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雨の冠  作者: 桃宮
6.微睡む太陽
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5 大変な朝(1)

 寒い。

 布団が足りないし湯たんぽがない……あ、あった。けど、なんかあんまり温かくないよう……。


 朝、いつもの様にゆたんぽをお腹に抱きかかえようとして、私はどこか様子が違う事に気が付いた。ぼんやり目を開けると、視界には白い布が映る。

 なんだ? 着物の胸元……?

 そのまま視線を上げれば、首から口元を覆う水色の髪、そして横向きのままじっと見つめるガラスのような瞳にぶつかる。私が握っているのはその腕だ。


 な ん だ こ れ


 目を見開いて固まる。いわずもがな、こちらに来てから最も衝撃的な目覚めだった。




 どうしてこうなった。

 呼吸すら忘れ、私は必死に状況把握に務める。

 まず天井を見た。菫色の天蓋がない。つまり、ここは私の寝室じゃない。次に目の前の光景だ。瞬きもせず目を見開いているのは、夢幻ではなく現実の水読らしい。そして私は、どういう訳かその隣で寝ていたらしい……

 駄目だ訳わからん……! ただ一つ救いがあるとすれば、水読も私に負けず劣らず驚いているらしいという事か。

 双方ポカンとした顔でたっぷり5秒は停止した後、ようやく水読が口を開いた。

 

「僕、何もしてませんよね……?」


 聞くや否や、私はパッと抱え込んだ腕を放り出し、勢い良く後退った。今までこんな動きはしたことがない、伊勢海老もびっくりのバックジャンプだ。

 しかしベッドから離脱する前に、どこにそんな機敏さがという速さで片手を取られ、敢え無くその場に留め置かれた。

 や、ヤバい。

 危険を感じ、背に冷や汗が伝う。

 私を見る水色の目は真剣だ。捕らえられた手が引き寄せられる。可能な限り距離を取ろうと身を引く私の腕が、高い鼻梁の内側に触れた。水読は体を起こしもせず、その手首に額を押し当て、ゆっくりと目を閉じた。


「…………」


 何!? 二度寝!? なら手離して!

 しかし二度寝ではなかったらしい。目をカッと見開いたままひたすら息を詰めていると、ややあって水読が小さく息を吐いた。力が抜けたように手を緩め、その長すぎる髪の渦にこてんと頭を落とす。

 な、なん……?

 困惑しつつ、恐る恐る手を引き抜いてみる。特に引き止められる事はなく、思ったよりあっさり開放された。そのまま目線を外さずベッドを下り、一歩、二歩と下がる。よ、よかった。今度は離脱できた。


 その間、水読は顔の半分を透き通るような髪に埋め、ぼーっとこちらを見ていた。……もしや、寝ぼけてる? 寝起きが悪いタイプなんだろうか。いつになく気怠げな様子に、私は初めてちょっと目を逸らした。なんというか、無駄に婀娜っぽいというか、目を合わせているのが若干気まずい。でも今、それはどうでもいいとして。

 ベッドの足元の物に気付き、私は昨夜の自分をぶん殴りたい衝動に駆られていた。散らばっているのは、私の室内履きだ。

 ええ、思い出しましたとも……!

 昨夜私は変な夢を見て飛び起きて、動転して自分でここへ来たのだ。その割に、ちゃんと靴は履いてきたらしい。私ときたら、気にする所が違う。しかもあの暗い中でよく……


 「っていうか、今何時!?」


 不意に思い出し、ガバリと振り向くと、カーテンの無い窓から青空が見えた。これだけ明るいのだ、朝日などとうに出ていた。

 さあっと血の気が引き、脳裏には回避すべきパターンが瞬時に描かれる。つまり、この部屋から出る所を第三者に目撃されるというケース。それはマズい。最低でもジルフィーが来る前に部屋に戻ってなければ。


 さてさて、ここでそれを回避出来るなら、私はそもそも昨夜の失敗を犯さないタイプだったに違いない。ぽやっとしている水読を放置し、裸足のまま勢い良くドアを開けると、まさに今、隣の部屋をノックしようとしているジルフィーがそこに居た。


「…………」


 さすがに予想外だったのか、常に感情の無かった目が少し見開かれる。

 ま、まあね。私、その目の前の扉の向こうに居るはずですからね。初めて現れた表情の変化に、何かとんでもない事をしでかした気分に襲われた……いや、実際しでかしたのか?


