3 役立たず
それから、私は何度もクライン王子――クラインの元を訪ねることとなった。私は聞きたいことがあり、彼は快く教えてくれるので自然と頼ることになる。クラインは質問に答えてくれる他、。神話の本に始まり過去の旱魃の記録などまで、読めない私に代わって解説しながら見せてくれた。
――それでも結局、帰る手がかりも旱魃の解消法も何も掴めなかった。
“泉の乙女”に関わる記述は、本当に、ほんの少ししか残っていないようだ。しかも肝心な部分に関しては、この国の人々より“乙女”自身の方が心得ていたという風に書かれている。しかし私は、そんなことは何も知らない。
「ミウは、本当に”泉の乙女”ではないのだな」
「はい」
何度目かの話し合いというかお茶会というか、毎度同じく“秘密基地”で向かい合い本を広げまくっていた時、ふとクラインが訊いてきた。
なんか、デジャヴな質問だ。
「そういえば、前に王様にも確認されました」
そう言うと、クラインは何故か考え込むように俯いた。そうすると、やや長めの前髪が滑らかな頬と瞼に掛かり繊細な影を作る。クラインがしばらく黙っているので、私は見るともなしにその姿を眺めた。彼にはいつも憂いを含んだ独特の雰囲気があって、目線を伏せたりすると色っぽくすらある。この感じに魅了される女性は、さぞかし多いことだろう。まあ、私は別だけど。
クラインとある程度過ごして、私はすっかりその性格の方に感服していた。表情が乏しいため一見冷たそうだが、話すと深い思いやりと知性に溢れた人物だと分かる。いつも落ち着いていて、言葉も態度も大人っぽくてとても真似出来ない。いや、同い年なのに本当によく出来た人だよ。
人間見た目じゃないとはよく言ったもので、内面への尊敬が先立つと、外見などは些細なことに思えてくる。もちろん綺麗だな、格好いいなとは感じるんだけど。見た目からは全く想像が付かないが、クラインは結構素朴というか、一緒に居ると安心できるタイプなのだった。
私の視線に気がついたのか、彼は顔を上げた。
「ミウは以前、自分の国には同じような黒い髪と瞳、月色の肌の者が大勢居ると言ったな。文化も全く違い、水読や“泉の乙女”のような存在に水が依存する世界ではないと」
「はい」
私が感心してる間、クラインはそんなことを考えていたようだ。
「正直、俄かには信じがたい。我々の認識とはあまりに違いすぎる。君は“泉の乙女”の容貌そのものだ。しかし、特別な力など無い一般の人間だと言う」
「はい」
「君を知る殆どの者が、それを信じていない」
「はい……」
一言一言頷きながら、仕方ないことなんだろうと思った。クラインは私の話を色々聞いてくれたが、常識の土台をひっくり返すのは簡単なことじゃない。私はこちらに来てしまった側なので、物理的な証拠が沢山あって「別の世界があるんだな」と納得せざるを得なかったけど、クラインやこちらの人は「私」以外は目にしていない。
物憂げな視線が一度伏せられ、再びぴたりと私の目を捉えた。
「――私は、信じても良いだろうか?」
囁くように問いかけられ、何かどきっとした。面と向かって、そんなことを尋ねられたのは初めてだ。
「私はこれまで、この国に伝わる歴史について偽りなく話した。ミウも私に本当のことを話しただろう?」
どこか慎重に、確認するように聞かれる。
「……はい」
私が答えると、クラインはじっと吟味するように沈黙し、やがて「そうか」と短く呟いた。
納得したのか、どこか表情から余計な力が抜けたような感じがした。
「もう一つだけ、質問をしても良いだろうか」
「はい?」
「私たちは『友人』か?」
これは、秘密をこっそり教えるような、どこか期待が滲む囁きだった。真っ直ぐ私を見る瞳は、水瓶に反射した西日を受けて金緑色に透けている。
「はい」
ニヤリと笑って頷くと、クラインは顔を綻ばせた。
「では――ミウがこの国を訪れたのは何らかの偶然で、“泉の乙女”は他に在るのかもしれない。これから現れるか、君が国へ帰れれば改めて現れるのか。そのどちらでも、またどちらでなくとも心配は無用だ。私はミウが元の国へ帰れるよう力を貸す。――これまでの話、私は全て信じることにする」
日が暮れてきた頃、二人でバスケットに飲み干した食器類を入れ片付けた。
この人は身分に似合わず、あまり召使いを使うのが好きじゃないらしい。変わり者だとからかわれると、クラインは少しだけ砕けた調子で私に言った。一体誰がからかうんだ。と思ったけど、この性格だし、案外気安く親しまれているのかもしれない。
