1 手紙と印章
山並みが日ごとに鮮やかに色づき、着々と秋も深まる今日この頃。
窓から見下ろす塔の庭にも丸い葉っぱを黄色く染めた木が並び、秋晴れの青い空と美しいコントラストを見せている。
そんな、大変爽やかな朝。
「うーん……」
私は、上階の自室の扉の前で屈みこんで唸っていた。視線の先にあるのは、真鍮製の重厚なドアノブ。直線と飾り模様が効果的に使われ、見るからに趣があるデザインだ。けど、別にデザインを観察したい訳じゃない。
「ミウさん、何をしてるんですか?」
「はい、近いです」
肩口で囁かれ、反射的に肘を張る。押しやる手をごく自然に受け止め、あまつさえ撫で回してくるのは勿論水読だった。ゾワッと肌が粟立つ。
「だからそういう……! 勝手に触るの止めてください!」
追加で「気色悪いんだよこの変態がぁ!!」とやりたい所をぐっとこらえ、私は微妙に尻すぼみになりながら窓の方へ逃げた。振り払われた水読は、キョトンと不思議そうに小首を傾げる。その表情は年の割に一見無垢だが、私は知っている。それはカマトトぶってる時の顔だ。
「どうして逃げるんですか? この前はミウさん、あんなにぎゅっと抱き付いてきたのに……」
「ちょっ……!」
カマトト顔を崩さずに言い放った水読を、私は真っ赤になりながら振り返る。
例の件で別人のように親切だった水読はやはり一晩で大方元に戻り、更にオプションとして今のような言葉による嫌がらせが追加された。
無念だ。完全に弱味を握られている。
私としては当然、あの日の事はきれいさっぱり忘れ去りたいのだが、こうやってちょいちょい蒸し返されるのでままならない。
「そんなにこの取っ手が面白いですかねぇ」
「面白いです。もっとよく見たいので、出来れば向うに行ってて貰えるとありがたいんですが」
「僕がここに居て、何の不都合があるんです?」
のんびりと言う顔を恨みがましく見やり、私は出入口へ向かった。もう、迎えが来る前に勝手に下りるか。
ちなみに、今何をしていたか説明すると、外から部屋のドアを開けられないかどうか調べていた。
あの夜、鍵を掛けたはずのドアを一瞬で開けられた事が引っ掛かっていたのだ。これまでも何度かそういう事があったけれど、今回は特に外から鍵を回す気配もなかったし、ノブに何か仕掛けがあるに違いない……そこでヘラヘラ笑っている人が鍵開けまでこなす超能力者じゃない限り。パッと見、何も無かったけど。
一つ溜息をついた時、ノックの音が聞こえた。
「あ、おはようございます」
「……おはようございます」
時間通り迎えに来たジルフィーは、私が客間に出ているのを見て少し視線を止めた。
ドアを調べるきっかけとなったのは、この人の発言だった。水読がいとも容易く部屋を開けたのを間近で見ていた彼は、ちゃんと鍵をかけろと注意してきた。勿論弁解した上で、椅子まで置いてあると話したけど。
絶対、解錠できる何かがあると思うんだよなあ……明るい時に見たかったけど仕方ない、続きは夜に回そう。未練がましく扉を振り返りつつ、私はいつも通りに下の部屋へ向かった。
そして4階。先日模様替えされたこの部屋には、こっくりとしたワインレッドのカーテンが掛かっている。その色が映る大きな姿見の中には、やる気のない顔をした私の姿がある。
「城下では、こちらの袖が流行っておりますのよ。腰帯は金縁のものが今風です。耳飾りも合わせて金の入ったものが宜しいですわね」
「はあ」
「御髪には花飾りをお留め致しましょう。敢えて少し崩した感じであしらうのが宜しいかと思いますが、ミウ様はこう言った髪形はお嫌いかしら?」
「いえ……もう、お任せで」
「あら」
ビロードの巻き薔薇を手に私の髪を梳くアプリコットは、通常の3割増しで生き生きとしている。
お勧めだという袖飾りは、光沢が美しい幾重もの繊細な手編みレースで、日本で今まで見ていたものは何だったんだと疑問になるような出来栄えだ。引っ掛けたり汚したりしそうだと言って断ると、「お作法のお勉強にも緊張感が出ますでしょう?」とににこやかに返された。怖い。
