3 不遜な協力者(2)
「それで全文ですか」
「はい」
私はきっぱりと頷いた。
出来る限り約束をしてはいけない。
手紙の写しを見せてその事を説明し、クリアする為にせめて橋渡しをしてもらわないと困ると言ったのに、ジルフィーの主張は変わらなかった。ちゃんと訳して教えたのに!
「何でですか、それじゃ話が進まないじゃないですか!」
「『秘密を知られてはならない』とあるのでしょう。私の一族の持つ力は貴女方の秘密に当たります」
な、なるほど。冷静な言い分に踏みとどまる。ジルフィーの家の秘密は“泉の乙女”の秘密でもあるのか。
「でも言葉の勉強してる時間は惜しいんです。『七番目』に宛てた手紙なら、私は関係ないかもしれな」
「ならば成約の有無も同様でしょう。次代に当てはまる事ならば、自身にも適用されるとお考えになったのでは?」
「…………」
その通りだ。うむ、どう考えても私より相手の方が出来がいい。
「約束事の解消はいつでも出来る事です。せめて雨が戻り月が動いた後にすべきかと。特に婚約書の件は貴女が直接交渉の席に着かずとも、塔からの根回しで動かせる可能性もあります」
なるほどなるほど。
私は腕を組み、俯いて考えるフリをした。顔を見られたら色々バレる可能性を考慮してだ。
今日という節目を迎えた今、私はジルフィーが思っている程この国に長居するつもりはない。どうしよ、言っちゃう? もう雨戻ってます、水読と話がついてますって。出来ればこの手の話は真っ先に王様にしたい所なんだけど……。
ああでもない、こうでもないと悩む間、ジルフィーはジルフィーで冷静に状況を分析していたようだ。
「対処は慎重にとご忠告申し上げます。ご書状とご尊名の開示を許す期日について添え状以上の説明は伝わっておりませんが、言語の不通は恐らく無関係ではありません。これまで貴女が言葉を話せた事実を考慮して、意図されていると考えるべきです」
「意図って、“叡智”か“悲恋”がわざと言葉をわからなくしたって事ですか?」
「その後にご書状を読まれるよう取り計らったのでは、という事です」
あの自動翻訳がこれまで存在していて、急に消え、代わりにジルフィーの一族の血を頼れと残されていた。“叡智”だか“悲恋”だかの力が時期でやむなく尽き、それを取り戻す為の助言であるなら、血を与えられたら元のように相互の翻訳機能が復活したっていいはずなのだ。
勿論、そう「出来なかった」とも考えられるけど、ジルフィーは敢えて「しなかった」のでは、と指摘している。
つまり、私の言う事が誰にも彼にも伝わったら困る事情があるのでは、と。
もしもかつての“乙女”達が後続の事を思ってそうしたなら、迂闊に無視は出来ない。
それにしても、“叡智”だか“悲恋”だかの指示って、漠然としすぎて困るな……。
王様の方は今ジルフィーが言った通り別ルートから何とか出来るかもしれないけど、水読の方は言葉が通じなければどうしようもない。「教えたいけど教えられない」という結果であの人納得するだろうか? どちらにしても、帰るためには水読とスムーズに話せないと不便だ。
「『知られてはならない』の対象は、読む限り王族でしかも“呪い”か“黒”を持っている人だけって感じもしますが……通訳、水読さんだけにでも」
「彼の方との約束はいつ交わしたのですか」
「昨夜部屋の前で言われたんです。扉は開けてません。開けてませんって」
ちょっとしか。
疑うように目を眇められ、私は慌てて視線を逸らしメモ書きを見返した。
「“死の海”を思わせる文はありましたか」
「“死の海”? いえ、何も……って事は何かあるんですね?」
「無いのでしたらそれで」
「ずるくないですか、そっちばっかり」
ジルフィーは素知らぬ顔だ。
ぐだぐだと押し問答をしているとご飯の支度が済んだらしく、また部屋にノックが響いた。
「わからない振りをなさるように。これ以上は怪しまれます」
(言葉が)わからない振りと、これ以上(二人でいるの)は怪しまれます、ね。はい。
「私、まだ納得してませんから。ひとまず結論は保留という事で」
「結構です。先の方々が何故忠言を代筆させなかったかをお忘れなきよう」
素っ気なく言うとジルフィーは一足早く動き、先程放り投げたナイフを回収した。同じく拾った鞘に収め懐に入れ、何事も無かったかのようにドアを開けに行く。
私は溜息を吐き、日記帳を閉じて引き出しにしまった。
◇
食卓の用意された部屋へ出て行くと、リコとサニアがすぐに世話を焼いてくれた。
