀬の整った人形のような容姿は厭でも人目を引き、前後左右から不快な視線を感じ、いつものことであっても月ヶ瀬は小さく舌打ちをする。

 自宅の最寄りの地下鉄駅で、自分の前のベビーカーの女性がもたもたしているのを、村瀬は助けようともせずイライラした様子でその脇を抜けて自分が先に電車を降りようとした。

 ベビーカーが、慌てていた母親の片手から離れ、電車とホームドアの間で大きく傾いた。

 近くの女性が悲鳴をあげた。

 電車に乗ろうとホームに並んでいた客の先頭の男性と、電車を降りようとしていた二人の女性の、計三人が同時にベビーカーに手を伸ばして助けた。

 一番近くにいた村瀬は、素知らぬ顔でホームへと降り立ち、歩き始める。

 そして月ヶ瀬は、一瞬でクライアントの後ろ側の襟首を右手で掴んで足を止めさせた。同時に月ヶ瀬の左手は、別の人間の、右手首を掴んでいた。

 ベビーカーが無事に起き上がり、後から続いて降りてきた客たちがホーム上の月ヶ瀬とクライアントともう一人の人間の両脇を追い越していく。

 それはごく短時間のことだった。

 月ヶ瀬の手を振り払い、刺客はたちまち人ごみに紛れて姿を消した。

「どうしたんですか、いきなり」

 クライアントが振り返って月ヶ瀬を睨む。

 月ヶ瀬は黙って右手を離す。

「プロですよ。村瀬さん。」

 その青白い肌をした人形のように冷たく美しい顔を、少しだけ皮肉な微笑に委ね、月ヶ瀬は自分の足元を見た。

 同じところをクライアントが見て、さすがに少しだけ驚いた様子になった。

 細く美しい銀のナイフが、月ヶ瀬の足に踏みつけられその役目を終えていた。



「なるほどな」

 波多野営業部長は、応接室のソファーの背にもたれ、腕組みをした。

 深夜の事務所は、目の前のふたりの警護員以外は既に帰宅し、事務室は静まり返っている。

「お前の警護が始まったのを待っていたような襲撃だな。そしてほとんど嫌がらせのような人選。」

「はい」

「ボディガードがついている状態で襲撃したい理由があるんだろうな」

「逸希くんのテストじゃないですか?」

「そうかもしれんな」

 隣で山添が微かにうつむいたことに、気付かないような様子で月ヶ瀬はくすくす笑った。

「ベビーカーの女は仲間だな」

「そうですね」

「顔は?」

「残念ながら・・・・。身長は、村瀬さんより十センチくらい低かったですから百五十五センチくらいの、痩せた小柄な女性でしたが・・・・、顔は巧みに見られないようにしていました。」

 山添がようやく言葉を出した。

「あの、波多野部長」

「なんだ?崇」

「二度目があると思います。本来は待機要員はサブ警護員とは違いますが、俺も警護につかせて頂けないでしょうか?」

 月ヶ瀬が隣の同僚のほうを見て笑った。

「僕が信用できない?」

「そうじゃない」

「うそだよ。逸希くんに会いたいんだよね?」

「透。」

 波多野は月ヶ瀬をたしなめ、そして山添の顔を困った表情で見た。

「・・・崇。お前の言いたいことはわかる。今度こそ、本気で逸希を撃退する。そういうことだよな?」

「はい。」

「正直言って、俺はお前が本当に割り切れているかどうか不安だ。」

「それは当然のご心配と、思います・・・・」

「条件をつけよう。もしも今回少しでも間違いがあったら、今度こそ二度と朝比奈逸希関係の案件には関わらせない。」

「はい」

「それから、あくまでメイン警護員の月ヶ瀬の指示を逸脱しないこと。」

「はい。」

「・・・”間違いがあったら”、の意味はわかっているな?警護の原則を守れなかったら、ということだ。」

「はい。第一の優先事項はクライアントの安全。第二に、警護員自身の安全。それ以外のことははるかに劣後する。」

「そうだ。」

「襲撃者への必要以上の関与はしません。大丈夫です。ただし、手加減もしません。」

「わかった。・・・今の条件で許可する。いいな?透」

「了解しました。」



 街の中心の古い高層ビルの事務所は、平日昼間の通常業務下、いつもと変わりないように見えた。

 カンファレンスルームから庄田直紀のチームがミーティングを終えて出てきたのを、吉田恭子は自席から見ていたが、チームリーダーがいつまでたっても出てこないので、やがて席を立ち上がり、自分から出かけた。

