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雨の冠  作者: 桃宮
5.日陰
52/103

24 女泣かせ

 

 回廊を渡って4階の部屋に戻った後は、普通にリコ達と夕食を食べて、お風呂に行って、塔のてっぺんまで登る。

 半円形の部屋に入ると、今日最後の仕事をこなすため、私は水読と中央のソファで向い合った。


「――――はい、おしまいです」


 その言葉を合図に、さっさと体を離し合わせていた額と手も離す。

 傍らでじっと待機するジルフィーの目が気になりつつも、今まで通りに祈雨を済ませた私は、座ったままずりずりと長いソファの端に移動した。

 ふう、と息をついた所で、水読が苦笑する。


「そんなに慌てて離れること無いじゃないですか。もしかして、見物人が居るので照れているんですか? ミウさん、いつも暫くはくっついて離れないのに……」

「そう言う根も葉もない嘘やめてくれますか」


 顔色一つ変えないせいで、妙に本当っぽく聞こえるんだよ。

 事実無根の情報操作に青筋を立てつつ、私は確認の意味を込めて力強く振り返る。ジルフィーは、承知していると視線で返事した。……なんか最近、このメンバーも微妙なりに馴染んで来たな。水読の戯言には、この人も随分慣れたんじゃないだろうか。


「それにしても、今日はたかだか雨呼びで大仕事でしたねぇ」

「そうですね」

「満足しましたか?」

「……まあ、一応」


 水読がニコニコと笑顔を湛えたまま尋ねる。私が、彼らを取りなしたがっていた事について言っているのだ。


「僕だけだったら、放っておいて帰る所でしたよ。あれで纏まれば大したものですが」

「……なんとかなるんじゃないですか」


 優しい柔らかい声の中に、カミソリの刃がくるまってる。そう感じてしまうのは、以前利己だの何だのと指摘されたせいか。少々苦い気持ちになる私に、水読はにっこりと頬笑み掛けた。


「所で、一つお聞きしておきたいのですが」

「何ですか」

「聖堂での事です。秘密というのは、何を見たんですか?」

「それ聞きますか。言えるわけ無いでしょう」

「では『秘密を引いた』と仰っていた事については、何かわかりますか」

「うーん……」


 水読は不思議現象について知りたいようだ。その他にも体調の変化や気になったことはないか聞かれ、私は思い出そうと頭をひねる。しかしとにかく色々唐突過ぎて、今ひとつハッキリしない。なんであんな事が起こったんだろう。記憶を見る前後は、どちらも眩しかった事は覚えているけれど。

 ――そこまで思い出し、私はゆっくりと息を吸った。少し心を落ち着かせる。油断しているとあの冬の場面を思い出し、苦しくなって来るのだ。


「ごめんなさい、やっぱりわからないです」

「そうですか。『尋問』を閉じる能力というのは初耳ですから、出来れば把握しておきたかったんですが。“乙女”は謎が多いですね」

「水読さんにも、何もわからなかったんですか?」


 例えば、今私の力を読んだ時とか。


「そうですね……ああ、一つありましたよ。ミウさん、少し火を纏いにくくなってます。でも恐らくそれは、瞳に星が出た時からですけれど。水と火は本来ならば反発しますから、水が増えた分寄せ付けにくくなったんでしょう。外が混沌としている割に、内側はとても安定してます。流石に馴染みが良いですね。この調子でもっと容量が増えると良いんですが」


 水読は、今回は雨が短いかもしれないと言った。

 なんでも昼間のクラインとの接触では、今の理由でちょっと力が不足気味だったらしい。じゃあその場で言えよと思わず突っ込んだが、涼しい顔でさらりと流される。


「雨量は、そろそろ減らしても良いと思っていたので。気温も下がって来ましたし、もうじき自然に降るようになるかもしれません」

「へぇ……」


 そもそも雨が降らないのは、太陽が強すぎるせいという事だった。“泉の乙女”という水の要素が増えて、且つ冬が近づけば解決するというのが当初の水読の推測だ。


「このまま順調に冬になればいいんですよね?」

「一応そのつもりで考えていますが、飽くまでそれは”水読”の理論なんですよね。“乙女”もそれに近いものとして見ていましたが、『尋問』への干渉の仕方といい、予想以上に未知の部分が大きいようです。ミウさん、今後何か異変を感じたら教えてください。雨乞い自体は、少し頻度を落としましょう」

「はい」


 私は大人しく頷く。


「じゃあとりあえず、あの二人にはそんなに頻繁に会う必要もなくなるんですね」


 そう思うと、ホッとしたような少し心配なような複雑な気分だ。


「気になりますか?」

「え?」


 水読が、こちらをじっと見る。顔には、笑みのような不思議な表情が浮かんでいる。


「あの方、普通に笑うんですね」

「あの方って」

「クライン殿下です」


 笑ったら変なのか?

