21 駆け引き(2)
と言っても、現状は塔の目論見からは若干外れている。
衛兵には、「私と結婚したくない人」が選ばれたからだ。
新婚ラブラブで幸せ絶頂のハノンさんはそりゃそうだろう、“泉の乙女”なんて押し付けられたら堪らない。
そして、この人も。
「やっぱり、生まれが神官の家だったら神官になるって決まってるんですね」
そう言う私の声に被り、チリンと鈴が鳴る。腕を掴む力に変化は見られない。
でも、怖いとは思わなかった。
ジルフィーの生家は、塔におけるいわゆる名門だ。何代も続く神官の家系らしい。
ブロット氏と違って彼は正真正銘のその家の子息であり、幼少から塔に仕えるべく相応の教育を受け、相応の地位まで出世する事を期待されて育った。また事実彼自身も“泉の乙女”の護衛候補に挙げられる程の実力を積んできた。
家柄的には、文官ではなく武官として仕える事になったのは少し異色らしいけど、私が現れた事を考えるとまさに先見。出世コースドンピシャである。その上、塔の役職は世襲制じゃないとはいえ、実の祖父が現神官長だ。周囲からは相当運が強い人物と思われているはず。
ただ問題は、当の本人はまるでそういうのを望んでいないらしいということ。
“泉の乙女”の護衛だけでも大判の箔が付くのに、更に婚姻を結ぶとなれば只事じゃない。そしてその分、面倒も多い。野心のある人ならどんとこいかもしれないけど、中には絶対に御免被りたいという人もいる。私がそのタイプだからよくわかる。普通が一番。この人も多分、そうなんだろう。
そういうわけで、ジルフィーは私と結婚させられるなんて真っ平御免なのだ。王様は定期的に二人から報告を受け思想の確認もしているそうなので、今現在も彼らの気持ちに違いはないはず。
「塔を出たいって聞きました」
ジルフィーは答えなかった。
「今朝、王様とお話しました。城や塔の事情とか、ジルフィーの立場についてとかも」
恐らく顔があると思われる所を見上げ、私は語り掛けた。一度は不信感を持ったけど、もう私はこの人を変に疑わなくていい。だって、あの王様が私の傍に居る事を許してるんだから。
目的は完全に合致している。後はジルフィーの方に私の事をちゃんと信用してもらって、きちんと手を組めれば理想的だ。お互い理由のわからない相手の行動にハラハラするよりは、はっきりと「協力して動きましょう」となった方が良いに決まってる。立場上これまで私には言い難かった情報も、もうこの際ならと流してもらえるかもしれない。
「私も、どうしても帰りたいんです。だから、協力……」
「ならば余計な事をせず、ご帰還のみにお力を傾けられてはいかがですか」
前言撤回。こえぇ。
私の言葉を遮り、声は暗い部屋に低く響く。
「彼の方を惑わすご発言はお控えください。仮定でも言うべきでは無い事はお分かりでしょう」
「……ごめんなさい。でもジルフィーが居る前で、にしました。一応」
見えないとはわかっているけど、私は引きつった愛想笑いで誤魔化しながら答えた。
私も流石に、二人きりの時にはあんな事聞いたりはしない。ただちょっとさっきは、タイミングだと思ったから。
理由は微妙に不明だが、さっきの水読は完全に動揺していた。平常を取り戻した後で尋ねた所で、鬱陶しくて甘ったるい軽口で煙に巻かれるのが関の山だろう。まさかノーコメントとは思わなかったけど。否定するチャンスを逃したのも、ちょっと計算外だったかな……。
でもまあ、機会は今後も十分にある。今まで通り油断せずにあしらいつつ、慎重に反応をファイリングして行こう。
収穫だったのは、寧ろジルフィーの対応かもしれない。この人がここまで動いたって事はやっぱり、塔は水読を躱して“泉の乙女”を操れる勝算があるのだ。その辺も踏まえて今夜水読と話し、様子を見て……。
「貴女のしている事は、駆け引きではなく賭け事です」
抑揚のない声がぴしゃりと言い放った。
賭け事。……彼からすれば、私は相当危なっかしく綱渡りしているように見えるんだろう。でも私だって、命綱の見当くらいは付けてるぞ。
「情報が少ないんです。それに、そんなに向こう見ずに危ない橋渡ってるわけじゃないですよ。それなりに考えて……」
「要人の部屋で一夜を明かす事が貴女の方法ですか」
「えっ……? そ、それは別にそういうやつじゃ!」
謂れのないニュアンスで責められて慌てる。違う、私、そんな目的でそうなったんじゃない。というか事実何も無いし!
