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雨の冠  作者: 桃宮
8.金の鎖、銀の鎖
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2 思い出は美しく

 石置の家が管理する神社というのは、祖母の家の隣にあった。


 祀られているのは「天多留水尊あめのたるみずのみこと」という水神で、今は母の従兄弟、祖母の甥が神主をしている。本当は女系の家らしいけど、母が駆け落ちしたからそうなってしまった。


 私が出てきた裏の池は、本当に「水読池」というそうだ。

 なんでそんな名前なのかは、祖母曰く「昔、この池の様子で水害を占ったから」。

 水読は、水を読むから水読と呼ばれる。

 あっちにも同じ音で現す人物が昔から居た、というのは謎すぎる。私は向こうへ行った日、自宅のお風呂から忽然と消えていたらしいけど、この池とメルキュリアは本当に繋がっているのかもしれない。

 もしそうなら、祖母が話してくれた言い伝えの「生け贄になった娘」というのが、あちらに現れた“泉の乙女”なんだろう。

 今となっては、確かめようがないけれど。


 そんな話を聞き、母の実家や地元を案内してもらって二日程過ごし、私は家族と共に自宅へ戻ることにとなった。両親と祖母は今回のことで完全に和解し、私に母の実家の存在を隠す必要もなくなったので、祖母に私は「また遊びに来る」と約束をした。これはすぐ、次のお正月にでも実現するだろう。母達の方で既に、なんかそういう話になっている。


 私が着てきたドレスは、こちらに置かせてもらうことになった。東京の家では、スペース的にまともに保管出来そうになかったから、それしかなかった。

 納戸の一画にドレスを運び込み、埃よけの布を掛ける前にもう一度眺める。

 あちらの燭台の火の下には敵わないが、素っ気ない蛍光灯の光でも、宝石と金糸の刺繍はきらきらと美しく輝いていた。こっちの世界の基準で見ても、ちょっと普通はお目にかかれないクオリティだ。


「大切にされていたのね。美雨」

「うん」


 片付けを手伝ってくれた母が、しみじみと微笑んで言う。

 そう。

 色々あったけど私は、向こうでとても大切にされていた。



  ◇



 東京に帰ってからは、流石にしばらく慌ただしかった。

 まずは友達に片っ端から連絡し、バイト先にも謝りに行った。

 私の不在は「雨の日に川に転落したものの奇跡的に助かり、しかしショックで記憶の混濁が見られたため静かな母方の地元で療養していた」という謎の設定で説明付けられていた。

 なんで。

 どうも、私の失踪状況を見てピンと来たらしい母が祖母に連絡し、家族で散々話し合った末そう決めたらしい。警察にも一応言ったが、靴も着替えも残っていて窓の鍵も掛かったお風呂場、という状況ではどうにも出来ない。戻ってくるのを信じて、大事にするのを避けたようだ。結果的には助かった。


 結局アルバイトは辞めて、今度こそしばらく休養というかニートというかちょっと現状を整理しよう。と、私は開き直ってのんびり過ごすことにした。

 春だ。春くらいからまた新しいこと始めよう。それまでは、すっぽり忘れていそうな資格試験の勉強の続きでもしながら考えよっと。


 その間、仲の良い子達と皆で何度か遊んだ。

 親友なんて呼んでいいのか分からない……とか、ちょっと距離を感じていた友人達も、私が面会謝絶・音信不通の状況から復帰してくるととても喜んでくれた。


「だって……美雨のお母さんから、美雨の居場所を知らないかって、最初」


 手っ取り早くファミレスで集まって、その時の話になると全員涙ぐむ。私が居ない間、沢山の人から無事を確認する連絡が届いていた。療養とか言って、実はまだ見つかっていないのではないか、と皆異変を感じていたようだ。


