1 悲恋の手紙
“泉の乙女”の二つ名の由来なら、真っ先に尋ねた。
最も多くの情報が残っていたのは、やっぱり“悲恋”だ。
“悲恋”の謂れは単純なもので、諸説あるものの大体は「誰かとの恋に破れたからだろう」という事だった。
相手は答える人間によって違い、城側なら当時の王子様と恋仲だったと言うし、神官なら水読か神官の一人と、と言う。その代の王様は高齢で“悲恋”と年齢が釣り合わなかったようだけど、水読とはそこそこ合っていたらしい。
因みにこれは市井へ下りると多分、「実は名も無きとある青年と……」とかになると思われる。皆、自分と近い所へ持って行きたいのだ。
また悲劇の流れにも色々あって、“悲恋”が振った説と相手の男性が振った説、お互いに好き合っていたが泣く泣く別れた説があり、結末として“悲恋”の帰還説と人身御供説、悲劇の末に身を投げた説などがある。
事実がはっきりしないお陰でバリエーションも付け易いらしく、“悲恋”はある種の語り草としては人気のようだ。特に、恋人の為に泣く泣く生贄に……というパターンは、聞くも涙語るも涙、近年の歌唄い達の鉄板だとか。
参考になるようなならないようなそれらも、一応日記にメモしてある。
一番最近の“悲恋”がそんな風なので、他もアバウトである。
“叡智”は多分なんか色んな事を知ってて知恵があったんだろう、“甘受”はなんか大人しくよく言う事でも聞いたんだろう、“変異”はなんか変異したんだろう、“原理”はそのまま、最初だったから原理。以上。
脱線したけど、“叡智”の書き置きにはまだ続きがあった。
――もしもあなたが望むなら。
「遥か過去からの因果があなたの命運を捉えぬように」の後だ。
『もしもあなたがその運命に立ち向かい、仕組みを変えることを望むなら、
我々はあなたの“革命の番号”に賭けましょう。
我々の名前を用いて、太陽の目の下に夜を明かしなさい。
その筆頭は“黒”であっても“呪われた者”であってもいけない。
私の名の、七夜までは核心に至らない。
それより先は心してかかりなさい。
無理をしないように。
あなたには逃げるすべがあるのだから。
困難があれば、添え状の代筆者の縁者を訪ねなさい。
“エリア”――“叡智”の意――と呼ばれる者に誓いを立てているので、その家の末の血はあなたのものです。
当代 “泉の乙女” サワ・イワオキ』
読めば読むほど、わけがわからなくなってくる。
私は重い頭をもたげ、左脇の神官服に尋ねた。
「“叡智”の名前って何なんですか……?」
「タキ様でございますか?」
「え?」
聞き返すと、爺さんはすぐに答えてくれる。
「“叡智”様は、『タキ』様とおっしゃる方でございます」
タキ? え?
「じゃあ、“悲恋”は……?」
「“悲恋”様は、『サワ』様でございます。お二方の前の“甘受”様が『ミヤビ』様、その前の“変異”様が『ミオ』様、初代の“原理”様が『ミミコ』様となります」
「……あ」
ああ、タキサワじゃなかったのか! 「タキ」と「サワ」なら、まぁ昔っぽいかもしれない。納得納得、いや違う納得出来ない。なんで“叡智”の手紙に“悲恋”の名前が書かれてるんだ!
周囲の視線を気に留める余裕もなく、改めて三枚の手紙を見比べてみる。“叡智”の手紙は、他の二通に比べて明らかに年代が古い。紙の状態からして同時期に残されたとは思えない。
ええと、じゃあ……“叡智”の手紙と、添え状の最後は署名だった。“悲恋”の手書きの方はどうだろうか? 印の捺された付近を見ると、他の文より短く何か書かれている。多分、これも名前だと思う……ん、なんかこれ……。
「ああっ!?」
私は声を上げながら、手紙をくるっと90度回した。これ漢字……か!?
