8 時は宝石なり
カップを置いて、私は本気で頭を抱えた。
さっきの栗大臣達を思い出す。
何をトチ狂ったか、私とこの王様が恋人同士だと信じて疑わないのが恐らくあの集団だ。その一人によれば、彼らはもれなく私と王様の成婚を望んでいるらしい。しかも結構必死に。
そんな所に、私が水読の部屋に居たなんて話が入ってきた日にゃ。
「……浮気?」
うわぁー……。
私は抱えた頭を、溜息と共にがっくりと膝へ落とした。リコお気に入りの、スモモ色のスカートに影が掛かる。
浮気どころか本気も不在なのに、何たる名誉毀損。しかも相手が問題過ぎる。
でもそうだ。普通にそうだ多分。そう思われたから、それで王様と私が不仲になったら困るから、これ以上マズイ事が起こる前に塔にハッタリかましてでも話を纏めよう、となったに違いない。
そこで「そんな女は願い下げだ!」と言わずに即刻ボンドに走る辺り、大臣達も相当切羽詰まっていると見える。いやそれとも“泉の乙女”だから? 何にせよ、フシダラな女と思われるのはご免被りたい。私はこんなにも清く正しく家に帰りたがっているだけだというのに……!
「そうだ、誤解なら解けばいい!」
「悩み終わったか」
はっと顔を上げて叫んだ私を、王様は相変わらず優雅に観察していたようだ。麗しい緑の瞳に一瞬気を取られ、しかし何とか持ち直して尋ねる。
「あの、一つご質問よいでしょうか」
「何だ?」
「その……例の婚約が偽物って事は、どうして伏せているんですか?」
水読となんかあったと思われるのも心外だけど、まずはそっちよりこっちだ。理由によっては、暴露してもらえないだろうか。
王様は不思議そうに聞き返した。
「偽物?」
「はい。栗……じゃなかった、マロン大臣のお話ですと、なんか」
ほら、利害一致の契約じゃなくて要するに、ね。
「俺とお前が恋仲という話か。不満か?」
「ホントすいません、そんな話……へっ?」
何て?
前のめりに謝る私に、王様はニヤリと笑う。
「婚約が偽物とは、言っている意味がよく判らんな。悪いが紙の上では正式だ」
「!?」
何を言うのかと口をパクパクさせると、その様子を見て王様がまたちょっと笑った。……からかわれている。その証拠に、彼はこう続ける。
「尤も、大臣達はその成り行きを正確に把握しているはずだ。初めから全て説明してある」
「ええっ! でもそんなことは全然……」
「お前の前ではしらばくれたんだろう。言っておけばよかったな、俺の補佐役は総じて心配性の狸揃いなんだ。しかし、それもお前が否定すれば済んだ話だろう。どうして本当のことを言わなかった?」
「す、すいません、王様が何か理由があって隠しているのかと……」
「成る程」
私、否定すればよかったのか。まさか栗大臣にカマかけられてたとは。あんな、逆に騙されやすそうなお人好しな顔をしておいて! せめて、ジルフィーに「大臣達には黙ってて」と言っておけばばよかった。
しかし王様は「いや」と首を振ると、予想外のことを告げる。
「お前の護衛については、恐らく口止めは効かなかっただろう。あれがあの者達に知らせたのは意図的だ」
「えっ?」
「俺に報告があれば、事情など話さずとも直通出来るからな。お前の情報を吹聴したのは敢えてのことさ」
ジルフィーが?
「な、何でそんなことを……!?」
「お前を水読の部屋から出す為だろう」
私は目を丸くする。
「ジルフィー・リードは塔長――水読と神官長だな、その二名にお前の転居を要求した。老師はともかく水読は渋っているそうだが、城の上役は先の通りお前を俺の妻に据えたがっている。お前が無意識にしろ水読の部屋に入る可能性があると聞けば、元々お前をあの部屋へ泊めるのは反対していた連中だ。挙って塔に猛抗議という訳だ」
「…………」
つまりジルフィーは、それを利用する為に大臣達をけしかけた、と。……ってことは、あれ。とっくに婚約話知ってたのか。それ、結局何人が知ってるんだろ……。
とにかくそのお陰で、大臣達はこれ幸いと水読を批難、同居の解消を飛び越えて形から婚儀を纏めに掛かったらしい。何が恐ろしいって、私がその話を知ったのが今さっきということだ。こちらの意志がまるで勘定に入ってない。
そして意志を無視するといえば、ジルフィーもだ。
転居の要求をするなら、私に一言言ってからでも良さそうなのに。私が彼から聞いたのは、今朝の事を内緒にして欲しいという懇願に対しての「城にはいずれ知れます」という返事だけだ。それも勝手に、みたいなニュアンスだった癖に実際は自分で知らせてたとか。
「お前に断らなかったのか?」
「そうなんです」
何なんだ……何考えてるのか本気で分からない。水読を苦手がる私を見かねての善意にしては、無意味に独断的だ。
「妙と言えば妙だが、結果はお前にとって好都合ではないのか? あいつの部屋に居たいのでなければな」
「で、でも、さっきの飛躍した話は……!」
「それも問題にならないと見越しての事だろう。水読を含め、塔が絶対に反対する。お前がどうしてもと言えば別かもしれんが」
私は目を泳がせた。
どうしてもって、どうしても王様と結婚したいって? 言わない言わない!
