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雨の冠  作者: 桃宮
8.金の鎖、銀の鎖
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1 石置の家

 気が付くと、痺れるほど冷たい水の中にいた。

 水核の中は、出口が見えないにも関わらず一つも恐ろしいと思わなかった。

 今はヤバイ。

 暗いし、普通に息出来ない。死ぬ!


「ぶっは!!」


 もがいて水面に顔を出すと、一気に肺に取り込まれた空気が驚くほど甘かった。

 まず見えたのは、頭上に輝く丸い月。夜だ。周囲は暗い森。ここどこ……! どうやってあっちに行ったか記憶がないから、出てきたらどこなのか見当がつかない。


 どうやら、広い池か何かの真ん中らしかった。悠長に考えている時間はない。氷のような水が顔や手指を刺す。早く上がらないと、溺死か凍死かどっちかだ。

 私は慌てて、岸へ向かってじたばたした。重たいドレスを着ているのに、何故か体は沈まない。髪は濡れているし、手にも重い水を掻く感触があるのに、なんで浮くんだろう。

 ……まさかここ……あの塩湖!?

 そう思ったが、口に入るのは激マズの塩水ではなく真水だ。どうやら水ではなく、ドレスが浮力を持っているようだ。隙間から水が入っては来るが、布に染み込む感じがしない。どう見てもぶくぶく沈みそうな沢山の宝石も、むしろ布より強い力で浮き上がる。

 お陰で溺死することなく、しばらく必死にもがくと無事岸辺に上がることができた。


「さ、さ、さむ……!」


 溺死は回避できたけど、凍死は残ってる。

 感覚のない両手を握りしめ、ガチガチ震えながら辺りを見回す。月が明るいので風景が見えた。山の中のようだ。空にオリオンを見つけ、なんだか足から力が抜けそうになる。

「こちら」の空だ。

 戻ってきた。

 木々の向こうに明かりを発見し、私はスカートを持ち上げて歩き出した。民家があるかもしれない。

 風が吹くたび死にそうになりながら林を抜け、見えてきたのは立派な和風の住宅だった。よかった、日本だ……!


『――はい、どちら様ですか?』


 泣きそうになりながらチャイムを押すと、インターホンに出たのは年配の女の人の声だった。

 夜だしこんな格好だし怪しまれるのは間違いないが、誰でもいいから助けを求めればどうにかなる。電話を借してもらって自宅に連絡しよう。

 間もなく玄関の引き戸が開き、現れたのはキルティングのガウンを着た上品なお婆さんだった。70歳くらいだろうか。

 彼女は私を見て目を丸くした。


「美雨さん……?」


 名前を言い当てられ、私はポカンとお婆さんを見返した。

 私の服や水浸しっぷりより、顔を見て驚いている。


「美雨さんね? あなた、長瀬美雨さんでしょう!?」

「は、はい。なんで……」

「とにかく、上がりなさい! 髪も手もずぶ濡れじゃない」


 お婆さんは広い玄関に私を引っ張り込むと、廊下へ押しやる。慌てて靴を脱ぎ、床が濡れるのも構わず「こっちに来なさい」と、どんどん引っ張られた。

 風邪を引く、まずはお風呂に入れと言われ、話もそこそこにお風呂場へ突っ込まれる。


「凄い衣装ね」


 お婆さんと、お手伝いさんらしきおばさんと二人掛かりで手伝ってくれて、どうにか外側の豪華絢爛なドレスを脱いだ。ポタポタ水が落ちるだけで、ドレスはやはり水を吸っていなかった。

