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5 住之川工業高校アニ研

 翌朝。



 登校する住之川工業高校生の群れの中に敦はいた。

 彼の眼は虚ろで、ゲッソリと痩せ、全身から負のオーラが漂っている。

「おっはよー……、おいどうした?」

 友人が異変に気付き、

 心配そうに声をかけてきた。



「うぅ……赤池ぇ……。

 僕が汚れても友達でいてくれよ……」

「はぁ? なんのこっちゃ」

「言えない……言えるわけ無い……」

 うわごとのように呟いて、

 敦は学校へと向かっていく。





 住之川工業高校はシステム科、電気機械科、デザイン科の三つの科からなる学校である。敦の在籍する電気機械科は機械の基盤や電気回路の製図、建築業にも若干触れる程度の工作技術を教育する。手に職という意味では盤石な進路を多数握っている、就職に有利な学校だった。




 もっとも敦はそこまで先のことを考えて進学したわけではなく、単に自分の学力で無理がない学校がここだったという事実と、それ以上に〝アニメ研究部〟という非常に魅力的な看板を掲げた部活が存在しているという理由でこの学校を選んでいた。



 放課後。



 敦はいつものようにアニ研部室にいた。



 文化部棟の一室に構えた十畳ほどの小さな部屋は、様々なポスターやグッズに彩られ異常な雰囲気を放っている。

 ただそれを〝異常〟と認知するのは彼の中にあるごく少量の一般常識であり、

 そこは敦にとって、母親にインテリアの制限が設けられてしまうマイホーム以上のオアシスだった。



「あー。やっぱりここが一番幸せだ」



 そのマイホームが昨日より、異次元からやってきたドSな美少女によって完全なアウェーと化してしまったのだからなおさらだ。



 アニ研の部員は数名。部としての存続は毎年ギリギリラインの数だ


 第一、アニ研はマンガを描く〝漫研〟や小説ほか文章を紡ぐ〝文芸部〟とは違い、活動が不明瞭なのだ。



 現に本日も部員をフル動員して、〝昨日のアニメの評価〟や〝最強のロボットは何か〟とか人生において耳クソほども必要ない馬鹿話に花を咲かせていた。



 そんな部活が何故成立しているのかというと、そこには彼ららしい理由があった。



 部員一人の携帯が着信メロディーを流す。

 ちなみに新作アニメのOPだ。



「……はい、もしもし。

 はい、そうッス。

 ええ、全員居ますけど……え」


 彼の顔が徐々に青ざめていく。



「い、今からッスか? あ……先輩?」


 ツーツー。


 いつの間にか全員の注意が集まる中、通話が途切れた電子音が木霊した。



「お、お前ら……」

 ごくり、と一同が息を飲む。

「あの人が……来る」



 ガシャアアアアアンッ!!



