2 「ふぅん。思ったより賢いのね」
こういった場合、普通の人間の反応としてはドッキリを疑ったり、自分の記憶を疑ったりするものだろうが敦の場合はちょっと違った。
彼はちょっとしたオタクだったからだ。
〝ちょっとした〟の酌量は人によって差があるが、敦はとりあえず自己紹介の際にはひとまず、『ちょっとしたオタク』と名乗ることにしている。
テレビ画面に食いつき、深夜は美少女の暴れるアニメ、休日朝は特撮や魔法少女など、対象年齢が低めに設定されている番組を細かくチェックしたり、また夜は美少女ゲームに勤しんでいる模範的なオタクが〝ちょっと〟なのかは自分でもたまに疑問だが、まあ、それはさておくとしよう。
彼はオタクという趣向の持ち主であるがゆえ、自分でも驚くほどこの状況に対して冷静だった。
まあ、こういうことはよくあるしな。
アニメや漫画やゲームや、あと特にラノベやネット小説なんかでもよくある。
実にベターな展開だ、うんうん。
――そんな程度の認識だった。
状況的なそれよりも、今の彼の興味は謎の美少女、高瀬恋慕の正体に向いていた。
彼女はいったい何者だろうか。
パラレルワールドの実妹とか、腹違いの妹とか、実は自分には隔離されてた妹がいた等々いろんな設定が脳裏を飛び交ったが、どれもイマイチぴんと来ない。12人くらい大挙してくれるのであれば話が早いのだが、ひとまずそれはなさそうだ。
ま、ここはやはり、本人に尋ねるのが一番だろう。
†
敦は食事を終えると、先に食事を終え二階に駆け上がった恋慕を追い、階段を昇る。
高瀬家の二階には三部屋ある。
両親の寝室、父親の書斎、そして敦の部屋だ。自室に入る前にあることを思いつき、ほかの二つの部屋をチェックした。間違いなく両親の寝室と書斎だ。彼女もいない。
よし。
意を決して自分の部屋の扉を開いた。
そこに恋慕はいた。
敦のベットに腰掛け、膝の上にウサギのぬいぐるみを乗せて、携帯ゲームをぴこぴことプレイしている。こちらの入場を意に介す様子もない。
〝おにいちゃんと同じ部屋で生活する妹〟としては、実に自然体だ。
で、敦は彼女にこう切り出した。
「それで、君は誰なのさ」
「えー?」
至極不思議そうな顔で、恋慕がこちらを見る。
「恋慕は恋慕だよ?
今日のおにいちゃん、ちょっと変」
「それはダウト」
「だうと?」
びしっと指を突きつけた敦は、得意げに、
「万が一僕の頭が変になって、可愛い、もとい、すンごく可愛い妹の存在を忘れてしまったと仮定してさ。それでもおかしいよ。年頃の女の子が男兄弟と同じ部屋なんて」
「どうしていけないの? 恋慕、子供だからわかんなーい」
「それは……げふん、まあ、割愛。
第一、ベットも勉強机もないじゃないか。うちの親は娘の入学に勉強机を買ってやれないほどケチじゃないよ。だったら僕の記憶の方が正常と考えた方がいい。
要するに君が〝今日初めて家族になった誰か〟……ってことになるよね」
ちょっと胸を張りたくなるような推理を披露すると、恋慕の様子が変わった。
「ふぅん。思ったより賢いのね」
幼く可愛らしい声は相変わらずだが、大人びた余裕のあるトーンに、子犬のようにまん丸だった瞳は猫のように鋭いものになっていた。
これが本性のようだ。
「さっきはあんまりにもお馬鹿そうだったから、もうちょっと遊べると思ってたのに」
「両親の記憶をいじっちゃうんだから、君は異星人か異世界人てとこかな」
「残念、異次元人」
「異次元人かぁ……」
惜しい。まあこちらは根拠のない勘だから当たるはずもないか。
「で? 僕に何の用?」
敦は核心を切り出す。
「……何の用って、私、まだ何も言ってないんだけど」
「記憶を書き換えなかったんだから、僕に用があるんでしょ?」
えーっ、と、恋慕は驚いたような、少し困ったような、そんな表情をした。
「すごい適応能力だわ。普通もうちょっと混乱するでしょ?
……ね、アパル、どうする?」
恋慕はウサギのぬいぐるみに尋ねた。
すると驚いたことに、
「いやぁ、どうしようか?」
と、ウサギのぬいぐるみが顔を上げて、男の子の声で返事をしたではないか。
ぬいぐるみがしゃべるというキャラクターは時々見かけるが、さしもの敦もこれには驚いた。ここに来て腹話術というオチもないだろう。
「下層界の人間に協力を仰ぐ事態は何度かあったけど、こんなにごく平然とされたのは僕だって初めてだ。物わかりが良すぎて逆に対応に困るよ」
アパルというらしいぬいぐるみがちょっと愚痴気味に言。
「どうする? やっぱりアレかしら」
「うん。彼のためにもアレでいいかもしれないね」
こちらに通じない共通認識で合意し、頷き合う。
おっとなんだろう。
そこはかとなくいやな予感がしてきたぞ。
「アレ……ってなに?」
少し声を低めに尋ねてみる。
「あ、うん。
おにいちゃんがね、あんまり察しが良すぎるから……」
恋慕が人差し指を立てた。
どういう仕組みか、その指先にバチバチとスパークが発生する。
「……ちょっとばっかし怖い思いをしたほうがためになるかなーって」
あ。やばい、調子に乗りすぎた。
己の迂闊さを呪っている最中の敦を、恋慕がドンッと突き飛ばす。
もんどり打ち仰向けになった敦の胸板に恋慕が跨ってきた。指先のスパークが白熱電球のような輝きを放つ。
ああ、やばい。これは絶対やばい。
選択肢を間違えたギャルゲーの主人公がどんな気分なのかわかってきた。
「えーっと。考え直す気、ない?」
一応問いかける。
「ぜーんぜん。かくごなさーい♪」
どす。
嬉々とした恋慕は、命乞いする敦の額を容赦なく突いた。
がくりと、まるで階段を踏み外したような錯覚が敦を襲い……、
敦の意識は闇にかき消えていった。