「ち、違うんです! これはその……!」


 第一声から言い訳を始めると、ジルフィーは上げていた手を下ろした。既にいつもの無表情に戻っている。が、何も言わない。いっそ、何か言ってくれればいいのに!

 これがせめてハノンさんだったら、絶対にあたふたしながら「な、何があったんですかそこから出てくるなんて!」「いや本当に違うんです、これにはかくかくしかじか事情があって」「はああなるほど」とスムーズに弁解出来たはずだ。解決するかは別として。


 心の中で必死に叫ぶ私に、ジルフィーはようやく何か言葉を掛けようという素振りを見せた。しかしそれが発せられる前に、私の背後で微かな気配が動いた。


「どうしたんですか? 早く着替えた方がいいですよ」

「ぎゃっ!!?」


 突然ガバッと目の前が白い布で覆われ、危うく腰を抜かしそうになった。シーツを被せられたらしい。


「ちょっ、重っ……!」

「うふふふ」


 咄嗟に振り払おうともがく私に構わず、水読はその上から遠慮の欠片もなくぎゅうぎゅう抱き着く。なんなんだ、もうテンションが戻ったのかこのなんちゃって低血圧……!


「あれ、ミウさん下着が違いますね。感触が柔らか……」

「はっ!!?」


 そ、そんな事に気が付くな!


「っていうか言うなアホーーー!!!」


 と叫んだかどうかは覚えがないけど、兎にも角にもその腕を全身全霊で振りほどき、私は一目散に出口に向かって走った。シーツを引っ被ったまま飛び出すと、見張りのおじさんがぎょっとして声を上げるが、答えている余裕は無い。


 ペチペチ足音を響かせ、半べそで階段を駆け下りる。氷のような冷たさが素足の裏を刺すが、寧ろこの羞恥を紛らわすには丁度良いくらいだ。……そうだ、紛れろ紛れろ!

 必死でそう念じているのに、後ろから追ってくる靴の音のお陰でとても紛れそうにない。しかもその足音は幾らも下りない内に追い付くと、肩の前へ腕を差し入れて私を強制的にストップさせた。


「わっ!?」


 驚いて声を上げる間に、シーツごとひょいと抱き上げられる。問答無用で捕獲され、慌てて首元にかじりついた手に触れる髪は、砂色。


「ちょ、ちょっと待って、落っこち……!」

「事情を説明してください」


 急に高くなった視界にビビりながら、私はやむを得ずその肩に乗り上げるようにしてバランスを取った。ずり落ちたシーツを片手でバサッとかけ直すと、ジルフィーはそのまま階段を下り始める。うわ、め、めっちゃ揺れる!


「お、下ろしてください」

「質問にお答えください」


 語気は一緒なのに、ピシャリと言われた気がしてつい黙る。触れる手には一切の厭らしさがない代わりに、あんまり労り的なものも感じない。米俵にでもなった気分だ。

 というか、なんでいきなり……。

 そこで、冷たさに麻痺しつつあった足がじんじんし始めて少し理解する。多分ここで私を裸足で歩かせるのは、この人的には職務怠慢なんだろう。でもせめて一声掛けてくれませんか。その内私、驚きすぎて心臓止まるよ?


