6 大変な朝(2)
4階の部屋には、火が入っていて暖かかった。
「どうされたんですか……?」
てるてる坊主のような格好で運び込まれた私を見て、リコもサニアも当然驚いた。
ジルフィーは私を部屋のソファに下ろすと、彼女達に特に事情の説明などはせず、私が裸足で石段を歩いた事だけ告げて出て行く。多分報告の為だろう、一旦持ち場を離れると断っていった。
「さあ、霜焼けになっては大変ですわ」
リコの指示で、部屋に陶器のたらいが運び込まれる。その中に湯気を立ててお湯が注ぎ込まれ、私はシーツのまま足湯に浸かることになった。
そして実際大変だったのは、霜焼けより足湯中の質問責めの方だった。
「ミウ様、上で一体何がありましたの?」
「え、えーと……」
最初は体調でも崩したのかと心配していた二人だったけれど、私の様子を見てそうじゃないと察したらしい。その明るい色の瞳には、しっかりと好奇心が光っている。
うは、何て誤魔化そう。
「ちょっと、その、寝ぼけて……っていうかなんていうか」
「それで、お着替えをする前にお部屋を?」
夢遊病みたいだね。
「そんなような感じです」
「この敷布はどうなさったんですか?」
うぐ。そうだ、自分で着てきたにしては不自然か。ここでしれっと「わかんなーい」とか言えたら追求を逃れられただろうに、迂闊にもビクッと反応してしまった。この、この私の素直な表情筋め……!
「何かあったんですね」
「…………」
確信を持って言われ目を泳がせる。
なんか複雑だ。二人がこうして、ちょっと踏み込んでくれるようになったのが嬉しい半面、聡明で鋭い彼女達を誤魔化すのは一苦労なので困るには困る。うおー、どうしよ。
良い言い訳を捻り出そうとしていると、リコが少し首を傾げ、覗き込むようにしてとんでもない事を聞いた。
「やはりミウ様は、水読様と恋仲でして?」
「ええっ!?」
声を上げると、二人は目を見交わしてひそひそしだした。
「この反応、どう見ます?」
「そうですね……」
「いや目の前にいるんで聞いてください、否定するから!」
てか何でその発想? やはりって何!?
「何故とおっしゃいましても……ミウ様が何かお悩みの時はいつも、お伺いすると水読様のお名前を出されるでしょう?」
「確かに、最も多く聞くお名前はそうですね」
「いやそれその」
単純に、私にストレスを与える回数がダントツで多いのがヤツだからです。前はアルス王子とかクラインの事でも結構悩んでたんだけど、内容的にあんまり言えなかったからなぁ……。
ちなみに二人がどの程度まで知っているのかは不明だが、何となく水読の本性について話した事はない。日々セクハラの愚痴を言うのも嫌だし。思い出すとまず自分がダメージ喰らうし。
落ち込んでいて何かあったのかと聞かれた時は毎回、「水読さんとちょっと……」と濁していた。二人にはきっちり、水読とは性格の不一致で元々上手く行ってないと伝えていたはずなので、そこからその発想へ転ばれる事は無いと思っていたのに。
サニアが、お茶のおかわりを淹れてくれながら言う。
「私は寧ろ、リード様の方かと思っておりました」
「あぁ……サニアは以前からそう言っておりましたわね。確かに今朝のご様子には、わたくしも少し考えが揺らぎましたけれど」
「すいません、リード様って誰ですか」
気まずく思いつつ質問すると、リコとサニアが揃って私を見た。
「ミウ様……」
「ミウ様を先ほどここまで運ばれた方ですわ」
「えっ、ジルフィー!?」
あの人そんな名字だったっけ。駄目だ、普段呼ばないからすぐ忘れる。名前より短かったのに、そろそろ記憶力に衰えの兆しが……?
