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雨の冠  作者: 桃宮
6.微睡む太陽
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23 アンステイブル

 以来、朝私が部屋から出ると水読は既に居ない、という事がしばしば起こるようになった。夜は夜で、私が部屋に戻りジルフィーが退室する頃には客間から消えている。一体どこへ行っているんだろう?


「知る必要がありますか」

「……いえ」


 その朝さり気なく客間を見回していた私は、冷淡に問われ首を横に振った。

 ジルフィーは寧ろ以前より自分から喋るようになったが、それはこの頃の気温に負けず劣らずの代物でしかなかった。


 77日。

 あと少し。あと少しだ。


 運命の日は、あちらのカレンダーに当てはめると11月22日だった。

 部屋に引きこもり勉強中にメモした本の内容を整理しながら、私は日記帳の一ページに書いた手製のカレンダーを眺めては何度も日付けを数えた。きっと当日まで、こうして過ごす事になるんだろう。そうしている間しか気が晴れない。

 あまり、人と顔を合わせたくなかった。

 城の人達も神官も腹の底が見えなくて、私を地味に消耗させる。必ずジルフィーと二人きり、もしくはリコ達と一緒になるため、庭の散策にも出なくなった。本当はご飯もあんまり欲しくない。心配されてしまうから、根性で少しは食べるけど。

 事情が込み入り過ぎて、安心して話せるのはもはや王様だけに思えた。


 その王様は、一度だけ昼間に部屋を訪ねて来た。


「調子はどうだ」


 金ボタン付きの紺地のシャツに、鮮やかな緋色の上着、という派手且つ小洒落た出で立ちで現れた彼は、服装に反して少しだけ疲れているようだった。目元がどこか眠そうに瞬きするのを見て、私は慌てて俯いた。なんか、うん。色々思い出してよくない。

 あの夢の影響かどうかは謎だが、あれ以来、なんと王様は普通に夜眠れるようになったそうだ。やっぱりその状態と雨は連動していたのか。

 逆に言えば寝なければやっていけなくなってしまったので、王様が日中こなすべき仕事は一時的に増えてしまったようだ。忙しいのではと尋ねると、苦笑して「まあな」とはぐらかされた。


 話しながらソファで向き合う中、私はリコの事が気になっていた。

 王様の来訪時、隣室で飽きもせず日記に向かっていた私を呼びに来たのはサニアである。

 リコはその間に王様をソファセットへ案内し、他のメイドさんが運んできたワゴンからお茶を淹れて出していた。この部屋付きのメイドさんの中で最も身分が高いのはリコとサニアなので、それは全くおかしくない、決まり通りの対応だ。

 ただ、私も席に着いてお茶を出してもらった時に、リコが王様を見た瞬間を目撃してしまった。

 いつものように唇に軽い笑みを乗せた王様の視線を受けると、彼女は薄く白粉をはたいた頬をポッと桃色に染め、他の誰もがするようにすぐに目礼して去っていった。

 …………物凄く、なんとも言えない気分である。

 何だこの疎外感というか罪悪感というか居心地の悪さというか。無駄に胸が痛い。

 いやでも、私には関係ない。関係ないんだ、帰るんだから!

 しかし感情というものは中々どうして思い通りにはならないもので、私の気分はずーんと暗く落ちて行く。……いや、落ちてる場合じゃない。せっかく王様が来てくれたんだから、もっと重要な話をしなければ。色々と報告したい事があるんだから。


 で、それはそれでまた気を揉むのだった。

 本気で業務に実直と言うか怖いもの知らずと言うべきか、ジルフィーはリコ達メイドさんが全員退室してもドア脇に残った。今までなら出て行ったのに。居るの王様だよ!? 鋼の心臓過ぎる。

 その立場も理解しているのか、王様は少し目を向けただけで何も言わなかった。お茶を飲みつつ、私に水読の様子などを尋ねる。私はジルフィーに聞かれても問題ない範囲でそれに答えた。

