9 盤戯(1)
綺麗な時計をしまった後。
「あ」
私は思わず声を上げた。
銀に紫の宝石を冠する『先導者』が、金色の平駒にあっけなくチェックメイトを受ける。
また負けだ。
「二手前でこちらでなく、右手を動かした方が良かったな。さて、もう一つ減らすか?」
「是非……」
これで王様の持ち駒はたったの4つになる。対する私は18ピース。1/4以上の駒落ち試合でも全く歯がたたないとはこれいかに……いや、正直全然不思議じゃないけど。
水読が現れるまで手持ち無沙汰で、私は王様とボードゲームをしていた。飾り棚の隣に脚付きのチェス盤的なものを見つけた私が、これ幸い「やってみたいです!」とね。我ながらナイス提案だ。
ゲームの目的は交流でも異文化の学習でもなく、一対一の気まずさを打開する逃げの一手である。難しいし負けまくりだけど、これなら顔を見ずに時間を稼げて、大臣に何か言われても胸を張って暇潰しに貢献したと報告出来る。
本来ならお互い36駒を駆使して陣取りをするらしいそのゲームは、さわりを聞いた時点であまりにルールが複雑だったので覚えるのを断念した。今やっているのは、駒の数と意味を大幅に省いたお遊びだ。陣取りじゃなくて、駒取りで勝負が着く。
「眠れないのって、ずっとなんですか?」
「そうだな」
話題は本来の目的へと向かっていた。
「特別寝不足という気でも無いんだがな。日中に居眠りするとは思わなかったが」
「実はすごく疲れてるんですよ」
そう言いながら1駒進めたら、金色の駒にあっさり取られた。この人の場合、例え半分寝てても私に負ける事とか無さそう。
対する私は、味方の駒ごとにそれぞれの未来予測をしても端から忘れていくという体たらく。残るのはただ「あまり良くなかった気がする」という曖昧な所感だ。気が付けば、手持ちはもう6つだけになっていた。おかしい、どれを動かしても「あまり良くない」しかないんですけど。
「お前の方は、一貫して史学に傾倒しているらしいな。相変わらず“乙女”の記述を探しているのか?」
無傷の4駒を操りながら、王様が尋ねた。
学者達が城と塔両方の図書館をひっくり返しても“悲恋”のあの一冊以外に見つからなかった、というのはもう耳にたこができるくらい聞いている。まるで虫食いのように、不自然に情報が抜け落ちているとも。
しかし諦める気などさらさら無い。研究者達に書籍を探して貰うにつけて、私は既に幾つか注文を付けていた。“泉の乙女”と”二の月”、あとそれぞれの日本語の発音での表記。どれかを文書で見かけたら持ってきて欲しいと頼んである。
「月か。暦の方は逸話もはっきりしているのにな」
「そうですね……」
暦とは、大きい方の月の話である。
太陽が星を集めて創られたとされるのに対し、大地を砕いて創造されたと伝わる月は、「夜を守る」役割がある、と言われている。あれは鏡なんだそうだ。闇を脅かす日の光を昼へと跳ね返し、夜が失われるのを守っている。だからこちらの月は季節ごとに高さを変え、きっちり太陽と同じ軌道を辿る。
この話を聞いた時、私は月が発光体ではなく反射体と認識されている事に少なからず感心した。私なら、予備知識が無ければ月も普通に光ってると思うだろうし。あ、でもあの水晶の性質とかから発見されたのかな。
それはそれとして、なんで“二の月”は「“泉の乙女”が創ったらしいから“乙女の月”って別名があるんだぜ」「雨降らせるらしいぜ」までしかないのか。
学会の前身である塔の研究機関に「天文所」というのがあって、そこの観測記録も見せてもらったけれど、そこでもやっぱりイレギュラーな動きをするという事しかわからなかった。そもそも目撃情報も多くない。
あと、記録はサニアに読んでもらったんだけど……私、図形を識別する能力が弱いんだろうか。同じような単語が並んでいるはずなのに、一向に見分けが付かなかった。凹む。
そこまで話して、一つ重要な事実が発覚した。王様には、『引力』と“二の月”の話が知られていなかったのである。私は現在、雨が自然と戻るまで、待ちの一辺と思われていたらしい。