「庄田、今、話しても大丈夫?」

「大丈夫ですよ、吉田さん」

 庄田直紀は、舟形テーブルの椅子から立ち上がり、自分と同じくひとつのチームを率いるエージェントへ一礼した。

 吉田は女性の平均的な身長で、容姿も特段の特徴はなく、セミロングの髪に覆われるような鼈甲色の縁のメガネの奥の、静かな両目だけが密かに持ち主の怜悧な頭脳を物語っている。

 後ろ手にドアを閉めると、テーブルの向かい側の椅子を引いて浅く座り、吉田は庄田の涼しげな切れ長の目をちらりと見て、言った。

「その後、社長のご様子はどんな感じ?」

「そうですね・・・・負傷されてからそろそろ一週間ですが、体力はかなり戻ってはおられるようではあるのですが・・・・」

「一か月半は自宅療養なんだったわね」

「はい。会社へは色々な理由を言ってお休みになっていますね。」

「なにか、お話になる?」

 庄田は微かに表情を曇らせた。

「いいえ、ほとんど何も。雑談はたくさんしてくださいますが、肝心のことは全然。」

「そうか。・・・酒井も何度かお見舞いに行っているけれど、やはり同じような状況だ。」

「そうですか・・・。」

 庄田はゆっくりと立ち上がった。

 吉田も続いて立ち上がり、微笑する。

「朝比奈エージェントが再びアサーシン・テストに挑んでいると聞いた。成功するといいわね。」

「はい。一回目は予想通り失敗でしたが、月ヶ瀬警護員に久々に相対したわけですから、まあ、慣らし運転と考えます。」



 隣の先輩エージェントが、心配そうな様子を見せまいと努力していることが分かり、逸希は困ったような表情で微笑した。

「大丈夫です、浅香さん。一度目のとき、俺は余計なことは考えていませんでしたよね?」

「そうだね。でも今回は、成功率も高いけれど・・・・リスクも高い。くれぐれも気をつけて。」

 車から降り、駐車場に停めてあったもう一台の車に乗り換え、逸希は通信機器を装着した。

 浅香の運転する車は静かに走り出し、時計を見てしばらくして逸希も運転席で車のエンジンをかけた。

 星のよく見える、晴れた夜である。

 人工の土地と土地を結ぶ曲がりくねった高速道路を従え、艶やかにライトアップされた海上の橋は、自らの姿の美しさを知らぬ気にさらりと夜空へその塔を伸ばしている。

 橋に近づくと逸希はスピードを少し落とし、通信機器からの指示に耳を澄ました。

 橋は、照らされた塔の光が海面に柔らかく反射し、夜の空と海の色の混じりあう地上のビルの明りがその裾模様のように見える。

 一台の青い軽自動車が、橋の中腹あたりで、発煙筒の煙の前方に停車していた。

 その手前で辛うじて停車した後続の白い乗用車が、追い越し車線に出ようとタイミングをみる。

 そのとき、無謀にも青い軽自動車の運転席から、若い女性が降りてきて高速道路上を歩いて白い乗用車へと近づき、運転席の窓ガラスをたたいた。

「すみません」

 驚いて運転席のウインドーを開けた男性に、女性は申し訳なさそうに言った。

「車が故障して・・・・・携帯電話、貸していただけないでしょうか。電源が切れてしまっていて・・・・」

「窓を閉めてください、村瀬さん」

 助手席の、繊細な美貌を不機嫌な表情で満たした男性が、よく通る声で言った。

「そしてさっさと車を出してください。」

「あ、はい・・・・」

 月ヶ瀬の有無を言わせぬ命令口調に、クライアントは仕方なく手で詫びるようなしぐさをして窓ガラスを閉めた。

 その次の瞬間、白い乗用車の、運転席と助手席の扉が同時にこじ開けられた。

 器具を使って楽々と扉を開けた二人の男性は、まるで車内の友達に声をかけるように滑らかな仕草で、それぞれ車内へと侵入した。

 運転席側の逸希は村瀬の両腕を拘束し、その膝に横向きに座るようにして身を車内に収め扉を閉めた。

