13 婚約破棄
婚約の処理が片付き、書き換えた書類を丸め直しながら王様が尋ねる。
「時にお前、表舞台に出る気は全くないか?」
「表舞台……?」
不穏な響きに、私は顔を上げた。どういう部類の? とか聞く意味はない。基本、それ系全般避けたいヤツだ。
「いかにも面倒という顔だな。まあ、違いはないが」
私の心を読み上げた後で、王様が詳細を告げる。何でも、私が帰る満月の前の日に大きな祝典があるんだそうだ。祝典ねえ……。
「当日少し顔を出してくれれば良い。なんなら、参加を仄めかして衣装を作るだけでも構わん。この証書はしばらく俺の預かりとし、城にも塔にも隠すつもりだが、期日までの目眩ましが欲しいんだ。急に持ち出すなどと言い出して、多少怪しまれている」
王様は丸め終わった婚約書を軽く掲げて見せてから、懐にしまった。
なるほど。
要するに、私が近々帰ると大臣やなんかに感付かれないように、「最低でもその日まではいる」という予定を作っておきたい、という事だ。
まあ……今更ではありますが、この人がこう言ったらどの道断れないんだろうけど。
それで私、そこで何をしなければならないんでしょうか。「少し顔出す」とか気軽に言われても、王様の基準と私のイメージを同じに考えてはいけない。流石にその辺は学習済みだ。
「一応今、衣装作るだけでもいいって言いましたよね。それで済むなら、是非是非そちらの方向で……」
「お前の事だから、そう言うだろうとは思っていた。多少顔見せを呑んでもらえると、国の者もありがたがるしクラインも喜ぶんだが」
「クライン?」
なんでクライン?
「ああ、祝典とはクラインの生誕祝いだ」
「…………」
なんてこった、そう来るか。
◇
メイン張って出たいとは思わない。全然、全く思えない。勘弁してください。
しかし私はしぶしぶ出席を承諾した。これは約束になるんだろうか、いやどうせ前日に解消されるから関係ないな。
クラインの、それも誕生日パーティーじゃなかったら頷かなかった。ただ私がお祝い事に出席するのと断るのでは、この国的にはかなり違ってくると予想出来るだけに。
本当に、ほんのちょびっとだけだったら参加しますと答えると、王様が早速その場で城と塔の両方に伝令を走らせ、神官長の爺さんと大臣の一人を呼び出した。
いそいそとやって来た爺さんは、特にお変わりないようだった。大臣の方は、話した事のない白髪でやや太めのおじさんが来た。前に王様の執務室付近の廊下で見た事がある。
席に着いて王様が説明するやいなや、爺さんがニコニコと嬉しそうにこう言う。
「では是非、昼の式典で私の代わりに水杯をお取りくださいませ。元はと言えば、水読様の代理として執り行っておりましたもので」
話によると何か、塔で行う儀式のようなものがあったらしい。
それなら水読が出ればいいんじゃ、とか言いたくなったが、その前に大臣の方が金の口鬚をさすって続ける。
「いやいや……然様であらば、城の夜会にも是非ご出席頂きたく存じます。ミウ様、夜会は楽しゅうございますよ。着飾った若者達が広間に集い、弦の音色も高らかに……わたくしが妻と出会ったのも、先代様の開かれた祝典の晩でございました。夜の帳が下りた頃、天井には千もの蝋燭が輝き……」
「そのような馴れ初め話など、“泉の乙女”様のお耳に入れても仕方のない事ではございませぬか……」
すかさず爺さんが横槍を入れた。。
意外にもお喋り好きそうな大臣は、若くて痩せてた頃(がもしあったら)多分ハンサムだったんだろうなという感じの人である。そこに王様が座ってるから、全く参考にならないけど。こっちの王族はちょっとね、規格外っていうか。
失礼な事を思われているとは知らず、元・ハンサム大臣はすました顔で髭を撫でる。
「失礼、神官長殿の仰る通りでございました。既にお相手と巡り会っておられる方には、あまり申し上げる意味がありませんでしたな……しかし、夜会が素晴らしいのは事実。手に手を取られ、弟殿下のお祝いをなさる睦まじさ。特別な催しに、お二人の恋も益々燃え上がりましょう」
