19 天から降るもの
「乱暴な見方であることは断っておくぞ。この国の者から見て、お前の価値は二通りある。一つは“泉の乙女”である事、そしてもう一つはその容姿と血統だ。理由は分かるな?」
「はい」
私は揃えた膝に両手を乗せ神妙に頷いた。
王様は私が落ち着いている事を確認すると、続きを話す。
「今の城の重役は、俺の親父の代からの人間が殆どだ。有難い事に、俺への……王家の血への忠誠が厚い連中だな。少々舐められてはいるが。こちらに関しては今述べたように、直接俺に回ってくるから問題ない。お前が体を張って誘惑しない限りはな」
例の大変チャーミングな笑みでからかわれ、赤面する。すみません。とてもそんなつもりは。
ええとそれで、塔にはバレると拙いという話だ。
「水読さんだけじゃなくて、塔が、ですか?」
「ああ」
王様は頷く。
「塔の上層が“泉の乙女”が処女でなくともよいと知った場合、まず速やかに王族を含む城側の人間一切から隔離するよう図るだろう。戒律に触らぬ場所に住居を構え、侍女も神官に差し替える。ここでお前の意思は挟めぬと思え。あちらにもその程度の押しの強さはあるぞ。……お前の言動を封じた上で“乙女”の名の下に介入を拒まれれば、城は打つ手が無い。そしてお前を閉じ込めた後は、適当な神官を夫として充てがうだろうな」
「えっ……」
「お前の子は高い確率で黒目黒髪か、それに近い色を持つはずだ。孫の代にも期待出来る。それを王族に嫁がせれば、塔は城の手綱を握れる。勿論“泉の乙女”の威光も手に入る」
思わず絶句した。
そこまでは考えていなかった。
そうか、権威や信仰の象徴としてだけでなく、最終的にそういう”使い道”があるのか。他所から来た私は誰のものでもないとしても、神官との間に生まれた子供なら確実に塔の所属に出来るのかもしれない。
「塔の思想だけに限れば、現状でも変わらない。“泉の乙女”の条件を知らぬままでも、ゆくゆくはそのつもりでいるだろう」
私の反応に目を配りながら、王様は続ける。
そういった意味では、旱魃の時は安全だった。
雨が自然に降るようになっても、しばらくは“泉の乙女”として祭事に引っ張り出されるなり何なりするかもしれないが、塔は本音の所、私が“元・泉の乙女”になっても問題ない。黒目も黒髪も健在で、更に手の内に増えるのなら。
――私は、塔の人達からもそういう目的で見られてたのか。
「塔にも建前がある。お前にもこちらにも、それとは明かさぬがな。そして“泉の乙女”を損なう選択肢であれば、必ず水読が阻むだろう。あれが否と言えば、塔はお前に手出しが出来ん」
「……だから、水読さんの出方が肝心なんですね」
「ああ」
秘密がバレた場合水読がどういう反応をするか考えてみて、結局私は一つの確信も持てなかった。
水読は、基本的に私にはいつも優しい。甘い、と言う方が正しいかもしれない。罵られてもどつかれても足を踏まれてもニコニコ機嫌がいい……のは変態だからかもしれないけど、まあ、一事が万事そういう感じだ。
温かく慰めてくれた事もあった。鬱陶しい程私を気に掛けてくれている。嫌がる事はしないと約束もした。でも一度押し倒された事もあった。「“乙女”の身を焼いた」と言われた時だ。
“泉の乙女”が関わった時、水読がどうなるのかが分からない。
何があっても絶対に私の味方をしてくれるとは、私には言い切れない。
あのヘラヘラした顔を思い浮かべながら、私は当然塔にも複雑な感情を抱いた。帰りたいと言う私にこれまで、塔の誰もが特に引き止める素振りを見せなかった。なのに私自身は元より、その次世代の子供にまで及ぶ計画を持ってるって……。
私の扱いについては大臣達も同じなんだけど、偽婚約の話が先にある事と、あからさま過ぎるせいで、どこか「しょうがないか」という気分になる。あと大臣達が強引なのは多分、相手がこの王様だからだしね。この人なら、私くらい絶対上手いこと丸め込んでくれるだろうという信頼が窺える……ちょっと、確信を持って反論出来ないのが辛い。私が大臣の立場なら絶対同じこと思うだけに。
「今の内容は全て、城が塔に出し抜かれ水読も口を挟まなかった場合の話だ」
思考に沈んでいた私は、王様の言葉で顔を上げた。
「水読はともかく、俺はぬかるつもりは無い。こちらに残るなら、お前は必ず城が貰う。その時には、責任を持って骨抜きにしてやるから安心しろ」
「…………」
……頬が火照るのはしょうがない。寧ろ正常だ。私は多数派だ。
緊張しどぎまぎと手指を握りながら、それでも私は先程よりずっと冷静さを保てていた。
王様は多分本心から親切にしてくれているし、何をしてもなんて言っても魅力的なのは素だろう。でも全然狙いがない全くの無意識じゃなくて、私をある程度城側に付けておく必要があるから、そう振舞っている部分もあるはずだ。
