12 言えないこと
刻々と陰っていく廊下に、遠目にも均衡の取れた影が近付く。
「すまない、驚かせた」
「……クライン」
呼び止めたのはクラインだった。まだ心臓をバクバクさせている私の元へ、足早にやって来る。
「すいません、ちょっと迷って……」
目の前で立ち止まった彼に、私はノブを離し弁解した。決してどこかに不法侵入しようとしていたわけじゃないんですよ。要はその、庭から知ってる廊下にでも出られれば良いなと。
「ミウを疑ったのではない。ただ、その庭はどの通路にも通じていない」
「そうなんですか……というか、もしかして王様の庭ですか。なんか静かだし」
ここは城の中でも上階だけど、所々屋上緑化キャンペーンみたいになっている城の庭は、地上にあるとは限らない。ひょっとしたら、この階全体が王様の住居なのかもしれない。
さっきの今で居たたまれなくてペラペラ取り留めのない事を喋ると、黙って聞いていたクラインは、何故か少し躊躇った様子で言う。
「その先は、離宮だ」
「離宮?」
「かつては母が住まっていた」
「へえ……」
扉の向こうは、その前庭らしい。クラインのお母さんの住居だったのか。勝手に入る前で良かった、部外者なのに故人を偲ぶ場所に立ち入るつもりはない。
「そういう意味ではない。今は、空き部屋だから」
「……?」
「戻ろう。部屋まで送る」
小さく微笑み、クラインはごく当たり前に片手を差し出した。
お、おう。
ドレス着てる人には、その案内は必須なんですかね。
肉付きの薄い手の平を見つめ一瞬戸惑うと、彼は何かに気付いた様子で手を引っ込めた。
「……すまない」
「あ、いえこちらこそ……?」
何が?
反射で謝り返してしまうのは、小市民の性として。
「行こう」
促され、私は両手でスカートを持ち上げて歩き出した。ぶっちゃけエスコートは無しの方が歩きやすい。見た目とか気にしなくていいならだけど。
絨毯が足音を消していた。空の明るさが薄れ、窓枠の影は闇に溶け、刻一刻と暗くなっていく。この辺りはいつも灯火を点けないらしい。
長い廊下を進み、角を曲がって……。
「……って違う!」
随分遅れてそれに気付き、私は声を上げる。
「どうした」
「違うんです。今のはその、なんか、そういうの慣れなくて」
「……?」
「大丈夫です。多分そのくらいなら、触っても」
クラインが半歩先で足を止め、振り向く。
私は、接触を嫌がった訳じゃない。その痣が私を害するとしても、それはクラインのせいじゃない。
「それとも今、目って痛みますか?」
「……いや」
“発作”の時は徐々に痛みが酷くなる為、事前に分かるそうだ。
私は右の手の平を掲げる。
クラインは不可解そうな顔をした。じっと動かないのでもう少しだけ手を近付けると、意図を理解して、その目が戸惑いに揺れる。垣間見えた不安に、私は何故か小さい頃のアルス王子を思い出した。
「とりあえず、普通の時は平気みたいですよ。アルス王子も大丈夫だったし……あと今、私の目に星? っていうの出てると思うんですけど、多分これがある間は問題無いです。なんか、水の力が一杯あるっていう目安らしいので」
相反する力という事は、一方に偏っている内はもう一方には傾かないはず。「火に寄せる」事を必要以上に警戒しているらしいクラインに、私はそう説明する。それに、今はもし以前みたいになっても、水読とちゃんと交渉すれば『引く』方法で回復出来るはずだしね。ああ、そもそも火を寄せ付け難くなったとかも言われてたっけ。
だから気にしないでよ。嫌じゃん。触ったら感染るみたいなの。
「…………」
掲げた手に、同じようにそっと手の平が合わされた。
ほら、全然大丈夫でしょ。
そう笑って手を下ろそうとしたら、そのまま指がきゅっと握られた。思わぬ反応に、心臓が飛び上がる。
「――ミウは、帰るのだろう?」
「えっ……? あ、はい」
当惑する私の顔をクラインはじっと、ちょっと見過ぎるくらい見据えた。ずば抜けた容姿には大分慣れたはずだ。だけど普通にしている時はともかく、この距離で、そのものを言うような目で覗き込まれると流石に落ち着かない。
耐え切れず、私は疑問と困惑を込めてその手と眼を交互に見やる。クラインは、掴んだままの手をゆっくりと下ろした。離される気配はないが、ほどけないほど強くもない。動けずにいたのは、彼が警戒心を抱かせる距離よりほんの少し手前で留まっているからだ。この人は、相手を驚かさない方法をよく心得ている。
「例えば」
美しい声が小さく問い掛けた。
「兄上にもこの痣があったなら、その時もミウは、こうして手を差し出すのか?」
え?