すいません、さっきリアルに燃え上がったのはその二人の婚約書です。しかもそれ、偽物って知ってるんだよね? ね? 原本も書き換えたし、もっと関係なくなったんですよあれ。言えないけど。
一応多少は憚ってるつもりなんだろうか、横で王様が拳を口に当て、顔を背けている。私の顔が真っ赤なのを笑っているのだ。超バレバレです、もっと隠して。
「お前は、一々照れるから面白がられるんだぞ」
「照れてません」
私は出来る限りムスッとして答えた。照れるってなんか、喜んでるみたいなニュアンス無い? 違うから、言い回しのこっ恥ずかしさとかで居たたまれない気持ちになってるだけだから。しかも面白がってるの王様だけだし。
元ハンサム大臣は、気の利いたこと言ったつもりで大満足のようだ。爺さんの方は呆れたような顔をしている。……そういえば、この人ってジルフィーのお祖父ちゃんなんだよね。こっそり窺い、私はちょっと考える。
大臣達が王様推しなのはもう満腹という程分かったけど、この爺さんはどうなんだろう。孫を推薦したいのか、はたまた逆でしたくないのか。この人が野心家なのかどうかは謎だ。いいとこの生まれで、早とちりで涙もろいくらいしか知らない……まあ、余計な事は突っ込むまい。
さてさて、それで。
祝典で私は結局、最低でも二回は人前に出る事になってしまった。
生誕祝賀会というのは、昼間は基本カチッとした式典で、誕生日を迎えた事を皆に報告し、各方面からお祝いの言葉や何かを受け取ったりするそうだ。
ここに塔からのお祝いとして、クラインに水をあげる。
って私が言うとなんか幼稚だけど、この国で水とは水読の恩恵である。当の水読はそういう場にはさっぱり出向く気がないらしく、基本神官の偉い人が代理をするそうなんだけど。
水読が祝いの水を与えるという事は一応、王家と仲良くやっていきましょう、塔はあなたを認めましたよ、みたいな意味になるらしい。うん、水読がわざわざ出て行くワケがないな。絶対面倒臭がる。治水以外仕事はしないのが、今代水読ということだ。
で、そこを今回私が務めるととってもいいんじゃないかな、という話。
そして夜、大臣大プッシュの夜会というのは、昼間の儀式的なものに対して懇親会に当たる。ってこれも私が言うとちゃっちく聞こえるけど、貴族とか身分の高い人達が集まってクラインをお祝いする、華やかなパーティーという事だ。
皆が食べたり飲んだりお喋りしたりする中に私がちょこっと顔を出せば、城のメンツが保たれるという。
どっちか片方だけ、というのは駄目だ。対立が起きる。
しかしなんか、この流れ。
「…………」
あれじゃないですか。衣装だけ作る感じでもいいって言ったけど、それで済むわけないじゃん。ドタキャンなんてもってのほか的な。
ちろっと王様を見ると、顔つきで理解されたらしい。軽く笑い、彼は大臣達に釘を刺す。
「見ての通り、これは度胸なぞ皆無の人見知りだ。殆ど人前には立たなくて良いと説得して今に至る。考慮してくれ」
「陛下とお話なさっている所を拝見しますと、逆に思えますが……」
大臣がぽろっと突っ込んだ。確かに、この綺羅綺羅しい人に言い返すのはかなり度胸要る。なんか慣れたけど。
「野暮だな。俺とその他大勢を同じにしてくれるな」
王様とその他大勢を別にしたからこその発言だったはずなのに、王様が爽やかに混ぜっ返すから、大臣は目をパチパチさせた。
私は、話し合い早く終われ! と念じていた。
多分、婚約書に手を加えたと疑われない為だろう。王様は前よりも更にちょっと、そっち方面を否定しないようにしている気がする。いや、実はこれまでもずっとそうで、私が目撃していなかっただけかもしれないけど。
私は大臣達に王様との事で突っつかれるのも、王様が乗っかるのを聞いているのも、恥ずかしくてしょうがない。それこそ、一緒になって乗る程の度胸があればなあ……。
