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雨の冠  作者: 桃宮
7.七番目の乙女
81/103

4 恋

 その後水読は、ジルフィーに何か言われて大人しく帰っていった。

 何しに来たんだと声を大にして言いたいが通じないので、自力で考察すると、どうも私の状態を「読み」に来ただけという結論になる。帰った後もサニアとかがちょっと挙動不審だったので、さっさと帰ってくれればよかったに違いない。


 しかし水読の事は一旦忘れて、私には次の仕事が色々待ってるのだ。

 まず日記帳を持ってきてジルフィーに手紙の写しを見せた。


「これの原本をもう一度見たいんですが」


 大げさな指差しジェスチャーは、リコ達へのカモフラージュである。まだあれこれ保留だからね。私この前からこんなんばっかりだなあ……。

 ジルフィーは少し間を置いてから理解したという演技(しかし無表情)をしてから、メイドさんと外付きの神官に指示を出した。そして多分「後で見られるようにした」というような事を言ったと思う。リコが安心させるように微笑んで何度か頷いてくれたので、そうとわかった。


 手続きが済むまでの間、私はクラインにお見舞いの手紙を書くことにした。

 引き出しを開け、彼からこれまで貰ったカードを全部引っ張り出して広げる。クラインとの手紙のやり取りはほぼお見舞いなので、手本に持ってこいのはずだ。

 中でも比較的シンプルな書体で書かれた、初期の手紙の文字を写す。抜粋するだけで全く同じ文章になってしまうが、向こうも事情を知っているので大丈夫だろう。


 それにしても、言葉が使えないって不便。特に紙の上となるとお手上げだし。

 以前のように、文字表と見比べて発音さえできれば耳が勝手に翻訳してくれるシステムが無くなった今、文字の勉強は更に難しくなってしまった。それさえあれば、略字なら少しは操れたのに。


 正しく書けていれば「早く元気な姿を見せてください、お大事に」というような意味の文章をどうにか書き写し、最後にメルキュリア語と漢字それぞれで「美雨」と綴って結びとした。名前の筆記練習回数は相当のはずだけど、未だにお手本を見ないと危うい。

 サニアに間違いないか見てもらい、宛先は蝋封を指差して伝えた。

 鷲のような彼の印は鷲じゃなくて隼だそうだ。猛禽類は目が良いとされていて、生まれたばかりのクラインの、茶の混じる瞳が印象的だった事から決められたらしい。

 それを思い出し、封筒を閉じながら少し落ち込む。臥せっているクラインは、果たして手紙を読めるだろうか。目が見えないかもしれないのに。




 応接間に戻ると、黒い外套が用意されていた。それを着込み、日記帳を持って出掛ける事になった。行き先は昨日の部屋のようだ。あの手紙は持ち出し禁止らしい。

 部屋を出ると、ジルフィーとハノンさんが待っていた。


「後でお話出来るようにしてください」


 どうせ該当者にしか意味はわからないので、独り言のように言い冷えた廊下へ踏み出す。なんて言ってるんだろう、と窺う様子を見せるハノンさんとは裏腹に、ジルフィーは無反応だ。

 行きは寄り道することもなく、昨日の部屋に着いた。


 部屋には神官長の爺さんと、高官らしき神官が数人待っていた。

 昨日のテーブルに、同じように銀盆に乗せられた手紙が置かれている。私は日記帳を開き、一文ずつ正誤を確かめた。添え状の方はわからないが、英文の方は一句違わず書き起こせていた。グッジョブ私。人間必死になれば何でも出来るのだ。


「すみません、この中に私の言葉がわかる人はいますか?」


 文章の検証を終えて、もう一度言ってみる。神官達はもとより、爺さんもわからないようだった。その反応を信じるなら、やっぱりジルフィーだけが特別なんだろう。

 諦めて手紙に戻る。

 “悲恋”の手書きのものは、今日もまた横書きであるかのように置かれていた。眺めて、私はすぐに原因に気付いた。

 印章の向きだ。

 添え状と同じ向きで捺されているせいで、どちらも紙が縦長になるように揃えられているのだった。この方向が縦書きに対応していたなら、私はもっと早く日本語で書かれていると発見しただろう。


 ……これ、“悲恋”がわざとそうしたんだろうか?

