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雨の冠  作者: 桃宮
7.七番目の乙女
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5 言葉の壁

 突然現れた“黒”。「この世にたった一人」が、「たった二人」になったのだ。

 シンパシーを感じても無理は無い、という事は理解していたけど、逆にそれがスクリーンになってもいた。容姿の類似点が友好の理由だろうと。

 それから私は以前、彼に「年の割に女慣れした子だな」という印象を持ったことがある。なんか、遠慮なく距離を詰められたりしたから。王子様だしこの顔だし、さぞやおモテになるんだろう、とか思っていたのだ。

 しかしリコ達が「よく知らない」と言うくらいの、彼の交友範囲の狭さを舐めていた。

 ……なんて、言い訳しても仕方がないけど。

 詰まるところこっちの不手際だ。


 出来ればあんまりあからさまにではなく、不自然じゃない程度に距離を置きたかった。卑怯だと言われても構わない。波風立てない方向性に関しては、私は努力を惜しまない。

 だからこれまでは手紙や伝言に対して、「少し調子が悪いのでまた今度」みたいに返していた。実際それは嘘じゃないし、王様にも微妙にそんな対応をしていたくらいなので、間に入る人達も上手く言ってくれてたと思う。


 アルス王子にしてみれば、それは理不尽な対応だったらしい。


「俺にわかるように言えよ。お前、どっか悪いのか? ここで何してた」

「ごめんなさい」

「ミウ!」


 強引に離脱しようとすると、追いかけられて腕を掴まれた。即座にジルフィーが引き返し、淡々とアルス王子の手首を捻り上げる。ちょっ……!


「待って、手荒なことは……!」


 驚いて止める私を背中で押しやり、ジルフィーは手を離した。この人危ない、本当に言葉が足りない。

 アルス王子は酷く驚いた顔をし、すぐに顰め面で睨み返した。しかし、この対応でジルフィーが罰せられる事はないだろう。「正しい」からだ。

 ジルフィーはくるりと身を返し、私に視線で進めと促す。異論はなかった。最早どっちが主人かわからないが、この際従うのが得策だ。


「無視するなよ、俺が何かしたのかよ!」


 私は少しだけ振り向き首を振った。

 何もしてない。アルス王子は悪くない。

 答えられない私の代わりに、ジルフィーが私の視界を塞ぐ。


「現在“泉の乙女”とは会話が出来ません。こちらの言語を解する力を失いました」

「は……?」


 ……ちょっと待った。聞き取りは可能って伝えると今話したばかりだけど。


「どういう事だ。ここんとこ閉じ籠もってたの、そのせいか?」

「いいえ」


 ジルフィーは端的に答える。


「昨日からですが原因は不明です。詳細はそちらの関係者にお尋ねください。“泉の乙女”が殿下を避けていらっしゃる件はそれらと無関係です」

「……!」

「ジルフィー、余計なこと言わないで」


 堪らず言った言葉を黙殺し、ジルフィーはさりげなく私の背を押した。アルス王子は、目を見開いて立ち尽くしている。

 言葉が通じたら、上手くフォロー出来たんだろうか。今の私に出来るのは、訳有り顔で立ち去る事だけだ。

 アルス王子が唇を噛んだのが見えた。

 そしてその直後、苦しげに胸を押さえたかと思うと、膝から崩れ落ちた。


「アルス王子!?」


 思わず引き返し、私は倒れ込む体を抱き止めた。アルス王子の腕には既に力が入っておらず、右肩に受けた頬が燃えるように熱い。そして重い。共倒れになり掛けた私をジルフィーが支え、その体をゆっくり横たえる。