どうせそんな私の内心も見透かして面白がってるんだろう、王様はいつも通り微笑むばかりだ。為政者の余裕が憎い。
「では、ご準備など各所に申し伝えておきます」
大臣と爺さんがそれぞれにそう言って、とりあえず今日の話し合いは終わった。大臣と一緒に王様も帰って行き、私はほっと息を吐いた。
その夜、突然クラインが訪ねて来た。
彼が事前連絡無しに訪れる事はこれまで一度も無かった。珍しい。急に来られなくなったことならあるけど。
学会の帰りに寄ったらしく、夕食後の、人を訪ねるには少し遅い時間だった。クラインは私には会わず伝言だけ頼むつもりだったようだが、私もまだ普段着だったので応対した。
「ミウ」
前室を通過しドアを入ってきた彼は、部屋の真ん中に私を見つけると真っ直ぐ向かってくる。いつもより大股で、あっという間に距離を縮め目の前で立ち止まった。
「式典について聞いた。兄上が無理を言ったのではないか?」
「いえ」
それで来てくれたのか。
私は首を横に振る。私が“泉の乙女”として人前に出たがらないのを、彼はよく知っている。でも今回はアレです、寧ろ理に適い過ぎて断れなかったっていうか。
壁際にはサニアやメイドさん達がいるけれど、クラインはひと時それを忘れたように私をじっと見て言う。囁くような、秘密を打ち明けるようなあの声だ。
「では、私の為に引き受けてくれたのか?」
「……違いますよ?」
「嘘だ」
確かに、半分は嘘だ。
「ありがとう、ミウ」
静かな表情に、微かに喜びが滲む。
お礼を言って、クラインは帰っていった。それだけの用事で来てくれたようだ。
◇ ◇ ◇
その事がきっかけと言えばきっかけで、私はやっぱり水読に“呪い”の検証を頼む事にした。
クラインの反応を見て、どうしても必要な事だと確信した。あの痣は多分、私の想像以上に本人達の引け目になっている。そしてクラインは、私が誕生会に出る事である程度プラスの効果が与えられるかもしれないけど、アルス王子は今の所そういうチャンスがない。
翌日昼間に水読のスケジュールを聞いてもらって、こちらから出向いた。
と言っても塔の上階ではなく、その辺の火が入っている応接間を借りた。上、死ぬほど寒いからね。
「水読さん」
「……無茶は、許可できませんよ」
「はい。ありがとうございます!」
どうしても協力してもらいたいと頼み込むと、水読はいつになく乏しい表情で承諾してくれ、次の予定のために部屋を出ていった。特別絡まれる事もなく去って行くのを、私はホッとしたような不安なような複雑な気分で見送った。実は、これでも少し緊張してた。
無茶はしないと言ってもらえて良かった。
水読は、私が前のように熱を出したりするのを、本心から避けたいと思っているようだ。それが分かって良かった――その理由がどういう事か考えるのは少し、喉が詰まるような、重苦しい気持ちになるけれど。
私に“火”の痣が出て、あの距離の近過ぎる治療を施す。それを歓迎するなら遊び人のド変態、今まで通りの水読だ。
何故あれを厭うのか。
まるで、私を大事にしたい、みたいな感じがするじゃないか。弱り目につけ込むような事はしないと。しかも今日なんか、ヘラヘラしてないから余計にそう感じてしまった。
水読は、私を好きなのか?
どうして、言葉が伝わらない時にそんなことを言ったんだろう。友情や親愛、愛着の「好き」だろうか。
悶々と考える事はする癖に、本人に直接聞いて確かめようなんて事は全く思わない。
私はつくづく、そういう人間なんだろう。逃げられるなら逃げ切りたい。勘違いでした、で済む内に消えたい。自意識過剰の滑稽な私。そういう結末がいい。
……せめてこんな特殊な場所じゃなくて、“泉の乙女”なんて要素もなければ、もうちょっとちゃんと向き合おうとしたかもしれないんだけどな。水読に対してだけじゃなくて。
応接室を出て、寒い廊下を戻りながら思い出す。
今朝私の部屋には、水差しの銀盆だけが返ってきた。




