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雨の冠  作者: 桃宮
6.微睡む太陽
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7 昼食会

 室内以外は石の床が剥き出しの塔と違い、城の廊下は大体絨毯敷きだ。

 壁に並ぶ、火の消えた沢山の燭台。


「参ったな。まさか、鍵を掛けられるとは」


 重厚なドアの前でぼやく美声を、私は手持ち無沙汰に聞く。

 仕事や宿題をサボるから部屋に閉じ込める、というのはあるかも知れないけれど、休んでくれって言っても仕事するから執務室を閉め出されるっていうのは、結構レアなケースだと思う。しかもそれが王様っていうね。






 事の顛末はこうである。

 恋バナ的足湯の後、いつも通りに着替えさせてもらって朝ご飯を食べて、じゃあ日記でも……とやっていたら、突然王様が部屋を訪ねて来た。

 今朝の事でお咎めがあるのかと思ってヒヤッとしたけれど、そうじゃなくて、それは栗大臣の計画によるものだった。


「お前の様子を見に行けと言われてな。余りに俺に放って置かれたせいで落ち込んでいた、また寝込むかもしれないなどと散々脅されたが」

「いや、その……」


 名前を貸して欲しいとは言われたけど、そういう使い方するかあの大臣め。

 真に受けてはいないものの、あんまりしつこいので王様も折れたらしい。私は内心苦々しく思いながら、正直に「休暇を取って欲しいそうですよ」と告げる。


 ジルフィーはまだ戻っていなかった。王様の反応を見る限り、城に知らせるのはこれからのようだ……赤っ恥が現在進行形で広まっているなんて、私は前世で一体どんな悪い行いをしたんだ。王様と同席してる時にその話が来たらどうしよう。その時こそ恥ずか死する。

 と言いつつ私は早々に諦めていた。いやだってまさか「帰ってください」とは言えないし、報告があればどうせ呼び出されるような気もするし。


 結果、何故か王様とその側近の人と一緒に執務室に引き返すこととなる。何故かっていうか、もう少し片付けておきたい事があるというので私が提案したのだ。仕事場に戻っても“泉の乙女”を待たせているとなれば、適当な所で手を休めざるを得ないだろう。

 しかし戻ってみたら、そのドアには鍵が掛かっていたと。


「国王陛下に於かれましては、本日こちらへ立ち入られる事はお控え願います」


 ドアの前に立ってそう言い放ったのは、一人の老紳士だ。縞のモーニングのような上着をきっちり着込むその人は、以前朝食でここにお邪魔した時にも居た王様の付き人だった。


「こんな事だろうとは思ったんだ。しかしまた、随分思い切ったな」

「陛下にお休み頂きたいと願う一心にございます」

「そうは言ってもな。午後に面会が入っていたはずだが。今日中に判を押したい書類も幾つかある」

「ご心配には及びませんぞ、陛下」


 王様が呆れ交じりの声で掛け合っていると、唐突に背後から声が掛かった。

 驚いて振り向くと、曲がり角から白い口髭の老人が現れる。おお、貫禄。この人も大臣とかかな。老人はこちらへやってくると、私に恭しく礼を取ってから王様に話し掛けた。


「ご面会に関しましては、クライン殿下から代理のお申し出を頂いております。陛下がお許しになられるようでしたら是非にとのことで、先方も承諾済みです。また各決定につきましても、可能な範囲内でご協力くださるとの事でございます」

「クラインが? あいつもそれなりに忙しいんだ、無茶を言ってやるな」

「ご尤もですが、貴方様程ではありますまい」


 よく分からないけど、王様に内緒でクラインに肩代わりを打診したらしい。今日くらいは政務を忘れてゆっくりして欲しいと言う老人は、私にチラッと意味深な視線をよこす。な、なんすか。


「ありがたいが、せめて事前に言ってくれればな」

「それはもう、以前から申し上げておりましたとも。陛下のお手隙をお待ちしていれば、半年先でもままなりますまい」

「レオナルド様、ご休憩もお仕事の内でございますよ」


 あれこれ言われ、王様がちょっと黙った。ス、スゲー、これが年の功ってやつか。彼らはまさしく好々爺といった朗らかな態度で、あれはどうする、これも困ると言い募る王様をあしらっていく。しかも大臣っぽい人の方なんて相手はこの王様だというのに、正論を返されると躊躇なくすっとぼける。老人力ここに極めたり、こんな人に私はなりたい。