しかし目下の問題は、話題がすっかり私のゴシップに向かっている事だ。ジルフィーだって、私諸共噂の的にされてたとは気の毒に。
「それ、そんなに広まってないですよね?」
「どうでしょう……お二人がご一緒されている所は目にする者も多いですから」
「わたくし共の間でも、ミウ様のお相手としては案外支持が強いですわね」
リコの言う「わたくし共」とは多分、塔に出入りしている他のメイドさん達も含めての事だろう。ついでに支持の理由を聞いたら、「身分違いの恋」というキーワードを与えられた。なるほど。もしそれなら私が低い方だけどね、あの人生え抜きのエリートだから。あ、僻みじゃないよ?
「大体一緒に居るのは、護衛の人なら当たり前なんじゃないんですか? 私、ほとんどあの人と喋らないんですけど……」
ハノンさんなら喋るけど。訂正、超喋るけど。それはもう一方的に、会ったこともない彼の奥さんと娘さんを数年来の知り合いかと錯覚する程には。
それにしても、私の人間関係、完全にネタにされてるんだな。こちらの生活は娯楽が少ないのでわかるんだけど、出来れば噂する立場で参加したかった。
ともかく違うと訴えると、リコは納得行かないと言うような顔で首を傾げ唇に指を当てた。
「そうでしょうか? それにしては雰囲気がそれらしい、と申しましょうか……」
「お二人は、どことなく親密な感じがするんですよね。言葉を交わさずとも分かり合っていると言うような」
「う、うーん」
それは多分、日々共に水読と戦ってるからですね……。
それと、本当に彼は言葉も態度も最低限なので、私の日本式・空気を読むスキルを最大限に発揮せざるを得ないのだ。キャッチボールが成立しないこともしばしば、また端的故にキツく聞こえたりもする。最初はかなりビビってたし、これでも意思疎通には結構苦心してまして。
「まあ、そうですか?」
「そうなんです。ただ、それが今は慣れてきたというか」
プラス恥を晒しまくっているので、開き直るしかないのもある。今朝の一件が駄目押しだ。もう私が大分残念な子という事はバレただろう。あんだけ堤防に使っておいて、寝ぼけてうっかり水の泡未遂だもんね。
……それにしても、この感触。
ジルフィーは「王様の腹心」と言っていたけど、二人は例の偽婚約話を知らないと見た。その証拠に、話題がどんどんそっちへ向かっている。
「それでは、どなたかお好きな方はいらっしゃいませんの? こんなにお待ちしておりますのに、ミウ様はちっとも恋の相談をしてくださいませんわ」
「いやいや……」
「ミウ様が陛下にもクライン様にも心動かされないなどと仰りますから、水読様やリード様が噂に上がっているんですよ。王族の方々とはまた違った魅力の殿方がお好みなのかと」
なるほど、確かにタイプは違うかもしれないけど、そのチョイスはどうかと思うぞ。私の好みとか考慮されてないし。
それにネタ提供出来なくて申し訳ないんだけど、私はね、ほら。
「そのうち帰るつもりなので……」
そう言うと、リコもサニアも黙ってしまった。
いや、だって私どうしても帰りたいんだもん。あちらの世界や家族を、絶対に諦められない。
私は帰る。
そして二度と、こちらに来る事はない。
だから例えばこちらで恋をして、運良く成就したとしても、必ず離別の苦しみが待っている。それなら手を出さないのが一番賢い。
「王様とか、クラインが格好いいのは分かりますよ?」
水読やジルフィーに関しても、一般女子から見て人気がありそう、というのは理解できる。……当然水読は中身を除くけど。
だけど私は恋に落ちない。
そもそも、並ぼうとするの自体なんか違う気がするしね。容姿は勿論、身分とか教養とか仕事とかもひっくるめて自分が同じステージに立つ想像がつかない。どちらかというと、脇でメイドさん達と一緒に「キャーかっこいー!」ってやってたい感じ。