“悲恋”の手紙は、よく見たらちゃんと日本語だった。でも達筆過ぎて読めない。掛け軸とかに書いてありそうな、ものすごく崩した字だ。こちらの細い羽ペンで書かれているから、雰囲気が違ってぱっと見何だかわからない。
でも日本語だと認識すると、頭はなんとかそういう視点で読み解こうとし始める。
じーっと眺めて、どうやら最後の一文は「石置 さわ」と書かれていると判別出来た。“叡智”の署名と一致する。「岩」じゃなくて「石」に見えるけど。
他の文も一行ずつよく見比べてみると、“叡智”の英文と“悲恋”の手紙は全く同じ内容が書かれているらしいとわかった。
「なんでこうなってるんだろ……あの、これ、内容は同じみたいです。“叡智”の方は、“悲恋”の手紙の内容を別の言語に訳したものらしくて……」
「……*******?」
「えっ?」
顔を上げ爺さんに話しかけた私は、その返事が聞き取れなくて固まった。
「すいません、もう一度……」
「*******、*******?」
「えっ……待って、なんて言ってるかわかりません!」
どういうこと、爺さん!?
「ミウ?」
「王様……!」
焦る私を王様が呼ぶ。一瞬ホッとしたけど、ひしひしと不穏な予感がする。
「*******?」
「やっぱり駄目だー!」
思わず頭を抱えて叫んでしまった。だって、めっちゃ発音いい「miu」でした! 何でいきなりこうなった。言葉がわからなくなるなんて書いてなかったよね!?
“叡智”の英文を読み返すが、どこにもそんな話はない。というかなんか、肝心な事が何も書かれてない。“二の月”なんて掠りもしないし、どうしてこの三枚の手紙が残っているのか、どうやったら帰れるのかも書かれていない。
取り乱していると、クラインが心配そうに何か話し掛けてくる。わからない。水読も話し掛けてくる。
「***ミウ?」
名前しかわからない! そして向こうも、私の言っている事がわからないようだ。
「私の言葉わかりますか!? わかってたら、誰でもいいので右手を上げてください!」
「*******?」
ほらやっぱり……! 部屋中見回してみても、右手を上げる人なんて一人もいない。どうしようと呟きながら、自分の声に意識を向ける。今までのように、こちらの言語が被って聞こえない。
水読はこの状態でも、私を日本に帰してくれるだろうか。くれるならいつ。今日? 明日?
「水読さん……!」
「***ミウ、*******、*******?」
水読は戸惑った様子で、私に何か尋ねてきた。なんか、どうしたんだとか落ち着けとか言われているような気はする。が、それがわかった所でしょうがない。
「駄目だ、ちょっと待ってください……」
身振りでそう留め、“叡智”の手紙を見返して眩暈がした。
――こちらの者と、出来る限り約束をしないこと。
――既に結ばれた約束があれば、全て果たすか、反故にしなさい。
私は水読に、“悲恋”の手紙になんと書かれていたか教えると約束している。
そしてもう一つ、王様と交わしたあの婚約書は、経緯はともあれ本物だと。
「ミウ」
「王様!」
クラインの涼やかな声が私を呼ぶのと同時に、私は切羽詰まって王様を振り向いた。被ってしまったので、クラインに「何?」と視線で答えている間に、王様が何か私に言いながら隣へ進み出てくる。多分「どうした?」とか言われたんだと思う。
「どうしたらいいかわかりません」
「*******?」
「わかりません……」
言葉って戻るのかな。私、こっちの文字を書けない。添え状を見ても読める気配がない。あんなに覚えようとしたのに。
王様が、私を落ち着かせるように肩に触れた。私の言葉を理解しようと、蝋燭の火を映した宝石のような目がじっと見ている。
「王様――」
魅入られたようにそれを見返し呼び掛けて、これすら伝わらないと思い至った。固有名詞じゃないから。
そう思ったら、もう口にしていた。私、結構テンパってた。
「レオ」
切実に呼ぶと、王様ははっとしたように目を見開いた。その向こうのクラインもだ。二人はとても良く似た表情をしていた。
絶対的に違っていたのは一つ、クラインの左目だった。
半分以上前髪に隠されたその模様が、みるみるうちに黒く濃く色付いていく。短い呻きと共に、その体が倒れる。
「クライン!?」
手を伸ばしたが、届く前に後ろから腕を引かれてガクンとなった。止めたのは多分水読だ。代わりに王様がクラインを支え、すぐに周囲に何か指示を飛ばした。
部屋中にざわめきと緊迫が走る。
私は水読に肩を抱かれあっという間に、押されるようにして出口へ連れ出された。ジルフィーとハノンさんがすかさず付いて来る。