「ご説明を」

「は、はいっ」


 ビシっと背筋が伸びる。説明ね、うん。簡潔に言えば「朝起きたら水読さんのベッドにいて、一部記憶がないんですよね」だけど、その弁解が墓穴以外に機能するのかは怪しい。でも、黙ってた方がもっと怪しいか……。

 逡巡の後、プレッシャーに負けて小さく声を絞り出す。


「……変な夢を、見て」

「どの様な」

「えっと、み、水読さんが出てきて……何回か出てきたんですけど、毎回私が謝ってて、最後に」


 私が、水読を殺してしまう、と。

 声に出すと、羞恥と混乱を越えてゾクリと不吉な印象が甦った。寒気を感じ、無意識にギュッとシーツの端を握る。


「それが何故あの状況に繋がるのですか」

「いやその……起きて、何かすごく怖くて、気が付いたら隣に押しかけてて……実はそこから、記憶が無いんですけど」

「…………」


 何とも言えない沈黙が落ちる。そうだね、客観的に聞いたら不味い過ぎるね。


「で、でもただ寝てただけだと思います」

「確証は」

「ない、ですけど……」


 多分、大丈夫、なはず……。

 そう言いながら、居たたまれない気持ちで揺れる背中越しの階段を見つめる。なんだこれ。なんて状態でどんな話をしてるんだ。せめて護衛役が女の人だったら良かったな……そしたらまず担がれないだろうし。女人禁制とか古いよ、時代錯誤だよ。

 黙り込む私を下ろす気配もなく、ジルフィーは淡々と尋ねる。


「ご自身の力を『引け』ますか」

「あっ」


 なるほど。

 私はすぐに自分の手首に唇を当ててみた。最初の一瞬だけ、ごく僅かに目の奥でヒラリと何か瞬くような感覚を受ける。


「出来ます」


 そう答えて、どっと安堵が押し寄せる。素晴らしい……あいや、能力の有無じゃなくて“乙女”の前提がね。実態は謎だけど、保身にも潔白証明にも超使える。

 多分さっきの水読も、これを確かめていたんだろう。そしてその後のリアクションを見る限り、問題ないと判断したに違いない。嘘ならどの道ばれるからか、ジルフィーも納得したようだった。

 という事で。


「あの、裸足で歩くのが駄目でしたら、靴を持ってきて貰えたら……」

「触れられるのがお嫌という事でしたら従います」

「…………」


 何でそういう返事になるのかな。私を黙らせるには花丸の回答だ。

 それでも瀕死の精神力を振り絞って、嫌っていうか重いだろうし恥ずかしいのでもごもご、と何とか訴えたら、今度は「お気になさる必要はありません」と返された。優しく言われるならともかく、一本調子で言われると非常に簡潔なメッセージに聞こえる。要するに「黙れ」と。はい。


 文化の差か身分差か、どうもこっちの人達は、私の「恥ずかしい」という気持ちをあんまり大きく取り扱ってくれない気がする。私が顔を合わせる人は、もれなく身分制度ピラミッドの上方に位置する人ばかりなので、後者かもしれない。私は洗濯機も無いのに下着とか他人に洗って貰わなきゃいけない事実には未だに死にそうになってるのに、リコ達に言っても理解されないしね。……って、ああ……そんなこと思い出さなきゃよかった……。

 芋づる式に色々思い出してドツボに嵌っていると、ジルフィーは夢について水読に相談したかと尋ねた。


「いえ……」


 そう言えば起きてすぐ飛び出して来てしまったが、水読には話をするべきだった。よく考えたらあの人、夜中に突然起こされた上に朝まで横に他人が寝てたんだよね……10:0でこっちが悪いのに、素直に謝る気になれないのは何故だろう。

 でも昨夜のあの瞬間から記憶がないのは、多分私のせいじゃないと思う。あの唐突感、水読の力によって「落ちた」と考えるのが一番しっくりくる。水読、寝ぼけてたのかな。


 束の間思考に沈んでいると、階段が終わった。石壁のアーチをくぐり、カーブした短い廊下を行くとまた数段の階段があって、その先に4階へ続く大きな木の扉がある。

 この場合って、開けるの手伝うべき? 下ろしてもらう事はもう諦めてそう考えていた所で、前触れもなく石壁の段差に下ろされた。冷たい石をお尻に感じる。

 ジルフィーは私の肩に引っかかっていたシーツの両端を手に取り、胸の前でぎゅっと結んだ。まともに締められて肘から上が動かせなくなったけど、多分持ち運ぶ分には問題ないんだろう。無論、私に文句を言う根性はない。


