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雨の冠  作者: 桃宮
6.微睡む太陽
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17 花と因果

 喉に灼け付くような、甘ったるい液体。

 むせ返る花の香りにクラクラしながら、水読の配慮を感じた。こりゃ一度に沢山は飲めない、というか原液で飲むものじゃない。風味が濃すぎてちょっと涙出そう。

 飲んだのは半量程度だ。そんなに度は強くないと思うけれど、すぐにポーッとしてきた。うーん、気持ちいいような……おっと猛烈な眠気……。

 グラつきながら小瓶の蓋を閉め腰帯に挟んだ所で、その手が私の腕を掴んだ。何とも言えない表情の美貌を見上げ、私はすとんとソファに腰を落とす。


「大丈夫です、死にませんから」

「当たり前だ」


 クッションに身を沈めながら、私は溜息を吐く王様の姿と淡いオレンジ色の部屋を目に映した。リキュールの香りが強烈過ぎるから、多分この映像は記憶に焼き付く。目を閉じても……ほら、まだ王様が見えるし。


「お前という奴は、何故唐突に強情なんだ」


 掛けられる声がふわーっと遠のいていく。何か言っているのはわかるんだけど、途中から翻訳が甘くなって意味が拾えない。純粋にいい声だなあーとか思ってる私はあれか、酔って怖いもの知らずになってるのか。もう目が開かない。