片付けが済み石段を上る時、丁度夕日が遠い湖の向こうへ消えるところだった。今日は“二の月”は見えない。この前小さな月があった方角を眺めると、クラインも同じ方を見ていた。目が合ったので微笑むと、不意に腕を引き止められる。
「なんですか?」
「ミウ、おかしな事を言ってもいいか」
「どうぞ」
クラインは今までとは少し違う、不思議とすがすがしい表情をしていた。
「君が来てから、私は自分がもう一人増えたような気分だ」
なんとなく照れ笑いのようなものが込み上げてきて、私はクスクス笑った。クラインも笑う。初めて見る屈託のない笑顔は、飛び抜けて綺麗だけど、何故か他のあらゆる人の笑顔と同じに見えた。安堵と新しい喜びが、じんわりと私の胸を満たす。
私はこの世界に来て、一人ぼっちで不安だった。何だか判らないけれど、この人もそういう所があったのかもしれない。
厚いガラス越しに見える部屋では、侍女が燭台に火を灯している。やがて石段に“二の月”ではない大きな月の光が差し、私たちは少しの間それを眺めた。
◇
応接間に戻ると、アプリコットが迎えに来てくれていた。
「本日はいかがでしたか? 楽しく過ごされたようですね」
退室し廊下を歩きながら、彼女はニコニコして尋ねてくる。アプリコットは、女の子らしく結構話好きだ。
「遅くなってすみません。今日は特に、長居してしまって」
「いいえ、沖になさらず。お話が弾みましたのね。クライン様は別け隔てなくお優しい方ですが、長くご一緒できる方は珍しいと存じますわ。お夕食もご一緒なさるのか、お尋ねしようと思っておりましたのよ」
「あー。でも、今日はまだ搭へ行っていないので」
本当はもう少し早い時間に戻る予定だったので、今日は水読の所へはまだだった。
私は初日以降、あの爺さんに請われた通り、毎日ちゃんと搭へ顔を出していた。行った所で何をするでもなし、水読にもさっぱり変化がないので意味があるのか謎だけど、行かないと爺さんがこの世の終わりみたいに嘆くので仕方なく通っている。
なんていうか、罪悪感を煽るのが上手いんだよね……。めそめそ恨み言を言う老人を想像し、身震いする。
「あの、このまま直行してもいいでしょうか」
「ええ。では、ご案内致しますわね」
アプリコットに案内を頼み、私は塔へ向かった。
◇
抜けるように白い肌を、か細い炎が浮き上がらせる。長い長い髪は日の光の下では薄い水色をしているが、今は殆ど白に近い色に見える。真っ直ぐな睫毛はぴったり伏せられ、開かれる気配はなく、その影だけが細長く伸びてチラチラと頬の上で瞬く。
今日も今日とて、やっぱり眠る横顔に変化はない。
円形の部屋、寝台の脇に膝を突き眺める。
ここの壁は、大きくぶ厚い水晶の原石をタイルのように張り巡らせて作られている。そのでこぼこした一つ一つに小さなランプの火が映り、揺れ動く様は中々幻想的だ。
隅の文机にはいつも、神官が一人か二人待機していた。彼らが本を読むための最低限の明かりしか灯されないので、日暮れ後この部屋は薄暗い。
私がここにいる間、アプリコットは下で待っている。彼女やサニアは搭までついてきてくれると、いつもそうする。
祈るように手を組み、私は静かに頭を垂れた。実際はぼーっと見ているだけだが、背後で見守る神官からは、まるで“乙女”が水読に祈りを捧げているように見えるだろう。祈ってると言えば祈ってるけど、そうしたところで何も起きないのは実証済みなので、あまり意欲はない。搭の関係者に初日から問答無用で有り難がられているので、適当にそれっぽくしているだけだ。何もしてなくても、何かしてる感って大事だよね。
……さて。
水読さんが早いとこ目を覚まして、メルキュリアに雨が降りますように。そして私も早く元の世界に戻れますように。なにとぞ、神様仏様。
程々に時間を潰し、最後に少しだけ本当に祈って部屋を出た。
ふう、これで今日の仕事は終わりだ。
しかしこの日は、まだ続きがあった。
暗い搭の石段を降り切ると、下で待っていたアプリコットが渡り廊下へのドアを開けてくれる。
この階段にも随分慣れたな、往復してもあんまり疲れなくなったかもーなどと考えながらドアをくぐった時、急に脇から誰か出てきてぶつかりそうになった。
「わっ、すみません……」
謝りながら顔を上げると、見覚えのないロイヤルブルーの瞳と目が合う。その人物は、私の進路を塞ぐように立ちはだかっていた。
……え、誰?