 窓を突き破り、

 一つの影が室内に飛び込む。



 ひしゃげた学生帽、巨大な体躯、ボタン全開の学ラン、そして下駄。



「うおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」



 着地するなり、男は吠えた。

 両手を広げ、

 天を仰ぐようにして吠えた。



「たるんどるぞ貴様らああああああッ!!」




 部員達の様を嘆き、号泣するこの男の名は太田撃だいだげき


 入学と同時にアニメ研究会を部に昇格させ、昨年まで三年間部長を務めた謎の怪傑である。卒業後はアニメ関連の職に就いたとされるが経歴は一切不明。



 ただこのアニ研に愛着があるのか、時折こうして様子を見にやって来る。

 彼の存在こそがアニ研が部として成り立つ唯一の理由であり、部員がもっとも恐れる鬼の大先輩なのだ。



「だ、太田先輩。

 今は富士の樹海で修行中のはずでは?」

 部員の一人が恐る恐る尋ねた。


「馬鹿、今回は日本アルプスだろ」

「ちげーよルート66行脚だろ」

「え。オレは池袋の乙女ロードを極めるって聞いたけど……」

「あああああああああああああああッ!!」


 様々な情報が飛び交う中、

 太田は一人吠え続けた。



「今井ィィィィッ!」

「は、はいッ!!」

 名指しされた今井はびしりと背筋を正す。


「我が輩は寛大だ……昨日の失態を、今ここで白状するならば命だけは助けてやる」


「ひぃっ……え、えーと、昨日……?」

「心当たりはない、と?」

「は、……はい」

「ほう。……ならばこれはなんだああああああああああああああああッ!!」

 べきしっ。

「ぎゃっ!」


 額にぶつけられるマンガ本。


 表紙には様々な作品のヒロイン達が利権を無視して描かれている。

 タイトルは『萌えキャラ戦記8』。


「商業アンソロ本の表紙買いは重罪と何度教えたらわかる貴様ァァァッ!!」


「ひぃぃぃッ!!

 ご、ごめんなさいぃぃッ!!」

「アダルトならばなお罪は重いッ!

 グラウンド十五周ッ!!」

「はいいいいっ!!」

 今井は泣きながら

 部室を飛び出していった。



「それから上田ァッ!!」

「う、ウッス! 自分はなにも……」


「匿名掲示板において原作者への根拠のない誹謗中傷ッ!」


「うわぁぁッ!! どうやってそれをッ!?」

「他の流派ならば破門だぞ貴様ァァァァッ!! グラウンド三十周ッ!!」

「うわああああんッ!!」

 上田も今井の後を追い

 外へ飛び出していった。

「貴様らは総じて、

 オタクとしての心構えがなっとらんッ!

 こんなところで駄弁っている暇があったら、作品価値の追求、同士育成、布教活動、己のスキル向上に邁進せんかあああああああああああああああッ!!

 全員レポート原稿用紙二十枚ッ!

 タイトルは

 『前期ラインナップの総評と

  今期への期待』!!」



「「「りょ、了解でありますッ!!」」」」



 総員、気迫に圧され敬礼。




「そして高瀬」



「は、はい!」

 いよいよ自分の番か。

 敦は身構えた。

 ぽん、っとその肩に手が乗る。



 ……極めて気さくにだ。



「……あのカワイコちゃん、誰?」


「え?」


「あのカワイコちゃん、誰?」



 みしり。



 滅多に見せない太田の笑顔とは裏腹に、肩に置かれた手から握力がダイレクトに伝わってくる。

 先ほどの表面的なパワーがない分、

 余計に怖い。



「せ、先輩、カワイコちゃんって」

 周囲もどよめきはじめた。

 元々女性関係に乏しい連中なので、

 反応が早い。

 恋慕のことを言っているのか。

 まずいな。



 敦に美少女の妹が居る(正確には出来た)などと知れたらこの身が危ういぞ。



 ……この場はシラを切るしかない。

「え、えーっと、……いやですねぇ、

 何の事やらさっぱり」



「あー、ここに居たんだおにいちゃん」



 おっと、最悪。

 入り口には昨晩散々な目に合わせてくれた妹がぶりっ子モードで立っていた。

 今日の服装はフリルの付いた純白のワンピースだ。相変わらず可愛い。



「び、美少女だ!

 ……カワイコちゃんだッ!!」



 室内に非常事態警報が鳴り響く。

 ムリもない。

 敦を含め、ここにいる連中にとってはまさに理想の少女の来訪なのである。



 あくまで外見だけは、だが。



「高瀬」

「貴様」

「これはどういうことか」

「説明してもらおうか」


 数十分まえまで仲間〝だった〟部員達の視線が痛い。



 オアシスは一瞬でアウェーとなった。



「けほんけほん」

 そんな状況を無視し恋慕が

 (さもわざとらしく)咽せる。

「うぇーん。

 ここなんだか変な臭いがするよぉ」

「換気だッ!

 換気しろ馬鹿共!!

