15 検証レポート
私が、公衆の面前でクラインと手を取って踊ったら。
どういう意味があるかといえば、それは、私の残す文書の裏打ちになるということだ。
残される複数の実験結果。
条件を踏まえれば“呪い”は“乙女”の害にならない。
これに加え、当事者達も友好な関係だったと広く知らしめることが出来る。絶対に必須という訳ではないが、可能ならやった方がいい。
美貌で知られるクラインの誕生会だし、“悲恋”のエピソードが庶民の間で歌に残るくらいだから、これも実現されれば色んな形で周知されるはず。しかも翌日には、“乙女”が忽然と国を去るというドラマティックな仕込み付き。狙いはバッチリだ。
何故ここにアルス王子の出欠が関わるかと言うと、私はアルス王子が夜のパーティーに現れた場合、誰とも踊らないと決めているから。
舞踏会に関して水読が禁止する条件が二つあって、一つは当日クラインの体調が芳しくない場合の接触。そしてもう一つ、アルス王子と踊ってはいけない。
アルス王子の体調の波や、私への影響が未知数だからだ。
私が痣と熱を出して寝込んだことはこれまで二回で、その二回共がアルス王子に触れた時だった。しかもその際彼は、予兆も無くいきなりガクッと調子を崩した。時間帯も、昼と夜と両方あった。これは、クラインとの検証結果からはみ出す。
まあ私への影響については、一回目の夜とかは私、昼間にクラインと接触済みだったし断定は出来ないんだけど……。
ともかく、大事なのは当日「アルス王子が参加するのに、クラインとは踊ってアルス王子とは踊らない」という事態にならないことだ。王様はああ言ったけど、席を用意してもらって座って見てるだけとか、出来なくない気がするんだよね。理由もちゃんとあるんだし。
でも多分、アルス王子は出席しない。
クラインとの関係も表面上は特に変化がなく、祝賀会参加とは聞こえてこないらしいし、そもそも彼は今まで一度も公式行事に顔を出していないそうだ。成人だった今年の自分の祝典すら、本人不在で執り行ったとか。基本病欠が利きやすいから、休むのは楽勝なんだな。
アルス王子は本当に、お城の隅っこで王様達の影のように、ひっそりと息を潜めて暮らしている。
一部以外は顔も知らない「呪われた“黒”の王子様」。それを辛いと感じるか、気楽だと思うかは本人次第だろう。
私には、どちらなのかは分からない。
「クラインは割と、見た目で体調わかりますもんね」
そう言うと、そこに座るもう一人の“呪われた王子様”は、前髪を少し掻き上げて目元を見せてくれた。計算され尽くされたかのような完璧なカーブを描く眉と目の隙間に、これまた偶然出来たとは思えない独特のデザインの痣がある。
うん、今日も色は薄いようだ。
「本人に悪化の兆候が分からないとは、考え難かったのだが。これまでの統計からも、同じ痣を持つ身としても」
「場所が違うからですかね……」
クライン的には不可解らしいが、現段階では病の重さの違いが原因と推測するに留まる。悪影響が「ある」方向の実験は出来ないので、確かめられない。
クラインは手を下ろしペンを取ると、私に音読を頼む。私が日記帳に纏めた「“呪い”に私がいつどのくらい影響受けたか記録」を、個人的な手記へ書き写すためだ。
その後以前のように水読がやってきて、以前のように実験をした。
この日は昼下がりだった。その後は午前中、朝方と、時間帯をずらして実験する。数回試しても、クラインとの接触で私の「内側」まで影響が及ぶ事は一度もなかった。また、クラインの具合が急変するといった事も起こらなかった。
それらを書き記し、私のレポートは“悲恋”とは違い何枚にも及んだ。
“呪い持ち”の地位向上が狙えるような、微妙に都合のいい内容をピックアップして上手いことまとめ。そうじゃない情報は、補足として日本語で私の日記帳の方に書き。
清書は全ての文末に「長瀬美雨」の署名と六花弁の印を捺し、ジルフィーのサインと拇印も入れて仕上げる。これで公式文書の体裁が整うそうだ。私の名前は特に、日本語で書いたので良い目印になるだろう。
ちなみに、ジルフィーの拇印は普通に黒インクである。最初、清書が終わるたびに一々血判を捺そうとしたので大変だった。それはもう全力で止めた。
「本人証明の補強には有効です」
「なんであなたはそんなに指切りたいんですか」
必要にしろ、“悲恋”みたいに添え書きを作って、そっちに一纏めで十分だ。
「貴女がそうさせているに過ぎません」
いや、断ったから。
私は無言でインク壺を彼の方へ押しやった。やむを得ない時もあったけど、そんな過剰な押し売りはいいですから。
ジルフィーはレポート制作には付き合いながら、私に対して自分がいかに業務以上の負担を掛けられているかをアピールする事に余念がない。マジでいい性格してる。
まあこれは、私が「ジルフィーの翻訳をクラインにチェックしてもらう」と言った事にムカついたっぽいのが原因かもしれないけど。気に障っても、チェックは必須だからしょうがない。私の読めない字なんだから。
監査役も、クラインが適任だった以上に消去法だ。王様は絶対忙しすぎるし、水読は若干信用出来ない。リコやサニアには、内容が際どくなってきたので、まだ見せない方が良い。
現時点で私の帰還について知っているのは、王様、水読、クライン、ジルフィー、私の5人。