 何を言うのかと見返すが、水読はそれには答えず、プイと横を向いた。


「ミウさんは、誰とも仲良くしなくていいですよ」

「何でですか」

「それで良いからです」


 だから何でだよ。家族も友達も居ないこんな仮住まいでそれじゃ、寂しくて死ぬぞ。リアルに。


「大丈夫ですよ。僕が居るじゃないですか」

「あ、そろそろ寝ますね」

「ええっ」


 いつものやつかと合点がいった私は、ちょっと残念そうな水読に断ってソファを立つ。


「ではありがとうございました、おやすみなさい」


 おはようからおやすみまで揺るぎない鉄仮面のジルフィーに挨拶して、いつものように寝室に引っ込んだ。




 ドアを閉めると、蝋燭をつけていない室内は月影で濃紺に染まっていた。今夜はまだ、まん丸には満たない月だ。窓辺に吊り下げた水晶が、その光を受けて薄く虹を飛ばしている。


 静かで優しい月明かり。じきに雲が出て来て覆い隠すだろう。その密やかな明るさは、あの身を切るような寒さの庭で見た雪の空と似ている。

 私は取っ手の下の鍵をひねり、椅子を動かそうと数歩歩いて、立ち止まった。


「っう……」


 熱い涙が、ぼろぼろと零れ落ちる。

 一人になった途端、押さえ込んでいた感情がせきを切ったように溢れ出した。

 胸を締め付けるのは、ブロット氏に引きずられるようにして味わった、身を引き裂くような悲しみ。

 いっそのこと、一緒に死んでしまいたい――彼女が永遠に失われたのだと悟った瞬間、彼の心が粉々に砕け散ったのを感じた。かろうじて命を繋いだのは、やり場のない激しい怒りと微かな使命感だけだった。

 そして、氏よりずっと若くして運命に翻弄された、あの二人。恐る恐る母親を見上げる、あの不安で一杯の目を思い出す。


 マリエラ妃は、アルス王子とクラインが一緒にいる所を見たがらなかった。

 恐らく、その血のつながりの近さを自覚する事に受け入れがたいものがあったのだろう。マリエラ妃その人が、誰よりアルス王子を疎んでいた。クラインへの悪態と合わせて、幼い彼にもその言葉を浴びせていたはずだ。

 それでもアルス王子は母親ではなく兄を憎む事を選び、その一端を担ったのは、皮肉にも幼い弟を思い遣るクラインの優しさだった。


 傷つけ合えと取り計らわれたかのような、入り組んだ関係性に、自分の両親や二人の兄達が重なる。私は一つの疑いもなく、家族に愛されていると言い切れる。

 立場か、文化か、“呪い”の有無か。

 その違いは一体何なんだろう?

 ああいう理不尽な運命は、いくらでも当たり前に転がってるんだろうか――きっと、そうなんだろう。私が見ていないだけで、この世界に限らず、幾らでも。

 後から後から涙が溢れ、思わず顔を覆う。

 本来なら、私に言えることなど何もないのだ。本当の意味で、その痛みを理解できるはずなんてないから。……でも、全然割り切れないよ。どうして。辛い。悲しい。そう思うのを止められない。

