19 パーティー
リハーサルというモノにこだわって「頼むから参加させてくれ」とか言ったのは、一定以上の立場となると私くらいだったらしい。
王子様のものだろうと、生誕式典くらいなら皆ぶっつけ本番が普通だとか。毎年やってるというのもあるし、単純に通しリハとか参加してる時間が無い。偉い人は忙しいのだ。その分、家来達が一生懸命、当日不備がないよう準備する。
私はその中に混じって、当日の進行や自分のやることを前もって頭に叩き込んでいた。だって不安すぎる。本番で間違えても責任取れない。
さて昼部の式典は、城を大きな家とすると玄関ホールに位置する大広間で執り行われた。
私は様々な口上や祝福の歌を壁越しに聞き、大広間の裏手の小部屋で出番を待っていた。例によって爺さんや大臣達からは「最初から参加してくれないか」と誘われてはいたが、席を用意してもらうと玉座レベルの場所になりそうだったので、王様と最初に決めた通り断った。絶対無理だ。
ホールが寒いのもある。いくら火を焚いても、吹き抜け天井の広間はそんなに暖かくならない。
「いやー、今年の式典は沸きますよ。“泉の乙女”が参列なさるらしいって、決まった時から巷ですんごい話題になりましたもん。百年遡っても、こんな事ってまず無いですからねー。いやぁーすごい。すごいなぁ!」
「…………」
マジか。
興奮気味のハノンさんが、広間がある方の壁を見ながら無邪気にプレッシャーを掛けてくる。ニコニコして浮かれた様子で、いかにもお祭り前といった感じだ。こんな調子なのはハノンさんだけではなく、馴染みの番兵から神官、大臣、城の使用人に至るまで大体の人間に当てはまり、ここ数日は私だけが鬱々としていた。
「ミウ様、そろそろご移動願います」
「あ、はい」
神官が呼びに来て、椅子から腰を上げる。これからとんでもない人数の前に出なきゃいけないなんて、胃がキリキリしそう。
心配した割に、この昼間の式典での私の役目はあっさりと恙なく終わった。恐らく、5分足らずの仕事だっただろう。高位の神官の先導を受けて控室から廊下を辿り、大広間の舞台袖まで行くと、女性神官達に身だしなみの最終チェックを受けた。そこからは教わった手筈通りに広間に進み出て、クラインの所まで歩く。
大広間に出た瞬間、視線が突き刺さりまくるのを感じた。事前練習ではがらんどうだったフロアにはずらりと椅子が並び、すごい人数が座っていたり後ろに立っていたりする。高い天井から緋色の幕が垂らされ、そこかしこに王族印の旗と、隼のエンブレムが掲げられている。
私が立っているのは、出入り口の大扉から見て正面奥に位置する舞台だ。高くなったそこから幅広の階段が数段下っていて、上から下まで赤い絨毯が流れている。
クラインは階段の一番上、つまり私と同じ高さのフロア、参列者から最もよく見える場所に立って待っていた。“悲恋”の手紙を見た時の濃灰色の礼装に、同色の上品なマント。
……ここらへんから、実はあまり覚えていない。
なるべく周囲の状況を見ないように、頑なにクラインだけを見て歩き、その前で立ち止まると、到着を待って美しい仕草で片膝を突いたクラインが「安心しろ」と言うように私を見上げる。誰かから水晶杯を渡され、それを彼に手渡した。そしてそこへ、これまた誰かから渡された水差しを傾け水を注いだ。
こぼしたらやばい
これしか記憶残ってない。
何か口上やら喝采やらを聞き、気がついたら元の控室に戻っていて、更にまた塔まで案内され衣装を脱いだ。
楽な服装で昼食を取り、夕方までの休憩時に抜けるだけ気を抜きながら、ふとアルス王子はやっぱり来なかったんだな、と思い返した。朧な記憶の中……階段の下にキランキランの一画があった。濃淡あれど金髪揃いで、年齢層はバラバラだが揃いも揃って美形の集団。こっちの人はわりと整った顔立ちが多いが、あの一画からは規格外の雰囲気がしていた。
王族だ。
その中に、黒髪の人物は見当たらなかった。
アルス王子の姿は、あの日以来一度も見ていない。謹慎期間は祝日の今日も有効なのかもしれない。
――明日は、挨拶に行かないと。
緊張するのは今日だけじゃない。明日が、いろんな人に今までのお礼とさよならを告げる日だ。
数時間後には、本日二回目の出番が近付く。
私は会場となる別の大広間付近の一室で身支度を整えてもらい、昼間と同様しばらく待機することになっていた。
一番締め付けないタイプのファウンデーションを身につけ、嘘みたいに豪華なドレスを纏い襟元を宝石のブローチで留め、耳飾りを付け、仕上げに華奢なティアラを頭に載せる。
メイクも昼間とは違って、上品で華やかな珊瑚色の口紅を引き、眉を描かれた。私の平凡な顔は、眉頭を少し濃く整えるとちょっと美人風に変わった。というか、こっちの人風になったかもしれない。
身支度を終えた夕刻頃、控室に今日の主役が訪ねてきた。
「ミウ」
「あ、クライ……」
ンンンンンンン!!