「では無自覚である事を自覚すべきでしょう。貴女はご自身の影響力を軽視し過ぎです。特定の相手への懸想を思わせれば、周囲の結論を急がせるだけとご理解頂けませんか」
「で、でも今回は、じっとしていた方が危ないと思ったのでちょっと色々……というかジルフィーだって、私を王様の部屋に送り込もうとしたじゃないですか!」
「他者がそうする事とご本人自らの意思で動かれる事では意味が異なります」
思ったけど、ジルフィーは私が塔に着くくらいなら、城側に取られた方がマシなんだよね。いや、他の神官とか水読とかが反発して城とギスギスするなら、そうならないに越した事はないか? かと言って、塔に残られても困ると……。
密かに結婚相手にプッシュされてるとは言え、土壇場になって私が違う人を指名したら彼自身は難を逃れそうなものだけど、この様子を見る限り私の実質的な発言権は弱そうだ。
つまりこの人にとって、私はどこからどう見ても邪魔な存在という事になる。……気持ちは分かるけど、理不尽だなあ。私だって、来たくて来たわけじゃないのに。
でもお陰で、利害一致が確固たるものになっている。やっぱ、そこを理解してもらわない手は無い。
再度安心して協力してくれと言おうとした矢先、一足早くジルフィーが口を開いた。
「貴女は先日、私にも好きだと仰りました」
「……へ?」
私はポカンと口を開けた。
「記憶に無いのですか」
「な、無いです、けど……?」
なんて? ていうか何の話……? 何か、食べ物か何かの話を取り違えられたとか?
「そもそも、いつ……?」
「貴女が下階で眠られた夜です」
「…………」
その夜の事だとしたら、記憶に無いと言うより記憶そのものが無い。
という事はなんですか、私、酔っぱらってなんか言った? 即刻寝落ちしたと思ってたけど……え、喋った? ジルフィーに? ……好きって?
聞くと、どうやら寝言で口走ったらしい。な、なるほど。やっちまった事例その三に顔が赤くなる。いや大丈夫、この暗さなら見えない見えない。けど、腕を取られたままのこの距離がいきなり気まずい。
……それで私「別にあなたの事は好きじゃないです」とかちゃんと言わなきゃ駄目な感じだろうか。ジルフィーにはそんな事を言われる筋合いなんて無いのに? なんという面倒な事をしてくれた、過去の自分……!
「どなたかとお間違えになったのでしたら結構です。対象が誰かという点は問題ではありません」
「あ、は、はい」
悩む間に、向こうからスパッと切り落とされた。流石である。
「ですが、彼の方の前でも同様の事が為されればどうなりますか」
「…………」
……うん、それがわからないから困っているのだ。確かにリスクは高いかもしれない。それでさっき、探りを入れようとしたわけだけど……。
「感情を煽る事自体が過度な冒険だとよく肝に銘じてください」
ジルフィーは私の言い分に全く感化されなかった。
「彼の方は貴女の能力を損なう事を許容出来ません。仮に貴女がそれを許したとしても、彼の方は貴女を手にする事は叶いません」
「え……」
「先程仰られていた内容が全てです。貴女が誰を慕おうと、それが彼の方でない限り貴女はご帰国を成されるでしょう」
つまり。
淡々と告げられる言葉を聞き、仮説が確信に変わる。
「しかし貴女が彼の方の為に残りたいなどと言えば――」
「……むぐっ!?」
そこで何故か突然、手で口を塞がれた。
同時に頭の上も押さえられる。驚いて固まる私を拘束したまま、ジルフィーもぴたりと動きを止めていた。混乱し身じろぎしかけた所で、外の廊下の向こうからやって来る数人の足音に気付く。
……ああ、この人、髪飾りの鈴を押さえているのか。
納得して動くのをやめ、じっと息を潜める。口元を覆う大きな手の平に、厚い握りだこがあるのを感じた。城も塔も屋内の兵は剣を履かないが、代わりに杖っていうか、制服とおそろの警棒みたいなのを脇に挿している。使ってるとこ見たことないけど、日々鍛錬はしているんだろう。
とかどうでもいい事を考えていたら、通り過ぎると思っていた足音がこちらにやって来た。や、ヤバい!
