29 ギィィィィガァァァァサンダァァァァァァァッ!!
自分の寝言で目を覚ます事ってあるよね。
それは休日の昼下がり、冷房のよく効いた敦の部屋での出来事だった。
そんなエコロジーってなにそれおいしいのといった快適な空間で、敦は暇に飽かして惰眠をむさぼっていた。
「……んにゃ……、
あはは、そりゃ……
だめだってもぉ……。
Zz………………………………………、
…………んふふ、恋慕様ぁ」
……はっ。
なにか、言ってはいけない単語を口にしたような気がして敦は目を覚ます。
同室で雑誌を読んでいたはずのアパルが、顔面蒼白になりながらこちらを見ていた。
「い、今、僕……」
「言ってない」
敦が呟いた疑問にアパルは即答した。
優しい嘘で即答した。
「だって今、えぇっと、恋慕のことを」
「言ってない。僕は何も聞いてない」
「うそだ、今、絶対
……うああ……っ!」
敦は呻いた。
一秒弱呻いてから、
何故か唐突に笑えてきた。
「うふふ……知ってるぞこれ。
鬼畜系のエロゲーとか
女の子を監禁するひでぇやつでさ……。
ヒロインは最初嫌がってるんだけどさ、だんだん、自分の置かれてる状況に悦びはじめるんだよ……。
最初は無意識に……
あはは、最初は無意識にぃっ!
主人公はそれを見抜いてて、
『ククク、もう一押しで墜ちるな』
って描写が……」
「気をしっかり持つんだ敦ッ!」
アパルは声を荒げた。
「君はラブラの呪縛から逃れ、記憶を消しても戦場に舞い戻ってきたじゃないか!
精神力にかけては
誰にも負けないはずだ!」
「で、でも僕、
……今、恋慕のことを〝様〟って!」
「大丈夫だ!
とにかく大丈夫だ!
リピートアフターミー、セイ!
〝大丈夫だ!〟」
「だ、大丈夫だ……」
「そう、君は大丈夫だ」
「僕は……大丈夫……」
「そうだ」
「大丈夫、僕は大丈夫!」
「うん!」
「はは、……あははっ!
そうだよなにいってんだよやだなぁー。
もー。
確かに恋慕は可愛いけどさぁ、
そんな足舐めて喜ぶ人生まっぴら」
「おにいちゃんっ!
ママがアイス買ってくれたよーっ!」
「ひぃぃっ!」
突然登場した恋慕に敦は竦み上がる。
「な、なに、どうしたの?」
「だだ、大丈夫だ……僕は大丈夫だ……」
「こわっ!
なにぶつぶつ言ってるのよ!!」
「元凶が何を言うんだろうね」
アパルは深いため息をついて、
再び雑誌に視線を戻した。
「なんだかよくわかんないんだけど……。
うぅ、寒い!
ここ冷房効き過ぎよ」
恋慕は肩の出ているキャミソールに
レギンスという格好だ。
この部屋の温度は寒かろう。
彼女はリモコンで冷房を切ると、窓を開けて空気の入れ換えをはじめた。
ネイギーの事件から数日。
役目を終えたはずの恋慕は、敦の妹として未だ高瀬家に住んでいた。
なんでも、敦はドラゴンを制御した貴重なサンプルだから、もうしばらく監視する必要がある、等々こじつけて御上に申請したらしい。敦はなんだか物扱いされているようでどうなんだろうと思ったが、恋慕達とまたわいわい暮らせるならなんでもいいかとポジティブに受け止めることにした。
一同は一箱六本入り三百円也の棒付きソーダアイスを銘々受け取り、ベッドに座って食べ始める。
「そういえば。
私まだ聞いてないんだけど……」
恋慕が切り出した。
「おにいちゃん、あの時どうやって記憶を取り戻したの?」
「あー。それかぁ」
記憶を失った敦は、それでもデジャブのような何かに一日中悩まされた。
そんな彼をとんでもない荒療治で救ったのはオタク番長、太田撃だった。
『忘れ物だ……歯を食いしばれ』
その一言と共に拳で頬ッ面を一撃。
「……それで記憶が戻るなんて……」
ありえない、
と恋慕は口を開けて固まってしまった。
太田はありえないことをやってのける男だからなぁと、敦は特に疑問に思わない。
「まあ、敦の中にエナジー体の欠片が残っていたからね。記憶消去の際に微弱ながら妨害してたんだよ……おそらくね。
あとは何か強いショックでもあれば、
記憶が戻る可能性は多分にある」
アパルの推測が落としどころだろう。
「……だとしても、そのあと
隔離空間からどうやって廃工場に?」
恋慕達は戦闘に入る際に、被害が拡大しないように周囲一帯の人間を隔離空間に送る。
一時的なコピー空間と聞いていたが、実際その場にいた人間としてはどっちがコピーでどっちが本物か判別がつかなかった。
だがたとえどちらが本物だとしても、敦がその空間を越えてなおかつ現場に急行したことに変わりはない。
