3 水を引く
「それは、ミウさんが彼の寝室に入るという事ですか?」
「え、えーと」
そうなるのかな……?
「要するに、寝かし付けるんでしょう? 絶対嫌です。お断りしましょう」
「こういうのって、嫌とか嫌じゃないとかの問題で断っていいんですか」
一人用のソファで、クッションを抱え考える。
その日の夜、私は早速水読に事情を話していた。
単刀直入に、もし”泉の乙女”に眠れない人を眠らせる能力があるなら活用した方が良さそうだと言うと、水読は考えるように視線を止め「自分が知る限りそういうものはない」と答えた。
「そうなんですか……」
がっかりして溜息を吐く。やっぱ無いか。
「あれ、でも水読さんは私の事、強制的に眠らせたり出来るんじゃなかったですっけ」
「あれは眠ると言いますか、意識が深部まで落とされてるだけですけどね。それから、貴女と他の人間とを同じに考えることは出来ませんよ」
曰く、以前水読によって何度も引きずり込まれるように気を失ったのは、この体が“泉の乙女”だからに他ならないという。そして眠りに限らず、私には外部から内側へ引っ張る力――つまり『引力』があるため外の影響は受けやすいが、逆に外へ与える類のものは備わっていないそうだ。
「……なんか、あんまり小回り効かないんですね、“泉の乙女”って。でも、王様も特殊な血筋なんですよね? 何かそういうのないんですか」
不思議な力系で言えば、王様もおおよそ一般人とは言えない。時期的にも不眠と旱魃、水読が眠っていた事は連動している感じだし、水読を起こす際も王様に触れている間だけは私、起きていられたし。その辺りなんて、「眠らない」という事情に中々関係ありそうだけど。
「そうですね、関係しているといえばしています。ですが彼の血筋が眠りと縁遠いのは、元々ですからね。特例は“泉の乙女”だけですよ。その証拠に、あの時レオの方は何ともなかったでしょう?」
確かに。水読の力と繋いだ時も、王様はケロッとしていたものだ。もし水の力で不眠が解決できるなら、あの後に何らかの影響が出ていておかしくないそうだ。
「もう、待つしかありませんよ。私達は既に手を尽くしています、対応策は雨を戻す事と同じですから」
「つまり、太陽の力を弱めるってやつですか。ひたすら私が水を増やすしかない的な……」
「ええ、そうです」
「簡単には行かないもんですね……」
「ミウさんに限ってでしたら、眠らせるのも簡単なんですけどね」
水読はニコニコと機嫌良さそうに言う。いやぁ、私を眠らせてもしょうがないし。
「水読さんが全力出しても無理なんですか。何か、手とかで触ってえいってやったらできそうなのに」
例の人間スタンガンを発揮できるのでは。
「それは、例え手段としては可能であっても、やらない方が良いと思いますよ」
「何でですか?」
「恐らく、そのまま永眠しますので」
「うえっ」
思わず声を上げてしまった。なんだそれ、物騒な。
「王家とは反りが合わないんですよねぇ……無理にぶつかればどちらかが滅します。基本的に私のほうが強いので、大方向こうが死にますね」
「ち、ちなみにそれ、私は永眠しないですよね?」
「あはは、ミウさんは大丈夫ですよ。実際無事じゃないですか」
「それならいいんですけど……」
一応ホッとしていると、水読が微笑を湛えゆらりと立ち上がった。近付く影に、私もクッションを持ったまま腰を上げ移動する。傍らに控える背の高い制服の後ろに回り込むと、水読は不満そうな顔でソファの背もたれに手を置いた。
「どうして逃げますかねぇ」
「条件反射ですかね……」
近づかれたら逃げるのは鉄則だ。
束の間それぞれに遠い目をした後、水読が気を取り直したように切り出した。
「一つ実験をしたいのですが」
「実験」
あんまり良い響きに聞こえないですが。
「『引く』力がどの程度の物なのか、試したいんです。以前ミウさんは、ご自分で『尋問』を引いたと仰ったでしょう。それに、妙な具合に火を取り込んで来た事もありましたよね。水に関しても同様なのか、確かめておきたくて」
「……あれは別に、私が意図して何かした訳じゃないですし、“呪い”が関係してるだけの現象じゃなかったんですか」
「最初は僕もそう思ったんですけどね。可能性として無視できない気がして来まして」
「はあ」
「今から私が水を『汲み上げ』ますから、ミウさんはそれをご自身の方へ引っ張ってみてください」
非常に抽象的な指示を出され、私は首を傾げた。そんなざっくり「引っ張れ」って言われても、どういう事だか分からない。イメージトレーニング的な?
