25 立ち上がる恋慕
気がつくと、恋慕は夜空の真下にいた。
よく晴れた夜空だった。
ぽっかりと丸い月に、
歓声を上げたくなるほどの星々。
……ここがあの世なのか。
そんなことわかりっこないが、
状況からいってそうなのだろう。
体も痛くないし、怪我も治ってる。
恋慕は足元に座った。
地平線の彼方まで草原だった。
「ダメだったなぁ」
そんなことを呟いてから、
ふぅっとため息をつく。
ほらみてみろ。
やっぱりヒーローにはなれなかったじゃないか。バカ兄貴め。
最後の最後に自分が怪物になってしまうんじゃ世話がない。
バカ兄貴。
ロリコンでオタクで
もやしのくせにかっこつけやがって。
バカ。
バカ兄貴。
バカ野郎……、
「……おにいちゃん……」
知らないうちに恋慕は泣いていた。
死んでも涙はでるのか。
敦の事なんて考えるんじゃなかった。
敦の事を考えなければ……妹なんかにならなければ……出会ったりしなければ……。
好きになんてならなければ、こんなふうに泣くこともなかったのに。
こんなふうに泣いて、胸が苦しくて、傍に居たくて、居て欲しくて、護りたくて、護って欲しくて、あの人を怪物になんかに、私は……私はっ!
「……おにいちゃん……っ!
おにいちゃん……っ!!」
「泣いているのはね、
まだ立ち上がれるからだよ」
可愛らしい声だった。
ミルクティーのような、
乳白色がかったブラウンの髪。
星を模ったアクセサリーが煌めく。
身長は恋慕ぐらいか。
彼女は恋慕の隣に座ると、
ふっと笑った。
「なんてね。
これ、私のお姉ちゃんの受け売り」
驚いている恋慕の手を取り、
その上に自分の手を重ねてこう言った。
「あなたを待ってる人が居るよ。
転んでも、倒れても、あなたのために前に突き進む人が。
だから、お願い。諦めたりしないで」
「でも……っ! 私はもう……っ!!」
「力を貸してあげる。
だけど自分で立ち上がって。
だいじょうぶ……。
きっとできるよ――――――……」
ハッと恋慕は覚醒した。
体中が痛い。
……まだ生きてる……っ!?
「最後に言い残すことは無いか?」
ラブラに剣を突きつけられ、
恋慕は身動ぎをした。
かつん。
懐からなにか転がり落ちる。
プラスチック製の拳くらいの……、
――敦からもらったおもちゃだ。
『力を貸してあげる』
「……うそ、でしょ?」
『だけど自分で立ち上がって』
「…………」
『だいじょうぶ。きっとできるよ』
「……ッ!」
恋慕は両手を地面においた。
筋肉をフルに使って体を起こす。
「死に体だと思ったが……
まだ抵抗する気か?」
蹴られた腹筋が痛い。
関節が悲鳴をあげる。
体重を足に預けた途端、激痛が走った。
「ギャッ!」
絞められた鶏を彷彿とする悲鳴をあげて、尻がドスンと地面に戻る。
「が――は――っ」
重い重い息が肺から飛び出した。
「どうして立ち上がる?
万策は尽きたんだぞ?」
痛い。
いたいいたいいたい。
いたいいたいいたいいたいいたいっ。
また負けそうだ……っ。
『あなたを待ってる人が居るよ』
「おにい……ちゃん……ッ!
ぐぅぅ!」
歯を食いしばる。
息を詰まらせ、力む。
もう一度脚に力を込めた。
「もうやめろっ! 見苦しいぞ!」
「うがあああああッ!!」
およそ女性とは思えない声で吠えた。
体からどんどん抜けていく力を結集し、
そして、腰を起こす。
恋慕は立ち上がった。
傷だらけの体で、
歩くことすらおぼつかない脚で、
だがしかし、
恋慕は確かに立ち上がったのだ。
「いったいなんのつもりだ!?
立ち上がってどうする?
そこからなにができる!?」
「ぜぇ……ぜぇ……ッ!!」
「死を覚悟しろ!
さもなくば命乞いをしろ!
お前の……お前のやってることは敗者のすることではない!
そこから一体どうするつもりなんだっ!?」
「『立ち上がるのは、
手段のためじゃないわ』」
「ん……っ?」
「『成す為よ』……ってね」
「な、なんだ、それは」
「〝ベカ姉ちゃんの受け売り〟よ」
恋慕はミルキーのロザリオを……愛おしい兄からもらい、あの子から託されたそれを突きつけた。
「おも……ちゃ?」
ラブラが当惑した声を出す。
「さあ……覚悟なさいッ!」
その中央のスイッチを、押す。
空気が震えた。
脳みそを揺さぶられるような衝撃が
上層人の二人を襲う。
「ぎぃぃぃやあああああっ!!」
予想外の一撃にラブラは膝をつき、
のたうち回った。
「ぐぅぅぅッ!!」
恋慕の足元がぐにゃりと歪む。
まっすぐ歩けない。
だったら四つん這いだ。
吐き気と戦いながら恋慕は前進し、ラブラの脳天に這いつく。
電撃を指先に……力が入らない……入らないじゃない、入れるんだッ!
