1 塩
――雨……。塩……に、……をつけて……――。
青い光の中、ぼやけた頭に声が響く。
耳元ではっきり聞こえる気もするし、すごく遠くからこだまのように呼びかけられている気もする。
でも私は今、ベッドで眠っているはずだ。だって、昨夜寝てから起きた記憶ないし。
ってことは夢か。
寝てる時に変な声が聞こえるなんて、絶対そうだ。
……でも何で、眠っているのに眠ってるって分かるんだろ?
何かおかしいと思った途端、はっと目が覚めた。
「またか……」
ベッドの中で、あくびをしながら呟く。
ここ数日、私は毎朝変な夢を見ていた。
なんとなく青っぽいイメージと、誰かに話しかけられている感覚。ぼんやりとしか覚えていないけど、毎回そんな感じだ。
それにしても、同じ夢を何度も見るなんて。こちらに来てから、おかしなことばっかりだ……まあ、こちらに来てしまったこと自体おかしいんだけど。
「ストレスかな? やっぱ」
顔に掛かる髪を手櫛で避け、私はベッドを降りた。
◇
王様、私に何か隠していませんか?
――何かというと?
“泉の乙女”の伝聞です。神官達に質問をしても、似たり寄ったりの答えばかり返ってきます。
――それはそうだろう、事実は一つなのだから。
いいえ、不審な点もいくつかあります。
――それはなんだ? 言ってみろ。
例えば、歴代の奇跡の話になると不自然に答えを濁されたり……それから、ええと、うーんと何となくなんですが――
「……うーんん」
目的の部屋に向かいながら、思わず唸る。
駄目だ、説得力がない。「何となく」とかダメに決まってる……あ、じゃあこれはどうだ?
“泉の乙女”について、日々研究会や議論を行なっているそうですね。それに私も同席させていただけませんか。何かわかるかもしれません。
――それは搭の機密にあたる。お前は“乙女”ではないのだろう? 部外者を同席させることはできない。
「はい、終了……」
連想を打ち切り、私は深い溜息をついた。
一人で何をやってたかと言うと、王様に色々質問する為のイメトレだ。でも詰んだ。現実では不可能なレベルでハキハキ質問しても、シミュレーションは惨敗続きだった。基本、私ごときが真っ向勝負は無謀なんだよね。かと言ってカマ掛けとかしても、不信感を持ってる事を知られるだけで、事態の好転は見込めそうにない。
――疑いを持ったが最後。
クライン王子と会ったあの日以来、“泉の乙女”の歴史について何か誤魔化されているのではないかという憶測は、私の中でムクムクと大きくなっていた。
だって今私が接触できる人は、ほんの数人の神官と、アプリコットやサニア達メイドさんという決まった相手だけだ。その人達に質問しても、存じ上げません、お調べしておきます、と謝られるだけで、いつも詳しいことはわからない。そして、なんとなーく不自然というか後ろめたさを感じるような気がする。疑心暗鬼かもしれないけれど。
「はぁ……」
苦悩する間に、目当ての部屋の前に着いた。召使いが両開きの立派な扉を開ける。実はこれから、恒例の朝食会なのだ。
中では、侍従たちが優雅にテーブルの用意をしていた。薄いカーテン越しの朝日の中、奥の執務机に居た部屋の主が顔を上げる。光を浴び、燃えるように輝く金髪。ゆっくりと私を捉えた瞳は、翡翠かエメラルドか。毎回思うけど、こんな人がいるなんて世の中は不公平だ。
上等の部屋や服を与えられ、王様にも面会できたりして、私は相変わらず丁重な扱いをされている。でもこれ、正直いつまで続くか怪しい。何しろこの国、旱魃だし。
早く家に帰りたいけど帰り方がわからない以上、それまでの安全確保も重要な問題だ。文字通り身一つでやってきて後ろ盾ゼロの私の安全保証は、「泉の乙女かもしれない」という可能性だけ。否定しまくってる身分でなんだけど、本当に全くの無関係と思われても困る、みたいな?