ひとまず水読の方から水が流れてくる様子を想像してみたが、当然それでどうなるでもなく。
「……すいません、ぜんっぜんわかりません」
「うーん、そうですか。やり方さえわかれば出来ると思うんですが。感覚をお伝えするというのは、難しいですねえ、中々」
これで何かが「おおっ出来た!」となったら格好良かったのにな。どうやったら「出来た」に該当するかも不明だけど。
水読は水読で首をひねっている。この人なら、イメージするだけで自在にその力を操れるんだろうか? 今も「水を汲み上げた」らしいけど、私が見た感じでは何の変化も無かった。
しばらく考えた後、水読はソファに座り、私にも隣へ座るよう言った。おもむろに自分の袖を捲り、手首の内側を差し出す。
「ここへ口付けてもらえますか?」
「は? なんでですか」
「実験ですって。皮膚を介せば可能かもしれません。唇同士でしたら、確実に指南出来る気がするんですけどねー。こちらからも干渉できますし」
「…………」
いやぁ……やりたくないなー!
多大な不安感を覚え、私は目の前の壁もといジルフィーの灰色の目を見上げた。いつも通り、揺るぎない無表情でちょっと安心する。この人見てると、動揺とか驚きとかが不要なものに思える。
「唇で『引いた』上で、普段と違う様子を感じたら教えてください。冷たさですとか、重さとか」
「もしかしてあの、水流が体に入ってくるみたいなやつもそうですか」
「ああ、恐らくそれです。今回こちらからは送りませんから、ミウさんの方で引き寄せる感じを意識してみてくださいね」
そんな何となくで出来るものなのかな。唇で引くって、普通にキスすればいいってこと? ていうか何でこういう方法なんだろう。普通に、額とか手とかで済めばいいのになぁ……。
微妙な気分で水読の横に浅く腰掛け、腕を取った。ひんやりとしたそれは相変わらず抜けるように白く、なんというか、非常に採血がしやすそうな腕である。どうでもいいな。
「脈打つ場所が適してますから、この辺りが良いですね」
「はーい……」
二人きりじゃないし大丈夫だろう。深く考えるのは止めて唇を付ける。本当にあまり温度のない肌だ。
「私を水面だと思ってください。そのまま水を飲む感じです」
「はーい。…………あ」
おおおおお。来た! ……ような気がする。
一瞬だけ、僅かな水が喉を通ったような冷たさを感じた! ……ような気がする。若干だけ興奮してそう言うと、水読は微笑んで頷いた。
「なるほど、やはりミウさん側から意識的に取り込むというのも可能なんですね。それは気のせいじゃないと思いますよ」
「そうなんですかね。もうわかんなくなっちゃいましたけど」
「微量なので判り辛いんでしょう。今はこちらで制限していますから」
何だか知らないが、出力全開にすると私のブレーカーが落ちるというので致し方ない。
「是非、この感覚を覚えてくださいね。どうすれば『引ける』かミウさんが習得できたら、ずっと話が早くなります」
「はあ」
それってつまり、雨も王様の不眠症も、ついでにこの同居生活も解消が早まるって事でしょうか。多分そうだよね。この方法とここで寝るのだと、どのくらい差があるんだろう。もしこの方法で「水寄り」にできるなら、泊まり込む必要なくなるな。
「すいません、もう一度やってみても良いですか」
「ええ、何度でもどうぞ」
快諾する笑顔がニコニコよりニヤニヤに見えて癇に障るが、無視に限る。この人はこういう顔なんだ、うん。