廊下に出て、理由を聞く言葉も、馴れ馴れしく触るなという言葉も言えないまま、4階の部屋まで早足に送り届けられた。
◇
部屋に戻ると、リコやサニアや他のメイドさん達が出迎えてくれた。急ぎ足で来たので暑くて、私はすぐにケープを脱いでリコに預けた。
「***ミウ、*******?」
「ごめんなさい、わかりません」
水読が何か言うのに首を横に振って答え、すっと離れる。そして強引に書き机のある奥の部屋へ引っ込んだ。水読はずっと心配そうで色々聞いてきたけれど、私は一刻も早く一人になりたかった。
一人で考えたかった。
手早く灯りを点けてくれたサニアが出て行くと同時に、机の引き出しから日記帳を取り出して開く。ランプを引き寄せ、インク壺を倒さん勢いでペン先を浸し、覚えている端から文字を書き出した。
“叡智”の手紙の英文をだ。
後からもう一度見せてもらいたいけれど、そう伝えられるようになるまで時間が掛かりそうだから。
日本語と英語と迷って、原文のままで起こす。早く早く。早くしないと忘れてしまう。それが終わったら、次は添え状に移る。こちらは神官の声を思い出し、聞こえたままに日本語でメモした。ボールペンと違って、何回もインクに浸す手間が煩わしい。粗い紙の目に引っかかるのも。
クラインの容態が心配だ。でも私は薄情だ。
彼の事よりも、何より真っ先に自分の未来を心配している。
記憶にあるだけ粗方書き起こし、何度か確認をしてペンを置くと、改めて内容を読み込んでいく。
英文に他の解釈は無いか?
的外れな訳をしていないか?
落ち着け。落ち着いて考えなければ。何回か音読もしてみた。これ以外の訳は無いと納得するまで。
とある一文に目を留める。
――我々の名前を用いて、太陽の目の下に夜を明かしなさい。
「我々の名前」というのは、“悲恋”の「サワ」だけじゃなくて、他の“乙女”達のものも、という事だろうか。私は含まれているんだろうか?
太陽の目の下に、というのは、“尋問”をするという事であっているだろうか。誰に? 私に?
アルス王子が尋問していた時は、ブロット氏の名前を呼んで行っていたはず。今はもういない人物の名前をそこに当てはめて尋問すると、どこから答えが出てくるんだろう?
インクの乾き切っていないページを食い入るように見つめ、行間に問いかける。
……いや、待った、落ち着け私。これは「帰りたい場合」の忠告じゃない。無理をするなと書いてあった。逃げてもいいと。
その前の、元の家に戻りたいなら、と始まる文に目を戻す。
「呪われた王族と、黒目か黒髪に気を付けること」。
気を付けるってどう。接触するなって事だろうか。水読を頼れともあった。言葉がわからないのに、どうやって? 約束を解消するにはどうしたら? そもそも、この言葉が通じなくなったことは、手紙を読んだことと関係あるんだろうか? 関係あるなら、その辺のことも書いてあるはずじゃないのか? 落ち着け、落ち着け。
依然冷静になれないまま文章を眺め、私がそれに気付いた時だ。
「『困難があれば、添え状の代筆者の縁者を訪ねなさい』……『その家の末の血はあなたのものです』……添え状の代筆者……」
グルマニー・エリクス・リード。
「リード」
この姓を持つ人を、一人だけ知っている。いや、正確には二人か。多分だけど。
その人物を思い浮かべた丁度その時に、ドアがノックされたのだ。そして返事をしない内に開けられた。
ドアが閉まる音を聞きながら、私は日記帳を閉じ席を立った。いつの間にか身に付いた脚運びで長い裾を捌き、その長身に向き合う。
幾らこの人でも、返事のない部屋に入られた事は無かった。
石のように静かな瞳。波打つ髪。灰色の制服。
「……ジルフィー。あなたは、何か知っているんですか?」
問いかけても、ジルフィーは全くの無表情だった。元々反応が乏しいだけに、ある意味何ら変わりない日常に思えた。
彼はつかつかと数歩でドアから私の前まで移動し、ぴたりと足を止める。
「*******」
「わかりません」
首を横に振ると、ジルフィーは長い人差し指を立てて口元に当てた。このジェスチャーは異世界ですら共通なんだろうか。条件反射で口を噤むと、彼はその手を下ろす。そして、流れのまま懐から何か取り出した。
真っ黒くて、細長い。
最初は、ペンか畳んだ扇子だと思った。
しかし彼がそこへ両手を掛け、捻るような動作をした時に、そうではないと気付いた。横に細く入った線は、蝋燭の光を返して銀色にきらめく。
黒い筒の一方は鞘なのだ。
それは、短剣だった。




