20 駆け引き(1)
王様と私を結婚させたい城と、私と神官との子供が欲しい塔。
双方のネックは“泉の乙女”の保持がいつまで必要かという事、そして私に帰還の意思がある事だ。
まず保持だけど、雨が降っても私や水読が「降らせている」と言えば、“泉の乙女”はまだ必要だ。
でも、今までこれでもかというくらい何も知りませんアピールをして来た私や、嘘つきで通っている水読の自己申告となると、本当に「降らせている」のかは誰にも分からない。
その辺を見極める為に塔は、王様が私や水読に接触するのを受け入れている。雨が戻ったと判断できれば城は動くし、それを目安に塔も動ける。王様が本気で私を帰そうと思っているとは、多分誰も思っていないのだ。毒を払う血と嘘偽りを見抜くあの目は、治世にこの上なく有利だから。
“二の月”の事も条件のはずだけど、こちらに関しては何故かあまり知られていない。
王様すら最近まで知らなかった事といい、水読が周りに言っていないようだ。私が調べていた理由も、単に雨を戻す為に必要だと思われていそう。
“二の月”は私の”引力”を肩代わりする役割があるはずだから、これは公表した方が保証になると思う。後で水読に確認しないと。
そして後者、私が帰りたいと言っている件。水読も明確に同調している。
こっちは皆、私の居心地を良くする事で阻止しようとしていると思われる。
綺麗なドレスや部屋、多分こちらでは最高級の食事、毎日の入浴、貴重な本や文献の閲覧。それらを用意してくれる沢山の付き人達。当たり前に提供されるそれらは、この国の基準では破格の待遇だ。要求すれば、塔も城も他にも可能な限り我儘を聞いてくれるんだろう。
ただ、これには誤算があった。私がそれより更に快適な文明の出身者だった点だ。家族に恵まれ、23年間飢えも凍えも知らず当たり前に安全な生活を享受してきた私は、こちらに来てそれがどれだけ有り難いものだったか骨身に染みた。不自由に感じた現代社会も、実は夢のように自由な世界だったと知ってしまった。こちらの「生活保障」では、それを越えることは出来ない。
そうなると、後は人だ。
城と塔は色んな交換条件を互いに飲みながら、上手く相手を利用し合っている。
城の切り札は、勿論王様とクラインだろう。もしかしたらアルス王子も含まれてるかもしれない。王様達は、実際は私が帰れるように動いてくれているけれど、接触を持たせておけば私が別れを惜しむようになるかも……とか周囲が考えるのは無理もない。現実的には、私みたいなのにはもうちょっと普通っぽい人の方が取り入り易いと思うんだけど、まあそれはそれとして。
塔も、城のやり方を分かった上で彼らとの接触を禁じていない。戒律を緩めリコ達の出入りを許可したのも、私が彼女達によく懐いていたからだ。どういう理由だろうと私が残留を決めさえすれば、最終目的には響かないと思っているのだ。
ただ私を囲えたとして、塔が水読をどう説得する気でいるのかは不明である。でもなんか対策があるんだろう。もっと自由に遊び歩けるように融通するとか。
考え事をしている間も、水読は私を引っ張ってどんどん歩く。
使用人や神官とすれ違う度、彼らは立ち止まってそれぞれの礼をとった。その一切を横目で見送り、気がつけば塔の敷地まで戻ってきた。強く掴まれたままの手首は血の巡りが止まって、指先がピリピリと冷たい。
それでも何も言えなかったのは、掴んでいる手が微かに震えている気がしたからだ。
迷路のような塔の廊下を進み、適当に最初に目に付いた扉を開けると、そこは塔の応接室の一つのようだった。突然入ってきた相手が水読と“泉の乙女”だと知り、中に居た神官達が驚く。
「空けてください」
水読が命じると、神官達は戸惑いながらもすぐに立ち上がり退室していった。
興味と不安の入り混じった表情の彼らを見送る私を離さないまま、水読は最後に残った一人に向き直る。
