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雨の冠  作者: 桃宮
7.七番目の乙女
93/103

16 対岸の火(1)

 私が帰る日が確定したあの夜。


「アルスには、くれぐれも隠し通せよ」


 アルス王子を秘密の共有者から除外するべきだと断言したのは、他ならぬ王様だった。彼の私室のソファで私は、しんしんと雪が降る窓を横目に無言で頷いた。同じく黙っている水読の、薄い水色の目が鋭く輝いている。


「気に入られている自覚はあるだろう?」


 冷淡な指示を口にする時も、王様はそれまでと特に変わらない、朗らかで隙のない美しい表情をしていた。私は彼の言うことの全ての、あまりの正しさに苦い気持ちになった。

 確かに、知られない方が良いのかもしれない。リコ達や大臣達に知られるより悪いことになる可能性があると、王様は当たり前に判断したのだ。






 聞きたいこと。


 外套を手に佇む姿を、私は唖然と見返した。

 私が部屋に入ってから、ドアの音はしていない。アルス王子は、私より先にこの部屋にいたことになる。ベッドのカーテンの向こうにでも潜んでいたなら、入った時には死角になって気付かない。でもこの部屋は、いつかの城の一室ようにバルコニーから侵入するのは無理だ。

 一体、どうやって。リコ達は。


「言葉、わかるようになったんだろ」

「……あ、はい。それより、どうしてここに……」

「理由ならもう言った」


 アルス王子が一歩踏み出す。手段を聞いたつもりだったんだけど――頭の中では、めまぐるしく疑問が巡っている。

 彼は目の前で足を止めた。


「この前、俺が倒れた時、お前が人を呼んだんだな。その後もしばらく付き添ったって。寝込んでる時も、お前からだって雪の人形が届いた。お前の国のまじないか?」

「え……おまじないではないですけど、早く良くなればいいと思って……」


 私はアルス王子のお見舞いに、雪を固めて小さな雪だるまを贈った。目も鼻もなかったけど、人を象ったものだとは分かったらしい。

 そういえば上着は、その時の銀盆と一緒に返ってきても良かったはずだ。

 アルス王子は一度外套を見てから、こちらへ差し出した。受け取ろうと手を伸ばし、布に触れた瞬間、素早く手首を掴まれた。

 重たい黒い布が、ばさりと絨毯に落ちる。


「なのに、お前、俺を避けてたのか?」


 群青色の目が、私の眼の奥を探るように見つめる。


「前は会いに来ただろ。今は、訪ねても門前払いだ。取次さえ断られる。でも、それはお前の指示なのか? ……レオから、痣が濃い時はお前に近付くなと言われた。“呪い”に触れるとお前も熱が出るんだってな。それで俺に会わないように言われてたのか?」

「え……、……」


 質問され目を合わせたまま声を発したが、アルス王子に真偽は見えなかったようだ。はいともいいえとも言えず、私は視線を彷徨わせた。

 目を逸しても、胸に重苦しいものが溜まってくる。

 ――目の当たりにしてしまったから。

 アルス王子の顔には、ありありと希望が浮かんでいた。私の意志で避けていたんじゃないと、信じたいと書いてあった。

 気まずい。


「その話は、明るくなってから改めてにしませんか。あの、どうやってここに入ったんですか。内緒で来たなら、こっそり帰れるように協力しますから……」

「ミウ」


 これ以上、二人きりでここにいてはいけない。

 私の予感を肯定するように、触れる指に力が篭る。


「改めてってなんだよ。なんで答えないんだよ。俺が聞いてるのは――……それとも、やっぱりお前が俺に会いたくなかっただけってことか? ミウ。そうなのか? 違うだろ? こっち見ろよ」