城と塔は、常に相手を支配下に置きたい。
「大丈夫です。私、ちゃんと帰ります」
私は、あのフェルトの盤上にポンと置かれる駒の一つに過ぎない。
自分では動けない。私が動けば、必ず他の駒にも影響が出る。
ピースが足りてしまえば、陣取りが始まる。
「私は、ここに居てはいけないんですね」
帰ると言いながら、ちょっと寂しい気持ちを持ってしまった私は、私らしくない。
だけど王様の返答もらしくなかった。
「居てならぬ存在などあるものか」
力の篭った、はっきりとした声だった。
「……が、国へ帰った方が遥かにお前の為だろうな。ここには、お前の知るような自由は無い。城から出る事もままならん。翼も持たぬ我らにとっては狭い世界さ」
王様は断言した後、ふと力を抜いてそう告げた。
慰めるように言うので、何だか泣きたくなった。
その後は、私が見た夢の事を話した。
確かやけに明るい部屋で「眠れない」という会話をしたのだ。それから鏡を見て、何故か花が出てきて、それを王様に渡したらシャンデリアや窓の外の明かりが薄れて夜になった。後、お酒の為にあの夢を見たと感じた覚えがある。
寝起き直後の色々で記憶が吹っ飛んだかと思ったけれど、話すとそれなりに覚えていてホッとする。王様は今回も、その内容に心当たりは無いようだった。
話が終わると王様が懐から時計を取り出し、光に翳しもせずに時を読む。薄明かりの今、時刻は夜明け前だった。
召使いを起こすには早過ぎるので、もう一度寝直すかどうかという話になり、でもどちらがどこで寝るかで地味に揉めたので却下された。私からすれば王様が椅子で寝るのはかなりおかしいのに、王様の意見はその真逆らしい。でも「じゃあ二人共ベッドで寝ましょうこんなに広いし!」とかは言わないぞ、絶対に。それなら絨毯に転がってた方がまだ眠れる。
結局もう起きてしまおうという事で纏まり、王様は再び控室と交渉すると言ってドアを出て行った。
一人きりになった所で、私は席を立つ。強張っていた体を伸ばし、暖炉の火を見る。火ってすごく暖かい。エアコンとは比べ物にならない。
芯から温まり、少し火照った体を冷まそうと窓に向かい、薄布のカーテンを捲って驚いた。
バルコニーに3センチ程雪が積もっていた。
「雪……!」
いつ降ったんだろう!
バッとカーテンを開け、まだ飽きたらず足元までの窓を開いて外に出た。頬を撫でる風は強くなく、きりりと冷えて私の頭をスッキリさせる。
空は薄曇りで灰水色。まだ少し金色掛かった有明けの月が、ぼうっと浮かんでいる。雪を被った庭と城壁の向こうに、遠い山並みが白く際立って連なっていた。更にその上には、雲を透かして銀の星が。
踏み出すと、靴の下でサクリと音がした。
白い石の手すりに近付き、なお白い新雪に手を触れる。冷たい。つまんだ粒状の塊は指の上ですぐに溶けていった。あっという間に耳が冷えて痛くなってきたのに、体の芯はちっとも冷える気がしない。
辺りは静かだ。意味もなくドキドキする。
――お兄ちゃん元気かな。ケータイ持ってたら、写真撮って皆に見せてあげるのに。
掬い上げた雪をパクっと頬張ってみた所で、背後で誰かが吹き出した。
「……!」
「……いや、悪い。美味いか?」
ちゃんと窓を閉めなかった私が悪い。
赤い顔で振り返ると、王様は口元を覆い肩を震わせていた。っていうかツボっていた。私の何がそんなに面白いんだ。
彼はどこからか持ってきたらしい男物の上着を貸してくれた。
「腹を空かせている所申し訳ないが、もう半刻程付き合ってくれ。朝食になれば扉も開くだろう」
「お、お腹空いてたからじゃありません」
交渉は失敗したらしい。扉の向こうには恐らく今も人が居るが、返事をしないという事だ。
その後、私と王様はバルコニーで雪を汲んだ。応接間のゴブレットと枕元にあったグラス二つと、しまいには水差しの蓋まで持ちだして手すりの雪を集める。
綺麗な所を掬ってぎゅうぎゅう詰め込むと、金のゴブレットはすぐにキンキンに冷えた。
「冷たい!」
「雪だからな」
あるだけの入れ物を雪で満たし部屋に戻ってテーブルに並べると、中身は暖炉の熱ですぐに溶けてきた。結露したグラスのどこまでも透明な水の中に、半透明の雪の塊が浮いている。
私と王様は雪解け水で乾杯した。口にするととにかく冷たくて、どこか甘いような気がした。王様はその間ずっと可笑しそうにしていた。私もテンションが上がっている。王様がこんな事に普通に付き合ってくれてるのが、何だか可笑しくて楽しい。王様なのに。
「初雪だ。俺とて雪見くらいはするぞ。口にした記憶は、ここ十年は無いが」
「十年前にはあったんですか」
「さあ、あったかもしれん。頼んでも部屋の鍵も開けてもらえず、空腹で仕方がなければな」
