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雨の冠  作者: 桃宮
7.七番目の乙女
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12 鏡の部屋

 万華鏡の中に居るみたいだ。

 沢山の鏡は計算された位置に取り付けられていて、歩くごとにピカピカと映る景色が変わる。大きな窓の外の雪景色と部屋の景色とが入り混じり、空間の広さが曖昧に感じてくる。


「初めて来たんです。絶対、今までここに来たことなんて無いんです。でも、見た事があるんです」


 お茶が入った後も、私は落ち着かずソファでキョロキョロしていた。


「見覚えがあるというのは、この鏡の設えか?」

「いえ、家具とか、壁とか間取りとかです。鏡は……」


 鏡は無かった。だけどその枠だけは、そっくり同じように壁に掛けられ、一つ一つに花の絵が入っていた。

 ここは、かつてクラインのご先祖様が作らせた客間の一つだそうだ。風変わりなデザインはお客さんを驚かす為のもの。勿論初耳だ。

 今まで私は、知らない事がありすぎて怖かった。今日は、知っている事が怖い。


「別の、似た部屋を見たのかもしれない。気に病み過ぎるのも良くない」


 そう言ってクラインは、湯気を立てる私のカップに砂糖漬けの花を落とした。白い結晶が溶け、ほどけた花弁がまさしく薔薇だったので、額の中身がこれだったと言うとちょっと気まずげに目を逸らされた。いや、これはさすがに偶然だから。ドンマイ。



 ◇


 お茶を飲み終わる頃には体も温まり、約束通り庭を案内して貰った。

 庭はこぢんまりとしているが、この部屋からしか入れないし廊下からも見えないようになっていて、新雪踏み放題の握り放題だった。両手で白い塊を作ると、なんかおにぎり食べたくなる。

 どうせなら、雪合戦に適した人材が居れば良かったんだけど……。

 雪玉を握りつつ振り返ると、クラインが不思議そうに小首を傾げる。戦意が急速に失われていく。仕方ない、この雪玉はジルフィーに……いや、これも却下か。モチベーションとしては大アリだったが復讐が怖い。絶対、人目が無くなってから精神攻撃されるパターンだし。となると最後の手段、部屋に置いてきたおじさんを呼び寄せるべきか……いやいや、余計な事すると記録されるんだった。自重しなければ、また子供っぽいと言われてしまう。


 遊んでいる間は少しだけ、デジャヴの不安が薄れた。その後また部屋に戻った時も、最初よりはかなりマシだった。多分、窓側から入ったからだろう。でも帰る時ドア口で部屋を振り返ると、やっぱり違和感が蘇る。空っぽのソファが、妙にスカスカに感じる。

 足りないのは花の絵じゃない。何だろう。誰か。人。

 うん、人だ。

 楽しそうにクスクス笑う声。足をぶらぶらさせる仕草。印象的な目つき。


「……クライン。変なこと言いますけど、ちょっとだけあそこに座ってみてもらってもいいですか」


 頼むと、クラインは快諾しソファに引き返してくれた。いつものように美しい姿勢で腰掛けて、これでいいかと聞き返す。うーん、位置はいいけど笑顔が足りない。


「もっと笑ってください」

「無茶を言う」


 足ぶらぶらよりはマシな要求だと思うんだけど。

 クラインは、唸る私を見て笑った。



 ◇



 塔の部屋に帰り、夜には水読が訪ねて来た。

 サニアが静かにドアを閉め控え室に消えた頃、私と水読は隣り合って座る。

 差し出した右手を「読む」時の反応を、私は注意深く窺った。水読は案の定、その気配に気が付いたようだ。


「ミウさん」

「私の状態は、どんな感じですか」


 額を離した所へ先手を打つと、水読はこちらをじっと見た後、やはりクラインの名前を口にした。


「分かるんですか?」

「少し、気配が残っています」


 発作無しの、あの程度の接触でも感知できるのか。厚地の手袋同士だったんだけどな。

 今の私は「外側」の水が自然に減る量より少し多めに飛んでいて、火の残り香のようなものが微妙に紛れ込んでいるそうだ。普通に傍に居ただけでは水は減っても、そうそうこの「残り香」は付いて来ないらしい。

