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雨の冠  作者: 桃宮
6.微睡む太陽
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24 七十七日

 翌朝は雨だった。さすが水読、水読んでる。

 横になったまましとしと降る雨を眺め、私は今見ていた夢をぼんやり思い出していた。

 多分いつもの、水核で水読に謝るやつだ。こうも繰り返し見ると、もはや日常である。

 夢を見ようがストレスがあろうが、“水を引く”お陰で絶対に眠れるのはありがたい。これで寝付きまで悪くなってたら、さすがに参ってたかも。


 伸びをしながら、毛布の中から畳まれたワンピースドレスを引っ張り出す。畳み皺の外に、目立った皺はない。寝相には自信あるんだよね。寒いから、このままベッドの中で着替えるのだ。二つの湯たんぽのお陰で、布団の中だけは温かい。

 部屋には焼いた石を入れた金属の脚付き火鉢みたいなものも置かれていたが、朝になるともうポカポカというわけには行かない。ひっくり返したら怖いから、私はある程度冷めていてもそれには近付かない事にしている。


 着替えた後は、壁際のほうろうの洗面器に湯たんぽからお湯を注ぐ。もうぬるいはずなのに、洗面器からはもうもうと湯気が立ち上った。寒いわけである。これで顔を洗い髪に櫛を通すと、とりあえずの身支度は完了だ。

 ジルフィーが来るまでの間、窓辺に立って結露を払い、遠く霧に霞む山々を見渡した。雨粒はみんな視界を通り過ぎ、遙か下まで落ちていく。

 この高くて寒い部屋とも、今日でめでたくおさらばなんだろうか。




 昼前、言われていた通り神官長の爺さんが訪ねて来た。

 要件は77日という定められた事情についてと、過去の“泉の乙女”から私宛の手紙があること、夕方迎えを寄越すという通達。

 現時点で、私の知っている以上の情報は何も言われなかった。爺さんの方が寧ろ、私が今日の件を知っている風だったので不思議そうだった。


 浮足立った気持ちで過ごし夕刻が近付いた頃、リコ達に身支度を整えると言われた。

 着せ付けられたのは、足首まで覆う細身の漆黒のドレスに、同色の詰め襟のケープ。禁欲的なデザインで、しなやかな上等の厚地で作られている。ジャストサイズの完璧な仕立てはどこにも変な皺が寄らなくて、こういうのが高級な服なのだとこちらに来て知った。

 更に防寒として黒いレースの手袋を付ける。レースの手袋をすると、スースーして逆に寒く感じるのは私だけだろうか。

 首元には、三日月型の小さな鏡と雫型に磨かれた水晶が散りばめられた、凝った銀細工のブローチが留められた。髪も少し掬って揃いの飾りで留められ、残りは背に流す。

 身支度後、姿見の前に立った私は黒尽くめで魔女のようだ。

 どこか儀式的なこの装いが、今日の為に前々から用意されていた事は明らかだった。


「では、おいでくださいませ」


 時間になると畏まった身なりの神官達がぞろぞろ迎えに来て、部屋を出た。リコ達城の女性陣は付いて来ない。ジルフィーとハノンさんが、私を挟むようにして少し前を歩く。


 案内されたのは、塔一階最奥――どうやら、特別な部屋のようだった。

 がらんとして広くも狭くもなく、蝋燭の明かりで居室よりやや薄暗く調節されている。家具は中央に、天板が水晶で出来た横長のテーブル一つだけ。

 壁も床も天井も滑らかな薄灰の石で造られ、両脇に神殿のように柱が何本も連なって立つ。剥き出しの床には、蝋燭の火や人の影がぼんやり映り込んで揺れていた。暖炉がないから、古い部屋なんだろう。火鉢で幾らか暖められてはいるが、室内にしてはやや寒い。


 柱を背に神官がずらりと並んでいて、私が姿を見せると一斉に神官の礼を取った。衣擦れのさざめきが響く。

 中央のテーブルの左手側に爺さんと水読、右手側には王様とクラインが立っていた。

 格調高い濃灰色の正装に身を包んだ王様は威厳に満ち、今日も今日とてぐうの音も出ない美形ぶりだ。久々だからか、なんかもう眩しすぎて直視出来ない。でもこの人が居てくれるだけで、とりあえず不安が七割くらいなくなるような気がするから凄い。

 その隣に立つクラインも、王様とほぼ同じ色のコートを隙無く纏っている。彼まで居たのは意外だったが体調は無事戻ったようで、目が合うと小さく微笑んでくれた。


「お待ちしていました、ミウさん。こちらへどうぞ」


 私を呼ぶ水読は、いつもと同じような白系の装束だ。髪を高い位置で纏め、白い飾り紐で結っている。

 ジルフィーとハノンさんは、少し後ろで控えているようだ。招かれるまま進みテーブルの正面に立つと、俄然緊張してきた。“悲恋”の書き置きには、何が書いてあるんだろう。どうか、嬉しくない内容じゃありませんように。