 ぐっと腕を引かれ目を上げると、アルス王子は怒ったような表情を浮かべていた。眼差しは鋭く、私のあらゆる挙動を見逃すまいと張り詰めている。


「……違うだろ?」

「…………」

「ミウ」

「……違います」


 苦し紛れに否定した途端、人形のような綺麗な顔がハッと息を呑み、苦悶に歪む。


「……違わ、ないだろ……なんで嘘つくんだよ! 俺にはどうせ分からないと思ったのか!? いくら俺の目が未熟でも、それくらいははっきり見抜ける!」


 怒りで顔を赤くし、アルス王子は叫ぶように吐き捨てた。


「じゃあ……なんでだよ、お前、何なんだよ」


 愕然とする私を、苦しげに見つめる。


「何度も調子が良くないとか……式典に出るから忙しくなったとか、色々言われた。俺が訪ねた時に部屋に居て……顔も出さなくたって、あぁそうだ、お前の勝手だ。顔も見たくなかったんだよな。クラインとはしょっちゅう会ってても、俺には会いたくなかった――それなら、回りくどく避けたりすんなよ。はっきり言えば良かっただろ、もう訪ねてくるなって! 見舞いなんて寄越すなよ! 倒れたって放っておけばいい。お前も本当は、俺が鬱陶しかったんだろ? 俺は最初にお前にそれだけの事をしたから、当然だ。逆恨みなんかしない。嫌いなら……」


 捲し立てるように言って、はあ、と息を吐き出す。


「嫌いなら、心配してるみたいな顔するなよ! 同情は――」

「嫌いだなんて言ってない!」


 思わず叫んでいた。

 嫌いなんて言ってない。嫌いなわけがない。でも、その後が続かない。

 いきなり避けられたら傷つくし、理由を聞きたいと思うのも分かる。でも私は聞かれたくなかった。そもそも、避けているとはっきり知られたくなかった。無理があっても、身勝手でも。


「嫌ってないなら、なんで俺は、こんな風に待ち伏せしないとお前に会えないんだよ」


 今すぐ逃げ出したい。こうして二人になるのが、ずっと怖かった。

 腕を引こうとすると、その気配だけで掴む力が強められる。答えを聞くまで離さないと、今度こそは逃さないと、痛いくらい伝わってくる。

 もう駄目だ。もう。


「……会いたい」


 赤い唇から零れた声が、炎の宿る大きな目が、避けようもなく私に告げる。


「お前が会いたくなくても、俺は、会いたい。もっと、毎日、お前の顔を見て話したい。お前が夜寝る前に思い出すのが、俺ならいいと思う。……手紙に書いただろ、あれ、本当のことだ。毎日夢に見るんだ。お前、知らないだろ、そんなこと」


 激した感情がそのまま、見る見るうちに別の熱を孕んだものに姿を変えていく。潤んだような瞳に、私の影が映って揺れている。

 あまりの輝きに眩暈がしそうだ。


「会えない理由を言えよ。教えてくれ。なんでもする。俺に出来ることなら、なんでも。無視したり逃げたりするなよ。……多分、これがそうなんだ。こんな思い、するのは初めてで――どうすればいいか分からない。でも、どうもしないなんて無理だ――」


 ――ミウ。

 掠れた呼び声の、なんて甘い。


「俺は、お前が好きだ」






 ぎゅうっと、握り潰されたように胸が痛む。

 期待と不安に満ちた顔、熱の篭もる目。

 私が頷きさえすれば相手は幸せに満たされて、願いが叶ったと思う。

 首を横に振れば、がっくりと落ち込んでしまう。

 ……これが嫌で、私はいつも安易に受け入れていたのだ。恋したこともなかった癖に。


 その気持ちや勇気に報いたくて、恋愛沙汰に巻き込まれるといつも、私でいいならと答えてきた。受け身も受け身の私には、告白なんてとても実行できない、ものすごく勇敢で真摯な行動だったから。言ってくれたのが誰でも嬉しかったし、尊敬した。