日時まで承知しているのは、更にジルフィーを除いて4人。
この置き手紙は、私が帰ってから存在を公表する。今はまだ、関係者しか知らない極秘事項だ。帰る準備って勘付かれたらまずいからね。今私が篭って作業しているのは、対外的には「クラインの研究の補助」としている。
そういう理由があっても、リコ達からすると、頻繁にクラインが訪ねてきたり、私がジルフィーとこそこそ書き仕事をしたり、水読も交えて部屋に篭ったりするのは結構物々しい感じだっただろう。人払いをしたりして、明らかにお客さんを呼んで楽しくお喋り、という雰囲気ではない。
そもそもこちらの女の人は普通、こんな風に連日何時間もペンを握ったりしない。
二人は心配して、何度か「今日はお休みになさってはどうですか」と声を掛けてくれた。
慣れているし大丈夫だと返すと、とりあえず一旦は収まる。慣れてるのは本当だったけど、それ以上の真実を語れないのは心苦しかった。
部屋のメイドさん達には、お別れの挨拶をしないのがベストだ。言うとしても、本当にギリギリ直前になるだろう。それを考えると結構寂しい。ジルフィーに、リコ達宛ての個人的な手紙も書いてもらおうかな……。
◇
数日後、レポートが概ね完成した。
清書の日本語訳も日記に残したし、クラインの研究記やその他学会有志の記録なども合わせれば、私の――“六番目”の資料は結構しっかりしたボリュームで確保できただろう。
その間、幸い私もクラインも体調を崩すことなどはなく、水読やジルフィーとトラブルになることもなく、また雨や婚約についてバレたりもせず順調だった。
同時進行だった衣装の方も、完成を迎えた。
最初の試着は、城の夜会で着る方だった。指定の部屋へ行くと、仕立屋集団と共に完成した衣装が待っていた。
淡いシャンパンゴールドの絹で仕立てられたドレスは、大変に絢爛豪華な仕上がりだった。
寒さ対策で詰め襟にしてもらった首元からウエストのくびれまでは、可能な限りほっそりと。
何人掛かりで徹夜したのか知らないが、金糸の刺繍と透き通る宝石が全面に散りばめられたスカートはふんわりと。
袖を通す前、見せられた段階で私は、感動やときめきを覚えると同時に冷や汗も伝った。すごい高価だろうし重そうだし、裾が床を引きずっている。こんなもの着て踊れるだろうか。
あと腰回りの装飾とか、ふっくらしたパフスリーブの二の腕でしぼってある所とか、スカート部分のレースの上とか、要所要所に金縁を施されたエメラルド色の宝石が留まっているのが超気になる。
すごくなんかあの……この色の組み合わせって特定の、某王族で一番エラい人を連想させるような気がするんですが。わざとか。わざとなのか。デザイン丸投げの報いですか。
首元までぴっちりと襟を閉じ、華やかなレースのふちどりの中に大粒のエメラルドのブローチを留められて鏡を見る。そこには、緊張と照れでちょっと赤い頬をした私がいた。どう眺めても衣装負けしているが、ドレスは確かに黒髪や肌色がとてもよく映えるように作られていた。動くたびに、チカチカと石が揺れて光る。
どうか当日はみんなこの宝石の輝きに目が眩んで、私の詳細は記憶に残りませんように。
塔が担当する昼の式典用の衣装は、なんと二着出来上がっていた。
普段水読が着ているやつをもうちょっと豪華にしたような装束は、白系で微妙に色が違うだけの、二つ共似たような感じだったけれど、塔のお針子部門の人達や神官達はかなり得意げだった。
短期間に城は二着は作れなかっただろう、うちは用意したけどね!ということらしい。……思うに多分塔の方は、結構前から作ってあったかすぐ作れるように準備してあったんだな。野心が垣間見えて中々アレだ。
こちらは離れの白い建物で試着した。
帯で着る所とか袴っぽいの履いたりとか形状がちょっと和服に似ているので、はっきり言ってこの装束は私、似合った。そう思ったの私だけだったかもしれないけど。
試着をこなし、夕方には何とか一仕事を終えた。着替えて白いマントを羽織り、建物を出る。
丁度今日はクラインと約束していたので、その足で部屋を訪ね一緒に夕食を摂った。その後はジルフィーとハノンさんと一緒に自室に戻る。
今日はもう、帰って日記を書いて寝るだけだ。
窓の外は真っ暗で、澄んだ夜空に氷の粒のような星が輝いている。
「廊下寒かった……! ただいまー」
「……おかえりなさいませ」
部屋に飛び込むなり暖炉にあたり、程よく暖まった所でマントを脱いでリコに預けると、私は一人寝室に向かった。明かりが灯された部屋。いつものように書き机に直行する。
日記を取り出そうと引き出しを開けると、いつかの書き掛けの便箋が目に入った。
途中でやめた、宛名とインクの染みだけが綴られた紙。
“アルス王子へ”
「ミウ」
突然呼ばれ、私は驚いて振り向いた。
壁の燭台が部屋に影を落とし、暖炉は音もなく燃えている。
インクと同じ黒い髪が、淡い炎の色を映す。
馴染みの絨毯の上に何故か、思いつめたような顔をしたアルス王子が立っていた。
えっ。なんで――私、部屋間違えた……わけがないし――
「これを、返しに来た」
掲げられた腕には、黒い布の塊が掛かっている。裾の刺繍に見覚えがあった。私の外套だ。
「それから……それから、お前に、聞きたいことがあって来た」
少し鼻に掛かる声は、記憶より幾分低く静かだった。




