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雨の冠  作者: 桃宮
7.七番目の乙女
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8 愚者の知恵(2) -- 信仰について

 一瞬時が止まった。この部屋、超一杯時計あるけど。

 束の間置いて、王様が長い長い息を落とした。


「お前はこう、常に予想外のものを持って訪れるな」

「すいません……」


 私はうなだれて謝る。私のせいじゃないような気もするが、気苦労を増やしているには違いない。

 とりあえず、その台詞に至る経緯と状況を聞かれ記憶のままに話し始める。勿論、言うのが微妙なやり取りについてはさり気なく無かった事にした。

 王様は、ジルフィーが私と水読を二人にした事を意外に思ったようだった。一応、私が無理言って命じたのだとフォローしておくとして。


 結論から言うと、やっぱり最初に話したその爆弾発言だけが物議を醸すらしい。


 例えば「記憶は水に溶けている」発言とかは、全然普通に受け止められた。この国にはそもそもそういうものだと思われる基盤があるようで、水読がそう言うならそうなんだろう程度だ。名前が無いと言っていた事も、王様曰く「ただの事実」との事。


 私は王様に断ってから、何気に持ち込んでいた日記帳をパラパラと捲った。本当は“悲恋”の手紙の写しの為に持ってきたんだけど、今まで勉強した事のメモもこれに載っている。

 確認するのは、以前ウィルズ先生に教わった「水歴」……『永代』『変異』『針の扇』、と続くやつだ。年号みたいと思っていたそれは実際近いものだったらしく、王様は、これがそのまま歴代水読の没後の名前だと言った。


「在位中名を持たぬのは、個人では無い故、という定義だと教典にはあったはずだが。そうだな?」


 王様が再びジルフィーに尋ね、ジルフィーが認める。遠くて話しにくそうなので、私は彼をソファセットの近くまで呼び寄せた。

 それにしても、「水読」は役職名とは聞いていたけれど。


「そんな世の中というか、立場というか、だから、この世に未練なんて無いって言ってました。あのー……私が来るまでは大事なものとかもそんなになくて……だから好きで、返してあげますよって」


 うわ、なんか。恥ずかし。


「そうか」


 私がボソボソと打ち明けると、王様は目尻を下げて妙に眩しそうに笑った。その余韻を残したまま、細身のベルを逆さにしたような小さな杯を煽り、瞼を閉じる。ゆったりと――まるで、お酒と一緒にこの部屋の空気でも味わっているかのようだ。灯りの色が融けた、夜の。密やかな。

 しどろもどろの私には、彼がどうして笑ったのか分からなかった。


「あの……これ、私はどうしたら」

「知らぬ振りをしたのだろう? それで良いのではないか。返事を求められた訳でもあるまい」


 ぱちりと開いた視線を受け、私は手元のカップに目を落とす。

 返事。寧ろ、少し拒んでいろと言われた。

 水読が、私が聞き取りだけなら出来ると気付いていた可能性は考慮するべきだろうか。

 ……キスされそうになったのは?

 それが「好き」ということ? セクハラではなく?

 ある意味では、その解釈で合っているかもしれない。言葉通り、私に拒まれる事を期待していたとするなら。

 ジルフィーが言った事を思い出す。水読は「私」を、もしくは“泉の乙女”を、手に入れる事が出来ない。


「あれの話した事は、それで全てか?」

「はい」


 答えると王様は軽く頷いた。私の言葉は、嘘とは捉えられなかったようだ。

 私はもう少しお時間いいですか、と確認してからソファの背後を振り返った。


「ジルフィー」


 呼び掛けると、灰色の目が伏せられる。

 彼はまず私に向き直り承諾の仕草をすると、次に王様に向けて別の形の礼を取り、くるりと踵を返してドアに向かった。私と目を合わせる事の無いまま、部屋を出て行く。

 ――良かった、言う事聞いてくれて。

 思わず呟くと、王様が視線で理由を問う。昼間この席で退いてほしいと交渉した事を言うと、彼は表情を苦笑に変えた。


「交渉、か」

「あんまり相性良くないんです。向こうも私の事、嫌ってるみたいで」

「当人がそう言ったのか?」

「……面と向かって」

「ほう」


 ぶずっとして答えると、興味深そうにいつ言われたのかと聞かれた。ややぬるくなったハーブティーで唇を潤し、私は正直にその時の事を説明する。つまり、時期はこの前うっかりここに外泊(?)してしまった翌朝で、原因は水読に不用意な質問をしたせいらしい、と。


「付いてくれる事になった当初は、そんなに悪い関係じゃなかったんですけど」


 仕えている内に、私が人格的に大した人間じゃないと分かって呆れた……というのは咎められる事ではない。でも彼は、離職を望んでいない。私を帰らせる為には、他に任せるより自分が側付きである方が成功率が高いと考えている。