 ただ、この前みたいに熱が出たりする程ではない。

 何か言いたげな水読に、静かな気持ちで尋ねる。


「お願いがあるんですけど」

「何でしょう?」

「証明を手伝ってほしいんです。クライン達の“呪い”が、必ずしも“泉の乙女”に悪影響を及ぼすとは限らないって。どの程度の接触だとどのくらいの影響があるのか」


 それが、昼間感じた私のしなければいけない事だった。


 ごく限られた当事者達だけが知るならともかく、この影響に関しては多分、塔にも学会にも特に伏せられていない。ハノンさん達も知ってるし。

 クラインは、私に関する情報を全て正確に書き残すだろう。自分や、もしかしたらアルス王子に不利になる情報でもきっと誤魔化さない。

 彼は研究者だからだ。「次」があるなら余計に。

 “乙女”も“呪い”も、私や彼らで最後じゃない。


 だから私はここを去る前に、もっと正確な情報を残す必要がある。クラインの書き残す文を、良い方向に補強するものを。“泉の乙女”が信仰の一種なら、そのくらいはしていかないと拙い。

 いつかまた痣を持った王子様やお姫様が生まれた時、せめて、ちょっとでも生きやすくしといてあげないと。


「そう思うと、“悲恋”と当時の王族ってそんなに仲良くなかったんですかね」


 黒髪や“呪い”に気を付けろって、現地語じゃなかったけどズバリ書いてるし。あ、でも翻訳させなかったこと自体が気遣いかな?


「そのまま喋られると、くすぐったいです」


 手紙の忠告を思い出して言うと、水読が少し笑った。そう言えば今、水引いてたんだった。少し気まずくなって私は黙った。

 あれ以来、「読まれる」時はやっぱり若干緊張する。のに、「引く」番になるとどうもコロッと忘れてしまう。触れているのが他人の肌だとか、そもそも水読とかそういう感覚が薄くて、自分で自分の腕に頬を埋めている時と然程変わらない。慣れにも程がある。


「先ほどのお願いですけれど、これ以上王弟殿下方と接触するという事であれば、お引き受け出来ません」


 水読は私に腕を貸しながら、正面の窓を見ていた。


「本当なら、顔を合わせる事さえ避けるべきかも知れません。僕は王族はどうでもいいですし、“呪い”の火は証明するまでもなく悪影響ですから」

「次に雨降らせる時でいいですから。仲介、王様だとやりにくいんでしたよね。借りる量が多く必要だから時間掛かるって。王様の睡眠時間、これ以上削るのは無しですからね」


 ジルフィーがそこに立ってなかったら、成立しない駆け引きだ。祈雨が要らなくなった事を、もしかしたら自分から打ち明けるかもしれないとも思っていたけれど、水読は秘密を黙っていた。そっちを選ぶのか。


「“呪い”は雨呼びに最適だと書かせましょう。それで十分です。王族なら他にも居ますよ、掃いて捨てる程」




 ◇



 ベッドに入ってからも、私は眠気の中で証明の方法を考えた。何も思いつかないまますぐ夢に落ち、気づけば朝だった。誰かと遊んだ夢だった。子供の頃を思い出すような、無駄にノスタルジックな気分になってしまった。

 ボーッとする頭でベッドを抜け出し日記帳を開いて、日付に一つバツを付ける。段々少なくなっていく時間を数える。


 ――アルス王子、体調どうなったかな。

 ふと思い出し胸が詰まる。落ち着いたとは聞いているが、その後顔も合わせていない。

 私は机の引き出しを開け、中に収められた便箋を見下ろした。クラインにお見舞いの手紙を送ったのだから、アルス王子にも送るべきかもしれない。私が倒れた時、すごく心配してくれたし。

 でも好意を持ってくれているらしい人に、思わせぶりな事はしない方がいい気もする。しかも私、もうすぐ居なくなるのに。

 果たして、どちらが正しいんだろうか。


 短くない時間悩んだ末、机の上に便箋を広げ日本語でアルス王子へ、と綴る……そこで手が止まった。ペン先から、ぽたりとインクが落ちて紙に黒い染みを作る。小さく盛り上がっていた粒が紙の繊維に沿って滲んでいくのを、私はただ眺めていた。