 誰だこんな所に

 エロ本放り投げた奴はッ!?」

「せ、先輩ですよ!!」

「いいから早くしまうんだ!」

「えぇいファ○リーズはまだかッ!?」

「ちきしょう、なんでこの部屋には消臭剤が一切無いんだッ!!」



 恋慕の一言でえらい大騒ぎだ。



 一方の恋慕は、働きアリのように室内を飛び回る連中を見てどこかうっとりとした表情をしている。



 嗚呼私が一声鳴くだけで、この愚民共はとても愉快に踊るのね。

 ……っといったところか。

「悪女め」

「やん♪

 恋慕、何のことだかわかんなーい」

 腋を締めこぶしを口元にやり、小首を傾げて笑う恋慕。



 あ ざ と い 。



 しかし絵になっているから

 余計に腹が立つ。


「学校まで来てなんのつもりだよ。

 僕のオアシス返せ」

「ひゃっ!

 ふぇーんっ!

 おにいちゃんがおこったぁーっ!」




 ギンッ!




 一同の殺意が敦を貫いた。


「高瀬」

「貴様」

「いい度胸をしている……」

 その集団を一言で呼ぶならば〝暴徒〟。

 ナイス暴徒。



「まってくれみんなおふっ!」

 飛来した分厚いムック本が

 下腹部を直撃!

「騙されるなげふっ!」

 続いて大型同人誌即売会のカタログが

 胸部に激突!

「この子は可愛いけど本性はがはッ!」

 最後に広辞苑が顔面を殴打した。




「謝れ」

「謝罪しろ!」

「謝罪! 謝罪! 謝罪!」

「ぐぅぅ……ご、ごめんなさい……」


 ちきしょう、なんでこんな目に……。


 その様を見ていた恋慕は、胸の高鳴りを抑えられないといわんばかりの昂揚に満ちた顔をしている。

 なんでそんなにうっとりしてるんだよ。

 なにがそんなに嬉しいんだよ!


「こんにちは。

 敦の妹の恋慕っていいます」

 恋慕が名乗る。



「い、妹だと……?」


 どよめきが再び

 アニ研室内を駆け巡った。




「あの子が妹……?」

「貴様、妹がいるとは聞いてないぞ!」

「ま、まさか一つ屋根の下で……」

「一緒にお風呂とか……」

「お、お医者さんごっこを……」

「まてまてまてまてッ!!」

 敦は先走りする一同を制した。



「いくら何でも兄妹像が歪みすぎだろ!」

「ならお前、

 やましいことなにもしてないんだな?」

「あのな、そんなのあたりまえ――、」



(『恋慕はねー、もーっと、

 おにいちゃんの困った顔がみたいなぁ』)



「――じゃないか、うん」

「言い淀んだあああああああああッ!!」

「有罪! 有罪!」

「ギルティ!」

「野郎共、かまうこたぁねぇ!」

「やっちまえ!」

「ひぃぃぃぃッ!

 まって、僕は〝受け〟、

 じゃなくて〝ネコ〟、

 もとい被害者なんだ!

 うわあ恋慕、助けて!

 この人達止めてぇ!」



 助けを求めたところで、恋慕はそれはそれは邪悪な笑みで見つめているだけだ。

 なにがそんなに楽しいんだよッ!


「ちくしょーーーーッ

 神も仏もねぇーーーーーーっ!」

「殺せ! 殺せ!」

「ぬるい!

 男性機能を潰してしまえ!」

「生きる屍にしろ!」

「やーーーめーーーてーーーっ!」

 そこあたりで恋慕がぼそりと、

「あー。

 それ潰されるのは困っちゃうかも」

 と呟いたのを敦は聞き逃さなかった。

 こほん、と恋慕は咳払いを一つ、



「恋慕のおにいちゃんを苛めないで……」



 などと潤んだ瞳で訴えた。



「「「はーい♪」」」





「お前ら……だまされやがって……」

 こうして敦の安楽の地は完全に断たれてしまったのである。

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