 ならやっぱり「協力しましょう」となるのが、普通じゃないのか。

 ちょいちょいキツイ嫌味も言ってくるし、殺して済むならそうするとまで言われた。あれは本気で冷や汗かいた。まあ、それじゃ済まないからそうしない、という意味でもあったんだろうけど。

 言葉の件で頼らざるを得なくなってしまったのは別として、ジルフィーは、半ば私を脅す形で今のポストに収まっているのだ。私と結婚させられない為に。


「でも、そうなるのが嫌で私自身のことも嫌ってても、口に出す利点が無いじゃないですか」


 つい口がへの字になる。

 ジルフィーは、もし私が感情的に耐え切れなくて任を外すと言い出したら、どうするつもりなんだろう。そこはやっぱり、塔での立場や何かの都合で問題にならないんだろうか? その上での嫌がらせが目的なら、大いに納得だ。

 私は結局、ジルフィーを信用していいのか悪いのか。王様の人選は信じたいけど。

 王様は、ニヤリと歯を見せて笑った。


「神官はな、高いぞ。下手な王族なぞより余程な」

「高い?」


 何が? まさか、地位と言う事はないだろう。

 聞いてみると、気位の事だった。


「信仰の元に立つ者達は強かだ。王の民でありながら、我らを監査する立場という矜持がある。尤も王族も、民の持つある種の信仰に支えられて国治めをするのではあるが」


 その昔水と袂を分かち、人に熱と光をもたらした“始まり”の子孫。

 水読とはまた違うけれど、そう言い伝えられて尊ばれているのが今の王様達の血筋だ。その血筋の者が王として立たなければ太陽が隠れるとか、火が起こせなくなるという迷信(?)を、未だに信じている国民も多いらしい。王様自身は、そこまで信じてなさそうだけど。

 しかしそれらを差し引いても上回るくらい、塔に所属する神官達は独自のプライドを持っている。王様曰く、ジルフィーは塔での地位を煩わしく思っている反面、そういう意味では非常に神官らしいという事だった。


「あれはお前に仕えると決まった時、継ぎ名まで明かしたか?」

「いえ……」


 ジルフィー・エリクス・リード、“叡智エリア”に貰ったとか言うそのミドルネームを聞いたのは、ごくごく最近だ。

 予想通りと言うように頷き、王様はこんな事を聞いてきた。


「前世というものが存在すると思うか?」


 私はその目を見返す。

 突然、何でそんな事を聞くんだろう。


「私は、あんまり……」


 「前世」とか言われても、私にとってはせいぜい占いや心理テストのネタ止まりだ。

 でもこちらの文化では、結構信憑性を持って信じられているという事は理解している。アルス王子に、“泉の乙女のミナ・生まれ変わりイレギア”と名付けたのは、実兄である王様だ。

 また王族による“尋問”に際して、水読が「魂源」というモノがあると語ったのを覚えている。十二番目の「夜」に隠された、暴かれたら命を落とすという特別な情報。確か、生まれる前の秘密とか言っていなかったか。


 そこまで思い出して、気がつく。……もしかしなくても私は、こちらの人々から「かつての“泉の乙女”の生まれ変わり」と捉えられているんじゃないだろうか。だって、黒目や黒髪なだけでそういう名前が付くくらいだ。


「まあ、そういう事だ。もしお前が直々にそうだと言えば、多くの者が疑いもなく得心するだろう」

「そうなんですか……」


 恐ろしい、ジョークでも言わないようにしよう。

 で、ここでジルフィーの話に戻る。


「お前の第一護衛は、どこまで掘り下げて尋ねても“泉の乙女”への忠誠しか出て来ぬ男だった」

「えっ?」


 聞き間違いかと、思わず聞き返してしまった。

 だって、え? “泉の乙女”への忠誠?


「どういう……、あ」


 尋ね返しかけた所で理解する。

 単純だ。神官は信仰に厚く、気位が高い。

 やっぱり、私は彼にとって酷く期待外れだったのだ。最初は敬おうと思っていたけれど段々愛想を尽かし、利害を除いても許せないレベルに達してしまったんだろう。こんな女が“泉の乙女”を名乗るな、と。

 しかし王様の見解は、同じ期待外れでも少し違っていた。


 ジルフィーの家系は、“叡智”と“悲恋”の側近だった。特に“叡智”には、誓いを立てているとかなんとか。


「エリクス・リードは、お前がその名と血筋に覚えがある事を期待していたのだ」

「そんな、無茶な」


 聞いた瞬間、不満が口から飛び出す。だって、ねえ。


「こっちの人って別に皆、いわゆる『前世の記憶』みたいなのって無いんですよね?」

「伝説には残っているが、俺は自身は、そういう人間には会った事がないな」


 いくら“泉の乙女”が不思議な力を持つ特別な存在だったとしても、そんな事まで期待されても困るんですけど。ジルフィーは、そういうのも含めて私を“泉の乙女”とは認めない、と言ったんだろうか。私、“乙女”の自覚すら無かったくらいなのに。