「答えて。私の部屋でも眠ってしまう? もし恐ろしい夢をみたなら、私を探す? ……例えば、寝台にいたとしても?」
「…………」
珍しく問い質すような響きに、私は狼狽した。表情は静かで、何を思っているのかは窺い知れない。指摘されているのは勿論、今朝から続く一連のやっちまった事例だ。頬の熱がたちまち復活する。
「君が心配だ」
「……はい」
ほんとすいません。
◇
並んで帰り道を辿りながら、私は弁解していた。
水読のパターンはともかくとして、あの王様と対談中に寝こけるとかあり得ない。しかもこのビビリの私に限って。でも寝てしまっていた。
「おかしいですよね。多分直前まで喋ってたと思うんですけど。別に眠気もなかったし、寝不足でもないし」
「体調が悪いわけではないのだろう?」
「はい」
お陰様で超元気である。ケーキ二つも平らげたくらい。……いや、全部食べたっけ? うわぁ、曖昧。
「あ、それより夢……」
「夢?」
そういえば夢を見た事を思い出す。執務室に舞っていた、金色に光る文字。現実にあり得ない光景なのにやたらリアルで、その他王様の綴るペン先の音から足の下に感じた絨毯の厚みまで鮮明に覚えている。言われた言葉もだ。
「クライン、”ミナ”って名前、誰だか分かりますか?」
「ミナ? ……アルスか?」
「アルス王子?」
ああー、なんだったっけ、なんとかってミドルネーム。
「イレギア=ミナ」
「そう、それです」
不思議な事に、クラインの口から聞くとその言葉が古語だと分かった。
イレギア=ミナ。
「……”変なミナ”?」
クラインが隣で苦笑する。
「アルスが聞いたら怒りそうだな」
「あれ、違いました? そんなような感じだと思ったんですけど」
「大意としては合っている。”ミナの生まれ変わり”という意味だ」
「ミナの生まれ変わり……」
「それが、どうかしたのか?」
「ええと、実は……」
私はつい先程見た夢について、覚えている限りの事を話した。クラインは心持ち歩調を緩めながら聞く。「ミナ」という名前にどういう意味があるのか尋ねると、“泉の乙女”と同義だと言われた。
「“泉の乙女”……」
何度か小さく声に出して、私は言葉と意味が結び付けられていくのを確認する。つまり「イレギア=ミナ」は「“泉の乙女”の生まれ変わり」となる。なるほど、黒髪を持って生まれた縁起担ぎとしてはアリだろう。
しかしそれでは、あの夢の意味が通らない。
夢の中の王様には、黒目黒髪の「ミナ」を探しているけれど私じゃないと言われてしまった。それとも私が「入れ物だけ」の“泉の乙女”だからだろうか。
「やっぱりただの夢ですかね……? これまで色々あったので、ちょっと過敏になってるのかも。でもすごくハッキリした内容だったから、気にはなるんですが」
「不可思議だとは思う。付け加えるなら、アルスにその名を贈ったのは兄上だ」
「えっ」
「そのような話をしたから夢を見た、というわけではないのか」
「初耳でした……」
夢に出るような事前情報は無かったはずだ。そんな事を言われると、ただ事じゃないような気がしてくる。
思考に沈む私に、クラインが半分独り言のように呟いた。
「先程は、兄上も少し眠られたらしい」
はっと隣を向くと、宵闇に長い睫毛が瞬く。
「気が付けば居眠りしていた、と。私が訪ねた際に、目を覚ましたそうだ」
「王様が……?」
これは偶然だろうか。僅かな時間にせよ、これで私の前で王様がうたた寝するのは二回目という事になる。いや、慢性的な寝不足だからって可能性が一番高いけど。
しかし、クラインも相当珍しいと思ったようだ。王様自身も驚いてたらしい。