「大丈夫ですか、どうしたんですか」


 きつく目を閉じ、辛そうに浅い呼吸を繰り返している。呼び掛けが聞こえているかは怪しかった。髪色のせいで余計白く見える頬は上気し、瞼や額に薄く汗が滲んでいる。


「誰か呼んできてください!」

「お手を触れませんよう」


 柔らかい癖毛を抱え膝に乗せようとすると、ジルフィーが冷静に言う。


「そんなこと言ってる場合じゃないでしょう! 早く……」

「お体に障ります」


 手紙の内容を忘れたのか。

 灰色の目は、確実にそう言っていた。蔑むような、冷め切った眼差しでジルフィーは私の腕を掴み、立ち上がらせようとした。膝に乗せたうなじがずり落ちそうになり、私は必死に抵抗する。

 なんて冷たいんだ。その目にはきっと、アルス王子の苦しそうな様子なんて一切映っていない。この人が見ているのはただ一点、私がこの世界から消え去る事だけなのだ。


「離してください」


 私は抱えた頭を、乾いた落ち葉の上にそっと下ろした。立ち上がりながら掴まれた腕を振り払い、マントの留め金を外す。横たわる体に掛けると、赤や黄色の鮮やかな木の葉が舞い上がって、黒い織物に散った。


「行ってくれないなら、私が呼びに行きます」


 さすがに怒りを感じた。

 震える声に、ジルフィーは反応しなかった。唯一言葉が通じているはずなのに、全くそんな気がしない。


「貴女が触れられてはならないのは“呪われた者”の方です」

「…………」


 見透かすように言われた言葉を、可能なら気にも留めないように振る舞いたかった。

 嫌いだ、何もかも。

 帰還にその病が絡むと思い出し、少し怖気づいた私自身も。



  ◇


 その後、近場に居た庭師見習いを捕まえて、助けを呼んでもらった。

 王子様が倒れたというだけあって、城の召使達は大慌てでやって来た。これが正しい反応だろう。倒れたのが一般人だって皆きっと、そこまで無関心ではない。

 ぐったりしたアルス王子を屋内へ運ぶ一団に、私も付いて行く。触れているわけじゃないし、邪魔にならないように距離も取っている。文句あるか。


 アルス王子は、ひとまず手近な部屋のソファに寝かされた。王族の居住区は城の深部で、遠いから。

 大勢の召使が毛布を運んだり絞った布で汗を拭いたりと忙しく立ち回り、そのうちお医者さんが到着して診察を始める。新しく人が入ってくる度一々驚いたように挨拶されるのが申し訳なくて、私はジルフィーを壁にしつつ隅の方で見守っていた。

 アルス王子は意識がないか、朦朧としているようだ。

 顔は人垣で見えないけれど、ソファから落ちた白い手が時々苦しげに握りしめられる。誰か気付いて、その腕を毛布に入れてやってよ。


 ジルフィーの無言の圧力を感じつつも、頑として動かずにいると、新たな見舞客が現れた。輝く黄金の髪、真紅のコートによく映える。

 王様だ。


「悪いのか」

「ここ近日中では、重い方です」

「そうか」


 彼がドア付近に居た医師の一人に問い掛けながら踏み入ると、こんな時でも部屋が一段明るくなったように感じた。静かな表情でソファに向かい、途中で私に気が付いて目を見開く。


「ミウじゃないか、何故ここにいる。戻らせた方が良いのではないか?」


 途中で言葉が通じないと思い出したようで、後半はジルフィーに向ける。ジルフィーは目礼を返答とした。


「居合わせでもしたか。悪いな、少し様子を見てくる」


 王様は少しだけ微笑むと、アルス王子の所へ行った。医師と静かに二言三言交わし、身を屈めて顔色を見ている。その間、出入口が少し開いて付き人らしき人が顔を覗かせ、中の召使と何かやりとりする。王様は執務で移動中だったらしい。


