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雨の冠  作者: 桃宮
6.微睡む太陽
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4 予見

 水中で向かい合い、泣いている夢を見た。

 翌朝、今日だけでなく何度もそういうものを見たと話すと、水読は一瞬だけ不思議な表情を見せた後、自分は何もしていないと答えた。以前のように、特に何か働きかけていた訳ではないらしい。


「でも一つ分かった事があります」


 怪訝な顔をする私に、水読はニッコリ笑う。


「ミウさん、夢に見るほど僕の事を想ってくれているんですね」

「つまり何も分かってないって事ですね」


 その方法で内容が決まるなら、あなたは出て来ないはずですが。

 私は窓辺の椅子の上で膝を抱え、上からもこもことブランケットを巻きつけていた。朝の内は日光も熱が薄いが、有るのと無いのでは大違いだ。もうちょっとしたら、流石に暖房器具が必要な気がする。


「ちなみに、どんな様子でした?」

「え? なんか……謝ってましたけど」

「なるほど」


 水読は、特に寒がってる風ではない。


「それは何か僕に謝りたい事があるという、隠れた本心じゃないですか?」

「何を謝るんですか」

「好きなのに素直になれなくて、ちょっと冷たい対応をしてしまう事とか……」

「すいません、いつも素直で……」


 この人、よく飽きないなあ。

 呆れ顔を見せても相変わらずだ。この手の戯言は今や、コンビニ行った時にレシートを貰うのと同じくらい当たり前になってきた。断るよりは貰ったほうが楽っていうかね。邪魔だけど。

 不毛なやり取りをした後、私は間もなく部屋に響いたノックの音に従い下階へ向かった。




 部屋に行くと、恒例の着替えタイムが始まる。

 今日のドレスは辛子色だった。袖がふっくらしていて、何枚か重なったスカートの前のほうが少し短くなっている。そこから、パニエのレースを覗かせるのがお洒落だそうだ。可愛いけど、出来れば腰帯は少し緩めに締めて欲しい。本気で締められると、ご飯入らなくなるんで。


「おんなじ夢を何度も見ることって、あります?」

「夢ですか?」


 ずらっと並んだ背中のボタンを留めてもらいながら、私はリコに尋ねた。

 フリルの付け根に小さなリボンがちょこちょこ付いているのは、彼女の趣味だ。小さいモチーフを沢山飾るのが好きなんだろう、よく髪にも付けられるし本人も付けている。


「さあ……わたくしはございませんわ。夢自体、あまり見ませんし」

「そうなんですか……」


 うーん、やっぱり普通ではないか。唸っていると、サニアが有益な情報を教えてくれる。


「もしかしますと、予見かもしれませんよ」

「予見?」

「未来を暗示する夢です」


 つまり、予知夢って事? いや、そんなまさか。

 しかし彼女は、肩から肘までにある細かい飾り紐を丁寧に結びながら続ける。何でも、神官などが予知夢を見たという話は割とあるようだ。日常的なものでは無いらしいけど。


「特に水読様が代替わりなさる際、夢で知らせを受けたという逸話は有名ですね。塔の方々の間では、時々聞くそうです」

「へぇ……」


 虫の知らせ的なやつか。今の神官長、つまりあの爺さんはかつて、今代の水読が生まれる日をピタリと当てたらしい。あの地位にいるのは伊達じゃないと……ちなみにそういうのって、霊感とかに分類されるのかな?