颯爽と入ってきた人の名前を、私は最後まで声に出して呼べなかった。ぽかーんと開いた口が、すぐには戻らなかったからである。
クラインは昼間と違う、白の上下に身を包んでいた。白地に金の刺繍だ。
細身の体に沿う美しい仕立ての、襟と袖口を中心に金糸の植物様の柄と宝石が輝き、袖からは雪の結晶で編み上げたようなレース飾りが覗いている。同じ様相のものは首元にもあしらわれ、小さな顔を一段と華やかに彩る。繊細だが切れ味鋭い彼の美貌に、この手の装飾は本当によく似合う。
いつもは下ろしている切りそろえられた淡い金の髪は、細いリボンで一つに括られていた。更に珍しいことに、今日は左目にかかる前髪を上げている。
クラインがいかに美人かということに関しては、私は十分理解しているつもりだった。なんていうかもうその顔面だけで美形メーターは振り切れていて、後はある意味何を着ようが一緒だろみたいな?
違った。
盛装のクラインはすさまじかった。雲の上出身の王子様ということで満場一致に違いなかった。
私は感極まって両手で顔を覆った。
「ミウ?」
「衣装係の人、よくぞここまで……」
肖像画は是非このスタイルで、と強く推薦します。歴史に残せこの美貌。
「なぜ顔を隠す」
「ちょっと目が慣れるまで、眩しいんで。クラインが綺麗すぎて」
「君が言うのか」
手袋をした手が指先だけでそっと私の手を掴み、顔からどかす。覗き込むように少し首を傾げ、私の目を見る。
一分の隙もない「王子様」は、懐かしそうに微笑んでいた。
「先程の式典では、とても声を掛けて良い相手には見えなかった。ミウ。別人の――伝説上の“泉の乙女”のようだった。今は、私の知るミウが居て嬉しい」
そう言って私の手を持ち替え、甲に掠るだけのキスをした。
クラインにこの手の挨拶をされたのは初めてだ。
「美しいという言葉は、私ではなく君の為にある。……後で会えるのを楽しみにしている」
私がぼんやりしている間に、クラインは迷いない足取りで部屋を出て行った。いよいよ夜会の幕が開けるのだ。これから彼はあの麗しい姿で、駆けつけた大勢の招待客を虜にするんだろう。
……大丈夫か私。あんな人と踊れるのか。
自信喪失しつつ、呆然と椅子に腰を下ろす。
部屋は静かだけど、それだけに幽かに人の声のざわめきや音楽がここまで聞こえてきて緊張する。
しばらく落ち着かない気持ちで座っていると、誰かが外から扉を叩いた。
来た。
呼び出しが来てしまった。
「ど、どうぞ!」
立ち上がって返事をすると、メイドさんの一人がドアを開ける。
現れた人物を見た途端、心臓がドクンと大きく跳ねた。
パーティーの大広間は、昼の式典のホールよりはずっと狭いが、贅を凝らした華やかな造りだった。
大きなシャンデリアが幾つも釣り下げられ、美しい模様の入った床に様々な彫刻が施された柱、バルコニーに続く大きなガラスの格子窓。天井には見事に描かれた有翼人が飛び回り、絵の縁取りはどこを見ても宝石細工が嵌っている。
様式らしく、正面奥にはやはり階段が設えられていた。優美にカーブするそれを下りた左脇には、深緑色の揃いの晴れ着を着て、ピカピカした楽器を演奏する音楽団。そしてフロア一面には、着飾った老若男女がぎっしり……。
私がそれらを悠長に観察できた理由は、まだ人前に出ていないからだった。
舞台裏というか奥というか、分厚いビロードのカーテン束で仕切られた隠し部屋には表からは見えない覗き穴があって、広間の様子をこっそり窺えるようになっていた。
壁飾りに見せかけた覗き穴の蓋を横にスライドさせ、背伸びして、私は薄暗いその場所から大広間を見下ろした。
楽団の向かい側、少し高くなった場所に作られた貴賓席のような所にクラインを発見する。後頭部だけでも美形だとわかる。装いも白を着ているのは彼だけだったので、よく目立っていた。
ちなみに白い服と同様に、会場に黒色は見当たらない。
髪の色は勿論、ドレスや礼装の一切に黒は使われていない。人気なのは茶系や紺、暗い緑色のようだ。
「お前に敬意を表しているんだ。例年はもっと淡い色が好まれる。“黒”を纏っては不敬だが、あやかりたいという事さ」
「そ、そ、そんなことを言われましても」
隣の別の覗き穴を窺いながら、気が重くなる事をぽんと気楽に投げてくるのは、ここまで私を連れてきた人物――召使でも大臣でもない、王様だった。