 至急お湯が張り直された湯船に浸かりながら、考える。


 多分私、全国区ですごい報道されてるんだろう……。

 顔も名前も公開で、捜索願が出されているに違いない。お陰で、東京の自宅近辺とは思えないこの山の中でも一目で顔が割れた。

 どうしよう。帰ってきて嬉しいけど、この後大変そうだなぁ……。




「すみません、こんな夜分に突然訪ねた上に、すっかりお世話になってしまって……」


 湯上がりにパジャマを借りて髪も乾かした後、整頓されたダイニングのテーブルでお茶を出されながら、私は深々頭を下げた。


「それで、すみません、電話を貸していただけませんか」

「連絡なら、もうしておきました。迎えは明日にと言っておきましたから、今夜は泊まっていきなさい」

「えっ」


 お婆さんはキビキビと言う。


「ここは山奥で道も暗いし、今の時期は凍るから、こんな時間に外を出歩くものじゃありません。部屋は空いていますから、遠慮しないでね。そうだ、お腹が空いているんじゃない? お茶なんかより、ご飯を出してあげればよかったわね。ありあわせで悪いけれど……恵子さん、今からおうどんか何か」

「はいはい」

「だ、大丈夫です、お腹は空いてないです」


 なんだこれ現代日本社会、超親切だし安心すぎる……。

 向こうでも別に酷い扱いを受けた訳じゃないし言葉も完璧に通じてたけど、同郷人とのやり取りってこんなにホッとするものなのか。

 でもやっぱり、家族には電話一本入れておきたい。お婆さんがしてくれたのは、警察への連絡だろう。今は夜の10時頃だけど、私が見つかったと家に知らせを入れてくれるのか、折り返しここへ連絡が入ったりしないのかなど色々気になる。


「連絡をしたのは、警察署じゃありません。あなたのお家ですよ」

「えっ?」


 家の連絡先まで出回ってる……ていうこと?


「とにかく、今夜はもう寝なさい。とても疲れた顔をしていますよ」

「え……は、はい」


 そう言われ、やや釈然としないものの大人しく頷く。まあ、他所様の家だし電話だし……。

 寝室だと案内された純和風の客間の隅には、私の着てきたシャンパンゴールドのドレスが掛けられていて滅茶苦茶浮いていた。あ、物理的にって意味ではなくね。

 乾燥機を入れてくれたらしく、布団はふかふかで暖かった。

 色々考えてしまって、今夜は眠れなさそうだ。

 そう思ったが言われた通り結構疲れていたようで、電気を消して横になるとスコンと眠りに落ち、夢も見ず朝まで熟睡した。



 翌朝、朝ご飯を出してもらって、お婆さんとお手伝いの恵子さんと三人で食べ、片付けが終わる頃に外に車が停まった。

 ――なんと早速。それは、見慣れたお父さんの車だった。


「美雨!!」

「お母さん!! お父さん、お兄ちゃん!!」


 母、兄二人、そして父と、転がり出るように車から降りてくる。私も堪らず駆け寄り、私達は大泣きしながら抱き合った。うちの家族は全員涙もろいのだ。


「み、み、美雨、ごめんねぇぇぇぇ!! 全部お母さんが悪かったのー!!」

「いや、父さんが悪かったんだよおおぉぉ」

「なにが~~!!?」


 勝手に消えたのは私のせいだよ? お互いおんおん泣きまくっていて話が進まない。かなり難儀して、やっと喋れるようになると両親が言う。


「私があんたに美雨なんて名付けずに、ちゃんと『岩子』とか『松子』とか付けていれば!!」

「僕の苗字が『長瀬』じゃなければ! もしくは大人しく母さん家に婿入りしていれば!!」

「それは絶対イヤ!!」


 最後の拒否は母だ。


「話がよく見えないんですけど!!」


 泣きながら割って入ると、背後で砂利を踏む足音がした。


「中でお話しなさい。凍るわよ」

「お母さん!」


 母が泣きべそ顔で叫ぶ。

 ……お母さん?