 リコ達は、神官に見えるなら“泉の乙女”にも予知夢が見えてもおかしくないと考えるようだ。私自身は“乙女”の自覚も特に無く、霊感も無いのでピンと来ない。


「どうせそれなら、もっと良い内容だったらよかったのに……」

「悪い夢だったのですか?」

「んー。少なくとも、あんまりいい夢ではない気がします」


 泣いて謝っていた光景を思い出して憂鬱になる。どうもあれは、明るい未来を彷彿させるとは言い難い。

 ただの夢だといいなぁ……。

 スカートの裾をじっと見下ろし、溜息と共に零す間に、二人は私をすっかり飾り立てた。


 それから朝食を食べてウィルズ先生に本を見てもらい、午後には例のマロン氏改め栗大臣と会う。

 サニアにお茶を出してもらって、私は早速彼に水読から聞いた事、つまり“泉の乙女”も水読も王様を眠らせられない事を伝えた。永眠なら可能らしいという事は、勿論伏せた。

 大臣は少々懐疑的ながらも落胆を示したが、しかしこの人、そんな事では諦めない。


「では、ご休暇の件だけでもお力をお貸しください! 只今私共は、レオナルド陛下にご休息日を値切られております!」

「は、はあ」


 何だそれ。

 何でも休日を取ってくれと日程を提案した所、もっと減らせとゴネられたらしい。半日も手が空くと、もう落ち着かないそうだ……おかしい、おかしいよあの人。立派なワーカーホリックです。

 とりあえず休ませる為に名前を貸して欲しいと言われたので、私はお好きにどうぞと答えた。“泉の乙女”の呼び出しとあれば、あの王様も仕事の手を止めざるを得ないそうだ。今更ながら、この立場の影響力に慄く。だって王様だよ? 国のトップだよ? 私は権力を使う側は完全に適正がないので、こういうのは他人に使ってもらうに限る。


 で、呼び出した後は王様に休みなよって言うだけでいいんだろうか。あんまり意味ない気がする。それとも何? お茶にでも付き合えばいいの? 暇しないように時間稼ぎしつつおもてなし的な?


「すごい不安になって来たんですが……荷が重いっていうか」

「何をご心配なさいますか。陛下とミウ様は、この短期間にお気持ちを通わせました運命のご婚約者であらせられますからに……」

「ちょっ」


 前より盛ってない!? もうロマン大臣に改名すればいいのに!

 心の叫びをぐっと飲み込み、私は「それ内緒にしてください」と必死に口止めするに留めた。






 そして夜。


「ああ……ミウさん、すごく良いですね」


 水読が、溜息混じりにうっとりと零す。


「どうしたんですかこんな、いきなり上手く……いたたた」

「その気ン持ち悪い喋り方やめてくれますか」


 見てほら、鳥肌すごいよ鳥肌。思わず振り返ってジェスチャーする。

 昨夜の様に「水を引く」方法を実践していた私は、気が付くと当てていた唇を離しその白い腕の内側を抓っていた。惜しむらくは、殆ど皮下脂肪が無いためあんまり痛そうじゃない所か……もっと、爪で抉るように捻り上げるべきだな。


「でもミウさん、本当に昨夜と大違いですよ。何かあったんですか」

「練習したので」

「練習?」


 抓られてもただ嬉しそうな水読は、不思議そうに尋ねる。


「どなたで練習したんですか。水読は僕しかいないのに」

「自分です」


 簡単な話だ。私は今日、自分で自分の手首に唇を当ててみたのだった。

 昼間はよくわからなかったけれど、日没を待ってやってみた所、何かそれっぽいものを感じた。皮膚の感触だけではない、というか触覚だけではない、何か翻るような跳ね返るような不思議な感覚。

 手応えを感じた私は、夕食の後ひたすら自分の手首に吸い付いていた。外から何かを取り込んでいるのでは無い為か全く眠くならなかったので、いつまででもやっていられた。ソファで延々と怪しい行為を取る私を、突っ込まずそのまま置いといてくれたリコ達は本当に偉い。

 ただ何を以て「上手くなった」と言うのかはよく分からないのだけど、まあ水読がそう言うのならそうなんだろう。


「もうちょっと貸してください」

「ええ、どうぞ。もっと早く試せば良かったですねぇ、僕は今とても楽しいです」


 さいですか。

 ここ数日下げ止まりかと思われた水読への評価が、何だか再びマイナスに傾きつつある気がする。だってそこのニヤニヤが悪化して、ニタニタに思えてきたし。でも知らない人には清らかな微笑みにでも見えるんだろう。悔しい。