「ミウは――“泉の乙女”は、やはり眠りに関して何らかの力があるのでは?」
「うーん……」
「例えば、夢で啓示を受けるなど」
「啓示……? そんな大したものが備わっている気はしないんですが……」
それに、そうだとすると今度は今朝の水読の夢がよくわからない事になってしまう。何か意味があるのだろうか、と。さっきの夢が特殊なら、多分今朝のものも同種のものだ。普段見る夢とは歴然と違う。
特徴的なのは、感覚がいやに研ぎ澄まされていた点。
体はぐったり疲れているのに頭だけ妙に冴えてしまって絶対に眠れない、という時のような、神経がビリビリしている時とよく似ている。色んな事を瞬時に把握し、納得していた。
「……何かあるとしたら、どう思います? どうしたら良いんでしょう、私」
気付くと、蝋燭のある廊下に差し掛かっていた。王様の部屋の前は通らないらしい。来た時の景色と少し違う。
――それは、別の国の人じゃないですか?
夢の中で、問いかけは肯定された。この世界には、国はたった一つだけ。その人を探しているから眠れないと言った王様は、現実の王様と関わりがあるんだろうか。それとも私の夢の中で何かが彼の形を取って現れただけで、本人の思想とは関係ない?
本物の、体だけじゃなく中身もちゃんと“泉の乙女”な女の子を探せばいいのかな。”ミナ”の呼び名は、いつからあるんだろう。由来とかもあるのかな。
疑問を口にすると、クラインはすぐには答えなかった。頭の中で探しものをするように少し口を閉ざし、それから言う。
「すまない、詳しくはわからない。……少し時間をくれないか。調べてみる。”ミナ”と言えば、“泉の乙女”の事だとだけ認識していた。元はあまり一般的な名称ではなかったものだ。近年は、アルスによってよく知られるが」
「なるほど……」
名前というか、単語なのか。
「そうだ、歴代の“泉の乙女”の名前っていうのは、一人も残ってないんですか?」
本では別称や何番目の、とばかり見かけていたけれど、皆それぞれに名前があったはず。うんと昔はともかくとして、先代なら百年前の話だ。そのくらいは知っている人がいてもおかしくない。それとも、それもその他の“乙女”に関する一切と同じで、不思議に残っていないのだろうか?
ふと隣を歩く足が止まる。見上げると、クラインの顔にははっきりと迷いが現れていた。
「クライン?」
「……ミウ、私達はまだ、君に言えない事がある」
「えっ?」
「“泉の乙女”の記録は少ない。不自然な程に。それは事実だ。しかし今あるだけの全てが、ミウの前に出揃っているわけではない」
「……そう、なんですか?」
まだ何かあって、それを隠していた、という事を言っているんだろうか?
そう言えばずっと前、“乙女”に関する研究会に直接参加させて欲しいと言って、無理だと謝られた事があった。
「役に立つ保証は無くとも、手掛かりは多い程良いだろう。しかし、まだ明かせない。特殊な制約がある。私の独断でそれを破るのは難しく、また私自身ミウの為にならないと思う。今まで黙っていた事を許して欲しい」
真剣に、そして言い難そうにそう話して、クラインは一瞬周囲に目を走らせた。人の気配が無いことを確かめると、ごく小さく声を潜めて言う。
「……あと何日か待ってくれ」
「……何日か?」
「全ては77日に明かされる」
77日?
「ミウがこちらに現れてからの日数だ。一部の情報は、その期限内は伏せておくよう指示があった」
「誰から……?」
ぼんやり問い返す私に告げられたのは、予想外の名だった。
「先代の“泉の乙女”。“悲恋”からだ」