「夢の内容をお聞かせ頂けますか」

「……あ、はい」


 転倒防止で片手を添えられ、尋ねられる。


 夢。


 改めて色々思い出し、また少し怖くなった。

 あれは一体何だったんだろう? 明らかに普通じゃなかった。映像の記憶としては夢の域を出ないけれど、その他の感触がまるで違った。あんなに生々しく、リアルな感情を夢で味わったことがない。

 ポツポツと説明しつつ、その光景を振り返る。


 最初の夢は何か、水読に悪感情を抱いていた。今の比じゃない……いや今も結構アレだけど、もっと明確で複雑な感情を。

 少しの同情と、大部分を占める反発心。相容れないという結論、諦め。冷たい笑みの印象。

 胸ぐらを掴まれた事を思い出して、今更ちょっとショックを受けた。水読にはある意味では非常に身の危険を感じるけど、暴力的な手段で脅されるというイメージが無かったから。

 それからもう一つ、私は自分の髪がとても長いと認識していた。今よりずっとだ。

 あれが未来の光景だとすると、髪がもっと伸びた頃、私は水読と険悪になっているんだろうか? それはいつなのか。普通なら年単位で先だろうけど、この場合は分からない。髪の伸びるスピードも今は落ち着いたけれど、ここに来た当初のようにまた急激に伸びる可能性もある。


 次のシーンは打って変わって、穏やかな関係が伺えた夢だった。

 思い出すと何故か切なくなる。この場面で最も強く残っているのは、苦々しい罪悪感だ。映像で覚えているのは水読の後ろ姿だけだったので、自分の髪の長さは分からない。でも多分、長かったと思う。

 時系列通りなら、険悪になった後に和解するんだろうか?


 そして最後は、これまで何度も見たシーン。ただし今までで一番はっきりと覚えていて、目にしたものも最も鮮明に思い出せる。

 水に舞う私の髪は、足首くらいまでは余裕であったと思う。それから、水読のような塔の装束をしていた。ちょっと和服や民族衣装っぽい、ボタンではなく帯紐で結んで着るような豪華な衣装。勿論、これまでにそういうものを着たことは無い。


 ――私が、あなたを殺してしまう。

 その言葉が甦り、どっと気分が重くなる。


「その内容については、みだりに他言されませんように」


 落ち込む私に、ジルフィーはぶれない無表情でそう忠告した。


「予知夢などと言えば混乱を招きます。但し、城と塔の上層にはご報告させて頂きます」

「えっ」


 それって、夢の事だけ? それとも、今朝の一件を含む感じ……? うっかり赤っ恥な例の事態は、出来れば知られたくないんだけど……。

 そう訴えると、ジルフィーは答える前に「失礼します」と断って再び体を抱き上げた。手が伸ばせないので、今度こそ完全にお荷物である。


「伏せた所で城には知れるでしょう。あの侍女達は国王の腹心です」

「え」


 私は目を瞬かせた。

 腹心? リコとサニアの事? 普通に城側の人達ではあるだろうけど、でも私、二人にも黙ってるつもりだよ?

 芋虫状態の自分の膝を見ながらそう思って、問題はそこじゃないと気付いた。しまった、せめて着替えはしてくるべきだった。いつも上でパジャマを着替えてくる私が、今朝はこの格好なのだ。何かあったと思わない方がおかしい。最悪、靴だけでも履いていれば。そう思った時には既に、ジルフィーは部屋に向かって歩みを進めている。


 まさかもう一度上に戻って欲しいとは言えず、私は猛烈に後悔しながら、粛々と部屋に運送された。


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