「それはね、
……あれ、アパルなんだろ?」
アパルはこちらを向かず、澄ました顔で
「まあね」
と答えた。
記憶を取り戻した敦は、どうにか恋慕の居場所を突き止めようと考えた。
そしてその朝、『ティンク☆ランナー ミルキー』の二巻と四巻が逆になっていたことを思い出したのだ。
恋慕のミスの再現だ。
あれはもしや、恋慕かアパルからのメッセージなのではと考え、DVDのジャケットをひっくり返すと思った通りだった。
アパルは状況が変わるたび、
DVDにメモを隠しておいたのだ。
決戦の場所がわかった時も、その位置と空間の抜け道をメモし、敦に託したのだ。
もしも敦がそこまで辿り着くことが出来たなら、必ず助けになるだろうと信じての行為だった。
「まあそこに気付けたのは
さすがというべきかもしれないな」
「あら珍しい。
アパルがおにいちゃんを褒めた」
「ちゃんと褒めないと成長しないからね」
相変わらずの上から目線だ。
いつかまた痛い目に合わせてやる、と敦は心に決めた。
「あともう一つ、私、まだ聞いてない」
恋慕が言う。
敦が「何を?」っと表情で答えると、
彼女はにっと微笑んだ。
「私はおにいちゃんのことちゃんと『好き』って告白したのに、返事をもらってないわ」
ごくごく普通の一般家庭である高瀬家には、息子が一人、娘が一人住んでいた。
敦と恋慕は表向きは年の離れた兄妹だ。だが二人には重大な秘密があった。
兄の敦は、その身にドラゴンに変身してしまう危険な因子を持っているのだ。
そして妹の恋慕はそれを治療するためにやってきた異次元人なのである。
やがて二人はいろんな危機を越えて――、
「……」
敦の咥えていたアイスの棒が
ぽろっと床に落ちる。
「い、言わなきゃダメなのかよ」
こういうことは、勢いで解決してしまうもので、改めて要求されると驚くほど気恥ずかしいのだ。
敦の顔は真っ赤になった。
「だって。
恋慕は子供だからわからないの」
「またそういう時だけ……」
「確かにきちんと返事をすべきだよな」
アパルはほくそ笑みながら
援護射撃をした。
「アパルまで……ああ、もー」
敦は観念し、頭を抱えて「うー」っと唸ると、最初にぼそぼそと返事の文句を予行演習してから、顔をあげて恋慕を真っ直ぐ見た。
ちょっとの間。
「えっと」
「うん」
「あーっと」
「うん」
「その、ね」
「うん」
「ぼ……僕も……恋慕の事が――――、」
『あつしぃーッ!
あんたまた荷物届いているわよーっ!!』
この大事なタイミングで、
一階から母親の怒声が轟く。
『いいかげんにしなさい!
捨てるわよッ!!』
外敵に気付いた野ウサギが如く勢いで、
敦の意識が変わった。
「やばい、今日は『LOVEガールズ』十二巻の発売日だったッ!!」
今度は脱兎の如く
敦は部屋を飛び出してしまった。
「……」
残された恋慕が、
あぜんとした表情で固まっている。
「……れ、……恋慕?」
アパルはそっと声をかける。
恋慕の硬直が解かれ、
そして一秒ほど震え、
……そして、
「ふぅぅざぁぁけぇぇるぅぅなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
……爆発した。
「あの重症オタッキーッ!!
ぶっ殺してやるッ!!」
乙女心を良い感じに踏みにじられた妹が、罪人の兄を追い部屋を飛び出す。
『ギィィィィガァァァァ、
サンダァァァァァァァッ!!』
グワシャーーーーンッ!!
『ひぃぃーーーーーーーーーーーーッ!!』
「……おいおい……」
――こりゃ、
二人の兄妹以上恋人未満はまだ続くな。
アパルはふぅとため息をつくと、次のアイスを手に取り、読みかけの雑誌を手元にたぐり寄せた。著名人の恋愛スキャンダルが大袈裟な活字で報じらる、ゴシップ雑誌だ。
なんだかんだで二人の行く末を
アパルが一番楽しんでいる。
彼は色恋沙汰に無頓着に見られがちだが、こと他人の恋愛には意外と俗っぽいのだ。
アパルはあと二本のアイスも
頂戴することにした。
なに、いつぞやドーナツを食いっぱぐれたのだ。罰は当たるまい。
『私をほったらかしてアニメの女の子ッ!?
いいわ、オーケー燃えてきた!
私以外の事は考えれない躰にしてやる!
さあ覚悟なさいッ!!』
『やめてぇぇぇぇ!!
おかしくなっちゃううううううぅっ!!』
「……やれやれ、お幸せに」
アパルの呟きは、
やっぱり誰の耳にも届かなかった。
XXXEND