 実は異世界トリップしてましたー。


 とは、今はまだちょっと言いづらい。……いやだってほら、頭おかしいと思われそう。今現在、頭おかしくなって田舎に行ってた設定だけど。

 でも、ゆくゆくは本当のことを話そうと思っている。

 ちゃんと話したい。

 聞いてもらいたい。

 色々な事があって、色んな人に出会って、そして、好きな人ができたって。

 ――好きだと自覚した時は、もう、これきり会えないさよならの時だったって。


「美雨、なんか前より話しやすくなった」

「え?」


 多分一番仲が良かった子が、私を覗き込んで突然言う。


「あ、私も思った」

「えっ。どういうこと? 私、とっつきにくかった……?」

「ううん、そういう訳じゃないんだけど……なんていうのかな。言いたいこと言ってくれるようになって、安心したっていうのかな? 前は、何でもニコニコ聞いてくれるけど、自分のことはあんまり言わないから、無理して付き合ってくれてるのかな、って思ってた」


 ストローを咥えたまま、びっくりして見返す。

 と、間があってみんなが吹き出す。

 自分じゃ分からないけど、私は少し変わったみたいだ。

 きっとあっちではズルズル流され続けていたら死活問題だったから、多少はハッキリものを言えるようになったんだろう。


 最も強く影響を与えてくれたのは、あの人だ。

 黄金色の髪の、輝く宝石の様な目をした、最初はめちゃくちゃ怖かった、あの人。




  ◇ ◇ ◇



 あっという間に4ヶ月ほどが過ぎ、春がやってきた。

 桜も咲いて、もうどこからどう見ても春だ。言い逃れのしようがないほど春。


 この間に上の兄、雪兄ちゃんは彼女の久美香さんとめでたく入籍した。結婚式はまだだけど、プランは順調に進めているらしい。

 晴ちゃんは相変わらず、家から会社に通い、たまに雪兄ちゃんが帰ってくるとお風呂に入っている間に着替えの袖を結んだり、ソファを独占して怒られたりしている。

 平和だ。

 実に平和で、普通の生活がこんなに楽しいとは思わなかった。毎日みんなに会えるのが、こんなに幸せだとは思わなかった。髪や目の色で驚かれることのない日常が、こんなに気楽だとは知らなかった。

 ただ時々、無性に、猛烈に寂しくなった。

 どうしてだろう。

 何もかも、元に戻ったのに。


 首から下げた、金色のペンダントを手の平に掬って眺める。

 金属がお湯の中で浮くのは、毎日見ていても不思議だ。持ってみると重いのに、水に浸すと軽くなる。


 私はあれ以来、あの太陽の首飾りを片時も外さず身に着けていた。意味は特にない。外してしまうのが何となく怖いのだ。寝るときも、日中も、こうしてお風呂の中にまで付けて入る。

 ずっと持っていなくたって、消えてなくなる訳じゃないことは分かっているけど。


 4ヶ月が経って季節が変わっても、記憶は全く薄れていない。

 これをくれた人のことも、少しも忘れていない。というか無意識に、忘れないよう何度も何度も思い返しているからだろう。

 湯船に体を預け、目を閉じればありありと浮かんでくる。

 眩しすぎる笑い顔も、凛々しく整った真面目な時の表情も、めまいがしそうな深い美声も、私をからかって遊ぶちょっと意地悪な所も。


 湯気に混じって溜息をこぼす。

 そうすると少しだけ、胸の痛みが和らぐ気がする。


 会えるものなら、会いたい。

 でも、もう会えない。

 今の生活と引き換えに、向こうに残ることはできなかった。

 私は自分で選んだ。なのに、どうしてこんなに、いつまでも切ないんだろう。


 ペンダントの太陽をひっくり返してみると、裏側には何か細かく文字が彫ってある。でも、全く読めなかった。やっぱり私は、あちらの文字を習得することはできなかった。

 ――これは王様の冠だから、王様の名前が刻まれてるんじゃないか。

 そう思ってルーペで見たり、書き写そうとしてみたり色々やったけど同じだった。読めない。あっちでも、私が文字表無しで唯一読めたのは「泉の乙女」の単語だけだったしね。

 手元に残ったのは、思い出と首飾りと、それだけだ。


 ……いや、もう一つあった。

 金の鎖が掛かった、自分の胸元を覗き見る。

 胸の間、少し上の方の平らな骨の上に丸く指の先ほどの赤い跡が付いていた。覚えがない痣だ。触っても、痛くも痒くもない。ただ、こっちに来た時からあって、ずっと消えない。