「もう少し取り繕ったらどうだ、当人の前だぞ? 本当に顔に出る奴だな」
「お、畏れ多いという反応です」
「まあいいが」
王様は、声を立てて愉快そうに笑った。てかこの人、さっきから私の事笑いまくってないか。別にいいけど。
それより城と塔って仲悪いの? 何で私の身の振り方で相手方に抗議したり反対したりが起きるんだ。
「それは無論、双方お前が欲しいからだろう」
「……え」
「“泉の乙女”には力がある。何もせずとも、“乙女”が味方すると言えばそれは威光となるからな。城も塔も、その恩恵に与りたいのさ」
「…………」
ちょっと考えれば分かる事だった。私はただの日本人だけど、こっちの人からすれば伝説の存在(笑)なんだった。この意識のギャップはどうにも埋まらない。
そして私が最も嫌なパターン、即ち派閥争いに既に巻き込まれている。王様とあの爺さんは親しそうだったし、さっきの大臣と神官の諍いを見るまでそういう雰囲気に触れたことがなかったので、すっかり油断していた。最初から塔を敵対視していたのは、知り合いの中ではせいぜいアルス王子くらいだ。
「城に関しては、お前の容姿と血統から王妃に欲しがっているというのも強いな。大臣達は、神官ほどお前が“泉の乙女”である事に拘らん。今はまだ雨の為にお前の力添えが必要だが、いずれ必要なくなれば世継ぎを、と考えているだろう。俺も一応そうだという事になっている」
何食わぬ顔でなるほど、と返しながら、顔がぼわーっと熱くなる。わ、話題が話題なんだよ。王様はそれを見てまたニヤリとした。
「まあ、今の所はまだお前に選択権がある。それに恐らくだが……」
何か言い掛けた時、ノックの音が響いた。王様が許可すると、侍従が気遣いの言葉を口にしながら入ってくる。
「陛下、水読様からお話があると言伝を承って参りました」
「呼び出しか?」
「その様にございます」
「そちらが来いと伝えてくれ。俺はここでクラインの報告を待たねばならん」
「畏まりました」
一つ礼をし、侍従は静かに出て行く。
「塔があれだけ騒いでいるからな。直接話が来るとは思っていたんだ、お前も同席した方が良いだろう」
「……はい」
私が分かったような分からないような顔で頷くと、王様はソファを立ち飾り棚の方へ歩いた。
「来てみろ、お前にとっては珍しくもないかもしれんが、あいつが来るまでの暇潰しだ」
◇ ◇ ◇
美術館ばりの横に長い飾り棚の中には、沢山の工芸品が並んでいた。
「これって……」
「時計だ」
それらは全て、こちらの世界の時計だった。
大小様々だけど、以前王様が持っていたような手のひらサイズの物は見当たらない。一番小さくても両手に乗る大きさで、大半は30cmくらいの高さの箱型をしている。私の部屋にも一つあるけど、これが基本形らしい。時計は特殊な原料の関係で元々かなりの貴重品、中でも懐中時計のような小さい物は国に数えるほどしかないという。
木製または金属製のそれらは、どれも見事な装飾が施されていた。振り子はない。私の世界のものとは、原理が違うのだ。針は一本で、文字盤は円形もあれば、体重計の窓の様に部分的に見せるデザインもある。
「……時計、お好きなんですか?」
「そうだな、今ではこれが唯一の趣味か。俺は馬も弦もやらんからな。昔は狩りにも行ったものだが」
王様はその中で、大きめのティーポット位の大きさの、金色の時計を取り出した。
やはり四角い箱型で、正面上部に円い文字盤があり、その文字盤の周りをギザギザした金属の枠が囲んでいる。三角形を幾つもずらして重ねた、太陽のような形の多角形だ。
下半分は両開きの扉の様になっていて、その真ん中に一つ、コイン大の太陽っぽい多角形が彫られている。
時計は、全体に金色の蔦模様の細工がなされている。この国の金属加工技術はかなり高度だ。
その細かさに感心していると、王様は自分の首元から金の鎖を引っ張りだした。
「手を出せ」