 私は再び背後の灰色の目を振り返り、徹底したノーリアクションぶりを見て心を落ち着かせる。そう、私に必要なのはその無我の境地なのだ。余計な事を考えると微妙な気分になるので、思考が追いつく前に実行してさっさと切り上げるのが吉だ。

 諦めて水読の腕を目一杯伸ばし、手首に口付ける。この時ばかりは、その腕が平均より長い事に感謝した。その分、本体が遠のくからね。


「まだ平気そうですか?」

「……もうちょっとしたら、眠くなりそうです」


 この眠るか眠らないかの狭間を長く保つ事で、私の体の容量が増えると水読は言う。まるで内側から徐々に圧力をかけて、ゴム風船でも伸ばしているみたいだ。

 少しずつ少しずつ調節し、くらりと眠気を感じた所で、私はその微妙な儀式を終わりにした。昨夜と全く同じように部屋に戻って着替えると、ベッドに倒れ込んで一瞬で眠る。




 そしてまた、妙な夢を見た。


 今日は水中ではなかった。

 夢だけあって曖昧ながら、大まかな様子は分かる。

 白い石の建物。

 これは、どこかの聖堂ではないだろうか?

 塔には幾つもそういった場所があるのだ。


 そこでその二人は佇み、向き合っていた。

 引き摺るような白っぽい長衣。

 水読の髪が長いのは相変わらずだが、私の方も相当髪が伸びている。

 高い位置で結っているそれは、ほどけば床に付きそうだ。


「ごめんなさい」


 私は静かに謝った。

 謝られた水読は、意に介さない様子で答える。


「貴女は拒まないはずだ」

「…………」

「全ては理のままに。いずれは受け容れざるを得ない」


 きっぱりと言い切られ、重い気持ちが腹の中でとぐろを巻く。

 薄く笑うその口元の、なんと冷たい事か。

 さながら、神事に使う玻璃の剣のようだ。

 美しいが、触れれば切れる剣呑な光。どうしても好きにはなれない。


 それでも尚、批難と言える程の刃を持たない自分に焦れる。

 何故なら彼もまた、この理不尽な宿命に振り回された一人なのだから。

 葛藤の末、諦めと決意のようなものを覚える。


「――それでも、私の心は私のものです」


 そう言った途端、ぐっと胸ぐらを掴まれた。

 気に入らなかったのか。

 あくまで笑みの形を取りながら、鋭い視線が手加減なしに斬りつける。

 胸の内を固く閉ざし、しっかりと錠を掛けた。

 抗えるものは、もうそれだけ。






 フェードアウトするように景色が闇に落ち、次に見えてきたのは別の場所だった。

 薄暗い、とても見覚えのある石段。塔の階段だ。


「ごめんなさい」


 ――また。

 謝る相手は、先導して下りる背の高い人物だった。

 当然のように、色素の薄い長い髪をしている。


 水読は、その言葉に小さく微笑んだようだった。

 先ほどの冷酷な印象とはまるで違い、感じるのはこちらへの穏やかな慈しみと、悲哀に似た色褪せた感情。

 だけど分かっていた。

 この人は決して激情を持ち得ないのではない。

 それを隠すことに、余りにも長けているだけなのである。


「謝罪の必要などございません。御役目ですから」

「……ごめんなさい」


 そう言われた上で、私は再度許しを請うた。強い罪悪感が胸を抉る。


「必ず戻ります。信じて」

「ええ」


 痛みを噛み締めながら、静かな返答を聞いた。

 あの目を以てしても、この心は暴けないだろう。

 私だけが分かるのだ。

 ただ一人、この私だけが。





 これは一体――?




 ハッとして、私は目を覚ました。

 身を起こそうと突いた手が空を切り、不意の浮遊感に焦る。そのままぐらりと体が傾くが、何の衝撃もなかった。

 ここ、どこ?