「貴方もです」
「お断りします」
ドアの前に立つジルフィーは動かなかった。気まずさも悪びれた様子も無い、いつもの無表情だ。
ピクリと眉を歪め、水読が苛立ちを見せる。
「私は、彼女と二人だけでお話する事があります」
「貴方のご都合は関わりのない事です」
「言い換えましょう。邪魔です。出て行きなさい」
「ならば、その方をこちらへ」
「…………」
水読が本気で苛々しているのが分かって、私は身を縮めた。いつもなら不機嫌そうにしても、大抵は受け流すのに。
ジルフィーはある意味いつも通りかもしれないけど、ここまではっきり意見するのは初めて見た。
憎悪すら滲ませてその相手を睨みつけ、冷たい色の瞳がふとこちらを向く。
「ミウさん」
作りものめいた微笑を浮かべ、水読は努めて柔らかい声を出そうとしているようだった。
「塔の人間は本当に無粋ですね……仕方ありません。“次の雨を”呼びたいのですが、お手伝い頂けますか?」
――次の雨。
その言葉に愕然とした。私は馬鹿か。
雪に舞い上がっている場合じゃなかった。私と水読は待っていたのだ。順調に秋が深まり冬が近付いて、この連日の小春日に自然に雨が降るのを。
雨呼びなんて、ここの所ずっとしていない。
気温が下がれば雨は雪になる。水読が張り詰めているのは、私が昨夜王様の部屋に居たせいだけじゃない。今朝方の雪に覚えがないからだ。“泉の乙女”の必要性が一つ、無くなったかもしれない。
「やはり日中に呼んでは雲が薄いですね。今朝の雪は少な過ぎました」
「……はい」
辛うじて返事をすると、手首を掴む力が緩んだ。
水読は私の両肩をそっと捕まえて、正面を向かせた。不思議な水色の目が表情を探り、私がちゃんと意図を理解した事を確認する。
「どうしたんですかミウさん、そんな顔をして。国王陛下に何か言われましたか?」
「いえ……」
クスリと笑う顔を見上げ、必死に考える。
水読はジルフィーを信用していない。多分、塔そのものを信用していない。その思惑を知らないはずがない。
雨が戻ったかもしれない事を、水読は絶対に秘密にしたい。そこに「私」が含まれているかは別として、“泉の乙女”を保全したい。
湿気った木をくべたのか、暖炉では薪がばちんばちんと爆ぜている。
水読は立ったまま、馴染んだ仕草で私の両手を握った。平たい繊細な手が、まだとても冷たい。
身を屈める動きに合わせて、片側に流された透き通るような髪が私の頬を撫でた。ジルフィーの視線が突き刺さる中、先ほどとは大違いの、こちらの反応を窺うような緩慢な動きで額が合わされる。
俯き数を数えながら、私は寄せられる顔の近さにいつの間にか慣れてしまったことを自覚した。
「とりあえずは、これで良いでしょう」
少しすると額が離され、水読が言った。実際には雨は呼んでないのだろう。
「体は怠くないですか? 今日はあまり無理をしないでくださいね。昨夜塔を空けたせいで、水が少なくなっています」
これも、ジルフィーを意識して適当に言っているだけだ。とは言え水読の素振りは自然で、疑う余地は無い。掴まれたままの手に一瞬力を篭め諾を告げると、水読は少し表情を和らげた。多分また、二人だけで話し合いをする必要がある。するなら今夜辺りか。
「レオを好きにならないでくださいね」
ドア越の会話を思い浮かべていた私に、水読は唐突にいつかと同じ台詞を口にした。その顔を見上げた瞬間、私は意味もなく後ろめたい気持ちになった。微笑んでいるのに、目だけは何故か、見捨てられた子供みたいで。
「僕は貴女を必ず、元の国へとお帰ししますよ。貴女の生まれた場所へ、例え何があっても。……もしも貴女が誰かを好きになって、ここへ残りたいと言っても」
「…………?」
誰かを?
……私が帰りたいって願うから帰す、じゃないんだ?