「あああああああっ、サン……ッ!
ぶぅぅっ!!」
唱えようと口を開いたところで、
胃液が逆流してきた。
慌てて腹に戻し、再度指先を突きつける。
「サンダーァァァッ!!」
ばちりっと、名前のわりに可愛らしい電撃がラブラの頭脳を走る。
ラブラの絶叫が止まった。
ぱたりとヒモの切れた操り人形のようにその場に崩れてしまった。
ほぼ同時に、ロザリオの効果音も止む。
「はぁ……はぁ……。
おぅ……ぶっ、
おげぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」
こらえられなかった逆流を、
地面に吐き散らかす。
酸の嫌な臭いと味が
口いっぱいに充満していく。
「げぅ、げふぅ!
……あぐぅ!」
腕の力が抜ける。
恋慕はたった今自分の中から飛び出した汚物の泥沼に体を沈めてしまった。
「うぅぅ……っ」
恋慕はまた泣き出しそうになった。
痛くて辛くて苦しくて臭くて汚くって。
それでも、それでもまだ止まれない。
『あなたを待ってる人が居るよ』
『僕が恋慕の〝おにいちゃん〟だからだ』
止まれないんだ……っ!
恋慕は涙をこらえてラブラに取り付く。
腰の付近を探してみると、
拳銃型の注射器が見つかった。
数十年前に起こった上層界での世界大戦中に開発されたもので、即効性の鎮痛、魔源回復剤である。
ただし強い常習性と副作用があるため現在では非合法になっているが……賊はほぼ間違いなくこれをもっていることを恋慕は職業柄知っていた。
それを自分の首筋に当て、
トリガーを引く。
「がぁ!」
患部がハンマーを打ち付けられたような鈍痛を感じた。
その後すぅっと体が軽くなっていく。
「ぜぇ……ぜぇ……。
やっと……呻かずに立ち上がれる……」
痛覚が麻痺しただけで傷が癒えたわけではないが、今はそれだけでいい。
恋慕はホウキを召喚し、空へあがった。
そしてドラゴンと巨大ゴーレムが暴れる戦場に向かう。
「GOOOOUUUUUU!!」
ドラゴンの……敦の咆吼が響き渡る。
巨大ゴーレムとドラゴンの殴り合いは、この世のものとは思えないほど恐ろしい戦いに発展していた。
地に足をつける度に地響きがなり、
建造物が崩壊する。
至る処の電線が引きちぎられ、
バチバチと放電していた。
「おにいちゃん、しっかりしてッ!!」
恋慕はドラゴンの顔の傍で叫んだ。
「私よ、恋慕よッ!
お願い……っ!
元のおにいちゃんに戻って!」
「説得なんて効くわけ無いだろうが!」
ゴーレムからネイギーが叫んだ。
いつものふざけた調子が無い。
エナジー体があるとはいえ、これだけ巨大なゴーレムを操っているのだ。
精神疲労は相当なものだろう。
恋慕はネイギーを無視し、
さらに敦に近寄る。
「……おにいちゃんっ!!」
「GOOOOUUUU!!」
ドラゴンがぎろりとこちらを向いた。
途端に火炎を吹き付けてくる。
攻撃された。
旋回して回避したものの、
敦に拒まれたようでショックだった。
だがそんなことでめげてはいられない。
ぐっとホウキの柄に力を込め、ドラゴンとゴーレムの間に割って入った。
「しっかりしなさいっ!
おにいちゃんが唱える信念は、
そんな程度だったのッ!?」
「GOOOOOUUUUッ!!」
威嚇なのか、
恋慕を吠えつけるドラゴン。
「いい加減に目を覚ませこのッ!
ロリコンがぁぁぁッ!!」
恋慕はその口内に電撃を浴びせてやった。
「ギヤゥ!!」
さすがに急所への一撃が効いたのか、
ドラゴンは一瞬仰け反った。
だがすぐ立ち直り、恋慕を睨み唸る。
「おにいちゃん……」
そんな顔で見ないで。
もう一度おにいちゃんって呼んだら、
笑ってくれたじゃない。
だから私、がんばったよ?
痛くても辛くても、おにいちゃんのところにかえってきたよ?
「おにいちゃん……、
おねがいだから……っ!」
だめだ、しっかりしないと……涙が……。
「GUU……」
ドラゴンはゆっくり口を開けて、
恋慕に迫ってきた。
やっぱり、まだ獲物にしか見えないのだ。
「違うっ! 違う違うッ!!」
恋慕は頭振った。
「お兄ちゃん、言ったよね……」
巨大な口が恋慕に迫る。
「恋慕、僕を信じろ……って」
「だから、私」
「信じてるから……ッ!!」
ぐんっ。
恋慕を咥えた口が、…………閉ざされた。