金刺繍の深紅の上着を華麗に着こなす王様は、祝賀会開幕の声を聞いた後、当初の予定を違えて控室まで直接私を迎えに来た。本当なら臣下の誰かが私をここへ案内して、王様が会場から抜けて来るのを待つはずだった。
まあ、そんな些細なことは最早なんでもいい。
「ど……どうしましょう無理です王様、あの中に混ざるなんてムリムリムリ絶対」
会場の様子を見てしまったら、逆に怖気づいた。
今考えると、一対一でコップに水注ぐだけとか超イージーだった。今度は5分で引っ込む訳にはいかない。
大体あんな華やかな中に階段上から遅れて登場とか……ほらなんかあそこ話してる……クラインの所にも話し掛けに来てる、いろんな人が。私は話し掛けられたらアウトだ。声出ない自信あるし、無理矢理返事しようとして何か不審な動きをして大恥かいたりかかせたりする可能性はその1000倍ある。
「駄目です、このままじゃクラインの評判上げるどころか思いっきり下げて皆様方の“泉の乙女”のイメージもガッタガタに崩れて変な伝説が」
「大丈夫だ、出てしまえばどうとでもなる。皆もそもそも、“泉の乙女”がどういうものかすら知らぬのだ。無闇に声を掛けてくる者などまず無いから安心しろ」
「二つ名が“赤っ恥の乙女”とかに」
「ここで逃げ帰るなら俺は、“及び腰の乙女”の名を塔に推すからな」
格好悪いけどそっちのがまだマシかも。
でも、駄目だ、本当に。
「足が動きません……」
膝から下の感覚がない。どうせ見えないからって、履きなれたぺたんこの布靴を履いてきた。のに。足の裏がぴったりと絨毯に張り付いてしまったように動かない。力の入れ方がわからない。
「踊れないです、あんな所で、私」
青ざめて呟いたその時音楽が止み、楽団の指揮者が改めて指揮棒を振り下ろした。
一拍遅れて、弦と管の華々しい多重層がワッと波のように広がる。
階段下から何かすばしこい人物が2、3人飛び出してきたかと思うと、フロアを埋めていた人々がぞろぞろと左右に割れた。間を置かず、広く空いた真ん中のスペースに幾人もの女性達が走り出てくる。薄いピンクや水色の、ひらひらしたお揃いの衣装。舞姫だ。
彼女達はくるくると回りながら広間を駆けまわり、上から見ていると花や蝶のようだった。それぞれが決められていた配置に着くと、くるりと回ってクラインの方を向き、膝を折るお辞儀をした。
それを合図に男女混声の合唱が加わり、演奏は一層盛り上がる。
「始まってしまったな。下で見せてやろうと思ったのに」
「綺麗です。ここからでも十分。すごい……けど、またハードル上がった……」
プロの後に踊れとか。
じっと見ていると、自分の息が浅いのが分かる。手が少し震えている。
小心者だもの。
「馬鹿者。何をそれほど恐れる事がある。俺が付いているんだぞ」
呆れ混じりの美声が言い、壁に突いていた両手が、不意に温かい手に奪われる。
「冷たいな」
かじかんでいた指先を握られると、急な熱に、きゅうっと遠く鈍く痛みが走った。手を引かれ、足がついていかずその胸に頬をぶつける。
ハッと見上げると、麗しいエメラルド色の目と目が合った。笑っている。優しく、いきいきと。
「帰るのだろう?」
「はい」
魅惑的な瞳がきらりと瞬き、私は、囚われてしまったかのようにその目を見つめた。
事実、囚われていた。こんなに近くから声が聞こえる。彼の目が、私を見ている。体温が私に触れる。
「では、何も案ずる事などない」
動かない私の体を支え、王様は音楽に合わせて優雅に一歩退がった。
「見せるために踊るのではない。踊るために踊るのだ。良いか。今宵はまさしく夢の一夜――お前がこちらで見る、最も美しい夜の一幕だ。明日になれば全て、朝日に熔けて消え失せる。取り置いて箱に仕舞っておきたくとも、誰にもそれは出来ぬのだから」
だから、大丈夫。みんな忘れて消えてしまう。
きらびやかなパーティーも、着飾った人々も、美しい音楽も、私の手を取るこの人も。
「今、ここに在る事を楽しめ。目前のものだけを見ろ」
私は、目を奪われたままそれを聞いた。
もう見えないけれど、舞姫達はフロアで踊っている。
目前のものってなんだろう?
今私の目の前にいるのは、この黄金色の髪の、意味が分からないくらい格好いい王様だけだ。