「食べられそうなものがございましたら、お取り致しますからね、ミウ様。……言葉が通じないとなりますと、どうしたら良いのかしら」
リコはとても心配そうだ。チラッと壁際のジルフィーを気にし、視野を遮るように私との間に座る。ジルフィーと私が二人きりだった事を慮っているようだ。ここの所私が彼を苦手としていたのを察していたらしい。そうです、胃痛の原因あいつです。
「お飲み物はいかがしましょう? こちらはいつもの薄荷のお茶ですのよ。ほら、いい香りですわ……」
もう一方のりんごのお茶とを、ポットの蓋を取って聞いてくれる、その母性的な優しさに切なくなる。リコはいい人だ。きっと私を嫌っているわけではないし、私も彼女が好きだ。色々、私の方で事情が複雑なだけで。
スープを中心とした軽い夕食を摂った後、水読が訪ねて来た。
「顔色はあまり良くないですね。やはりまだ、言葉はわかりませんか?」
……おお。わかるわかる。
しかしそうは言わず、戸惑うような表情を心掛けてぼんやり見返すに留めると、水読は私を見つめ子供のように瞬く。
「期日の意味がこのようなものだったとは思いませんでした」
「水読さん、私の言葉わからないですよね……」
お互いに、通じないなりに勝手に話す。帰還とか絡まなかったら、これはこれで別に困らない事が判明した。水読と日頃語り合いたい事とか特に無いし。
出されたお茶を飲み途方に暮れていると、見張るように同室していたジルフィーが水読に交渉をふっかけ始めた。なんか今夜から上の部屋に行くのをやめてもいいだろう、という話だ。
「何故貴方が私に口利きをするんですか?」
「火の無い部屋ではお体に障ります。近頃はお食事もあまり進まないご様子」
私についてである。いけしゃあしゃあと言ってくれる。食欲不振とか誰のせいですか、結果は望む所だけど。
「良いでしょう」
水読は不服そうながら、意外にも承諾した。私は「えっ本当!?」と言いそうになり、必死に取り繕った。
なんとなんと、遂に不本意な同居解消ですか。
一悶着は覚悟していたので、このあっさり具合には拍子抜けだ。どうもジルフィーは以前から水読に結構にうるさく言っていたようで、「せめて77日を過ぎるまでは」という区切りも聞いていたらしい。
よって今日は入浴の後コートを着込んで塔を登る必要もなく、そのまま温かい部屋で眠れる手はずになった。二人きりではないせいか、水読は帰還に関しては一切触れずに帰っていった。
「ミウ様もお疲れかと存じますわ。今晩はこのままお休み頂きます。お話がありましたら、また明日以降……」
寝室に入る前、リコがジルフィーにそう言っているのが聞こえた。
ジルフィーはそもそも異論がなかったらしく何も言わなかったが、ドアが閉まる直前、視線で釘を刺してきた。
わかってますよ。でもあくまで保留だからね、保留。
◇ ◇ ◇
暖められた部屋、干し立てのようにふかふかの羽布団。ネグリジェもそのまま、ガウンを着て寝なくていいから肩が軽い。何より椅子を動かさなくていい。
布団を捲ってもらって絹のシーツに素足を滑りこませ、しっかり肩まで毛布を掛けられ寝心地は上々だけど、私はリコ達が出て行ってしばらく経つとベッドを抜けだした。
暖炉ではピンク色の炎が、とろとろと眠るように燃えていた。
闇の中で部屋履きを履き、机から日記帳と燭台を持ってきて暖炉傍にしゃがみ込む。火の明かりだけで文字を読むのは難しそうなので、蝋燭を燭台ごと薪に近付けて火を移す……あ、ヤバいヤバい蝋燭めっちゃ溶けた。こりゃ夜更かししたことバレるな。
ともかく燭台を持って傍のソファセットに移り、日記を開いた。
急いで書いた雑なアルファベットの文字列は 揺れる蝋燭の火に照らされて映画の世界のように重々しい。
眺めながら、ジルフィーの言っていた事を考える。
“悲恋”と“叡智”は、何故こちらの言葉で手紙を残さなかったのか。
そして、一方通行の言語能力。
シンプルに考えれば、やっぱり手紙の内容を現地人に知られたくない、という事だ。
宛名はどうして『七番目』なんだろう。
私が“悲恋”なら、次に呼び出されるであろう人間に宛てて手紙を書く。実は私が七番目なんだろうか? どこかの時代で一人、こちらの人に認識されていない“泉の乙女”がいたのかもしれない。……いや、それなら“悲恋”もその事を知らない可能性の方が高くないか? それに“悲恋”の印はちゃんと五花弁だった。
末尾の一行を読み上げる。
何を思ってこれを書いたの?