「ではお前、それが分かるまでは帰れぬという事か?」
「……はい」
勉強に必死なのは、勤勉だからじゃないんですよ。首肯して、私は手を止めた。銀で出来た紫眼の『鵜』の駒は、どこに指しても次の一手で取られてしまう。
半ば諦めている私より、優位を保つ王様の方が考え込むような声を零した。
「神話と史実は、似て非なるものと捉えていたが。水読は、同じだと言ったんだな?」
「はい、実際にあった事だと……」
以前聞いた、水読の言葉を思い出す。確か、“呪い”の話や、雨が降らない原因と一緒にそう聞いた。あの頃は水読の化けの皮が剥がれる前で、その言葉にも真剣に聞き入ったものだ。
回想してはまたその評価を下げつつ、ドロップのような紫の石を動かす。こうなったら、僅かな数の優位を発揮して一点集中で追い詰めるしか手は無い。守りは捨てるのだ。
「お前に話したという事は、こうして俺や城の者に漏れて良い話だという事でもある」
王様の指が駒を摘まみ、見透かすような目が盤を撫でた。私が見捨てた水鳥は、ボードを下ろされなかった。見逃されたらしい。彼は、更に独自にハンデを付けながら私を遊ばせる事にしたようだ。
「あいつは、何をどこまで知っているんだろうな」
そう言った所で、前触れも無くドアが開いた。
「この部屋遠いです」
「ようやく来たか」
ハッとして入り口を見る。ノックもせずに入ってきたのは、白い長い服に、青い長い髪の……勿体ぶるようなアレじゃないな、噂の水読だ。無駄のない足捌きで音もなくこちらへやって来ると、私にへらっと薄っぺらい笑顔を向ける。
かと思えば、すぐにそれを引っ込め正面を見た。
「どうして私が呼び付けられるんですか。というか、何勝手にこんな所にミウさんを連れ込んでるんですか」
「勝手も何も、お前の許可はいらんだろう。まあ座れ」
王様はやれやれという様子で言い、私の顔を見て駒を手放した。私もそれに習う。盤上に未練はない。多分勝てないし。
「適当な茶でいいだろう?」
「甘露を」
「相変わらず珍妙なものを好むな。……こら、大人しく空いている席へ座ったらどうだ」
「僕の隣はミウさんと決まっているので」
「決まってません」
以下面倒なので省略するけど割といつも通りの攻防を経て、端から水読、クッションの山、私、そして別のソファに王様という具合に席が決まった。ちなみに王様は動いてない。
落ち着いた所で、ゴクリ、と密かに喉を鳴らしたのは私だ。
これまでなら水読なんてある意味空気……にしては有害だけどまあそんな程度の認識だったのに、今は恐ろしく気まずい。
そんな中、先程の老婦人がもう一度やってきてお茶を淹れ直してくれた。お菓子のお皿も一緒だ。名前も知らないけど、このお婆さんずっとここに居てくれないかな……あ、もう行っちゃうんですね。はい。
私に惜しまれつつ彼女が退室した所で、水読が遠慮無く爆撃をかましてきた。
「ミウさん、今朝はどうして僕の寝台に潜り込んでいたんですか?」
「っ」
いきなりそれか。王様の視線もあって、血が体中をぶわーっと駆け巡っていく。しかしここは一応大人としては。
「……その節は、大変なご迷惑をお掛けしまして……」
「何か夢を見たんですっけ」
笑顔のまま言う水読に、私はしおらしく謝りながらも内心舌打ちした。質問の順序に悪意を感じる。
「お前、部屋に入っただけではなく同衾したのか?」
「その言葉やめてください、何か違う意味も聞こえる!」
知らない単語でも意味だけ分かるとか、自動翻訳の扱う語彙の幅がよく分からない。
「それこそ今朝は夢の様な光景でしたけれどね。息が止まるかと思いましたよ、まさか夜這いを掛けられるとは」
「違います! ほんと、半分寝ぼけてて!!」
髪を勝手に掬い取られ、私は限界までソファの隅へ体を引くと同時に猫なで声の方向へクッションを投げつけた。自業自得でも腹は立つのだ。端から避ける気が無いらしく、水読はそれを顔面で止めた。
「恥ずかしがってるんですか? ミウさん今朝はこう、僕の腕をぎゅーっと」
もう一個クッションが飛ぶ。いい笑顔をやめろ!