 本当は雨の事とか月の事とか暴露して相談したかったけど、ジルフィーに「いつそれを水読から聞いたのか」と突っ込まれるのが面倒だ。

 それに王様も、迂闊にジルフィーにまで事情を漏らすべきじゃないと考えるかもしれない。


 どちらにしても、王様に水読の言う事の真偽を確かめてもらう事も出来ないのだ。水読の私に対する信用を、これ以上削ると良くない気がするから。

 ぐるぐる考えつつ王様の方を見たら、その緑色の瞳と目が合った。リコの事を思い出しまた落ち込む。何このループ現象。

 なんかもう全然駄目だ、大人しく77日までじっとしてよう。そこで問題があったら、その時こそ相談しよう。




 そういうわけで、私はその数日後に栗大臣が持ってきた会食の誘いを断ってしまった。


「然様でございますか……」


 栗大臣は何か言われているのか、以前程しつこく食い下がらなかった。ただ残念そうに挨拶を述べ、部屋を出て行った。


「…………」


 ジルフィーと二人になった部屋で、私は音をさせないように溜息を吐いた。

 もう以前のように、王様にこっそり相談出来る機会はないかもしれない。それが出来たら、随分楽になると思うのに。

 ジルフィーは私が王様と私的に面会するのを良しとしない。水読を徒に刺激するなという事だ。伝言があれば本来彼に託せば事足りるし、直接話したいと言った所でこの前のように退室を拒むのは確定だろう。

 無理は禁物だ。

 仲良く出来ないのは仕方ないとして、私はジルフィーとある程度上手くやりたい。また当てにならないと思われて、独断で斜め上の対応をされては困る。

 どうせあと少しだ。そうすれば帰れる。少なくとも、転機が訪れる。

 大丈夫大丈夫。


 と、思っていたのは甘かったらしい。それから数日で、ストレスが体調に出始めた。

 ある朝、空っぽの上階から下りて行く途中で、私は立っていられなくなって石段にうずくまった。厚いコートの襟元に顔を半分うずめ、ゆっくり息を吐く。

 気持ち悪い。立ち眩みと似た感じで頭がグラグラする。貧血かな……。


「どうなさいましたか」


 先を下りていたジルフィーが気付き、足を止めて振り返った。私は膝を抱えたまま首を横に振った。先に行ってて、と言ってそうしてくれるならいいのにな。また面倒だと思われていると思うと、胃がキリキリ痛くなる。

 せめて下の部屋まで移動しよう。冷え切った石壁に袖で手を突き立ち上がろうとしたら、いきなり抱き上げられた。


「ちょっ……」

「お連れします」


 慌ててその肩に手を掛ける間に、くるりと向きが変わる。


「降ろしてください」


 腕を突っ張りながら訴えると、ジルフィーは一瞬耳を貸すように手を止め、そのまま歩き出した。

 ――まただ。

 いつもより高い視点から床を見下ろし、猛烈に腹が立ってきた。

 また無視される。私の意見なんて、取るに足らないものだと思われている。


「降ろしてください」

「ここで座り込んでいるおつもりですか」


 出来ればそうしたいけど。


「歩けます。私に触らないで」

「…………」

 

 言い切ると、ジルフィーは、意外と丁寧な動作で私を階段に下ろした。

 私は両足をしっかり踏みしめ、気合で背筋を伸ばす。足場は二段分の差があったけれど、それでも彼の方が背が高かった。ジルフィーはその位置から束の間私を見下ろし、背を向けて歩き出した。深く息をして不調を押し込め、私も後に続く。

 空気は冷え切っていた。でも構うものか。

 好きなだけ嫌えばいい。私だって、この人に好かれようとしなくていい。



  ◇



 77日まで一週間となった頃、水読が祈雨の日程を組んできた。

 偽の儀式に呼び出されるのはクラインだ。午前中のその予定を思って、少し気分が浮上する。

 クラインは先週発作で体調を崩していて、前回の対談訪問は休みになっていた。お見舞いに行けないので、私はサニアに添削してもらって短い手紙をしたため、翌日には美麗な筆遣いで綴られた短い礼状を受け取った。一緒に届いた夕陽色の薔薇はラズベリーのようないい香りがして、随分慰められたっけ。


 出掛ける時間になると、私は深い藍色のドレスの上から黒い毛織物のマントを着込み、前を銀の留め金で留めて部屋を出た。ジルフィーの案内で向かうのは「不落の間」と呼ばれる聖堂だ。

 屋外の白い回廊は寒かった。庭木は殆どが丸裸で、木枯らしが吹き抜けるとカラカラと落ち葉が転がっていく。空は高くて青い。少し目を閉じて風を感じてみる。空気は乾いているように思うけれど、もうすぐ雨が来るんだろうか。