「他の人がそうなら、私だって知りません……覚えてないなら、前世なんて無いのと同じですし」

「奇遇だな、俺も同意見だ」


 王様は口の端を片方上げ、珍しく皮肉げな笑い方をした。

 葡萄色の袖を伸ばし、手ずからお酒を注ぎ足しすと、ややぞんざいに背もたれへ体を戻す。何となく、疲れを誤魔化す為に呑んでいるように見えた。


「王様は、生まれ変わりなんて、って思ってるんですね」

「あまり大声では言えぬがな。民は因果を信ずる故」


 ふと、灰色の空と湖畔の風景が脳裏に広がる。

 因果。最近、よく聞く単語だ。

 二つのものを結ぶ、糸みたいなもの。結果を得る為に、理由を用意すること。本来は、何かが起きた時についでに生まれるもの。

 どこで聞いたんだったっけ。

 思い出そうとしている間、取り留めのない呟きが聞こえる。


「日が昇るのも、水が廻るのも、この世を昼と夜の二つに分けた境日の因果だそうだ。所以があるから今に至る。特に生まれつきなどは、前生での所業の善悪に因すると未だ信じられている」


 例えば、生家の身分。容姿。才覚。運の良さ、身体の強さ、寿命の長さ。


「何れか人より劣るものを持って生まれれば、それは過去の悪行による自業自得だそうだ。下らぬ迷信と思わぬか。そんなものが伝承されるなら、過去の過ちの一つでも覚えていれば良いものを。それが出来ぬから、人は口伝に書に言葉を残す――違うか? 生を受けるその前に、罪咎も誉れもありはしない。若くして死した者に、祈りの他に何を手向ける?」


 エメラルドのような瞳は、鋭い金色の光を帯びていた。

 それは、彼の主義のようだった。

 私は、その顔から目を離せずにいた。この人が、こんな話をするなんて珍しい。


「何があったんですか」


 尋ねられ、王様は我に返ったようだった。瞬時にその予感が唇に乗り、そしてやはり、いつものような美しい笑みが浮かぶ。

 何故か、無性に胸が傷んだ。

 私は今、王様に笑って欲しくなかったみたいだ。

 分かってしまったから。この人は、例え心臓に穴が空いていたって、金の髪に王冠を載せて微笑む人だ。目の前に、彼の民が居る限り。

 他所から来て、他所へ帰るはずの私は一体、この人の何だろう?


「王様」


 教えてよ。


「友が死んだ」


 少しだけ、私にしては強い声で重ねると、王様は穏やかに答えた。


「寡黙だが情に厚い、優秀な男だったんだがな。馬車共々谷へ落ちたそうだ。大馬鹿者だ、俺の妹分をくれてやったのに」


 亡くなったのは、王様の学友だったそうだ。そして妹分というのは当然、アプリコットの事だった。今日彼女を帰らせた事についてお礼を言われ、首を振る。二人がどういう関係なのかはわからない。普通に、昔から交流があったんだろう。

 家柄などから納得しながらも、私は混濁した、明暗何色ともつかない気持ちを味わっていた。

 決して綺麗なものばかりではないそれらは、ぐるぐると胸で渦巻き一処に留まらない。せめてその中で、悲しみに寄せた心が、彼の慰めになるような感情が、一番多く表に現れていればいいと思った。どうせ顔色に出易いというのであれば。


 間違っても、それ以外の浅ましい感情を悟られませんように。

 私は、身勝手で軽薄な人間だ。

 ジルフィーに軽蔑されるのも当然なのだ。

 だって今、この人の素顔を垣間見た事に、その悲しみに触れた事に、微かに喜びを感じている。


 ――扉がノックされ、私はハッと顔を上げた。

 伺いの声に王様が許可を出すと、侍従が扉を開け恐縮しつつ早口で話し始めた。何やら、たった今塔から伝令が届いたらしい。

 そしてそれら全てを報告し終わる前に、侍従は背後から現れた人影に阻まれて口を噤んだ。

 道を開けさせ、音もなく踏み入る長身のシルエット。


「忙しない晩だな。お前も一杯どうだ?」


 王様が杯を掲げ、気楽そうに声を掛ける。

 相手は、氷のような熱の無い微笑で答えた。


「ご遠慮申し上げましょう」


 長い髪と白装束を火色に染め、水読は躊躇なく、この国で最も高貴な部屋の敷物を踏んで来た。



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