 とりあえず謝っておこう。ごめんなさい……。








 目論見通り夢を見た。

 「起きた後が怖い」という意識が余程強かったのか、王様にくどくどとお説教される夢だった。正座してしょんぼり聞いた。反省。

 しかしなんか普段と違うというか、妙にラフな関係に思えたのは多分、イメージの何割かに兄か誰かの印象が混じっていたからだろう。過去の記憶と混同しているのだ――


 ――というような事を、その夢を抜け出し別の場所に立った時にふと思った。


 高い高い天井。星と輝くシャンデリア。

 部屋の真ん中に、黄金の髪の美しい人が立っている。


「花の香がするな」


 王様が言った。

 私の周りには、ラベンダー色の沢山の小花がふんわりと漂っていた。

 どういう訳か、私の体から出てきているらしい。

 シャボン玉のようにふーっと宙に現れては、水面に浮かんでいるみたいに幾つかの塊になって渦巻いている。


「花の精か?」

「いえ、これはお酒で……」

「では酒の精か」


 なんだそれ。

 違いますと言いながら、私は片手で花々を掬う。

 「燃える水」というフレーズを思い出した途端、手の平の上で溶けるように花が燃え、淡い紫色の炎になって消えた。


 部屋は明るかった。

 燭台の照明に加え、窓の向こうは光の海だ。夜なのにおかしい。

 それから、私の足元を除いて王様にも部屋のどこにも一つも影が無かった。

 無いと言えば、あちこちにあったソファも無い。テーブルも椅子も。

 おおよそ、体を寛げる場所が無い。

 飾り棚の中にある沢山の時計が、忙しなく時を刻んでいる。

 暖炉には赤々と火が踊っていた。上の大鏡には部屋が映り、何故か私だけが映っていなかった。


「美雨です」


 名乗ると、鏡に私が映るようになった。

 同時に宙を漂っていた薄紫の花の固まりが一つ、ポッと燃え上がり鏡面を光らせた。


「ここで会うのは二度目だな」


 美しい声が響き渡る。


「さあ、質問を聞こうか」

「ここはどこですか?」


 以前と同じ問いに、同じように返す。


「お前の知る場所だろう。俺は客人に過ぎない」


 声が響くのは天井のせいかもしれない。

 本当にあり得ないほど高いのだ。

 遠すぎてシャンデリアのぶら下がっている元が見えない。

 家具も少なく妙にスカスカしている。だけど間違いなく王様の部屋だ。

 キョロキョロする私を見て、王様は現実と同じように笑った。


「ここは、お前が映した俺の姿だ。俺はお前に招かれてここに居る」

「そうなんですか」


 その答えは予想通りだった。しかしここまで確かめるのが、ある種の様式なのだ。

 それで……なんでここに居るんだったか。

 探し人。

 じゃない、王様が眠れないから。人を探しているのは私じゃない。


「私は、あなたがちゃんと眠れるようにしたいんです――なんで私じゃないんですか。“泉の乙女”なのに。髪も黒いし、目も黒いのに」


 手伝わせてください、と言うつもりだったのに、何故か不満のような事が口を衝いた。


「印が無い。俺は、額と胸に印がある女を探している」


 王様に言われて、直感的に三人の人物が思い当たる。

 額と胸、という言葉に「目と心臓」のニュアンスがあった。

 それぞれに痣を持つ、クラインとアルス王子。

 そして水読だ。水読は額と、確か胸にも印がある。

 でも皆黒目黒髪ではなく、女性でもない。

 私も含め、皆片手落ちだ。


「”ミナ”」


 口にすると何かが違う。もっと長い名前に思えた。

 多分、本来の言語ではそうなのだ。ただ私には聞き取れない。

 王様は私を真っ直ぐ見て言う。


「因果により、当人が見つける事は叶わん。逃げられるからな。よって俺が手を貸さねばならぬ」

「因果?」

「全ての理には故があるだろう?」


 ああ、うん。そうかもしれない。

 納得していたら、シャンデリアがひときわ強く輝き始めた。

 私の足元の影が薄らぎ、幾つもに分裂して放射状に伸びる。私は目を眇めた。


「これじゃ眠れるはずない……」

「仕方がない」

「私はそれでは困るんです」

「何故?」

「何故って……困るからです。私、あなたが」


 あなたが?