「違うんです王様!!」
「分かった分かった、少し落ち着け。水読、お前は席を代われ」
「嫌です」
「ではミウ、俺が代わってやる」
「何で僕が貴方の隣に座らなければいけないんですか」
「大いに同感だが、誰のせいだと思っている?」
すったもんだの末、結局水読を三つ目のソファに追いやる事に成功した。クッションを盾の様に構えて目を剥く私に、ヘラヘラ笑う水読……もはや天敵である。心の中で目の前にあるもの全てを投げつけていると、王様が疲れたように溜息を吐き、「そろそろ本題に入っていいか」と切り出した。
「それで、話とは」
「聞くまでもないでしょう。ミウさんを今すぐ貴方の正室にという面白味の欠片もない噂を始末しに来たんですよ。ついでにあのふざけた婚約書も破棄して頂こうかと」
「無理だな」
打って変わってツンケンした物言いの水読に対し、王様は淡々としたものだ。
「ミウの部屋を移すと言うのなら、交渉のしようもあろうが。うちの年寄方はそう訴えに行ったんじゃないか?」
「そもそも、それが交渉材料に上がる事がおかしいんです。水は事情があるんですから」
「お前の信用が無いのが悪いんだろう。塔はこの条件を飲んだんだぞ」
「承諾以前に押し切っておいてよく言います」
何か始まったけど、どうしよう。議題が私の事じゃなければ、お邪魔しましたーって帰るのに。
私は、出来る限り小さくなりながら事の成り行きを見守った。本当は靴を脱いでソファの上で膝でも抱えたい所だが、残念ながら環境が許さない。
お互いに遠慮がない、また事情に通じている者同士だからか、会話はどうも二、三歩飛ばしで進んでいる様に思える。お陰で、脇で聞いていても微妙にわからないのだった。
バッサリ斬り合うやり取りを横目に数分。
黒いフェルトの盤上に、金銀の駒がフルセットで散らばった。
「正規で指すなら長引き過ぎるな。いくらか省くか」
先程まで私が居た場所に水読が座り、盤を挟んで王様と向き合う。
「いかほどに?」
「本陣の半分を取ったら勝ちでいいだろう」
「それ、終盤型には不利じゃないですか」
「では棄権するか? 不戦勝というのも味気ないが」
「煩いですね、やりますよ」
水読が文句を付けつつ駒を取って、さてこれから一局手合わせである。
なんてことはない、殺伐とするやり取りに音を上げた私が、先のボードゲームを勧めたのだ。伊達にメンタル柔めのクッション使いやってないからね。場合によっては、こういった精神的緩和材の投入もやぶさかじゃない。他人事ならスルーしたけど。
会話は続くもののまんまと彼らの視界を外れた私は、対局を眺めつつ白いバタークリームのケーキをつついていた。中央のお皿にはもう一種類、煮リンゴとキャラメルクリームのタルトが乗っている。あっちも美味しそうだったんだけどな。
「私の分なら差し上げますよ」
やった。
甘露とやらを口にしながら、水読は銀の駒を動かす。
「それにしても良いご身分ですね。こちらが訳の分からない話を聞かされている間に、僕のミウさんと盤戯を指し合うだなんて」
すいません、「僕の」を取り消せ。
「何故です? 一緒に朝を迎えた仲じゃないですか」
「その節は本当にすみませんでした……髪の毛絡まって首絞まればいいのに」
「ははは、良いなそれ」
王様が朗らかに笑う。
「笑い事じゃないですよ。貴方がそんな風だから、目付役が勝手をするんです。お陰で仕事が増えました」
「俺は丁度、仕事を取り上げられていた所だ」
そうそう。私の相手を仕事に含めないならだけど。
「しかし、後年の語り草だな。国王と水読、果ては“泉の乙女”までもがこの盤を挟んだとなれば――……何だ、また奇っ怪な陣を。”鬼火”か? 古風な」
「僕はこの型が得意なんです。貴方こそ、”天井河”なんて随分周りくどい手を使うじゃないですか。肩書通り王道で来たらどうです?」
「お前のような、見るからに捻くれた奴に正攻法は使わん」
全然わからないけど、二人とも何か偏った布陣を敷いている。ていうか王様が既に本気で楽しそうだ。私じゃね、力及ばずで申し訳ない。
ところでこの人達、ボードゲームで手合わせなんてしたことなかったらしい。顔を合わせる機会はそこそこあるんだろうけど、友達って感じじゃないし。
「まあ、数代前であれば、水読が国王と直接言葉を交わすなどという事は有り得なかったでしょうね」
「そうなんですか……?」
有り得ないレベルなの?
「城と塔は本来、互いを監視し合う関係だからな。今は先代国王と現神官長の尽力で協力関係を結んでいるが、それ以前の歴史はほぼ対立にある」
「この盤戯も、火と水の勢力争いの模倣ですね。『天輪』は指し手によって、太陽にも月にも成り得ます」
そう言って、長い指がミニチュアのトロフィーみたいな駒を一つずらす。三本足が支える、ミラーボール状にカットされた透明の宝石。これが『天輪』だ。盤上で最も重要な駒で、位置によって他の駒に与える影響が事細かく決まっている……という事は一番初めに説明されたけど、とてもじゃないけど覚えられなくて、早々にゲームを投げるきっかけになった。
私は、ケーキをちまちまつつきながら彼らの手元を眺める。駒はキラキラして綺麗だし、こうして見ている分には平和でいい。
「私達は仲が悪いんですよ」
「お前は良いな。不真面目で通っているから好いた事が言えて」
無声劇なら団欒なのにな。