「……石置さわ」
その時急に視界が暗くなって、目を閉じていた事に気付いた。猛烈な眠気が原因だった。この手の眠気には覚えがある。水を引き過ぎた時と同じだ。
この場で倒れ込みそうなほど頭がぐらぐらして、私は慌てて火を吹き消した。気力を総動員して立ち上がり、ふらふらとベッドに戻って倒れ込むと意識は一瞬で途切れた。
気付くと水の中だった。
「美雨さん!」
「…………?」
水核か。薄青い独特の世界を確認する。
「美雨さん、言葉、わかりますよね? 大丈夫ですか?」
「あ。わかります」
目の前でフワフワ浮いているのは水読だ。
答えると、水読はホッとした様子を見せた。
「急にお話が通じなくなってしまったので驚きました。不便でしょう、困りましたね」
「そうですね……あの、なんで今は話せてるんですか?」
「肉体を離れているからですよ。喉を使って話しているわけではありませんから」
水読はその説明を、口を全く開かずに言ってのけた。腹話術みたい。
ひらひら水に靡く白い袖と、長い長い髪を視界に泳がせながら、私はさっき水読がそれ程慌てた様子でなかった事に合点がいった。私とは、こうして話すことが出来ると知っていたからだ。
「そうだ、手紙の内容なんですけど」
自分の用事を思い出す。こんな裏ワザがあるなら助かった、ジルフィーを説得するなんて大変過ぎるもんな。
しかし何故か文章や帰還の条件について話そうとすると、頭が真っ白になり言葉が出なくなってくる。
「ええ、なんで……」
「話せないんですか?」
「なんか、よくわからないんですけど」
頷くと、水読が首を傾げる。
「言語の管轄は水なんですよね。条件で動作するように、“悲恋”の方が制約を設けていたのかもしれません」
水読は顎に手を当てたままふわっと移動して、私の周りをぐるぐると見て回った。
「この光るものが原因でしょうか。前には無かったですよね」
「光るもの?」
「美雨さんの周辺だけ、光が反射する箇所があるんです。動くとわかりますよ」
言われて、腕を動かしつつ自分の背中を振り返ってみた。ついでに自分が寝間着姿だと気付く。ちょっと嫌だなと思った次の瞬間には、いつものガウンを羽織っていた。なんなんだ水核。謎の空間だ。
改めて周りをよく見てみると、確かに角度によって所々ピカっと光る部分があった。角度が変わると、ただの水に満たされた場所に見える。あちこちに手の平大の、楕円形の極薄アクリル板でも浮いてるような感じだ。
「これ、あったらまずいんですか?」
「いえ……害は無さそうですが。でも、よくわからないので消しておきますね」
正面に戻ってきた水読が左手を揮うと、白い袖が翻り水流が起きた。ごうごうと風のようなそれを浴びると、髪がめちゃくちゃに乱れる。そういえば髪、随分伸びたなぁ……。
しばらく流れに晒されて、いつの間にか水核も水読も消えていた。
◇
目を覚ました私は癖で湯たんぽを探し、代わりに日記帳を抱きしめた。昨夜そのまま持ち込んでいたらしい。
窓の外で鳥が鳴いている。珍しく薄曇りで、白い空が眩しい。時計を見ようとして、この部屋には無かったと思い出す。
伸びをしてベッドを下りた。暖炉は薪をくべられた形跡があり、テーブルに置きっぱなしにした燭台は片付けられていた。うむ、何時だ。
気持ち急いで隣のドアを開けると、応接セットの所に淡い水色の髪が見えた。あれ、また水読か。と思っていたらリコがすっ飛んできて、元の部屋に押し込まれた。
「*******?」
「え」
聞こえた声にぎょっとする。うおお、もう切れたのか血の効果! 一晩って短くない!?