私は再度、心を無にして唇を寄せた。皮膚の、その先にあるものに意識を向ける。
水読の言う「引っ張る」感じは、深呼吸する時の感覚に似ている。
かつて為す術もなく押し潰された、目に見えない激流。それを思えば、今の感覚は降り始めの雨のように薄くて軽い。気のせいレベルだ。でもはっきりとは察知できないものの、何かがこちらに流れ込む気配はある。
そして、段々眠くなってきた。
「ああ、ではもう止めておきましょう。それ以上引くと『落ち』ますよ」
「な、なるほど……」
ここが「許容量」の水際なのかな。水読なら明確に分かるのかもしれないが、私はどうやらこの眠気で把握するしかないらしい。ぐらぐらする頭を何とか支え、唇を離す。
結局、眠りに関する”泉の乙女”の力は、こうやって眠くなる事と「水読に眠らされても死なない」という事だけか。ていうか死ぬ可能性とかあったんかい!っていうね。知らないまま生活してたなんて。
「えーと……では、ありがとうございました。寝ます」
「はい。ご一緒しますか?」
「おやすみなさい」
戯言をスルーして、フラフラと寝室に向かう。後ろからジルフィーが付いて来る。
ドアをくぐると、私は振り返って挨拶した。それを受ける視線に念を押され頷く。大丈夫、ちゃんと椅子置きますんで。
ドアノブについては、ジルフィーが居る間にもう一度調べてみたが何も見つからなかった。下の階でも同様に調べてみてリコ達にも聞いてみたけれど、そんな話は聞いたことがないと不思議がられてしまった。何かあると思ったんだけど。
扉が閉まると、部屋は真っ暗だ。椅子を移動させ、いつもの様に闇の中で着替える。
ガウンとワンピースを脱いでウエストから固定するタイプのブラを外し、肩紐のあるベビードールのような下着と、白い寝間着を頭から被る。
「寒っ」
脱いだものを纏めて籠に入れると、急いでベッドに潜り込んだ。
気温の低下に伴い、最近布団の中には湯たんぽが入れられるようになった。近年の増築部分である下の階はともかく、塔の古い部屋には暖炉がないのだ。
これ、真冬になったらどうなるんだろ。
この国は雪が沢山降るらしい。それはちょっと楽しみだけど、すごい寒冷地だったらと思うと心配だ。皆寒さには慣れているのか、今のところ一番の寒がりは私だった。大げさなドレスを断り切れないのも、あれが大量のパニエのお陰でかなり保温性に優れているせいでもある。
布にくるまれたあったかい塊をお腹に抱え込み、ほかほかのシーツに埋もれるようにして手足を丸める。
湯たんぽ最高。
そう思った次の瞬間には、もう眠りについていた。
◇
夢を見た。
殺風景な灰色の岸壁。見上げた空は薄明るく、白い半月が浮かぶ。
「無理だよ。すぐに死んでしまう」
隣で黒い髪の少年が語る。
「そんな必要なんてない」
「いいえ。最初からそう決まってるわ」
咎めるような口調に対し、私の答えは淡々としたものだった。
昼とも夜ともつかない、覚えのある雰囲気――ああ、またこの夢か。
そう思った所で、どちらともなくハッとした。時間切れだ。
前のように、たちまち空のてっぺんから景色が溶けて流れていく。
どうやらパターンは一緒らしい。となると、この次はきっと水の中だな。
正解だった。
もう何度目かになる例の光景、水核で向かい合う二人。
私の方は、相変わらず泣いている。
けれど今日は一つだけ、今までと違った。
「――ごめんなさい」
言葉が聞こえた。
それに対して、水読がいいえ、と穏やかに首を振る。
覚えていたのは、それだけだった。