 でもまあ、どうでもいいや。

 どうせこれを人に見せることは無いだろうし。

 私は目を閉じる。見るだけで胸が軋むような姿が描かれる。

 あんなハイパーかっこいい人に本気で恋してしまったら最後、もうどんな人にもときめけない。

 ごめんお母さん、私一生独身かも。




  ◇




 いつの間にか、ぽわぽわのカラフルなクッションの上にいた。

 パステルカラーで長方形の、巨大なクッションだ。

 一つでセミダブルベッドくらいある。

 それが、いくつもぽわぽわ浮いている。

 でっかいマシュマロみたい。


 私の乗ったクッションが他のクッションとぶつかり、ぼよんと跳ねる。

 弾みで落っこちそうになり、私はクッションにしがみつきながら慌てて胸元を確かめた。


 ――ない。


 ヒヤリとする。

 そこにあったはずのものが、いつも身に着けていたはずのものが、ない。

 肌身離さず、私の一部のようだったものがない。

 重なった、星のような形の、大切なものが、ない。


 ものすごく焦って何度も確認する。

 今の衝撃で落としたのかな……?

 どうしよう。なくなって、はいそうですか、で済むものではない。

 よく見ると胸の間から、何か透き通って輝く紐状のものが出ているのに気が付いた。

 それは蔦葛のような文字でできた、細い銀色の鎖だった。

 美しく輝き、胸の真ん中からずっと遠くのどこかへ、果ての見えないどこかへ伸びている。


 どこへ続いているのか目を凝らしていると、向こうから何かキラキラしたものが見えてきた。

 金銀に光る糸だ。

 蜘蛛の糸ほど幽かなそれが漂ってきて、体に触れると、一瞬、電撃のようなものが走り。


『見つけた』


 誰かの声がした。

 クッションは消え、私は真っ逆さまに――どっちが上か不明だから、もしかしたら逆さまじゃないのかもしれないけど――どこかへ吸い込まれていった。

 自分の体が塵のように軽くて、なすすべもない。

 悲鳴を上げる間もなかった。




 気づいたら、果てしなく膨大な水の中だった。


 見渡す限りのブルー。

 薄青の世界。

 冷たくも熱くもない水、苦しくない水。


 銀の鎖は、ずっとどこかへ続いている。

 誰もいない。

 ここは。


 ふと、視界の端でキラリと何か瞬いた。

 振り向くと、少し離れた所に銀刺繍の飾り紐が見えた。

 ――黒い髪。

 息を呑む。

 もう見間違えない。


 “悲恋”だ。

 なぜ。


 疑問を抱くと同時に、嘆く黒髪の巫女は掻き消え、貝殻のような白い小さな破片に変わった。

 水流がそれを運んでくる。

 あっと思う間もなく、それは水の流れに乗って私の口へ吸い込まれた。

 一切の抵抗感がなかったから、硬い貝殻ではなかったのだろう。


 の、飲んじゃった……!?


 私は自分の喉へ手をやった。

 キョロキョロしながら慌てて咳くが、吐き出そうとして吐き出せるものではないらしい。

 全然出てこない。

 じたばたする内に、体がどんどん浮かんでいった。

 浮かぶと言っても――どっちが上か不明だから、浮いていると思っていて実は沈んでいるのかもしれな――この際どっちでもいいんだけど。


 進歩もなく考えている間に、私はキラキラする水面に吸い寄せられていた。


「ぶっは!!」


 いつかのように盛大に息を吸い込み、空気を感じて自分の顔が水から出たと知る。


 青く澄んだ、神秘的な光。が照らす岩肌。掴んだ岸辺のつるりとした石の感触。

 光っているのは、水だ。

 私が体を浸している、この、小さな小さな水溜りのような泉。

 洞窟の中の。


 ……え、ここ、どこ。

 なんだか、ものすごく既視感があるんですが。


 やっぱり全裸の自分の首には金色の首飾りだけが下がり、青い泉の光に煌めいていた。


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