自分で櫛に手をやり慌てて離れようとすると、逆にぐいっと抱き寄せられた。そのまま一、二歩脇へ避けた瞬間、ぎぃっと扉が開いた。
「一脚ずつ」
「はい」
光と共に神官が三人程入って来て、椅子を運び出そうとしているようだった。ジルフィー共々ドアの陰なので様子は見えない。入り口のすぐ横は背の高い箪笥か何かがあって、戸板が三角形の隙間を残して止まっていた。その隙間に居るのが私達だ。
緊張で身が縮む。鼻の先に触れる制服の釦が冷たい。服の裾とかはみ出てないよね?
これ、見つかったらそれこそ言い逃れ出来ないじゃん。
見つかった時の言い訳を必死に練りながら、ひたすら黙って息を殺す。一度出て行った神官達はまた戻ってきて、椅子を計六つ運んで行った。
バタンと扉が閉まり再び真っ暗になった後も、しばらくそのままじっとして辺りの気配を覗った。
「…………」
もう、戻って来ないかな……?
大丈夫と見て胸板をそーっと押しやろうとすると、それより先にさっさと肩を掴まれ体を離された。この扱い、ジルフィーである。いやしかし良かった、もうちょっとドアが閉まってたらバレてたぞ……。
ほっと緊張を解き、私は長い長い溜息を吐き出した。
「見つかったら、どうするつもりだったんですか……」
「貴女が口止めなさればいい」
そういうことを言いますか。
ジルフィーだってギャンブラーじゃん。変にくっついたりしてなければ、言い訳のバリエーションも増えただろうに……今はちょっとその、具体的には思いつかないけど。
まあいいや、また誰か来るといけないからもう部屋に戻ろう。寒くなってきたし、リコ達が心配してるといけないし。私がそう言うと、ジルフィーは扉の取っ手に手を掛けて、恐らくこちらを振り返った。
「アプリコット・マルディエ嬢は国王の元婚約者候補です」
「――え?」
「極薄く血縁がある為、本来なら候補を外れる家です。しかし最早条件に適う門は数がない。サニア・タリア・ヴィトイーリス嬢も同様です」
黒闇に鈴が鳴る。何で今、そんな話を。
「最有力候補はマルディエ嬢でした。少なくとも、当人同士は気が合っていたと聞き及んでいます」
「えっ……」
私はポカンと立ったまま思った。
好きな人が居たけど、別の人と婚約したというリコ。
王様にお見合いを組んだのに、別の相手と勝手に纏めたと大臣が嘆いていた。
それって私が来る前の事? 後?
本当なら、リコが王様と結婚するはずだった? ……気が合っていたって?
胃から喉の辺りが嫌な感じにぎゅうっとなる。
私は私の出来る範囲で、私なりに上手くやってるつもりだった。
着せた覚えのないドレスを身に着け、衣装箱にない櫛を挿して帰ってきた私を見て、彼女はどう思うだろう?
「――“泉の乙女”の精神は、高尚にして廉潔」
ジルフィーは、本気で私に帰って欲しいのだ。
「ですから『体だけ』などと言われるのです。二心持つ者を“泉の乙女”とは、決して認めない」
それ、誤解だよ。
そう言う前に扉が開けられ、高い位置にあるその顔に光が当たる。どちらかと言えば優しげな形の瞼の向こうから、その印象を全て覆す冷めた色の目が私を見ていた。
冷めた、灰色の目が。
「『美しき雨』。私は貴女が嫌いです」
扉を押さえ、彼は真っ直ぐ、目を伏せずにそう言った。