 混乱する頭で状況を把握する。部屋じゃない……淡い、薄青い光、静かで膨大な水……水核だ。私は、夢の中でまた夢を見ていた? 


 ――ごめんなさい。


 何度目かのその声が聞こえて、私は周囲の様子に気付く。

 それは、ここ最近何度も見た光景だった。

 幾重にも重ねられた、前合わせの白い装束。その裾が水をはらんで膨らみ、周りを衣を纏める長い帯や飾り紐がひらひらと舞っていた。光源が見当たらないのに仄明るい水中で、縁取りにあしらわれた銀糸の縫い取りが魚の鱗の様にきらめく。

 そして同じように、いや、それ以上に輝く長い黒髪。


「貴女の罪ではありませんよ」

「全て私のせいです」


 似たような格好をして、向かい合う二人。


「ごめんなさい……」


 苦しげに懺悔を繰り返す私に、ゆったりした袖口から、骨っぽい白い手が伸びる。それは顔を覆う両手に触れるか触れないかの所で止まり、次に、水に遊ぶその黒々とした髪を柔らかく梳いた。


「初めから、何もかも許されていますよ。水読は貴女を恨まない」

「ごめんなさい」


 その仕草も言葉も届かないかのように、私は謝罪の言葉だけを告げる。


「ごめんなさい、水読――――――私が、あなたを殺してしまう」





 瞼を開けると暗い室内だった。

 今度こそ目が覚めたのだ。

 カーテンの開いた窓から外が見える。

 無音で輝く壮大な星空を見上げ、私はぞくりと身震いした。布団を着ていなかった体は、芯から冷え切っていた。しかしそれとは別の悪寒が、爪先からぞわりと駆け上がってくる。

 私は手を突きながらゆっくりと体を起こした。震える指先を噛み、感覚を確かめる。神経が嫌な興奮で昂ぶっている。


 この前はブロット氏の過去を見た。

 水核の夢も、ここ数日で何度も見た。

 今のは、一体。


 推測が終着するのに、時間は掛からなかった。昼間聞いた言葉が甦る。


 ――私が、水読を殺す?



 これが

 『予見』

 ではないのか?



 下弦の光に、息が白く浮かんでいた。

 転げ落ちるようにしてベッドを降り、震える膝を必死に動かし椅子に飛びつくと、それを押しやって鍵を開けた。ドアノブが凍ったように冷たい。部屋を出ると、まっすぐ隣へ向かう。左右対称に造られたその部屋には、今まで一度も足を踏み入れた事がない。


 扉は難なく開いた。

 剥き出しの窓から差し込む弱々しい月明かりが、部屋の中をぼんやりと浮かび上がらせていた。その僅かな光を頼りにもつれるように段を上がり、白い寝台に駆け寄る。

 微動だにしない体。

 長い長い髪が、まるで銀の川のように流れている。


「……み、よみさん……、みず……みさん」


 私は見慣れた寝姿に何度も呼びかけた。歯の根が合わず、上手く声が出ない。殆ど吐息のようなそれは、次こそはと繰り返すものの、何度やってもまともな音にならない。


 それでも、水読は目を開けた。


「――……?」


 名を呼ぶような囁きと共に、不思議な色の瞳がこちらを捉える。暗闇で最も光を帯びているのはその髪、次いでその目の中の星だった。

 呆然と半身を起こす水読の体から、薄い上掛けが落ちた。それが彼の寝間着なのか、真白い合わせの襟元はまるで死装束だ。不吉な連想に、無意識に腰が引ける。


「水読……」


 もう一度呼んだ瞬間、素早く伸ばされた長い腕が手首を掴んだ。そこに篭められた力の強さに驚く間もなく、ガクン、と肩が抜けそうな勢いで引っ張られる。


 闇の中でやけに白く浮いて見えた、逆さまの涙型。

 その記憶を最後に、私の意識はぶっつりと途絶えた。



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