 その時、後ろから覚えのある足音が近づいて来た。


「ミウ」

「……あ、こんにちは」


 振り向くと、クラインが従者を連れてこちらへやってくる所だった。上品な薄い空色の上着の肩に、金の髪がサラサラと掛かっている。ああ、似合うなその色。超爽やか。


「丁度良かった。これから向かうのだろう」

「はい。久しぶりですね、体調もう大丈夫ですか?」

「ああ」


 クラインは微笑んで私の隣に並んだ。二度見するような美人ぶりは今日も健在として、顔色も良いようで安心する。私も、久しぶりにホッとして気持ちが緩んだ。そして、その顔というのがあんまり情けなかったらしい。


「大丈夫か?」

「……はい」


 答えを“見て”、クラインは苦笑した。私は大丈夫だったのかな。多分、やや駄目だったんだろう。


「終わったら、昼食を一緒に摂らないか。たまには、場所を変えるのもいい」


 脳裏に、彼の庭が鮮やかに描き出される。クラインは、私を塔から連れだそうとしてくれているのだ。そして、以前のように「不安があれば力になる」と励まされた。

 その優しさが染みて、私はちょっと涙目になりつつ笑って頷いた。笑うのも、なんか久々だ。クラインとなら、ご飯も普通に食べられるかもしれない。ジルフィーが見張っていても平気な気がする。


 しかし結局、昼食会は無しになってしまった。

 聖堂に着いて水読の指示でクラインと手を合わせ、その後水読と額を合わせた時、彼が目の痛みを訴えたのだ。正確には、終わった後様子がおかしいので声を掛けたらそういう事だった。


 軽口がかなり減ったものの、近頃はまあ普通になりつつあった水読だが、よりにもよってその日額を合わせた時は20数えても終わりにしなかった。

 どうせ雨は呼ばないんだからいつもより長くなるわけがないんだけど、ぼーっとしていたらしい。どうやったらこの状況でぼーっと出来るんだ。


「水読さん」


 呼び掛けながら顔を引くと、水読はようやくハッと気が付いた。淡い瞳が何故か、私を初めて見る相手のように見つめている。

 一瞬それに気を取られ、しかしすぐに距離を取って振り返ると、クラインが俯いていたのだ。何かに耐えるように、やけに固く結ばれた口元。


「クライン?」

「来てはいけない」


 一歩踏み出すと、同時に彼も下がり左目を押さえた。異常を直感し不安がよぎる。クラインはまず水読に暇を願い出ると、私には表情を歪めながらも微笑んだ。


「残念だ。ミウ、昼食はまたの機会にしよう」

「は、はい。それより、誰か……!」


 隠すように息を殺しているのを見て、私はオロオロするばかりだ。手を貸せないのがもどかしい。そうだ、確か外に付き人が待っていたはずだ。すぐに出口へ走り、扉を開ける。

 いきなり飛び出してきた私に従者は驚いたようだったが、事情を口にすると逆に冷静になり、すぐに主人の元へ向かった。


 その後は、行ってくれと言うクラインを残して聖堂を出た。正直、心配で落ち着かない。大丈夫だろうか。

 一緒に出た水読とは回廊の途中で別れ、ジルフィーと二人塔へ戻りながら、私はクラインの回復を祈る事しか出来なかった。



  ◇



 更に数日が経ち、「77日」はとうとう明日に迫った。

 その夜、いつものように水を引きジルフィーが帰った後で、水読が私の部屋の扉を叩いた。


「そのまま聞いてください」


 例の如く椅子に乗ってドアを細く開けると、水読はその場で小さく囁く。


「明日、日没後にミウさんに例の書簡を見て頂きます。老師から正式に案内があるかと思います。王族も恐らく立ち会うでしょう。……先の“乙女”がどういった事を書き残しているのかはわかりません。問題があっても悟られないように、冷静に読んでください」


 日没後なのか。

 返事をすると、隙間から見える水読の影が頷く。


「それからもう一つ、お願いがあります。“悲恋”の方の書かれた内容を、私に教えて頂けませんか」


 水読は前にこの話をした時も、文書を読んだら教えてくれと私に言っていた。何が書いてあるかは不明だけど、まあいいだろう。不都合な内容じゃない限りは教えたって。


「わかりました。じゃあ、読んだ後にまた」

「ありがとうございます」


 水読がほっとしたように言い、微笑んだのがわかった。

 そのまま「おやすみなさい」と挨拶して、扉は静かに閉められた。



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