言われて出した手に、それが乗せられる。ペンダントらしく、外された鎖には時計と同じデザインの太陽が付いていた。ずっしりと重く、体温が残っていて温かい。
「星を重ねた太陽は、王家の紋章だ。これは代々即位に際して作られる首飾りだが、俺が仕掛け物が好きだと細工師に知らせた者がいてな。この時計は、首飾りと共に贈られた」
普段はこれを王冠とみなして身に付けるそうだ。よく見ると太陽は、六芒星を二つ重ねた形になっていた。私も以前一度だけ見たことがある。例の婚約書だ。猛獣の印と並んで捺印されていた。
でももっと最近、これと似たような印を見た気がする。なんだっけ……。
「……あ、アルス王子の印」
「ん?」
ポツリと口に出すと、王様が横目で見下ろす。
「ああ、封書でも寄越したか? あの子は黒髪だからな。“乙女”に因んだ睡蓮で王家の紋を模すと決まっている」
「あれ、睡蓮なんですか」
マーガレットじゃないのか。確かにあれも、六花弁の花が二重になっていたかもしれない。
封蝋の形を思い出していると、王様はペンダントを時計の扉に嵌めてみろと言った。言われるままに小さな太陽を窪みに嵌め込むと、今度は下にスライドさせるよう言われる。傷を付けないよう慎重に動かし、窪みの付いていた枠ごとペンダントが動いて半分扉の中に入ると、カチリと音がする。
「それで扉が開く仕掛けだ。鎖を引いてみろ」
引っ張って扉を開ける。すると文字盤の太陽は左右の扉と一緒に動いて、二つの六芒星になった。金一色だった外観に対し、扉の中には色とりどりの絵が収められていた。
「綺麗……」
それは、宝石細工で出来た風景画だった。
手前には桃色、白、薄紫などの柔らかい彩りの宝石で象られた金縁の花々が。
その向こうに、輝く青い宝石の目に黄金の羽をした尾の長い鳥。
更に風に舞う金色の木の葉と、虹色の蝶々が空を彩っている。これは七宝みたいなものだろうか。ガラス質の艶がある。
繊細なモチーフ達は、それぞれ少しずつ重なり合うように配置され、立体感と空間を持つ一枚の絵として収まっている。私は、飛び出す絵本を連想した。
花や葉には、朝露を模した透明の石が散りばめられていたが、外の枠の各所にあしらわれた大粒の宝石は全て、鮮やかなエメラルドグリーンをしていた。
持ち主の瞳の色に因んでいることは一目瞭然だ。
国宝級で間違いなさそうな、素晴らしく見事な作り込み。
扉を摘んだまま見惚れていると、手元にすっと大きな手が伸びてきた。反射的にビクッとした私に軽く笑うと、王様は絵の付いた飾り板に指を掛け、左右に動かした。おおっ、まだ開く仕掛けになってたのか。花々が脇に退いたその下からは、もう一枚絵が出てくる。
今度は夜の場面だった。
滑らかな藍色の星空に輝くダイヤモンド(推定)は、放射状に幾つも金色の光の筋を放ち、小さな花にも見える。そして両手で一際大きな宝石を捧げ持つ、トンボのような銀の羽が生えた人の姿。
白い髪、白い肌、白い服。
「……妖精、ですか?」
「どうだろうな。神話から発想を得たものだと思うが」
神話に妖精なんて出てきただろうか。相当薄いやつだけど、私も以前に一応読んではいる。薄いのしか読めなかった訳じゃない。この国で「神話」と言われるメインストーリーは元々長くないのだ。
「王は星を集めた、とある為に、その時代の人とは空を飛べるよう翼を持っていたとする説もある。鳥の翼の方が一般的だが」
以前、クラインか誰かからそんな話を聞いた気がする。
もしかしたらこれは、最初の王様をイメージしたものなんだろうか。それにしては華奢だし、髪も長いので女性に見える。単に神話の世界観をモチーフにしただけかな。
この王様に贈るにはメルヘンチック過ぎるというか、ちょっと少女趣味的な気もするけど、綺麗なことには変わりない。細工師が可愛らしい趣味だったのかもしれない。
「神話は短いが故に、解釈が多様だ。研究者も多いしな。興味があったら調べてみると良い」
「はい」
妖精の白い横顔を眺めながら、私はぼんやり返事をした。