これから着せられようとしている草色のドレスも不安だ。床に着く長さの裾には、細かな刺繍と共に小さな宝石が無数に縫い付けられている。綺麗だけど、日常着としては失格だよ。これじゃ一瞬たりとも引き摺れない。
「何事も慣れですわ。普段着ですからお気になさらず」
「いやいや……」
結婚式のお色直しレベルじゃ……。
こちらには大した機械などないので、仕立ては全て職人による手仕事だ。素材もスゴイが、その手間暇を思うだけで眩暈がしてくる。
私、今着てるワンピースで全然いいんだけどな……日々湯上りからパジャマまで、そしてパジャマから翌朝の朝食までの為だけに存在するこの服だって、十分お洒落だし。しかし肌寒くなってきた秋半ば。避けていた豪華なドレスは、気候に合わせて着々と私の生活に侵入しつつあった。
着替えさせられ、四苦八苦しながら朝食を終えた後は、先生が来るまでノートの復習をする。
私は花模様の日記帳を開き、背表紙側から数枚捲った。
二度の満月を迎え、こちらでの生活もそろそろ丸二か月が経とうとしていた。その間、毎日欠かさず記録していた日付によると、こちらに来たのは9月7日の新月。今は11月に入った所だ。
メルキュリアはお正月が芽吹きの季節、地球の3月に相当するからややこしい。つまり現在こちらのカレンダーは、11月ではなく8月末とされている。
そして本来なら、今頃は本格的な冬に入っている時期なのだとか。長すぎた夏の名残、異常気象が尾を引いている。私は日付と一緒に、それらの話も書き残した。
ガリガリ羽ペンで綴っていると、ドアの外から声が掛かり、髪をきちんと結い上げ四角い銀盆を手にしたサニアが入ってきた。彼女は「お知らせを持って参りました」と前置いた。
「一つ目は以前お話のあった印章の件です。完成しましたので、本日神官長様がお届けに伺いたいとの事ですが、お時間頂けますか?」
「あ、あれですね。分かりました」
なんだかよくわからないが、私は”泉の乙女”としての印鑑みたいな物を作って貰える事になっていた。要るか要らないかではなく、絶対に作るものらしい。
「ではそのようにお伝えしておきますね。それからもう一つは、ミウ様にお手紙が届いております」
「手紙?」
誰から? 差し出された銀盆には、黒い蝋で封印された白い封筒と、美しい茜色の枝葉が一振り乗せられていた。その二つと金色のペーパーナイフを受け取り、封蝋を開ける。出てきた滑らかな便箋には、華麗な筆跡でたった一言、短い言葉が綴られている。
「えーと……『あなた』……『夢』?」
発音が違ったのか、翻訳に失敗してしまった。口を閉じ、僅か一行の文面を眺める。どことなく几帳面な筆跡は迷いがなく美しいが、華美であればあるほど読めないという事情があるので困りものだ。諦めてサニアにお願いすると、彼女は難なく読み上げてくれる。
「『あなたに夢で逢いました』と書かれています」
「……?」
なんだそれ? 私、誰かの夢にでも出たんだろうか。夢と聞いて真っ先に浮かんだのは水読だったが、違うなと思い直す。だって、こんな回りくどい事をする意味が分からない。
「ミウ様、こちらは恐らく言葉通りの意味ではございません。『あなたを思い出しました』という意味の、久しぶりに連絡を取る方に宛てた書き出しの文句ですね」
「へぇ……慣用句みたいなものってことですか?」
「その通りです」
貴族が好む言い回しには、色々と小難しい暗黙の了解があると前に教わった。私がこちらの論文や記録書は読めても娯楽小説は読めない理由は、後者がほぼ100%の確率で手書きであるという事の他に、この比喩表現や独特のルールがわんさか出てくるせいでもある。
で、誰がそんなことを。宛名はどこだ。しかし、封筒と便箋を裏返してまでよくよく眺めたが、差出人の名前はない。
「印章はご覧になられましたか?」
「あ、まだです。……なんだろ、可愛い」
封蝋を光に翳して見ると、花の文様が捺されていた。先のとがった花びらがいくつも重なり、真ん中には六角形の星が一つ入っている。丁度、八重咲きのマーガレットか何かを上から見たような図だ。こんな可愛い印だったら、女の人かもしれない。心当たり無いけど。