 ――こんな時はどうしてたっけ。

 会いたい。

 みんなに。

 あの人達に会いたい……。


 その時、背後で音がしたかと思うと、俄に部屋が照らされた。

 かすかな足音。

 何が起きたか把握する前に、唐突に後ろから抱きしめられる。滲んだ視界に映るのは、開け放たれたドアから差し込むランプの色と、床に踊る背の高い影。


「……なっ、にすんですか、離し……っ」

「何故ですか」


 頭の後ろに、薄い頬が触れる。目の前に、真っ直ぐ伸びる絹のような髪が零れ掛かる。私は体を掻き抱く滑らかな白い袖を掴んだ。

 いきなりこんな、何を。なんで、扉を開けたんだ。やっと一人になれたのに――折角我慢していたのに。しゃくりあげるせいで喋れない。


「どうして一人で泣くんですか」


 囁くような静かな声が、耳元から体中に染み渡った。

 私の肩を回って尚余る、しなやかな長い腕。


「昼間も、涙をこらえたでしょう。あれから、ずっと辛そうな顔をしていましたよ」


 そう言われ、袖を掴む指についぎゅっと力が入る。

 全部、見透かされている。

 何で隠せないんだろう。どうして、見ないふりをしてくれないの。

 悔しくて、恥ずかしくて、私は嗚咽を漏らすまいと唇を噛み締めた。人前で泣いたら慰められる。どうしたの、可哀想にって。そういう手段に涙を使うのは嫌いだ。それも今は――これは、この涙の全てが、他人への同情で流れているのではない。そんな綺麗なものではない。

 便乗して、我が身を嘆いているだけだ。人に見られていいものじゃない。自分の為に泣く所なんて……。


「離して、ください」


 涙よ、引っ込め。

 掠れる声で訴えると、抱き締める腕が少しだけ緩んだ。しかし、私をそこから出してくれる気は無いらしい。


「怖がらなくても平気ですよ。そこに煩い人が居ますから」


 床にはいつの間にか、もう一人分長身の影が増えていた。下手したら朝と夜の挨拶以外一日中喋らないような彼を捕まえて、煩いとは妙な感じだ。ただドア口のその影が止めに入らない事が、私を少し落ち着かせる。


「貴女は、あまり泣かないんですね。――レオが僕を何と呼んでいるかご存知です? すごく失礼なあだ名なんですが」


 体を抱え直すように腕を動かし、水読が尋ねる。

 あだ名……? 変態? 遊び人? あ、嘘吐きかな……。何しろ心当たりが多すぎて分からない。


「その強がり、好きですけどね」


 ぼそぼそ言うと、水読は声を上げて可笑しそうに笑う。


「ミウさん、ここへ来てからずっと涙を流さなかったでしょう」

「……何でそんな」

「この距離で泣かれたら分かります。僕は”水読”ですから。……さて、先程の問題ですが。正解は『女泣かせ』、だそうですよ。だからミウさん」


 僕の前では泣いてもいいんですよ――。


 柔らかくて仄かに良い香りのする袂が、この世界の全てから遮断するように私を覆い隠す。

 腕を振りほどこうという気力が、するすると抜け落ちてしまった。普段あんなにふざけた性格なのに、どうしてこの人の慰めは、こうも容易く胸に入り込むんだろう。苦労してせき止めていた涙が、抑制を失って溢れだす。


「我慢しなくていいんですよ。貴女は一人じゃないですから」


 水読は私の肩を優しく返して、泣き顔を胸に抱き寄せる。

 掛けられる言葉は、恐ろしいほど欲しかったそのものの格好をしていた。

 薄い手の平が私の髪を撫で、ポンポンとあやすように優しく叩いた。そんな風にされると、小さな子供に返ったような気分になる。まるで、あの水の中で初めて会った時のようだ。広やかな包容力にひどく安心する。が、安心しすぎて怖い。その内、この腕を出たくないと思ってしまいそうで。


「何でも言ってください、僕が居ますから。貴女の望みなら、何でも叶えて差し上げます」


 酸欠でぼうっとする頭で、言葉の意味を捉える。目からは次々に水が溢れ出し、目の前の上等の絹地を濡らしていた。

 思わずその胸元の布をぎゅっと握り、絞りだすような声でポツリと溢す。


「お兄ちゃんに会いたい……」


 髪を撫でる水読の手が、一瞬だけ止まった。

 しかしすぐに、再び甘やかすように背をさする。


「……大丈夫ですよ、ミウさん。必ず帰してあげますからね」


 それから涙が止まるまで、その腕は私をあやし続けていてくれた。




 涙というのは、心の中を洗い流してくれる。


「……すみません。もう、大丈夫です」


 これまでの分を取り戻すように泣きたいだけ泣いて、ようやく落ち着いて来た私は、もぞもぞと身じろぎをした。鼻をすすりながら、もごもごとお礼を言い、水読の手が緩んだ所で体を離す。