「だから、違いますってば」
水の染みた布靴を火に向けながら、私は18歳の王様が雪を食べている所を想像して笑った。そして真冬でも膝丈より短いスカートを履いていた、高校生の自分を思い出した。雪なんて降った日には、あの頃の私は友達皆と大はしゃぎだった。
「王様は結婚しないんですか。大臣達、あんなに必死なのに」
ふと尋ねると、同じように笑っていた王様は少し笑いを収めた。意味を見極めようとする目に、だって閉じ込められたりして、と言うと、納得して苦笑する。
「俺は養子を取るつもりなんだ。まだ小さいが、親族に見所のある子息が一人ある。……ああ、うちの年寄り達には言うなよ。直系の血に拘っているからな、次はどんな手で来ることか」
確かに。
「でも、そういうのって物凄く重要な事なのでは」
「まあな。現にこの目や血は、直系と傍系では効き目が異なる。一族の者は多くいるが、俺や弟達のそれには及ばぬようだ。しかし残そうにも、遠くなく滅びる定めだろう。俺にクラインやアルスのような痣が無い事が不思議なのだから」
雪解け水を美酒であるかのように含み、王様は燃える火を眺める。
「俺の母は、覚悟のある女だった。しかし、クラインの事を随分気に病んだ」
王様は母親であるフィーネ后やマリエラ妃の容姿について話してくれた。最早“黒”で薄められぬ所まで来ている、と。
「そんな顔をするな」
指摘されて、自分がどんな顔をしていたのか気になった。多分変な顔だ。
「笑え、ミウ」
王様は微笑んで言う。
「俺はお前が笑っている所を、今朝初めて見たぞ」
「……そうでした?」
「ああ」
なんと。
私はこの人について、殆ど笑っている印象しか無いというのに。
朝食時になり応接間に行くと、無事に開けられた扉から召使い達が朝ご飯を運んで来た。
自分が出てきた寝室のドアを見て、私は改めて既視感を覚えた。ああ、そう。確かにそこにあったドアだ。
テーブルの用意をしている間、別室で身支度をさせてもらった。皺の付いてしまったワンピースドレスを脱ぎ、見た事のない深紅のドレスに着替える。厚手の起毛織りで、共布の肩掛けがセットになったデザインで温かい。袖口には、食事中私を心配させるレース飾りがあしらわれていた。黒だからまだマシか。
針と糸を使って魔法のようにサイズを合わせながら手早く着せ付けてくれたのは、いつも王様の部屋でお世話をしてくれる老婦人だった。
「見事な御髪でございますね」
彼女はそう言って私の髪を高い位置でポニーテールに結うと、小さな鈴が沢山付いた金の櫛を挿してくれた。
応接間に戻り、王様が付き人達に小言のような文句を言うのを聞いて笑いながら、私は以前とは比べ物にならない打ち解けた朝食を摂った。
グラノーラのお皿とスープのお皿、そして食後のお茶が全て片付き塔の部屋に帰ろうとした所で、ようやく何かが起きている事に気付いた。
部屋を出て廊下を進み、王様の居住区らしき一画を出た階段の広間。
段の下には何故か神官が何人も居て、増員された城の警備兵が通路を塞いでいる。
「……まあ、そうだろうな」
同行していた王様が呟く。神官は抗議に来ているのだ。来ないわけがないか。でも、いつからこうしていたんだろう。
私と王様の姿が見えると、喧騒がピタリと止んだ。
「ミウさん」
階段の下、見下ろす人垣の向こうに水読が立っていた。淡い水色の髪が異彩を放っている。
水読が一歩踏み出すと、誰ともなく脇に避け道を開けた。静まり返る中、長い裾を捌く微かな音だけが聞こえた。私は王様と顔を見合わせる。水読には、これまで通り接するべきだと結論が出ている。
様子が変なのは向こうだった。
「…………」
階段を上がる水読は、大勢の人達も、王様の事すらも目に入っていないようだった。
私の前で立ち止まる、その顔は蒼白だ。
腕が伸びてきて、頭の後ろに手を差し入れられると、しゃらしゃらと鈴が鳴った。驚く間もなく額を合わせられる。王様が一瞬身構えたのが気配で分かったけど、私がぎょっとしただけで大人しくしているので、それ以上の反応は控えたようだった。
束の間そうして私の状態を”読んだ”水読は、額を離すと詰めていた息を吐き出した。
「戻りましょう」
硬い声だった。
見上げると、私の代わりに、鈴がさも可憐に答える。握られた手は氷の様に冷たい。
踵を返した水読に強く腕を引かれ、階段を下りた。下りながら振り返り王様と目を見交わした。
彼は私に目で頷いた後、どこかに視線を飛ばした。受けるのは隅の方に居たらしいジルフィーだ。心得たように集団を抜け、水読と私の後に付いてくる。それを唖然と見送っていた神官達はやがてハッとして、王様に抗議する為詰め寄っていった。
無言で歩き続ける水読に引き摺られるようにして、私は城の一画を後にした。