微妙すぎる。
「来たな。さて、では休憩にするか」
早朝から仕事熱心な国王様は、ペンを置いて立ち上がった。
私の安否は多分、このきらびやかな怖い人に握られている。
◇
「ほう。それは一体、どういう仕組みで飛ぶんだ?」
「えーと……詳しくは知らないんですが、取り敢えず飛行機って呼ばれてまして……」
毎朝の特訓の甲斐あって、私は王様の目を直視しなければなんとか会話ができるようになっていた。まだまだ、ビビると即座に土下座したくなるので油断はできないけど。
食後のお茶のカップも空になりそうな頃、私は何故かジェット機の説明をさせられていた。
おかしいな、元はメルキュリア王国の地形の話だったんだけどな……?
さっき聞いたことによると、なんと、この国には海がないらしい。
大きな湖ならあるが、大地の端は海ではなく険しい山、そして切り立った崖だそうだ。その更に外は霧が塞ぎ、何があるのか分からない。飛行手段がないから確かめられないし、調査する者もいないが、そこが世界の端であるとされているとか。
大地が球体じゃないらしいというのには驚いた。
もっと詳しく聞きたかったのに、「飛行機があったら調べられたかも」なんてうっかり口走ったせいで今に至る。
天窓と蝋燭で明かりを取り、電化製品やメカ系が見当たらないこの国では、空飛ぶ乗り物は物凄く新鮮な話題だったらしい。
「ええとですね……金属の胴体に、鳥のように翼が付いています。あと足みたいな感じで車輪も付いていて、燃料を使って滑走するんです。すごい速度で。そしたら風の抵抗とかでこう、フワッと浮き上がる……んだと思うのですが……」
私じゃせいぜいこの程度だ。理系じゃないし。
全く自信のない説明を、王様はちょっと目を見開き面白そうに聞いていた。
「巨大なものなんだろう。想像がつかんな。燃料というのは?」
「えーと……ガソリン……? 油の一種なんですが、地面の深い所に埋まってるのを掘り起こすんです」
「地下から油が出るのか」
地形に関して、もう一つ大きな違いがあった。
この国では、どこをどんなに掘っても油なんて出ない。出るのは水と宝石だそうだ。特に水晶は非常に豊富で、その辺の岩山をちょっと掘ればざくざく採れるらしい。ただし地層は深部に行くほど硬くなり、一定の深さに達すると一寸たりともつるはしが入らなくなる。この世界で一番硬い鉱物がその岩盤で、透明の結晶なんだとか。
「油は出ないが、今度泉に行ったら底をよく見てみろ。透き通った石で出来ているぞ」
「へえぇ……」
底が宝石の泉か、それはちょっと夢広がる。
あの泉がある地下の洞窟は、この国で一番深い場所らしい。いつも薄暗い中、手で水の有無を確かめるだけだったので気付かなかったが、よく思い出してみると底はそんな感じだったかもしれない。この星の中心部はダイヤモンドででも出来ているのか。もし掘り出せたら大金持ちだ。こっそり持って帰れないかなあ……。
「しかし、国の端が塩水というのも斬新だな」
不純な妄想をしていた私は、その言葉ではたと現実に戻る。私の世界の話だ。
「この国も塩湖なら一つだけあるが、大地より広い規模となるとまるで別世界だな」
「塩湖……」
思わず呟いてしまったのは、そのワードに引っかかりを覚えたからだ。なんだっけ、塩、塩……。
「あっ」
そうだ、今朝の夢で塩がなんとかとか言われた気がする。夢だったか。
一人で納得していると、王様が不思議そうな顔で続きを促す。
「何だ、ミウ。言いかけて終わりか?」
「あ。えーと……この国では、塩はその塩湖から取るんですか?」
別にそれが気になったわけじゃないけど、なんとなく聞いてみる。
「いや、塩は地中から掘り出すのが普通だが。お前の国は違うのか?」
「うちは、海……塩水から作る方が多いです。多分」
「味は変わらないのか?」
「それほど差はないと、思います。風味は多少変わるかもしれませんが……この国では、塩水から塩を作ったりしないのですか?」
「作らないな」
そうなのか。じゃあ私は今までずっと岩塩を食べているんだな。塩って液体から作るイメージが強かった。塩湖があるなら活用してそうだと思ったけど。