「私が聞き取り出来ること、王様に伝えます」

「賛成致しかねます」


 壁を背に現場を見守りつつ、私達はボソボソと他に聞こえない音量で喋る。


「どうしてですか」

「聞き取れなければ尋ねられる事もありません。仲介はそれとなく致しますのでお任せを」

「超がつくほど保守派ですね。それじゃ不便過ぎます」

「これを機に他人の本音を探られると良いでしょう」

「…………」


 言葉がわからないとなれば、周囲の対応も変化するかもしれない。

 ばれるのは時間の問題としても、それまでちょっと泳いでみろと。なんか、一番腹黒いのジルフィーな気がしてきた。


「何か問題でも。他言せぬ相手には口が軽くなります」

「……あなたがそうですもんね」


 ジルフィーは心外そうにこちらを見て、「差し控えますか」と言った。それも困る。

 王様が戻ってきたので、話はそこで切り上げになった。


「容態が落ち着き次第部屋を移すそうだ。出よう」


 促され、私はようやくその場を動く。ソファを見ると、アルス王子の片腕は毛布の中に収まっていた。



  ◇



 廊下に出ると、王様は付き人達に先に行くよう指示し、私に左腕を差し出した。


「言葉は未だわからぬままか?」


 ジルフィーは私を窺いながら「そのようです」と答えた。目を合わせないテクニックが恐ろしく自然だ。手練である。


「私はなんて言ってるかわかってるんですけどね。王様から探る事なんて無いですよどうせ」

「筆談なりとも可能ならな。言葉を教えるしかないか」


 話したいことが山ほどあるのに、一方通行なのが口惜しい。せめて今、ジルフィーが居なかったら……とりあえず今夜を待って、水読と水中で作戦会議だな。

 そこではたと気づく。

 そうか、この状態を活かす相手の筆頭は水読ってことか。

 朝ご飯の時にペラペラ言っていたのは重要なお喋りとは思えないけど、水読は私と二人になった時も、例え言葉がわからなくても何かしら話し掛けてくる気がする。本音、零すだろうか。


「どんな因果だろうな」


 不意に王様が呟き、私は顔を上げた。


「ままならぬものだ。お前も俺も、誰もかもが」


 別のことを考えていたらしい彼の、珍しく消極的な言葉に不安を覚える。

 それ以上何か言うつもりではなかったらしく、王様はすぐに私をいつもの自信に満ちた目で見返した。


「時にお前、寒々しいな。外套は預かっていないのか?」

「王弟殿下のお手元です」

「ああ、あれはミウのものだったか」


 私が上着を着ていない理由を聞き、納得したように頷く。


「大丈夫ですよ、寒くないんで」


 もうちょっとしたら冷えるかもしれないけど、まあその前に部屋に着くだろう。

 王様の目的地も近かったようで、角を曲がるとさっき先に行った侍従が壁沿いの大きな扉の前で待っていた。王様はその人に手で合図をして、一つ手前の別の扉を開けさせた。


「ではこれにて、“泉の乙女フィニアヴェラ”。部屋までお送りせず失礼をする」


 どこかおどけた調子で言うと足を止め、王様はエスコートしてきた私の手を解いた。更に少し身を屈め手の甲に口づけたので、私の顔は瞬間沸騰した。それマナーですか、ハードル高いです。

 王様はその様子が可笑しかったのか麗しい目元を眇めて笑い、一瞬ジルフィーを横目で見たかと思うと、身を翻し素早く部屋に入った――――私の肩を押して。

 カチャ、とドアが閉まる。

 え、何ごと?