 仕切りは水読じゃないらしく、爺さんがカンペらしき巻紙を開き早速本題に入る。


「これからミウ様に、先代の“泉の乙女”であらせられます“悲恋マドエラ”、先々代であらせられます“叡智エリア”の御方々よりお預かりしております、直筆のご書状をご覧に入れます」

「えっ、“叡智の乙女”からのものもあるんですか!?」


 思わず聞き返すと、爺さんが重々しく頷く。


「“叡智”の御方より一通、“悲恋”の御方より一通と添え状の、計三通をお預かりしております。添え状は、当時の“悲恋”様の側近が代筆したものでございます。ご指示により、まずはそちらからお持ち致します」


 爺さんが合図すると、銀盆を持った神官が三人進み出て来た。一人がテーブルに近付き、私の横から銀盆を天板にそっと置く。そこには、黄ばんだ紙が一部乗せられていた。

 顔を近付けてまじまじと見る。インクで綴られた文字は、払いが大きく止めがきっぱりとしていて、なんとなく硬派で大胆な性格が覗えた。当然私には読めない。

 手紙の最後には署名と思わしきものが二列に渡って綴られ、5cm程の印が二つ、拇印が一つ……多分血で捺したもの、が添えられていた。

 一つは、私が作ってもらった印章とよく似た睡蓮の意匠だ。一葉五花弁、“悲恋”の印だろう。

 もう一つは、こちらにしては珍しいシンプルな幾何学模様の印で、円の中に三本横線が入っている。血判はその隣だ。

 何て書いてあるのかと聞くと、神官が読み上げてくれる。

 内容はこうだった。




 『 添え状


 此処に“泉の乙女”の出生に纏わる文言を残す。

 差し当たり以下の点に十分な用心をすること。


 一つ、当人にこの手記を見せてはならない。

 一つ、当人にここへ記されるべき内容を尋ねてはならない。

 一つ、当人に過去の同胞の名を明かしてはならない。


 “泉の乙女”の来訪から七十七日が過ぎるまで、これを守ること。

 七十七日目の日没後“泉の乙女”に本状を示し、

 初めて同胞達の名を明かし、同封する二通を見せるべし。

 決して順序を間違えぬこと。

 破られれば、当人の身を滅ぼすと心得よ。

 日の血の下に全夜を暴くと同義なり。


 当代 “ 泉の乙女アヴェラ・フィニ

 代筆 グルマニー・エリクス・リード 』




「……これを、“悲恋”が私に?」

「はい。次代の“泉の乙女”様へ、とおよそ百年前から伝わっております」

「なぜ……?」

「申し訳ございませんが、こちらに書かれておりますこと以上はわかっておりません。我らに読解出来ましたものは、この添え状のみでございました。“悲恋”様と“叡智”様の直筆とされる二通に関しましては、暗号、または古代に使われていた言語を崩したものでは、と唱えられておりました。ミウ様がいらっしゃる前までは」

「…………」


 顔を上げ、無意識にクラインを見た。静かな表情で見返す彼は、私が来た当初、私が別の「母国語」というものを持つ事にとても強い関心を示していた。その辺の話で盛り上がって仲良くなった所がある。こちらの人は「母国語以外の言語がある」という感覚が乏しいのだ。

 “悲恋”の時代は百年前、“叡智”は約四百年前。二人の身にもこの謎の自動翻訳現象が起きていたとしたら、彼女達の「母国語」の存在が知られていない事は十分あり得る。

 それならやっぱり、残りの直筆文が問題だ。

 代筆が頼めるのにわざわざ別の言語を使って書かれたという事は、現地の人間に知られたくない内容で間違いないだろう。


「添え状のご指示に従い、お先に歴代の“泉の乙女”御方々のお名前をお耳に入れます」

「……もしかして、その歴代の名を私に明かしてはいけないから、これまで“泉の乙女”に関する情報が少なかったんですか?」


 名前の載っている資料は、「見つからない」という事にして見せないようにしていたのでは。そういう意図で尋ねると、爺さんは否定した。


「確かに御記録として、御方々のお名前を控えたものはございました。そちらはお目に掛ける事が出来ませんでしたが、それ以外の資料が無いのは事実でございます。史書として記す際に、我々が“泉の乙女”様のご本名をそのまま書き表す事はないのでございます。過去の方々のお名前をみだりにお呼び申し上げぬ為に、表記は必ず各々方の後の通名で行います」