 山村には雪が舞い始めている。

 夜明け前に出て高速をかっ飛ばし、東京から5時間強。

 大きなこたつに正座して並び、私は衝撃の事実を聞かされていた。


「ここは、結子の生まれた家です」


 ユウコ。

 背筋を伸ばし、口を引き結んでいたお婆さんが静かに言う。


「私は結子の母、イワオキ トウコと言います。お花の藤に子供の子で、藤子とうこよ。実際に会うのは始めてね、美雨さん。私は、あなたの祖母です」

「えっ」


 結子は、私の母の名前だ。

 私を助けてくれたお婆さんは、実際に血の繋がった私の祖母で、この家は母の実家らしい。


「は……初耳なんですけど……お祖母ちゃんとは絶縁したって」

「色々あったのよ」


 玄米茶を啜りながら母が頷く。なんだかんだ一人だけ寛いでいるのは当然、自分の生家だからなのか。


「それって、駆け落ちした関係でしょ……?」

「ま、大きな原因はそこで、でもその後は割と平和的に纏まったというか。孫が生まれたんなら見せに来なさいよーなんて言って、まあ交流はチョロチョロとね。雪と晴はともかく、あんたの学費出してくれたのお祖母ちゃんよ。お父さんの稼ぎじゃちょっと心配だったし助かったわ」

「不甲斐ない父で申し訳ない!」

「美雨の分のお礼は、俺らが代わりに言っておいたよ」

「そういえば晴彦さん、最近また職場を変えたって聞いたけれど、どうなの? 大丈夫なの? 雪彦さんは、そろそろ結婚するの?」

「待ってばあちゃん、その辺はまた落ち着いてから」

「うちはさほど変わりなく」

「そうなの」

「ね、ねぇなんかそこのお孫さん方、距離感近くない!?」


 母と父はいいとして、兄達は祖母と面識があったのか!? 一人だけ事態を飲み込めていない私置いてけぼりで、なんだか団欒の空気が流れる。

 そしてもう一つ、聞き流せないキーワードが。


「イワオキって……もしかして、石を置くと書いてイワオキですか?」

「そうよ。ちょっと結子、話したの?」

「話してないわよ。美雨には本当に、何も言っていなかったんだから!」


 イワオキの姓。

 母の旧姓を聞いたことは一度もなかった。まさか、こんなに近くにあったものだったなんて。


 石置さわ。


 今まで私が行方不明だった間、全く知らない別の世界に行っていて、そこで「石置」の名前を見たと話すと、お祖母ちゃんは「そう」と頷いた。


「その人は、私の祖母の妹よ」


 ええと、つまり、祖母の大叔母か。

 ――“悲恋”。

 あの水の中で見た、長い髪の女の子。


「その人は、こちらに帰ってきたんですか?」

「ええ」

「その後は……?」

「元々は巫女だったのだけど、いなくなって戻ってきてからは結婚して職を離れたわ」


 巫女!