 学校でも顔を合わせるのにわざわざ週末に会ったり、手を繋いで街を歩いたり、キスしたりすれば恋人になれると思っていた。

 多分違ったから、フラれたんだろうけど。


 今、目の前で私を見つめるこの人は、これまでとは何もかもが違う相手だ。


「アルス王子は、今まで色々複雑な生い立ちで、辛いこととか分かってもらえないことが多かったと思うんです。髪の色のことも、おんなじだなんて人が周りにいなかった」

「…………?」


 訝しむ様子を無視して言う。


「私がたまたま、ここに来た、から。だから」


 年の近い友達も、わかりやすく優しくしてくれる女の人も居なかったと、ブロット氏から聞いている。王様も手を掛けてやれなかったと言っていた。不信から、優秀な侍女や教師を付けても拒んでしまう。穏やかな年かさの乳母にも、最後まで心を開けなかった。

 もちろん国中を探せば、アルス王子と気の合う人だって居ただろう。ただ、その人に巡り会える機会を持てなかった。


 私が特別なんじゃない。

 たまたま、私がアルス王子にとって初めて、ある程度の時間まともに一緒に過ごせた相手だった。

 親近感を持てる容姿だった。

 身分や痣に萎縮しないほど無知だった。


「……それで、そう思ってしまっただけです。他の人を知らないから、私だと思っただけで、もっと色んな人と関わるようになれば」

「違う! なんでそんなこと言うんだよ!」


 アルス王子は、信じられないという顔をした。


「本気でそう思うのか? 一時の、世間知らずの気の迷いだって言いたいのか……!? そんなんじゃない! 俺がどれだけ――」

「そんなの分からないじゃないですか。今だけそう思ってるのかもしれないって、そうじゃないなんて誰にも証明できない」

「今だけなんかじゃねえよ! それが証明できたら、お前は納得するのか!?」

「……っ」


 両肩を掴まれ揺さぶられる。私の固い表情や歩み寄らない足元を感じ、彼はその距離で身を留めた。少しつり上がった美しい青い目は苦悩と厳しい追求を湛え、私の心の奥を鋭く突き刺さす。


「納得したら、お前は、俺のものになるのか……!?」


 この、激しくて綺麗な男の子の。

 最早、逃げようがない。


「なりません」


 まっすぐ見返して答えた途端、私の目から涙が零れた。


「なりません……」


 ここで泣くのは、かなり卑怯だろう。

 けど、止まらない。止めたいのに。


「私、帰るんです。この国から、居なくなるんです。もうすぐ。だから……無理です、証明なんて、できない」

「もうすぐって、いつだよ」


 ――アルス王子に、帰還の時期を告げてはいけない。

 王様の言葉が、聞き惚れるような声が脳裏に響く。


「春には多分、もう」

「…………」


 肩を掴む手が緩んだ。

 アルス王子は酷く驚き、何を言われたか分からない、という顔をしている。それがぼやけて霞む。


 私は卑怯だ。例え今、涙が流れなかったとしても。

 偽善的で、流されやすくて、こんな風に真剣に好きだと言ってもらえるような人間じゃない。

 だってきっと、目の前で直接傷つけるのが嫌だっただけなのだ。

 アルス王子がこうしてここに来なかったら、見えない所で傷つけているのであれば私は多分、別によかった。平気で知らないふりが出来た。言い訳のように何枚も置き手紙を綴って、それで許されるつもりで逃げ続けた。

 今も、酷い釈明をした。

 残ったとしても、彼が選ばれることはないと思っている癖に。


 そっと肩の手を取って引き剥がす。熱い手のひらは無抵抗に離れた。

 床では、外套が彼の爪先と私との間に黒い川を作っていた。

 その時、私はどうしてこんなに自分の目から涙が流れるのか理解した。

 理解して――そして、嘲笑すら浮かびそうになった。


 偽善者だからじゃない。直接傷つけたくなかったからじゃない。

 それ以下だ。


 申し分ない健康な体に、仲の良い両親と、彼と同じように二人の兄。広く浅かろうが友達もいて、仕事も住む場所も自分で選べて、自由で、びっくりするくらい「普通」で……。

 私は、アルス王子が欲しがる全てを持っているのだ。

 彼が死ぬほど羨ましがった、自分と似たような容姿の人が大勢暮らす故里すら。


 そこへ帰るから、あなたを選べないと言った。

 ――よりにもよって、それを?

 それは、私の持ち得る答えの中で最も残酷なものに違いなかった。

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