「……そうですわね」
「でしょう?」
体がポカポカしてきて、私はシーツを外しながら答える。
そう言う意味では、“泉の乙女”でよかった。偉い人と話せるのも、甘い言葉も親切も全部、この唐突に降り掛かった分不相応なステータスのお陰。その魔法の呪文を繰り返し唱える事で、私はこっちの世界に変に執着する事にはならないだろう。
さて。
「そういう二人は、恋愛の話は無いんですか?」
「私達ですか……?」
逆に質問してみる。
二人がしょんぼりした理由に、私と離れるのが寂しい、とかが含まれてたら嬉しいんだけどな。私もそれはあるし。
「えっと、リコは婚約者がいるんでしたっけ。いつからお付き合いしてるんですか?」
どんな人か尋ねると、リコは少し気遣わしげに微笑んだ。
「背の高い、穏やかそうな方ですわ。二度程しか、お会いした事はございませんが」
「えっ」
「我が家は古い家ですから」
……そっか、リコこそ当たり前のように政略婚か。
「親の決めた相手と婚姻を結ぶことは、生まれた時から決まっております。それでも、わたくしに少々の選ぶ権利もございましたから、満足しておりますのよ?」
「そうなんですか……」
「ええ。恋をして結ばれて、というのは物語のようで憧れますけれど、わたくしは、これから相手の方を好きになれば良いのですわ。その順番が、少し違うだけで」
「…………」
それは結構、いや、かなり重要な順番な気もするけど。
「サニアも縁談が出ているのでしたわね?」
「ええ。そろそろ相手を決めてはどうか、という程度ですが」
サニアの家も、相当な身分のはずだ。二人ともまだこんなに若いのに、そんな結婚が決まってるのか……。
複雑な思いの私に、サニアが微笑む。
「恋愛結婚でなくても、アプリコットの言うように、私たちはまだ恵まれているんですよ。立場が強いですから、候補に上がった方々の中からこちらが選べます」
「年も然程離れないでしょうしね」
――でも、20も年上なのは嫌ね。
不意に、あの鈴を振るような声が甦る。鳶色の髪と、気の強そうな大きな青い目。
そうか。こっちでは「選べない」側の人は、そういう事も普通にあるんだな。
そしてそういう人が、時には命を絶つ程の恋に落ちる事も。
やっぱり、失恋は嫌だな。
死ぬほど好きな相手がいるなんてある意味幸せかもしれないけど、私は嫌だ。
「相手の方、素敵な人で、一番大好きな人になるといいですね。私の国でも、お見合い結婚ってあるんですよ。意外とそういう夫婦の方が、年取っても仲良くしてたりして」
何かのフォローの様に、私はそう付け加えた。
「そうですね。好きになった相手がいたとしても、その方と結ばれるかどうかは別ですし」
「その通りですわね」
「ですよね……それに、おだやかーに、なんとなーく好きって相手と仲良く暮らすっていうのも、多分結構幸せですよ。一気に燃え上がって冷めたりするよりは」
そう言って、ちょっとだけ過去の恋愛が頭を掠める。パーッと勝手に盛り上がられて告白されて、こっちが「好きなのかな? うん、好きかも」と思い始めた頃にスーッと冷められて振られるっていう……い、いいんだ。そういうのこそ恋って呼ぶのかもしれないし。ありがち、ありがち。
微妙に沈んだ気持ちを必死に励ましていると、今度はリコがくすり、と小さく笑う。
「ミウ様は、恋の苦味を知っていらっしゃるのね」
「えっ」
二人の目を見て、私ははっとする。
――これが女の勘というやつか。
彼女達は、恋を知らずに許嫁の元へ行くのではない。
既にその身に秘めた、叶わぬ恋と共に嫁ぐのだ。
リコが私の何かからそう感じ取ったように、私も直感としか言えない何かによって理解していた。
そしてそれが決して他人事ではないと、よく分かっていたはずだったのに。