 驚愕しつつしばらくぽけっと見ていると、王様は腰に手を当て長い溜息を吐いた。とうとう折れたらしい。


「全く、敵わないな……分かった、今日はそうさせてもらおう。王族印が要るものは火急の数件だけクラインに回せ。第三枠以下の判断は任せる、それ以外は後で報告に来いと伝えてくれ。フルネイ、弟の補佐を頼む」

「はい」


 そして次に私を見る。


「待たせた。お前、昼食はまだだと言ったな。少し早いが、久々に同席願えるか?」

「え? あ……はい」


 苦笑すら豪華絢爛なその顔に頷くと、王様は近くにいた家来の一人に指示を出し、私には左腕を差し出した。

 またこれやるのか……ここまで来る時もこうだったんだよね。

 俗にいうエスコートというやつである。ドレスを着て片手を男の人の腕に預けつつスカートを抓む(そうしないと歩けない)、というのはいかにも過ぎてこっ恥ずかしい。しかも何でこれをやられているかと言えば、半分はあの偽婚約書のせいだしな。もう半分は確かなんとかかんとかな場合の貴婦人に対する礼節だか親切だかとサニアに教わったけど、残念、忘れた。どちらにせよ、断る方が精神的コストが高く付く。


 ギクシャクした動きで、うっかり転ばないよう裾を気にしながら廊下を戻ると、一つ目の曲がり角の手前で喧騒に気付いた。何やら、大勢の人が言い争っているようだ。


「揉めているな」


 ちらっと王様と顔を見合わせてその角を曲がると、何人もの爺さん達が通路を塞いでいた。何人かは爺さんじゃなくておじさんなのかもしれないけど、メルキュリア人は髪が淡色のせいか早く白髪っぽくなるので皆年寄りに見える。半分は神官服を着ていて、もう半分は王様達が着ているような貴族風コートだ。壁を背に向かい合い、こちらには気付かない。


「先に約束を違えたのは、そちらではありませぬか! それに元はといえば、塔の方々が……」

「いいえ、こちらとて交換条件を飲んだのです。我らの取引は対等のはずでございます!」


 何だろ、結構ガチで揉めてるな。

 一人が喋れば、別の一人が応戦する。


「ご契約の際、あなた方はこういった事は決して、絶対に無いと仰った。我々はその言葉を信じたのですぞ! 勿論、水読様のお噂はかねがね窺っておりましたが……それが破られた今、もはや塔を信用しろと仰るのは……」

「ですから思い違いをなさっておいででは、と申し上げておるのです。今回の事を水読様のご責任とお考えならば、改めて頂かねばなりません。それに、我々が何故例の件を承諾したとお思いで? 苦渋の決断であった事はお察しの上でしょう」


 水読が何かやらかしたのか?


「然様、我々とてこの朝の件は重大な問題と捉えております。“泉の乙女”様の御身のご安全を最重要と考えますればこそ、塔と城は双方結束して対処すべきだと……」


 わ た し か


 ていうか我が身のトップシークレットの扱いの雑さ! まさかこんなオープンな場所で、何があったのかを知られる事になろうとは。

 羞恥と恐怖により、私の顔色は赤くなりつつ青くなる。つまり紫色のまま隣を見上げると、王様も軽い動作でこちらを見た。何か聞かれるかと思いきや、口元にはいつもと変わらないアルカイック・スマイル…………知ってたな、これ。ジルフィー、もう報告済みだったのか……。


 老人集団が私達の姿に気付き、ハッと言い争いを止めた。

 揃ってこちらを見る顔に少々たじろぐ。この既視感、こっちに来た初日のようだ。大体は青か水色、時々緑系やカーキと皆明るい色の目をしているので、なんか常にびっくりしているみたいに見えるのだ。いや、今は実際驚いてるんだろうけど。

 よく見ると、その中には栗大臣もいた。彼は私と目が合うといち早く我に返り、王様と一緒なのを見て「上手く行ったでしょ!」とばかりに目配せをしてくる。行きましたとも、私の意志を犠牲にしてな。