 なんかすごいスッキリした。でも同時に理性も戻ってきて、なんともはや。


「あの……」

「はい、何ですか?」

「…………」


 うわぁ。むっちゃ恥ずかしい。

 俯き加減で謝る私の頬に、広い袖が押し当てられる。涙を拭いているのだ。顔は泣きすぎてぐちゃぐちゃだろう。私は昔から、一度決壊すると中々泣き止めない。だから、あんまり泣かないよう気を付けてた訳でもあり……。


「じ、自分で拭きます」


 断っても、余韻で流れ続ける涙を甲斐甲斐しく拭われる。


「ほんとに、大丈夫です。水読さん、もう」

「どうして遠慮するんです?」


 どうしてって。


「……鼻水付きます」

「いいじゃないですか、別に」

「いや駄目でしょ普通に」


 さすがに私も、人様の袖で鼻かめるまでには至っていない。あと、やったら一般成人として何かが終わる気がする。

 困窮していると、部屋の一部のようにじっとしていたもう一つの影がこちらへ動いた。目の前に、スッと清潔なハンカチが差し出される。


「お使いください」

「あ、どうも……」


 洗って返しますね……。

 ありがたく受け取って、急いでハンカチで顔を隠す。袖よりマシだけどこれ、思い切り泣けない理由その2ね。ティッシュがない生活の辛さ。とりあえず、花粉症とかじゃなかった事は一つの幸運かもしれない。……ていうかジルフィー、私より女子力高いな。




 涙も収まり、水場で顔を洗った後は、再び応接間のソファに腰掛けた。


「落ちつきましたか?」

「はい」


 案内をした水読は燭台の火を減らすよう指示し、ごく普通に私の隣へ座る。ジルフィーが壁のランプを一つだけ残して他を消して行くと、薄暗くなった部屋の壁に影法師が大きく映り込んだ。


「温かい飲み物はいかがですか?」

「いえ……あ、お水を頂きます」


 こんな時間にわざわざ下から運んでもらう事も無いので、断って、代わりにいつもの様に水差しから水を貰って飲む。こちらの水は雑味がないというか、何となくきっぱりしていて美味しいのだった。大量の水分を出した体によく染みる。


「すみません、遅くまで」

「お気になさいませんよう」


 仕事を終えたジルフィーに詫びると、端的な答えがあった。


「相変わらず愛想のない人ですね。ミウさん、のんびりしてくださって大丈夫ですよ」


 少し笑いながら言う水読は、私と同じようにグラスに口を付ける。おぉ……セクハラ無しで気遣われるとか。なんか、すんごくまともっぽい。水読なのに。

 どう返事をしたものかと悩み、私は結局無言で頷くに留まった。お腹の前にクッションを抱え、横目でぼんやりとその姿を眺める。

 水読は静かだった。

 陰影深まる部屋で、微かな動作の度に、白い着物の織り模様が雪面のように照り返す。炎を受け、ひときわ神秘的に輝く銀色の髪。鼻筋の通った顔立ち、切れ長の目。この人は特に、横顔が美しい。

 私の目に気付くと、水読はゆるりと微笑み、そのまま何も言わず視線を外した。

 何だか、まるっきり別人みたいだ。

 照明のせいか先程の態度のせいか印象が全然違って見えて、私は彼が本来、非常に高潔な雰囲気を持っている事を思い出す。普段は完全に相殺されてるけどね。中身のアクが強すぎて。


 微かな戸惑いを感じ、その向こうに立つ姿に目をずらす。ジルフィーの薄茶の髪は、水読とは対照的に黄昏時のような深い黄金色に染まっていた。無表情でも優しげに見える瞳は、少し私を見た後さり気なく伏せられた。恐らく従者としては無作法とされる為だろう、この人は目が合ってもじっと覗き込まない。


 誰一人喋らないし、特に動きもしない。なのに何故か、居心地は悪くなかった。妙な連帯感のようなものが隙間を満たし、お互いに言外の何かを共有している。

 再び手元に視線を戻すと、グラスの底に残った水が揺れながらぴかぴかと光っていた。それを飲み干すと、窓の外で音もなく雨が降り始めたのを感じた。


 ――私、この人達からどう見られているのかな。

 思い切り情けない姿を晒した後で、少しだけそんな事が気になった。



  ◇



 その晩、また夢を見た。

 以前見たのと同じ夢だ。

 水中で顔を覆い、泣いているらしい私と、それを慰める水読。

 まるで、今日の事を暗示していたかのような光景だと思った。


 そうしてようやく、長い一日が終わった。


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