王様によれば、もし私を“泉の乙女”のまま手元に置きたいと思ったなら、水読にはそれが可能なはずなのだ。送り返すと念押しするのは、“泉の乙女”が“泉の乙女”のまま元の世界へ帰る事を理想としているから? “悲恋”がそうだったと前に言っていたし、それが道理だとも語った。
でも、もしかしたら。
「私がもし……」
私は仮説を元に、質問を口にする。探りを入れるなら今だ。
「もし――水読さんが好きだから残りたいと言っても、水読さんは私を帰しますか?」
「えっ……」
水読は、虚を突かれたように目を見開いた。
仮説。
私がこっちに残った場合、水読は“泉の乙女”を確保しておくのが難しいと見ているんじゃないだろうか。王様の予測とは違っているけれど。“乙女”の帰還が水読の理想なんじゃなくて、その力が損なわれる事を阻止出来ないと思っている。
でも例えば――雨が戻る事や”二の月”の問題が解決しないってずっと言っていれば、塔だって――いや、王族が介入してきたらやっぱりダメかな……? 水読のこの反応、どう解釈すればいい? もうちょっと踏み込めば、“泉の乙女”についてどう思っているのか分かるかもしれない――。
「そろそろお部屋へ」
その時、横からぐっと腕を掴まれた。制服の袖。いつの間にか隣に来ていたジルフィーが、冷たい目で私を見下ろしていた。次いで、同じ視線を水読に向ける。
「明けの水儀がまだかと存じます。移動されては」
「……ええ」
小さな返事を聞くと、ジルフィーは私の腕を水読から剥ぎ取るようにして引き離した。私がドレスを着ていようが踝より短いスカートを履いていようが、これまで手を取る事なんて一度も無かった癖に、今日はエスコートの形を取って私をドアへ導く。もとい、その体で拘束、連行する。
水読は追って来なかった。止めもしなければ文句も言わない。さっきはジルフィーを追い払おうとしていたのに、ただ黙って部屋を出て行く私達を見送っていた。
応接室を出て、連れられるまま冷えた廊下を歩く。
足の長さが違い過ぎるのに、ジルフィーは歩調を合わせる気が全く無い。私は半ば小走りで付いて行くしかない。
地味な木の扉の前に来ると、彼はようやく足を止めた。
「わっ」
素早く廊下を確認してから、ジルフィーは戸を開け私を押し込んだ。
バタンと扉が閉まると中は暗かった。塔は構造上、窓の無い部屋がある。一瞬見えた内部はそう広くなく、物置か何かのようだ。扉の下の隙間から差し込む光が、白い線となり足元を照らしている。
ちなみに一人で閉じ込められた訳では無い。腕を掴まれたままだから。
「何を考えているのですか」
ドアを背で塞ぎ、ジルフィーが問いかけた。
いやそれこっちの台詞、などと思いながら、その声色にギクリとする。どこ吹く風の普段とは違っている。
初の感情の吐露かなあ……お怒りだ。
「……何をって」
「何故、あのような質問を」
え、えーと。
「……知りたかったんです。水読さんがどういうつもりで私を帰すって言っているのか――大丈夫です、私、残りたいなんて言いません。絶対帰りますから」
聞かれる前に、私は早口に答えた。安心させる為に、この人を味方に付けておく為に。
ここで少し補足しておく。
王様は今朝、塔の事情を語るに付けてジルフィー達についても教えてくれた。彼らを選ぶ際の話を。
側近の候補者は皆私とそこそこ年が近く、比較的見目の整った人ばかりだったそうだ。後は、人当たりのいい社交的なタイプとか。
王様は塔に厳しく条件を取り付けて質問し、その中からジルフィーとハノンさんに絞った。重要な質問は前に聞いたように『尋問』を受け入れられるかどうかだけど、その他にも王様は訊かなければならない事が幾つかあった。
例えば、塔よりも“泉の乙女”の要望を優先させられるか。
そしてもう一つ、“乙女”と結婚したいと思っているかどうか。
私は密かに息を整える。
つまり王様の言う「私が塔に囲われた場合充てがわれる適当な神官」に最も近い立ち位置に居るのが、このジルフィーとハノンさんだったのだ。