 そこはかとなく不吉な予感がよぎる。

 意図的だったり単に他の人が頼まれて捺してこうなっただけなら良いけど、“悲恋”の印であるにも関わらず、それを本人以外が扱える状況にあったなら、あんまり宜しくない気がする。王様の言っていたような、塔に囲われていて本人に権限がない状態だった可能性を考えて。


「『我らはあなたが選べるように尽力する』……」


 “悲恋”は当時、選べたんだろうか。

 我らは、が他の“泉の乙女”を指しているのなら、“悲恋”は過去の“乙女”達の様子を知っていたのか?

 なんとなく、かつての彼女達は私の比じゃなく苦労したんだろうと思った。

 名前しか知らない、不思議な力を持った本物の「乙女」達。


「『あなたには逃げるすべがあるのだから』」


 まるで、本人達にはそんなの無かったみたいじゃないか。

 私はこの手紙の内容が、「六番目」の私にも当てはまる事を強く願った。




 その後、部屋に戻る事になったが、帰り道がまた大変だった。


 私はジルフィーに例の件を頼みたい。

 ジルフィーは絶対に他人の前では秘密を明かさない。疑われるような事もしたがらない。

 部屋を出た今はチャンスだ。ただしハノンさんを撒ければ、だけど。


「ちょっと散策したいんですけど、ってのはどうですか? 私達話さなきゃいけないですよね」

「*******?」


 答えたのはやっぱりハノンさんだ。ああ、誰かさんに比べてなんて親切な人だろう。嘆きつつ、さり気なく誰かさんの顔色を窺う。……うん、「あり得ないだろふざけんな」という顔ではなさそうだ。概ね同意と見ていいだろうか。こんな時くらい、もうちょっと表情付けてくれると助かるんですけどね。

 まあいいや。


「あ、珍しい鳥!」


 とりあえず、指差して叫んで走り出す事にした。強行突破である。


「*******!?」

「*******」


 ぎょっとしたハノンさんの声がして、ジルフィーが何か答えている。

 程良い距離で落ち葉に気を取られたように立ち止まっていると、まんまとジルフィーだけがこちらへやってきた。多分、散歩だろうから付き添うとか何か適当に言ったんだろう。人の良いハノンさんは、そのまま納得して部屋に戻るようだ。

 私は、植え込みの上から赤く色付いた葉っぱを拾い上げながら切り出す。


「大変申し上げにくいのですが、血を少々頂けませんか」


 本当に申し上げにくい。


「*******」


 顔を上げた私をじろりと見て一言言うと、ジルフィーは庭の奥へ歩き出した。ついて来いという意味と解釈し、私も後を追う。

 塔の庭は広くて基本的に見晴らしがよく、木々もこざっぱりと刈り込まれている。ジルフィーは通路を抜け城の庭の方へ進んだ。こちらは建物が込み入っているし庭の趣向も違う。建造物や垣根が多く死角は豊富だ。


 ざっと周囲を確認し、ジルフィーはレンガ積みの壁の角を曲がり陰へ入って行った。ここなら、人がよく通る回廊の方からは見えない。加えて木立で視界も遮られている。

 更に奥の死角へ進むよう示され、従うと彼はすっと懐へ手を入れた。取り出されたのは勿論、あの黒い短剣だ。鞘を抜く所を目にすると、事情のわかった今でもドクンと胸に緊張が走る。

 ジルフィーは淡々とした手つきで抜身を滑らせ、また左手の親指の外側に傷を付けた。見てるだけなのにうわぁ痛い。

 身を竦めている間に、手が口元に差し出される。私は人差し指でちょろっと触れて赤い血を採り、それを舐めた。


「言葉がわかりますか」

「……はい」


 返事をして、不覚にも物凄くほっとした。たった一人でも言葉の通じる相手がいるという事は、なんて大きな事なんだろう。相手がこの人なのは運が無かったけど。表情も読みにくいし、頼み事もし辛いし。


「ジルフィーがハノンさんだったらよかったのに」

「彼が私の立場であれば、今頃貴女は彼の幼子の血を啜っているでしょう」


 的確に嫌なこと言うもんだ。

 苦々しく思う私を見て、ジルフィーは心なしか呆れたようだ。


「感情を顔に出さないようご注意ください。勘付かれます」

「……その件ですけど、無理かもしれないですよ。私だって好きで顔色読まれてるわけじゃないんです。それに別に私が言葉がわかる事と、それがあなたに関係している事は結びつかないんじゃないですか? どうせ説明も出来ないし」


 そう、説明出来ないし……ん?