 帰還した“悲恋”は、普通に暮らして普通にこちらで亡くなったらしい。

 じゃあ、あの泣いている彼女の姿はなんだったんだろう。


「それにしても……この子も無事戻って来たから良かったものの。本当に、どうなることかと思いましたよ」

「ごめんね、美雨……」


 母が再び涙ぐんで謝るが、なんで謝るのか理由がわからない。

 そう言うと、祖母がすくっと立ち上がった。


「こうなった以上はもう無意味ですから、あれを持ってきて見せましょう。昨夜出しておいたんです」


 そして、どこか別室へ消え、細長い箱を持って戻ってきた。


「これは……?」


 卓上に置かれたのは、古びた桐の箱だ。祖母のしわがれているが清潔な手が蓋を開けると、中から出てきたのは、黄ばんだ和紙に包まれた一房の黒い髪の毛。そして、手紙。

 ……読めない。

 なんか、前にもあったな、こんなこと。


「これは、大叔母が戻ってきた後で話したことを、周りの者が書き留めたものだそうです。途絶えてしまいましたが大叔母の嫁いだ家と、この岩置の家に伝わる教えなのよ」


 そう前置いて、祖母が読んでくれた。





 今でこそこの身は若く健やかなれど、かならずいずれの日にか朽ちて滅するもの也。


 されども我が魂は死して尚、誓ひを以って不滅の鎖となり一族を守護するものとここに定める。


 その為にこれを守られたし。


 我が血族の娘子に、水冠することなかれ。


 然もなくば“おとめ”は天理に引かれ、望まぬ契を強いられる。


 身、潔く、心、崇くと望めども、二つに一つは選べない。


 かくも不幸せであるものゆえ、みすみす災い被る由縁を断つ。


 かたく守られたし。





「だから『美雨』なんて付けちゃいけなかったのよ……お母さん、娘が生まれたら絶対『美』って入れたかったから入れちゃったけど」

「うちの苗字、長瀬なんて、『瀬』とか水っぽい字が入ってるから本当にもう……」

「当時は馬鹿馬鹿しい迷信だと思ってたから、思い切って駆け落ちしちゃったの。神社継ぐのも嫌だったし。でも本当にごめんね、岩子にしておけばよかった!」

「僕もお母さんを説得して婿入りしておけば!」

「そ、そうなんだ……いいよ、よくわかんないけど、戻ってきたんだから」


 むせび泣きが再再開し、慌ててなだめる。


 どうやらこの母方の家では、100年前の「さわ」失踪事件の後、一族の女の子に水に関する名前をつけてはいけないというタブーが受け継がれていたらしい。「み」の音も「」に通じるとして避けられ、逆に重たそうな名前や、がっつり根を張る植物にちなんだ名など「こっち」に結び付けられるような由来が好まれたとか。

 私の名前の候補は「岩子」と「松子」だった、というのが衝撃だ。

 母の実家が神社というのも、「さわ」が血の繋がったご先祖様で巫女だったというのもなかなか……。


「さわっていう人、あっちでは“悲恋”って呼ばれてたよ……なんで“悲恋”なのかは分かんなかったけど」

「そうなの? こちらに戻ってきてからは、元々好き合っていた人と結婚したと聞いているけれど。17、8の頃、神事の田植えの時に、水に吸い込まれるようにいなくなったそうよ。水読池から引いてきた水だったから、水神に引っ張られたんだと言われていてね」

「水読池!?」

「あなたの出てきた池よ」

「美雨お前、池から出てきたの!?」

「この12月に!?」


 兄が、俺なら死ぬと白目をむく。


「あそこは昔から水神様が住まうとされて、水害の時には村の娘を生け贄に捧げたそうよ。そうするとぴたっと雨が止んで」

「生け贄……」


 なんか、ちょいちょい私的に突っ込みたい単語が飛び出てくるんですけど。


「でも美雨、別にあの池に入って消えたんじゃないよね、そもそも遠いし。普通に風呂入ったと思ったらいなかったよな」

「岩子だったら消えなかったのか……」

「まあ、付けてしまったものは仕方がないから、その後は色々と気をつけたりしてみたんだけどねえ」


 兄達がああでもない、こうでもないと言い、祖母が溜息をついた。


 水っぽい名前になった以上、この地にことさら縁が出来てはいけない。


 駆け落ち後は勘当に近い状態だった石置家の祖母と母・結子だが、子供が生まれてからはなんだかんだと仲直りした。しかし祖母が厳格にそう言い聞かせ、私だけは実家に近付けないように取り決めたんだとか。兄達も赤ちゃん時代は別として、祖母とまともに面識ができたのは10代後半になってから。

 その代わり、私達兄弟の写真や録画などは、定期的に手元に届いていたようだ。


「勿論、あなたが小さい時から、ちゃんと知っていましたよ。もっと前から会えていれば、だっこしたり一緒に遊んだりできたんだけど」


 祖母がしみじみと私を見る。

 見れば見るほど、彼女は私や母に似ている。

 居間の茶箪笥の横には、私が幼い頃に作った敬老の日のくす玉が飾られていた。


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