 今更ながら、自分の「持ってなさ」に驚いたのだった。

 私はこちらの文字を書けない。自分がしてもらったように、花やお菓子の贈り物を用意してもらったとしても、それは私の物をあげるわけじゃない。

 一体、何をあげられると言うんだろう? 言葉すら借り物の私が。


 書きかけの便箋を片付け、寝間着の上からコートを着込んだ。ベッド脇の水差しの下から銀盆を取ると、長窓を開けてバルコニーに出る。日の出前の、浅葱色の空が広がっていた。城下から塔の庭を抜け吹き付ける風は、身を切るように冷たい。

 バルコニーの隅の方には、表面が一度溶けて固まり氷のようになった雪が残っていた。しゃがみ込み、硬い部分を砕いて中の雪を取り出す。指先が冷えて真っ赤になったが、そんなもの。


 何もしないのは駄目だ。ただでさえ避けていたのに。

 “泉の乙女”は、アルス王子を嫌っていたと思われてしまう。



 ◇



 その日、日が高くなってから王様の訪問を受けた。


「今日は書類があるんだ。場所を借りる」


 なぜかお付きの人は中まで付いて来なかったけど、サニア達は言われた通り客間にお茶と筆記用具を用意した。

 彼女達が退室した後も残っていたジルフィーに、王様は今日は「外せ」とはっきり命令した。ジルフィーは一瞬無視するのかと思わせたが、意外にも大人しく出て行った。……ふう、私の方が緊張してしまった。だって、もし何かとんでもない事言ったら、間に入るの私でしょ? 荷が重い。


 椅子の背もたれに肘を置き、しばらく閉まったドアを窺ってから、王様は懐から筒状に巻かれた紙を取り出した。話の通り書類のようだ。透かし模様の入った金の輪で止められている。

 王様は輪を外すと、紙を広げ私の方に向けて置いた。ペン立てやら何やらで丸まる端を押さえるのを見て、私も指でこちら側の角を留める。


 パッと見て、どことなく覚えのある書類だった。

 厚地の立派な紙に美しい文字が並び、12の角がある太陽の王族印と、虎みたいなライオンみたいな猛獣の印……多分王様の印が、金粉で捺されている。

 文字列の中に“泉の乙女”の単語を見つけ、私はこれがなんなのか理解した。

 アレだ。


「婚約書……」

「そうだ。改めてお前の署名と印を加えると言って持ち出してきた。こっちは塔に渡した写しだ」


 王様はその隣に、手の平大の紙切れの束を置いた。破かれてバラバラになった中に王族印の所の破片が見えるが、そちらは黒のインクで捺されている。以前見せられたものの残骸のようだ。水読が破いたらしい。


「破こうが書き換えようが、写しは写しだがな。原本を変えねば。お前、自分の名は綴れるか?」

「お手本見ながらならギリギリ……」

「そうか」


 王様は話しながら書類の向きを変えると、ペンをインクに浸しサラサラと何か書き足し始めた。空いていたスペースに華麗な筆跡でぴったりと文を収めた後、印の下に短い一文を添える。多分、王様の名前だ。読めないけど、一際華やかで格好いい。

 綴り終わると、今度は紙をくるりと回し私の側に戻した。


「お前が帰るので婚約を無効とする、という内容を付け加えた。この部分だ。念の為、期日は次の満月の一日前とした。それはここだな。水読には言うなよ」


 王様の名前の横に記名しろと言われ、とりあえず漢字で書いた後、こっちの言語で何とか綴る事になる。

 王様が破かれた控えの裏に、私の名前のお手本を書いてくれた。


「俺の字だな。少し変えるか」


 もうちょっとシンプルに書き直してもらい、それをどうにかこうにか真似して綴る。きっと私、帰ったらこっちの字二度と書けないな。

 婚約書の書き換えが終わると王様が確認をして、インクが乾くまでしばらく広げておく。王様は細切れの写しを拾うと立ち上がり、暖炉の前へ歩いて行って半分を火にくべた。


「来い、ミウ。お前の分だ」


 残りの半分を差し出され、私も隣へ行ってそれを受け取る。

 薪の上に放ると紙片は端から燻るように黒くなって、その境界を追うように白い灰に変わった。

 まだ期日があるとはいえ、これで婚約破棄完了だ。

 崩れていく薄い灰を見下ろしながら、王様が一つ欠伸をした。


「ごめんなさい。忙しいのに、お手間を取らせて」

「構わん。俺は執務を怠けると褒められるんだ」


 隣を見上げると、ニヤリと笑ってそう言われた。



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