 不満を篭めて見返していると、別の白髪のお爺さんがゆったりと一歩進み出た。


「これはこれはお揃いで。これから、お二人でご歓談でございますかな?」


 にこやかな態度に、私は例の「婚約者」としての立場から歓迎されているのを察知する。この人も大臣なんだろう。しかしその発言と同時に、神官服の一団がジロリと恨めしそうに大臣集団(推定)を見やった。意を決したように、その内一人が「畏れながら申し上げます」と大臣同様に進み出る。


「陛下。此度の決定、塔は断固として受け容れられませぬ。条件に致しましても、あまりに強引かと存じます」


 シーンとした中で、しわがれた声は厳かに響く。こんな所に居るくらいだから、多分偉い人だ。

 ……で、決定ってなんの?

 と思ったら、王様が同じ事を問いかけた。ナイス。老神官が畏まって答える。


「“泉の乙女”様が、近々陛下のご正室のお住まいへお移りになる、と」


 はああああああ!?

 口を開けて固まる私の横で、王様が少しだけ眉を上げた。


「随分突飛な話だな。老師とは何と言っている? 少なくとも俺は、その様な決定をした覚えは無いが」


 その言葉と私の驚き様に、その場の神官の全員が納得したらしかった。大臣達は逆に「チッ」とばかりの顔をしている。

 王様は、今度はそちらに向き直った。


「各々方。ご心配痛み入るが、余り先走ってくれるなよ。我らだけでなく水の事情もあるんだ。今朝の件については、塔長と俺が直接掛け合うまで如何なる決定も有り得ないとご承知頂こう」

「…………」

「さて、行こうか」


 そう言って彼の常である魅惑的な視線を寄越し、悠々と歩みを進める。廊下を塞いでいた老人達は、皆何も言わずにさっと道を空けた。辛うじて口だけは閉じた私は、その間を、手を預けたまま並んで抜ける。

 恥ずかしいなんてもんじゃない。いっそ殺せ。






 何だか、相当よくわからない事になっているらしい。

 改めてそう実感したのは、王様の居室という所に通された時だ。数人の召使がテーブルの用意をしている。


「こ、ここ、『王様の部屋』ですよね?」


 さっき言ってた「正室の住まい」じゃないよね?


「安心しろ、正真正銘ただの俺の部屋だ」

「そ、そうなんですね」


 それにしたって何でこんなとこにいる、自分。


「食事の為だろう?」

「そうでした……」


 私は落ち着かない気持ちを誤魔化すようにキョロキョロした。

 代々国王が住まうというこの部屋は、家具だけ見れば、私や水読の部屋にあるのとそう変わらなかった。というかまあ、そもそもそちらも遜色のない品が置かれてるってことなんだけど。この数ヶ月で、私も随分目が肥えたもんだ……あっちに帰ったら、我が家のインテリアが100均に見えるかもしれない。


 それでもゴージャス度は一段上だ。

 バドミントンできそうなくらい広くて、実際にやったらシャトルが引っかかりそうな豪華なシャンデリアが三つもぶら下がっている。

 床には段が付いていて、右手前の低い方のフロアには中で寝られそうなでっかい暖炉が、三段くらい上がった左と奥の方のフロアには食事用の丸テーブルと本棚、巨大な飾り棚、ソファーセットが構えていた。

 暖炉はさっき火を入れたばかりなのか綺麗に灰を掻かれ、まだ大きい薪がパチパチしている。大きな窓には、印象的な深紅のカーテンが掛かっていた。白っぽい壁は全面模様張りだ。腰ほどの高さまでは塗りの木板で覆われ、その一枚一枚に細やかな彫刻が施されている。

 あと、ドーム状の天井がすごかった。白い漆喰と金で塗られた雲様の装飾がぐるっと天井板を縁取り、渦の隙間に豪勢にも色とりどりの宝石が嵌め込まれている。描かれた絵画に、時々六ツ角の星の装飾が紛れているのが可愛らしかった。