 用意してきた答えを告げながら、何か引っかかりを覚える。が、何故なのかよくわからない。

 まあいいや、今は続きだ。


「言葉がわかる事だけでも伝えれば、意思疎通も可能じゃないですか。なんだかわかんないけど聞き取りだけは出来るようなりました、で大丈夫ですよ」

「貴女の顔については一理あります」


 ジルフィーは鉄壁の無表情でそう言った。顔だけですか。しかしなんだ、初めて同意を得られたな。これでイエス・ノーくらいは伝えられるかな。

 安心していると、血の流れる親指がずいっと近付けられた。


「えっ……」

「止まるまでは差し上げます。何度も切らせないてください。業務に差し障ります」

「……すいません」


 口元に差し出された指を、私は複雑な心境で見返した。どんな理由であれ、自分のせいで怪我をさせているから悪いとは思う。でも直接はちょっと。


「彼の方と何が違うのですか」

「…………」


 水読は、セクハラとかは言うまでもなく最悪だけど、見た目的にはあんまり男性っぽさを感じない。力仕事とは無縁な滑らかな手に唇を寄せても、あまり自分のそれとかけ離れた感じがしないのだ。それに多分、あの人は言葉より先に手荒なことはしないだろう。お喋りを好むタイプだから。言ってからする、という可能性は置いといて。


 対して今触れているこの爪や節のしっかりした大きな手は多分、その気になれば片方だけで私を絞め殺せる。

 力って理不尽だ。でも、怯えを見せるのは癪だ。。

 私は仕方なくその手を掴み、赤く血の浮き上がっている所に口づけた。血が口内へ入ると、じわっと唾液が湧き出してくる。不快感を覚える前に飲み込んでしまおうと、体が働いているんだろう。

 離すタイミングが頭をよぎった瞬間、まだだと言うように残りの指に顎を捕えられた。添える程度の力だったが、やっぱり体が強張る。

 頭上からの視線を感じながら、平静を装って数を数えたのは意地だ。

 しかしたった三つ数えた時、パッと手が離れた。顔を上げると、ジルフィーは木々と壁の向こう振り返っていた。


 ざくざくと落ち葉を踏む音が聞こえる。

 ――またか。

 私はくるりと向きを変え、壁に這う蔦の葉を一枚摘んだ。もう一か八かで隠れるのはご免だ。今回は屋外だし、適当にごまかせるだろう。赤やオレンジに染まった蔦葛はとても綺麗で、異邦人の目を引いたっておかしくない。

 庭師とかなら、私達を見つけてもそっと引き返す。偶然会った“泉の乙女”に話し掛けるのは、皆失礼だと思っているらしい。黒い髪は遠目でも一目でわかるので、そういう意味では便利だった。

 ただ相手も偉い人だと、そうもいかないんだけど。


「……ミウ?」

「え」


 その声にギクッとする。最近運が悪い。なんでまた、よりにもよって。

 通り掛かった相手は私と同じく、堂々たる黒髪の持ち主だった。


「お前……何やってんだ、こんな所で」


 そっちこそ、なんでこんな塔との境目みたいな所をウロウロしてるんですか。


「あの、えー、散歩がてら紅葉狩りと言いますか」


 微妙に振り向き、摘んだ葉っぱを落ち着きなくくるくるさせて答えると、アルス王子は不審げに眉根を寄せた。


「何て言った?」

「あ」


 そうだ、通じないんだった。

 色々尋ねられたらどうしよう、と固まっていると、ジルフィーが私に「戻りましょう」と言った。

 なるほど、アルス王子の事は無視するようだ。余計な事を訊かれたくないらしい。それにあの手紙、“呪い”と黒目か黒髪の王族に気を付けろ、という下りもある。“悲恋”によれば、アルス王子は最重要警戒対象である。

 しかし私は、それらと全く別の理由でジルフィーの後を追うことにした。


 実は、アルス王子と顔を合わせるのは久しぶりだった。私はこの数週間、彼を避けていたから。具体的には、お見舞いに来てくれたあの日以来。


「待てよ、何で逃げんだよ!」

「ごめんなさい、また今度」


 彼のわからない言葉でそう言って、そそくさと逃げ出す。目を合わせてはいけないと思ったから、視線は裾を気にするように地面に落としたまま。

 だってその声だけでも、空気を伝わる動揺だけでもこんなに雄弁なのに、それ以上を見たら誤魔化せなくなってしまう。逆に言うとそのきっかけを得るまで、私はまるでニブチンだったわけだ。そりゃあもう、カマトトか養殖かと言われても返す言葉が無い程度にはニブニブだったのだ。本気で、その発想がなかったから。


 アルス王子が私に恋する可能性なんて、これっぽっちも、考えてもみなかった。


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