 同時に助手席側から入った浅香は、助手席のシートを倒しながら月ヶ瀬の体に覆いかぶさるような態勢で、ボディガードの首に銀の細い鎖を瞬時に巻きつけた。

 煌めく星々の下、頻繁に追い越し車線を通過していく車は、夜の穏やかな空と海を背に行われている犯罪と別の世界にいるように、こともなげに二台の停まった車の脇をすり抜けていく。

 やがて月ヶ瀬が両目を閉じ、ぐったりと脱力すると、浅香は相手の首を締めたチェーンを外した。そして倒れたシートの背越しに相手の細い体を後部座席へと動かし、横向きに寝かせて後ろ手に両手を縛り、床に落ちた両足も縛った。さらに、白い布で月ヶ瀬の鼻と口をしっかり覆い頭の後ろで布の端を縛る。

 空いた助手席の背もたれがすぐに元に戻され、浅香が車から出ていくと、逸希はターゲットを助手席に座らせシートの背にロープでしっかりと拘束した。

「お待たせしました・・・・村瀬博史さん。」

「・・・・・」

「この橋も何度もデートでお通りになったことでしょうね。」

「・・・・・・」

「あなたはなぜご自身が狙われるのか、よく御存じのはずです。言ってみてはいただけないでしょうか。」

「・・・・・なにを・・・・?」

「一度で意味が分からないなら二度とお尋ねしませんよ」

「自殺した麻奈美の、家族のひとが・・・ボクを恨んでる・・・からでしょう・・・」

「その女性はどうして自殺したんですか」

「ボクと結婚できなかった・・・・だから・・・・子供も産めなかったから・・・・」

「なぜ子供をつくったんですか?」

「・・・・麻奈美が欲しいって言ったから・・・・・」

「あなたと結婚できなくても?」

「結婚したかったんだと思う・・・・」

 村瀬は蒼白になっていた顔をさらに死人のような色にして、息を飲んだ。

 逸希が左手の順手で持った細く美しい銀色の刃物が、村瀬の首元に切っ先をあてていた。

「結婚すると言ってだまして子供を?」

「・・・・ち、ちがう・・・・結婚してもいいって、ボクも、思って・・・・」

「ではそのときの妻と離婚したんですか?」

「いや、できなかった・・・・してもらえなかったから」

「あなたは妻の言うこともきくし、麻奈美さんの言うこともきくんですか」

「どっちも・・・だいじだったから・・・・・」

「馬鹿じゃない?」

 最後の言葉は、村瀬の声でも逸希の声でもなかった。

 青の軽自動車へ再び乗り込もうとしたところで、浅香は背後から地を蹴る気配に、気づいて振り返ったとき既にそれが遅かったことがわかった。

 オートバイ用のヘルメットを被ったままの、もう一人の警護員が、浅香に飛びかかり橋のフェンスと青い車との間の路上に組み伏せた。

 運転席の女性が車を降りようとしたが、山添が大きく叫んだ。

「警察を呼んだ!逃げられないぞ」

 目の前の光景と通信機器からの指示に反応して、車を発進させようとした逸希は、しかし背後から強い拘束を受けその両手は首元へ向けざるを得なくなった。

「あのエージェント・・浅香さんに手足を縛られたのは二度目だよ。なかなか上手だよね」

 月ケ瀬が後ろから逸樹の首に回したスリング・ロープを容赦なく締めた。

「・・・・気がついておられたんですか・・・顔を覆った布に睡眠薬も仕込まれていたのに・・・」

「まともな警護員は、この程度のことじゃ倒せないんだよ。彼は前にも同じ目にあってるくせに詰めが甘いよ。失神させるだけじゃなく絞殺してしまえば確実なのに。」

「・・・」

 月ヶ瀬の腰回りと足元に、切れたロープがとぐろを巻くように落ちていた。白い布もふたつに裂かれシートの上にあった。

「第一僕が本当に気を失ったとしても、君の尊敬する警護員がもうほら、警察を呼んで、そして今は浅香さんのとこにいるよ。・・・で、逸希くん。とりあえず手に持ったナイフをこっちへくれない?」