身長は、私と同じくらい。年は14、5歳くらいか。
それは、人形の様に整った容姿の少年だった。今度は、間違いなく少年だ。
あちこち跳ねるくせっ毛に猫のような大きな青い目をしていて、伸び盛りのしなやかな体によく似合っている。似合っているけど……。
「…………」
鋭く睨む目つきも、不機嫌そうに引き結ばれた赤い唇も、明らかにこちらを歓迎していない。どちらかといえば可愛らしく見えそうな顔立ちなのに、その表情のせいで、刺々しく気位の高そうな面ばかりが引き出されている。
「お前が“泉の乙女”か」
少年が辛辣な口調で聞いてきた。
私は、初対面の相手からの高圧的な態度に少々面食らっていた。……えっ、初対面だよね? こっちに来てから、この対応は初めてだ。あの国王陛下こそナチュラルに威圧感放ちまくっているが、この男の子は意図して敵意を向けてきている。
反感を抱きつつ、しかし私はその姿に若干の懐かしさを感じていた。彼に一つ大きな特徴があったからだ。
この子、髪が黒い。
実はこっちでは自分以外、髪の黒い人間を見たことがなかった。茶髪とかもいない。メルキュリア人はみんな色素が薄いらしく、髪は金やベージュなどの淡い色合いの人ばかりだった。
と、そんな事を思っていたら、少年が蔑むように吐き捨てた。
「なんだよ、ただのガキじゃねーか」
「えっ」
が……ガキって、私のことですか。初対面でいきなり喧嘩売られたんですけど……っていうか、そっちこそ子供じゃん!? 何だいきなり!?
二度目のショックで反論したくなったが、私はぐっと堪らえた。こんなあからさまな挑発に乗るのも癪だし、向こうの意図も分からない。
案の定、少年は平静を装う私の態度が面白くないようだった。表情を更に歪め、フンと鼻で笑うと追撃をよこす。
「まさか、“泉の乙女”がこんなのだったとはな。遊んでないで、何とか出来るならとっととやれよ。役立たず」
一方的に言い放つと、少年はあっさり踵を返して去っていった。廊下の向こうまで足音が響き、消える。
私はポカーンと立ち尽くした。
「……な」
な、な、何今の……や、役立たず!? ぐ、結構刺さったぞ、その言葉。
「ミウ様……お気になさいませんよう」
アプリコットが気遣わしげに言う。ありがとうありがとう……優しいお言葉、ささくれた心に沁み渡ります……。
それにしても、あいつ誰だ。絶対名前覚えといてやる。
「今の人は?」
「あのお方は、三番目の王子殿下、アルス・イレギア=ミナ・メルクリウス様です」
「うええ」
聞くなり呻いてしまった。
そういえばあの顔、そうそう居ないだろう某美形の系統だ。あと、予想以上に名前が長かった。まあ肩書きがすごく忘れにくいから、そっちを覚えておけばいいだろう。あの子も要するに、王様の弟って事だよね? クラインの弟でもあるのか。もしまた何か言われることがあったら、さり気なく告げ口したい。
密かに復讐心を燃やす私に、アプリコットが少し言いにくそうに続ける。
「今年ご成人なさったのですが、早くにお母様を亡くされた方で……ご病気もありましてその、少々」
「少々?」
「ええ、少々」
荒れてるのか。
成人したということは15歳だから、思春期真っ只中だ。なるほどね。こっちにもグレる若者はいるんだな。
微妙に納得した私は、納得した所で治まらない腹立たしさと、役立たずと言われた悔しさを抱えて部屋へ戻った。“泉の乙女”じゃないとは言ってるけど役立たずは図星なので、何気に大ダメージである。
……や、イライラするのはお腹が空いているせいもあるんだろう、夕飯前だ。そうだそうだ。最近結構何もかも空腹と睡眠不足のせいにしてるけど、今日もそういうことにしよう。
……そんなちょっとしたトラブルも挟みつつ、こちらに来てから半月となった。
私の生活というと、なんだかんだでクラインとは連日話をしていた。
学会の研究会議とやらで忙しいらしく、この前以来昼間は会っていないが、夕食に同席して会議の経過を教えてもらっていた。私自身が研究会議に参加することは、やっぱりまだ許されていなかったが、状況的には前進だ。
入れ違いに、王様との朝の会食は一時中止になっていた。彼は今、城を空けている。いわゆる「出張」らしい。数日掛けて民衆や土地の様子を見に地方まで足を伸ばすそうだ。
その他、空いた時間はひたすら部屋に篭り、アプリコット達や、勉強用に作ってもらった文字表を頼りに、簡単な歴史書や神話の本をチマチマ読み進める。
こちらの文字は本当に、文字というより模様という複雑さで全く識別できないんだけど、最近は印刷のものならいくらか見分けが付くようになった。手書きと違って、幾らか簡略化されているからだ。どういう仕組みか、正しく発音さえできれば耳が翻訳してくれるので、時間をかければ意味は拾える。
“泉の乙女”関連の記述がある本で、最も詳しいと言われた一冊を開く。
もう何度も読んでもらって、大した情報は書かれていないとわかっているけど、行間に何か隠されていないか、別の解釈は無いか、僅かな希望を託して必死に目を通す。視点の違う私ならもしかしたら、と思って。……何も出てこないけど。
――もし、全部読んでも手がかりゼロだったらどうしよう。
……いやいや。古語の研究が進めば、旱魃対策や帰り方も分かるかもしれないし。
ひょっこり本物の”泉の乙女”が現れるかもしれない。
水読が目を覚ますかもしれない。
不安が芽生えるたび、私はそれを必死に頭の隅へ追いやった。
協力者もいるし、友達できたし大丈夫。頑張ればなんとかなる、はず。
そんな考えは甘すぎたのか、事態が急変したのはその日の夕方だった。