「あら、アルス殿下ですね」
「えっ!?」
サニアに言われ、私は便箋を二度見した。文字は、以前貰った走り書きよりずっと丁寧で綺麗だ。でもなんでアルス王子が手紙を寄越すんだ、しかもこの一言だけとか。
「そうですね……軽いご機嫌伺いでしょうか」
「元気ですか、とかそんな感じって事ですか?」
「ええ、意味はその程度だと思います。ですがこちらの表現は、通常は恋人に宛てて使われる場合が殆どです」
「こ、恋人!?」
仰天する私を見て、サニアは心得たような顔をした。
「お心当たりは無いんですね。では案外、本当にただ夢を見られたという事かもしれません。後に続く文章もありませんし」
「なるほど……」
そっちの方が断然ありそう。そういえば以前、アルス王子の夢も見たような気がする。水読を起こす際やその他にも色々あったので、こちらに来てからはたかが夢と馬鹿に出来ない。
私はサニアにアドバイスを貰って、早速お礼の返信を書いた。内容は無難に、用事があるのか聞き返すものだ。こっちも一行だし略字に文字通り毛が生えただけのような筆跡だけど、形式ばった口上を並べても、別に面白くもないだろう。
女性側は普通添え物はしないそうなので、代わりに小さく花の絵を描いておく。貰った赤い葉っぱは、しおり替わりに日記帳に挟むことにした。
封筒に入れて封をしようという所で、再びノックが聞こえた。
来訪者は話の通り、あの爺さんだった。
「お久し振りでございます。ご不自由はございませんか?」
恭しく挨拶を述べる爺さんは、相変わらずニコニコと愛想がいい。お供的な中年の神官を一人連れている。そしてもう一人。
「失礼する」
「……王様」
長いコートを翻して入ってきた王様は、私と目が合うと気楽な挨拶をした。今日も絶好調で輝いているが、前回同様、異常な威圧感は不在でほっとする。これなら少し緊張する程度で済みそうだ。私の精神、ようやく鍛えられてきたのかも。
リコとサニアがきびきびとお茶を用意する中、彼らは私の正面に座った。滑らかに時候の挨拶をした後、爺さんがお供の神官からクッションのようなものを受け取る。
「こちらでございます」
ふかふかの黒い布の上に乗せられていたのは、水晶製の印鑑……印章だった。持ち手も水晶だが、金と銀の細工がしてある。勧められ手に取ると、印の部分にはコロンとした扇のような図柄が描かれていた。横から見た睡蓮の花と葉っぱだそうだ。
「ミウ様は6番目の”乙女”でございますので、こちらの一葉六花弁のご印章をお使頂く事になります」
”泉の乙女”の印は、昔から睡蓮と決まっている。
こういった印鑑が作られたのは一葉三花弁、つまり3番目の”甘受の乙女”からだそうだ。
「へぇ……綺麗ですね」
繊細なカッティングが施されたそれを動かすと、透明な水晶が日光にキラキラと輝く。
「気に入ったか? 特に使う機会もないかもしれんが、一応渡しておく」
「ありがとうございます、大事にします」
やった、これでさっきの手紙に封をしよう。単純に喜ぶ私に、王様も神官長も満足そうだった。部屋からはあまり持ち出さないように注意事項だけ告げられ、この話は終わりになる。
しかしそれで帰るのかと思ったら、王様はまだ用事があったようだ。
「一つ協力を頼みたいんだが」
「協力?」
「ああ。是非お前の話を聞きたいという者がいてな」
また取材かな?
「どなたでしょうか」
「大臣の一人だな。農水に関して知恵を貸して欲しいそうだ」
「えぇっ!?」
その話、まだ生きてたの!?
詳しく聞けば、以前旱魃対策を問われた時の続きのような感じだった。
「あの、私本当に専門知識はないんですけど……!?」
「それももう一度伝えておくが、まあ、嫌でなければ少し会ってやってくれ。何か聞かれても分からなければ、分からないと言って構わん。本人が、どうしても直接話がしたいと言って聞かなくてな」
「はぁ……」
また、おかしな所で頼られるもんだ。本当に期待しないでくれと念を押しつつ、私はその予定を日記帳に書き込んだ。