「安全なら方法もあったかもしれぬが、唯一の塩の湖は別名“死の海”だ。生き物は住めず、魚を入れれば腹を見せて浮き上がる。その水に触れると、人も体が溶けて絶命するそうだ」
「えっ」
私のフォークからポロッとサラダの葉っぱが落ちる。
「そ、そんな湖があるんですね……」
「ああ。誰も近付かぬし、立ち入りも禁じている」
ちょっとした軽いトークのつもりが、ショッキングな事実を聞かされてしまった。触ると解けて死ぬ湖とかあるなんて、結構恐ろしい国だなメルキュリア。塩は塩でも、塩酸とかで出来てるんだろうか。
真っ黒いドロドロした湖に生き物がジュワーっと溶けていく様を想像し、私は慌ててそれを打ち消した。朝からグロい想像をしてしまった。ご飯の味が落ちたら勿体無い、忘れよ忘れよ。
「所で、先程の飛行艇の話だが。燃料を使って走るというのはどういう仕組みだ?」
必死に食事をしていると、王様が唐突に話を戻した。えっ、またそっちに戻るの? っていうかこの人、なんか目が輝いてない? もしや乗り物好きか。見かけによらず子供みたいな人だ。
とても口には出せない感慨を抱きつつ、私はウンウン頭を捻る。話せと言われたら回答しない道はないんだけど、エンジンの仕組みまではさすがに、ちょっと手が及ばなくてですね……。
……私、日々こんなことばっかに頭使ってていいのかなあ。もっと色々聞かなきゃいけない事があるはずなのに。
例えばそう、情報操作の疑いについてとか。
今日もやっぱり突っ込めないまま会食が終わり、私は気落ちしつつ席を立った。
地形の話は興味深かったけれど、多分王様からじゃなくても聞けた話だ。もっと、過去の記録とか、私に対して制限されてそうな情報を貰えないか交渉しないといけなかった。
一応、何度か質問しようとはしたんだけど、王様の巧みな話術によって気付けばいつも話題の矛先を握られている。更にこの人、先ほどのようなどうでもいい話の時は結構フレンドリーなのに、“泉の乙女”関連の不自然な部分に探りを入れると途端に手強くなる。プレッシャーの出力が増強されるのだ。……いやほんと、マジで怖いんだって。RPGで言えば裏ボス級の相手に、村人Aが挑むようなものだから。せめて、呪文跳ね返す装備とか手に入れないと。装備できないかもだけど。
「ミウ。待ちなさい」
すごすご退散しようとした時、背後から呼び止められた。
「お前、何か俺に聞きたい事があるのではないか?」
「えっ」
そろーっと振り返ると、王様と目が合った。まるで検分するような視線にたじろぐ。唇は微笑んでいるが、それはこの人の常なので参考にならない。
やだ私、そんなに顔に出てました……? それとも向こうが読心術マスターなだけ? 別に何もされていないのに、どうしてこんなに怖いんだろう。
そしてどうやら、私が不信に思っていることはとっくに知られていたようだ。今の質問は親切心で聞いてくれたのか、向こう私を怪しんでいるのか。この人に問題視されたら私の立場は風前の灯火だが、チャンスと言えばチャンスである。
――“泉の乙女”について、何か私に隠していませんか?
よし、言え自分! ……なんでか、このたった一言が出てこない。緊張で喉が張り付いてる。
黙り込んでいると、王様が諦めたように小さく息をついた。
「おかしな奴だな。何をそんなに身構える? 俺の弟に会っただろう」
「えっ……は、はい」
「歴史を学びたいと言ったそうだな。我が弟ながら、クラインは搭からも一目置かれる熱心な学士だ。温厚質実、家臣の信も厚い。何も不安がることはない」
「えっ。あの、それは……」
「今日の午後にでも、クラインから迎えが行くはずだ。聞きたかった事を聞くといい」
私がなんとか頷くと、王様は立ち上がって窓辺へ向かい、日除けのカーテンを少し開けた。陽光の透ける大きな窓の前に、完璧なシルエットが浮かび上がる。後光をしょってるみたいだ。やっぱリアル神か。
「お前は、“泉の乙女”ではないのだったな?」
「は……はい」
「そうか。わかった」
なんで、また改めて聞かれたんだろ?