「断ったら?」

「今すぐとどめをさすよ。」

「警護員さんが人殺しをされるとは知りませんでした。」

「三秒待とうか」

「競争しますか?」

「僕が速いよ」

 白くすんなりとした月ヶ瀬の左手が、逸希の左手からナイフを叩き落としていた。

 そして逸希の首に巻かれたスリング・ロープがさらに強く締まった。逸希の唇の間から苦悶の声が漏れた。

 月ヶ瀬の通信機器からその耳へ、山添の声が入った。

「こっちの二人は確保した。クライアントは無事か?」

「無事だよ。隣に目障りな犯罪者がいるけど。殺していい?」

「馬鹿なことを言うな」

 喉の奥で控えめに笑った後、月ヶ瀬は目の前の犯罪者に向かって言葉を投げた。

「君たちは、なるべく周囲の人間に迷惑をかけないことを実現しつつ、僕みたいなボディガードがいる状態でターゲットを狙った。でもサブ警護員も排除しないと意味ないじゃない」

「・・・・・・・」

「襲撃方法から考えて、依頼主がボディガードを殺傷するなと言ったわけでもないみたいだし。浅香さんと君と、二人とも、詰めが甘い。もしかして、成功しなくても次があるからとか思ってない?それとも・・・君をテストするためにわざとハードル上げてるのかね」

「・・・・・・・・」

「そもそも警護員を本気で排除する気、あるの?」

 逸希は心外といった様子で応答した。

「おかしいのはあなたのほうです。襲ってきたエージェントが、あなたを気絶させるだけのつもりか、殺すつもりか、わからないのに黙って首を締めさせるなんて。」

「そういうのって、わかるんだよ。君たちは、ほんとに未熟者。」

「・・・・・」

「縛られたときとか、絞殺されかかったときとかの対応は、警護員の護身の基本中の基本だし、対応策は山ほどある。覚えておいたほうがいいよ。だから、逃げないときは、逃げない理由がある。」

「覚えておきます。」

「でもね、一番の問題は、技術じゃない。」

 月ケ瀬は手を緩めず、乾いた声で言葉を続ける。

「・・・・」

「君たちの一番の問題は、根本的に間違ってることだよ。やってることがね。」

 逸希が苦しそうに呼吸をしながら答える。

「月ヶ瀬さん・・・あなたは、我々のしていることに、賛同してくださったこともあったと思いましたが」

「犯罪が正当化されることはない。どんな場合も、ないんだよ。」

「・・・・・」

「そして逸希くん、君の場合はさらに罪深いよね。お兄さんと君をあれほど大切にしてくれた人を、その気持ちを踏みにじった。」

「・・・・・・」

「山添の愛情を、踏み台にしたんだよ、君は。」

「あなたにあの人の何が、おわかりですか」

「気持ちがわかるんじゃなく、事実が示していることがわかるだけだよ。山添はあのときの君の実力で、負傷させられるレベルの警護員じゃなかったわけだから。それだけのこと。」

 逸希はさらに息を荒げながら、ようやく言葉を出した。

「確かに僕が・・・、そしてうちの会社のしていることは・・・犯罪です。」

「そうだね」

「しかし、僕たちが殺さなかったら、升川厚は死刑になっていたでしょうか?」

「・・・・・・」

「兄を騙し殺した人間は、警察には永遠に捕まえられなかったでしょう。仮に捕まったとしても証拠が足らず絶対に死刑にはならなかったでしょう。だからあなたも、殺せと言った。あのとき。」