「心配だから」


 視界の端で、紫の花が煌々と燃え上がった。

 花が全て燃え尽きたら、この空間が終わる。ここは燃える水の上に揺れる幻だから。

 少し焦る私に、王様は悠然と佇んだまま、僅かに首を傾げた。


「俺が知る事は少なく、お前に課せられるものもまた多くない。お前は俺の前から去る事が出来る」

「去る? なんでですか?」

「来たくて来たのでは無いだろう?」


 王様は笑っていた。


「『美しき雨』。ここで会うのは、これが最後だ。何事も、初めと終わりの二度で済むのが望ましい」

「待ってください、まだ……!」

「それは消して行ってやろう。お前の体には少々響くようだ」


 王様が浮かぶ花々を指を差すと、途端にそれは薄紫色の炎に変わった。

 ポッ、ポッと隣の花へ次々に引火して消えていく。余韻のように柔らかい芳香が散る。

 なんだ、二日酔い(?)も水読じゃなくて王様に頼めば簡単だったのか。

 場違いな感想を抱きながら、辺りの景色が薄れていくのを見て、私は一つの花の塊を掴んだ。手の中に隠し炎から遠ざける。

 このまま帰っては意味が無い。何か、残していかなければ。

 部屋を見回し、暖炉の鏡に目を留める。


 不思議な事に横顔の私が映っていた。


 吸い込まれそうな黒い髪。ひたむきな印象を与える黒い瞳。月色と表される肌。

 それを確認できるくらい、この部屋は明るい。

 鏡の中の私は、正面を向いたままだった。

 先に居る人物を食い入るように見詰め、厳かに両手を捧げる。

 伸ばされた手には薄紫の花があるはずだ。

 しかし鏡の中の私が手を広げると、そこには大きな別の花があった。

 新雪を思わせる、純白の一輪。

 ハッとして自分の手を見ると、同様の花が乗っていた。

 真珠のように内から輝くそれは、上から見るとまるで星のようだ。

 微かに桃色掛かっている点だけが鏡の中と違っていた。


 どこからか愛らしい、歌うような声が聞こえる。



  水上にありて 水中に咲かず

  明けに開きて 暮れに閉ず

  星のかんばせ日の輪を追うが 水面としては生きられぬ


  ”星集え”様――千年よりの昔から、お慕い申し上げております――――。




 ――甘く爽やかな香りが辺りを包む。

 睡蓮。

 古く、強い因果を持つ花。


 花を手にしていると、不思議な確信をも手にしているような気がした。

 私は記憶を頼りに、幾つもあったはずのソファや椅子を絨毯の上に出した。

 思い浮かべるだけで現れるのだ。

 これで休めるだろう――いや、やっぱりベッドが必要かな? 部屋を見回しても、ドアがない。


「寝室はどこですか?」


 尋ねた瞬間、部屋の隅に新しいドアが現れた。あの向こうらしい。

 私は部屋の中央に近付き、鏡で見たのと同じように、両手に乗せた花を金の髪の主に差し出した。


「受け取れない」

「お貸しします」


 誓言が必要だ。

 銀色に輝く蔦葛のような文字が、私の唇から紡がれる。


「『この花が閉じる時、あなたも眠ります。この花が開く時、あなたも目覚めるでしょう』」


 言葉の鎖は流れるように花を取り巻き、更に王様の胸へと伸びて何かと結ばれた。

 私は、そこにあの懐中時計がある事を察する。


「今は、夜です」


 睡蓮が眠るように閉じた。

 それを合図に、場の空気が一変する。


 棚の中の沢山の時計達が、何かに気が付いたようにざわめきだす。

 金色に輝いていた窓の外が、すうっと夕暮れの色に染まり闇に沈んでいく。

 シャンデリアの輝きが一つずつポロポロと零れ、無数の金の星になって空へ飛んでいった。

 釣られるように浮き上がった睡蓮の花が、ぼんやりと光りながら王様の胸に留まる。


 夕刻の暗がりを帯びる部屋の中で、ラベンダー色の火が幻想のように燃えていた。

 すぐそこにいるのに、王様の表情は分からない。

 でもなんとなく、眠る前に見上げた顔と同じだろうと思った。

 花の香りが強く、強く漂っていたから。








 小さく震えて目を覚ました。

 寒い。ぼうっと頭が鈍っている。

 重たい瞼を何とか持ち上げると、視界は暗かった。しかし真っ暗闇ではない。月明かりと、微かな橙色の明かりが壁に映り目の端でチラチラと揺れている。暖炉の火だ。

 ひとまず、そこまでしか認識出来なかった。何故かって、そんなことこっちが聞きたい。デジャヴだ。夢の、じゃない、現実の。


 ――いつの間に楽園から舞い降りてきたんだろう。

 目の前にはルーヴルもびっくりの、神の模造作が横たわっている。


「…………!?」


 反射的に息を呑み、一瞬遅れてすごい勢いで心拍が跳ね上がる。ドッドッと煩い胸を押さえる事も儘ならないまま、私はぴたりと一時停止した。

 近すぎて呼吸が掛かりそうで、無意識に押し殺した息遣いになる。場所は多分、寝台だ。やたら広いけど。


 王様は、眠っていた。

 さらさらと眉間に掛かる髪が、酷く無防備だった。優しい弓型に切れ上がった目元の、その睫毛の濃いこと濃いこと。アイラインいらない。

 造形はともかく、安らかな寝顔だった。私と向かい合うように横向きに寝転び、毛布も掛けずに規則正しい寝息を立てている。というか私もろとも全ての布団の上に乗っているので、何も掛けようが無いのか。その代わりじゃないけど、私の二の腕辺りに彼の右手が掛かっていた。そこだけものすごくあったかい。もう片方の手は顔の前に投げ出され、指先が緩く丸められている。

 呆然とその手を見て、私は再びぼんやりとその顔に目を戻した。

 意志の強そうな、それでいて気品に満ちた眉は、起きている時より力が抜けていて少しだけ親しみを覚えた。

 綺麗に通った鼻筋は、狭い頬の半分を更に深い影に沈めている。

 やや厚みのある唇は閉じられ、眠っていても幽かに微笑んでいた。この人の口元は元々こういう格好なのか、それとも癖になっているのか……。


 本当に、なんて綺麗な人だろう。

 誰でも、せいぜいそう思って見惚れるしか出来ないだろう。何か考えろと言う方がおかしい。最初に受けた印象は、今も全く変わっていない。百人なら百人、千人なら千人が美しいと言う、完全無欠の眩い天人のような姿。

 クラインやアルス王子にも同種のものがあるけれど、王様と彼らのそれでは、ある一点に於いて大きく違っている。言うなれば「幸福感」のようなものの有無だ。目の前の美貌に、薄暗さは一つも見当たらない。


「……王様」


 私はごく小さな、掠れるような声で呼びかけた。

 起こす気なんて毛頭無くて、実際、規則的な呼吸に変化は無かった。そこで初めて、心の何処かではその瞼が上げられ、深く美しい瞳がこちらを映す事を期待していたと気付く。

 半ば無意識に、吸い寄せられるように手を伸ばした。息を詰め、瞬きすら惜しんでいるという自覚はない。自身の状態に意識を割く余裕なんてあるわけない。

 ただ、大理石のような、その滑らかな頬に触れてみたい――。




 一瞬だったのか、それともしばらく経っていたのか。

 指先が触れ瞼がゆっくりと開かれた時、私はそこに朝日が迸るような鮮烈な印象を抱いた。瞳の色など分からない暗がりで、記憶の中のエメラルドグリーンが弾ける。

 純粋に不思議そうな眼差しはいっそあどけなく、健康で満ち足りた少年のように見えた。眠りの余韻を纏う双眸は、瞬く度に光が飛ぶような錯覚を与える。


 これまでで、一番近い距離で目が合ってしまった。


 引っ込めようとして固まっている私の指先を、二回りも大きく見える手の平がおもむろに掴んだ。



「……どうした?」


 温かい。

 本当に息が止まる私に、その瞳が微笑む。溜息が出るほど優しい響き。頭がクラクラする。

 そんな中私は一体、なんと返せば良かったんだろう? まあ、なんて返したとしても間抜け面に違いはなかったんだろうけど。

 ただ、呆けた顔で呟いた回答はあまりよろしくなかったらしい。


「……あなたの、夢を、見ました」


 それ以上言う前に、衣擦れが聞こえた。

 横を向いていたはずの肩と後頭部が枕に押し付けられ、暗い天蓋が更に暗く翳る。布に沈み込んだ頬に滑らかな絹の感触がして、前髪に今は黒く見える金の髪の先が触れる。掴まれた両肩が熱い。

 そして、今度こそ明確に微笑んでいる唇。

 ……ちょっと待った。


 まずは、頭の動かし方を思い出さなければ。それで考えなければ。

 議題はシンプルに行くべきだろう。

 例えばそう、なんか今自分がとんでもない状況下にいる理由について、とか。


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