「すごい……」


 全く寛げないが、観賞価値の高い部屋だ。写真撮りたい。

 ぼけっと見上げる私に、王様が少し笑う。


「気に入ったか? 俺の祖父の趣味だ」

「へぇ……」


 ってことは先々代の王様か。なんていうか、案外ファンシーな趣味だったのね。

 まじまじと壁の彫刻を眺める傍らで、王様はここに入ったのは久しぶりだと言った。執務室の隣にはベッドルームが付いていて、最近はもっぱらあそこで生活しているらしい。

 話す間にテーブルが整い、椅子まで案内される。二人で使うには大きいからか、席は90度の角度に用意されていた。


「で、あの、さっきの話って……」

「それは後でゆっくりな。まずは食事だ」


 王様は私を見てそう言ったけれど、お給仕の人を意識したのはなんとなく分かった。昼食は朝よりお皿が多いと決まっているので、一度の準備で退室という形にはならない。縁起担ぎみたいなものらしく、この国は数のしきたりが多く存在する。フォークも絶対3本槍、とか何か決まってるし。


「お前、随分仕草が美しくなったな」


 本題を気にしつつ当たり障りのない会話をしていると、王様がふと気が付いたように言った。


「あ、ありがとうございます。良い先生のお陰です……」


 そんなん言われたら、逆に手元がプルプルするんですけど。

 でも嬉しいな、ご飯の時は中々苦労を積み重ねてきたからね。袖汚さないかどうかとか、食事中の視線の動きとか。後者は話術に活かされるらしい。そんな細かいことまで意識してご飯食べるのかと、最初は信じられなかったものだけど。

 と過去学んだ事を必死に振り返りながら急にガッチガチになる私を見て、王様が笑いをこらえている。いいんですよ、大っぴらに笑ってくれても。


 何枚ものお皿が空になりソファに移ると、砂時計が全て落ちたのを見計らって、上品な白髪の女性がカップにお茶を注いでくれた。

 キラキラ光る時計の中身は、全て砂金だ。しかし驚くなかれ。私の部屋でいつもリコ達が使っているのは、金枠の中を真っ青な宝石の粒が落ちるそれである。勿論高級品だが、宝石の産出量が豊富なためこういうものはよく作られているらしい。この辺はかつてひと通りたまげたので、もう驚かない。


「ごゆっくり遊ばせ」

「ああ」


 カップをそっとそれぞれの前に置くと、老婦人はにっこり微笑んで退室していった。湯気を立てるお茶を一口飲んで、王様が口を開く。


「さて、何から聞きたい?」


 悠然と構える彼は、砂金時計が土塊に見えるような輝かしいオーラを放っている。眩しい。威圧感が消えた代わりに、今度はカリスマビームの直撃を恐れなきゃいけなくなったらしい。

 直視しないようカップ底の模様を見つめながら、私は手始めに「今朝の事聞きました?」と質問してみた。当然肯定された。


「悪夢に慄き、あれの寝室に入ったらしいとな」

「…………」


 いい年して、なんてアチャーな女だ自分。人に言われると改めて恥ずかしい。

 私は耳まで真っ赤になりながら、「なんもないです」「反省してます」と繰り返した。そして、しつこくカップを凝視したまま、先程の言い争いについて尋ねる。


「あ、あの、神官の人が言ってた話って……」


 正室て。


「気にするな。恐らく、大臣達が勝手に言い出したんだろう」

「どこからそんな話に……」


 栗大臣の作戦が乗客無視で暴走してるのか?


「きっかけはお前の護衛だな」

「えっ」


 王様はカップをテーブルに戻すと、ゆったりと背もたれに寄りかかった。


「ジルフィー・リードは今朝の一件の報告に来た際、事情を城の重鎮の耳に入れた。先程神官達と揉めていた者達だな。これがまたややこしい」


 王様への取次を図る時に、大臣の誰かに説明したらしい。

 ジルフィー、一体何て伝えたんだ……。

 あの一切の無駄口を叩かず常に言葉は最低限、寧ろ時にはちょっと足りないくらいの彼の事だ。大臣達はその説明を、例によって非常に簡潔なメッセージとして受け取ったんじゃないだろうか。


 ――国王の婚約者たる“泉の乙女”が、今朝あの水読の寝室から寝間着で出てきた、と。


 誤解は多分、今も順調に新たな誤解を召喚している。


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