「それで?」

「我々は、裁くんです。警察の手を逃れる者、あるいは法が裁かない者を。」

 月ヶ瀬はくすくす笑った。

「普段、どこで生活してるの?君達。平和な法治国家で、でしょ?都合のよいときだけ法の恩恵を受ける。おままごとみたいなダブルスタンダードだね。」

「それはそのとおりですよ・・・・でも、そうした卑怯者になることを甘受しても、それを上回る必要性あることを、しているつもりです。」

「それじゃ、聞くけど。死は懲罰になるの?」

「ならないなら、死よりつらいことがあるなら、そちらを選ぶだけです。殺すだけではありません・・・・我々がすることは」

「君達は、お客様にとってなにが一番よいかもわからないのに、ターゲットにとってなにが一番つらいかなどわかるの」

 逸希は間髪を入れずに答えた。

「もしかしたら九割のケースで、我々は見当外れのことを一所懸命やっているのかもしれません。けれど一割でも一パーセントでも、役立つ可能性、役立つケースがあるなら、やり続けるだけです。」

 雲に覆われていた月が、再び光を投げかけ、そして夜空の星たちはその分少し見えづらくなった。

 風のない夜道を、次々と自動車が通り過ぎていく。

 そして、遠くからパトカーのサイレン音が聞こえ、次第に近づいてくるのがわかった。

 その前、月ヶ瀬が一瞬の隙を見せたことは、逸希にもはっきりとわかることだった。同時に白い乗用車は急発進し急旋回した。

 体重を左側に強く持っていかれながら、月ヶ瀬は反射的に左手を逸希とクライアントの間へと伸ばした。

 ブレスレットに仕込まれた鋭い刃でスリング・ロープを断ち切った逸希は、急旋回した車のアクセルを踏み込み、後方に停車している無人の軽自動車へ向かって暴走を始めた車から外へと身を躍らせた。

 浅香は、仲間の乗った車の動きに驚愕したボディガードが、やはり極めて短い時間だがその手を緩めたとき、すかさず身を翻して相手の拘束から自由になった。

 山添が浅香を追おうとしたとき、青い車から走り出た女が投げた細く銀色に光るものが山添の体のすぐ脇を弾丸のようにかすめた。

 態勢を立て直した山添は、追う相手を変えなければならないことを知った。

 ナイフを投げた女と浅香とが、橋のフェンスを飛び越えて海上へと飛び降りた。

 後へ続こうとした若き暗殺者は、刺客として二度目に対峙するボディガードの右腕が自分を止めたのと同時に、腰のホルダーから右手で抜いたナイフを左から右へと振りぬいた。

 白い乗用車は、軽自動車へ激突する寸前に、後部座席から運転席へ移りブレーキをかけたボディガードによって停止された。

 山添の上着のボタンがひとつ千切れて飛び、布が数センチ切り裂かれたが、体を沈めた山添の右足が刺客の左足を払い、伸ばしたスティール・スティックが逸希の体を狙ったのもほぼ同じタイミングだった。

 ナイフとスティックがぶつかる鋭い音が響いた。

 後方へ飛びのいた逸希が左手で放った細い銀のチェーンが山添の右腕に絡み付き、しかしそれを引く間もなく山添の左足蹴りが逸希の右わき腹へ入った。そのまま逸希の右腕を山添の左手が掴む。

 つかまれた腕を逆方向に捻りながら、逸希は初めて相手の顔を見た。バイク用ヘルメット越しにも、山添が穏やかで哀しい表情で自分を見ていることがわかった。

 兄の親友の首元を狙い、最後に逸希がナイフを振り抜いたとき、パトカーがすぐ近くで停車をした。

 ナイフを避けて僅かにバランスを崩した山添の腕を振り払った逸希は、橋のフェンスから、はるか下方の海上で待つ大型水上バイクへと飛び降りた。

 パトカーから警官が降りてきても、ふたりの警護員はしばらくその場から動かず、それぞれに、じっと自分のすぐ前方の虚空を見つめたままだった。白い乗用車の助手席に拘束されたままの村瀬だけが、そわそわと体と目を動かしていた。



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