動揺している内にもう二人メイドさんがやってきて、三人掛かりで身支度をさせられる。なるほど、確かに応接間に居るのは寝間着で会いたい相手ではない。
棒立ちの間に身ぐるみ剥がれてコルセット風の下着に変えられ、顔を拭かれ、ベージュに桃色の花束柄のサテンのドレスを着せられた。腰の後ろに同色のサッシュで蝶結びを作って完成だ。髪飾りは、バラの蕾のポプリを束ね宝石とリボンをあしらったバレッタ。
参った、新作だ。いつ作ったんだろう、そして私は一体何枚服を持っているんだろう。これ着るの、今日が最初で最後かもしれないのに。
隣へ出て行くと、水読が立ち上がって何かコメントした。やっぱり聞き取れない謎語仕様で、仕方ないので「わかりません」と答えておく。主に壁際に向けて。ジルフィー、聞こえましたか。そういう事らしいですよ。
ソファーに近付くと、水読が流れるように私の両手を取り真横に座らせた。すぐに距離を取り手を引き抜こうとしていると、サニアが何か尋ねてきた。またわかりませんと答えて困った顔をしていると、代わりに水読が何か答えた。
今日の水読は、ここ数日の面影もなく完璧ににこやかだ。久しぶりに見たな、外面復活か。
サニアが頷いて離れていき、メイドさんが何人か控室へ消えていく。
時刻は朝9時半頃だった。
「*******」
水読が私の手を持ち上げ、額に当てた。そして、どうも腑に落ちないような感じで何か言ってくる。わからないけど。
やがてメイドさん達がワゴンを押して戻ってきて、テーブルが整えられ席移動となる。水読も一緒だ。どうやら、さっきのは朝食の伺いだったらしい。てっきり二人分あるのかと思ったけどそんな事はなくて、私の為に温かいスープやパン、小さく切り分けられた果物などが並べられていた。
「水読さんも良かったらどうぞ」
「*******」
自分だけ食べているのも何なので、フルーツのお皿などを手で示す。
水読は実に品良く首を横に振り、リコの淹れたお茶だけを口にした。白い絹地の肩にしだれ掛かった水色の髪が水面さながらにぴかぴか光り、なんだか、水の精とでも一緒にご飯食べてるみたいだ。この人とはいっそ、言葉が通じない方が平和かもしれない。
「*******、***ミウ?」
「はい。わかりませんけど」
「*******?」
「はい。おいしいです」
「*******」
「通じなくてもお構いなしですもんね」
「*******」
「……懲りないですね、水読さん」
こうも積極的に話し掛けられると、当てずっぽうで応報しているのに実は伝わっているんじゃないかと不安を覚える。この中で両方の意味わかってるのが、某ポーカーフェイスの一名のみっていうのがまた……って、ん……?
「なんであの辺、赤くなってるんですか」
「*******?」
ジルフィーの反応を窺おうと目を上げて、私はリコやサニア達メイドさんが恥ずかしそうに頬を染めているのに気付いた。皆、微妙に気まずそうに目を逸らしている。
……ちょっと待て、なんでどんどん赤くなっていくんだ。
「*******」
「何を言ってるんですかさっきから」
「*******」
「水読さん。なんか変なこと喋ってるでしょう!」
ジルフィー!
ぐわっと視線を送ると、一人だけまるで無表情のジルフィーは、二本指を揃えて首の前を横切らせた。殺ってよしですか。
壊れたラジオみたいな水読を止めるため、私はその脳天にチョップした。
なんだこのカオスな朝ご飯。