 そういうものなのか。

 私が納得した所で、爺さんが残り二人の神官達に目を向ける。彼らがテーブルを挟んで向こう側に回ると、私の緊張は益々高まった。王様もクラインも水読も何も言わない。

 爺さんはピントを合わせるように、キラキラした淡青の目を少し巻紙から離し、やや勿体振って読み上げ始めた。


「それでは、歴代様のご尊名をお伝え申し上げます――初代から順に、『ミミコ』。そして『ミオ』、『ミヤビ』、『タキサワ』……」


 呼び上げられる音を聞き、私は動揺した。

 そんな名前だったの? やっぱり日本人だったんだ。でもなんというか、随分――。


「――宜しいでしょうか? 次に、二通のお手書きでございます。こちらが“叡智”様からのものでございます。こちらが“悲恋”様でございます」


 名前の印象に気を取られている間に、目前に銀盆が二つ並べられた。その内の一つを見た瞬間、心臓がドクンと大きく脈打つ。

 それは、“叡智”の書き置きだった。

 ――読める。

 茶色く変色した紙は古ぼけているが、インクは黒くはっきりと文字を綴っている。

 そう、確かに馴染みのある、私には読める文字だった。ただ思っていたのと違った。

 決して珍しくない、日常的によく目にする機会のあった筆跡。少し不慣れで丸みを帯びていて、例えば高校生くらいの女の子が書きそうな。


 『For The SEVENTH-VIRGIN』――“七番目の乙女”へ。


 その手紙は、全て英文で綴られていた。



  ◇



 『――七番目の乙女へ。我々はあなたが選べるように尽力する』


 酷く混乱したまま文章を目で追い、しかし全く頭に入って来なくてもう一度冒頭に戻る。何度見ても英語だ。

 思考が次々に疑問を挙げる。

 なんでこんなものが残っている?

 本当に“叡智”が? ――もし彼女の時代、17世紀に書かれたものなら、英語だとしても手紙は普通筆記体のはずだ。でもこれは違う。日本人だから?

 彼女の名前は何だった? ミヤビ? タキサワ?

 タキサワという人は、名前じゃなくて苗字を名乗ったのか?

 その人もミなんとかという名前だったんだろうか?

 私個人の感覚では、その時代の女の人にしては違和感のある呼称だ。

 四百年前の女性で、そんな名前で、英語を操れるってどういう……?


 わけがわからなくて、一旦読解を止め隣に目を移した。

 もう一通の“悲恋”の手紙は――――読めなかった。こちらこそ筆記体に近い、続きで綴られた文字のようだった。英語じゃない。何語? アラビア語とか? 違うか。


「ミウさん?」


 水読が、問うように私の名前を呼んだ。はっとして顔を上げると、王様もクラインも爺さんも、その他の神官達も、真剣な表情で私の挙動を見守っていた。

 誰一人として「何と書かれていたのか」と尋ねる人はいない。添え状に「尋ねるな」とあったからだ。

 ふと、全ての文書の末に捺された印章に目を留めた。横から見た睡蓮。“悲恋”の手紙と添え状にあるものは、一葉五花弁。“叡智”のものは一葉四花弁。私の貰ったものは六花弁。つまり、そうだ、私は六番目だ。


「この手紙……私宛てじゃないみたいです」

「どういう事ですか?」


 “叡智”の方を指さして言う私に、水読が聞き返す。


「七番目の乙女へ、って書いてあります。まだ、全部読んでないんですけど」

「“悲恋の乙女”の方もですか?」

「そっちは読めませんでした。何語かわかりません」


 水読は目を見開き、黙り込んだ。

 答えながら、私の頭には別の事も同時にぐるぐる回る。

 ミミコ、ミオ、ミヤビ、タキサワ。4人しかいない。全員日本人の名前だろう。それはいい、予想通りだ。ただ、思ったより現代的なものだったのが私を更に混乱させる。

 再び室内が静まり返り、私は“叡智”の手紙に目を戻した。

 ドクドク言う早い鼓動が、石の壁に反射して聞こえてきそうだ。汗ばんだ手で燭台を引き寄せ、覗き込むようにして読み解く。




『 七番目の乙女へ


 我らはあなたが選べるように尽力する。


 もしもあなたが元居た家に戻りたいのなら、時のミズヨミを頼りなさい。

 こちらの者と、出来る限り約束をしないこと。

 言葉の呪術で縛ってはならない。

 新しく因果を結んではならない。

 既に結ばれた約束があれば、全て果たすか、反故にしなさい。

 王族に呪われた者か、黒目か黒髪の者が居れば気を付けなさい。

 秘密を知られてはならない。

 力を持ってはならない。 


 我らの血と肉に絡みつく遥か過去からの因果が、あなたの命運を捉えぬように。 』





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