「すぐ返す。心配するな」


 内側から錠まで掛けて、王様がよく通る声で言った。相手はドアの向こうのジルフィーだ。ガッ、と音を立てるドアノブが諦めたように停止する。


「さて、ミウ」


 私は、ぽかんとエメラルド色の目を見上げた。王様は唇の端を上げ、完璧に美しく笑う。

 隠し事に関して、これほど無謀な相性もあるだろうか。


「お前、言葉がわかるだろう」


 あっさりバレてるじゃん。




  ◇



「幼児でもない限りは、言葉の通じぬ者というのはおらぬ訳だ。この国ではな」


 ここは貴賓室の続きの間か何かのようで、豪華な調度品の他に誰もいなかった。


「今朝までは、言葉が伝わらないと報告を受けていたんだが。もしや話も出来るのか?」

「……それは無理です」

「扱えぬか。成る程。何が原因だろうな、徐々に戻るものであれば助かるが」


 お互い声を抑えて言う。

 意味が伝わっていなくても、目を見て何か返事すれば、王様にはどのようにかして真偽が見えるらしい。そういえば前も、声だけで見抜かれたことがあった。

 ヤバいな。例えば「ジルフィーは関係あるのか」とか聞かれたら微妙だ。いやしかし、いっそこちらからバラすという手もある。そしたらジルフィーも通訳に立つしかなくなるだろう。……リスク高いかな?


「先代の“泉の乙女”から助言でもあったのか? 耳だけが使えるとなれば確かに、都合の良い事もあるだろう。周囲に知られていなければ」

「……水読さん」


 私がその名を口にすると、王様はニヤリと笑った。この人もジルフィーと同意見らしい。そしてそう、「ミズヨミ」という単語は通じるんだった。

 ともかく、せっかくのチャンスだから何とかして少しでも意思の疎通を図りたい。王様、と呼ぶと、彼は聞き慣れない音に片眉を上げた。


「それは俺への呼び掛けか?」

「そうです。でもえっと、それを伝えてもしょうがないしな……」

「レオ」


 私を見下ろし愛称を名乗る。


「昨日は呼んだだろう?」

「…………」


 ……呼べって? 無理無理。

 あの時は、水読やアルス王子が呼んでいたのが耳に馴染んでいて、つい口が滑ったのだ。正気に戻った今はとても、ましてや呼び捨てるとか。

 赤くなって目を泳がせる様を愉快そうに笑い、王様は手を伸ばして私の前髪をぐしゃぐしゃと無造作に乱した。私は驚いてしきりに瞬く。


「俺をそう呼ぶ人間は、この先益々少ない。俺は見送る立場のようだからな」


 手が離れ慌てて髪を直す私の耳に、それは独り言のように聞こえた。

 目を上げると、肩にふわりと上着が掛けられる。同時に、しびれを切らしたように扉がもう一度音を立てた。


「あの男、面白いな。水門の生まれでなければ次代の側近に欲しかったが」


 やめた方がいいですよ、陰険なんで。


「案ずるな。お前は帰れるよ」


 鍵を開ける王様は、やはりいつものように微笑んでいた。



  ◇



「以前すげなく会食を断られたので、その文句を言っていた」


 部屋を出るなり、王様はジルフィーを見て明朗快活にでたらめを言った。全く、誰も彼も息をするように嘘をつく。嘘っていうか、冗談かもしれないけど。

 ジルフィーは微妙にピリピリしていた。例え相手が王様でも、こういうコントロール外の事をされるのは不本意らしい。真面目で実直というより、ワンマンでマイルールが厳しいのだこの人は。いい度胸しすぎ。

 豪胆と言えば一緒に残されていた付き人も同様で、険悪な空気も我関せず、改めて主人を目的の部屋へ案内し始めた。


「またな」


 王様は優雅な足取りで、両脇に門番の立つ大扉へ消えて行った。

 ……ふう、大変だった。

 閉まる扉を見送り今度こそ帰ろうと息をつくと、目の前に灰色の上着が差し出された。


「そちらを国王にお返しします」


 私は肩に掛かる、さっき庭で摘んだ紅葉のように鮮やかな生地を見る。確かに、これをあの部屋に持ち帰るわけにはいかない。


「それはいりません。寒くないので。言葉がわかること、王様に気付かれました」


 歩きながらコートを脱ぎ、門番の一人に手渡した。

 ジルフィーは冷たく私を一瞥すると、上着を腕に掛けたまま後を付いて来た。

 寒くないのは本当だった。

 その夜、私は熱を出した。



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