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雨の冠  作者: 桃宮
5.日陰
48/103

20 聖堂にて(1) -- 止水の間

 情報収集は一旦置いておくとして。

 大事を取ってお粥のような軽い昼食を摂った後、私はジルフィーに付いて儀式の場所に向かった。


「どこに行くんですか?」

「止水の間にてと。下階の聖堂です」


 てっきり階段を上る気でいたら、逆に下りたので意外だった。よくわからないけど、大人しく頷いて付いて行く。一階の回廊から、塔の庭を突っ切る屋根付きの白い通路に出た。ここはいつも神官が大勢行き来しているので、私は通った事がない。規則的に連なる柱の間からは、赤や黄色に色付き始めた庭の広葉樹が見える。まだ若い神官見習いが、箒で落ち葉を片付けている。

 噴水や石の長椅子が作りつけられた十字路を幾度か曲がると、一つの建物に到着した。ジルフィーが扉を開ける。


「お足元にお気を付けください」


 中は、こぢんまりしたホールのような場所だった。

 入り口から数段下り、半地下になった建物の内部は、床も壁も全て滑らかな純白の石で造られている。真っ直ぐ伸びる一本道の両脇は澄んだ水が張られ、広さの割に歩ける面積は多くない。幾つもの天窓から陽光が差し、水面は鏡さながら光っている。


「ようこそ、ミウさん」


 通路の突き当りに水読がいた。白い長衣を纏い、すんなりと佇む姿はこの場所に相応しい。

 そして、側にもう一人。


「……こんにちは」


 そう言って会釈する私に、クラインは微笑を見せる。こちらは微妙な別れからの再会で内心ソワソワしているが、彼はやはり気品に満ち落ち着き払っている。


「事情はご説明済みです。早速始めますか?」


 双方歩み寄って真ん中で合流すると、水読が早々に切り出した。禄に話もしないまま、私は頷いた。


「では、手を」


 促されて差し出した手を、クラインは躊躇いなく取った。チラッと見上げるが、表情に特に変化はない。温かい手が、ただ柔らかく私の手を握る。


 その間、全員無言。

 気っまずぅ…………。


「それで結構です」


 いつものように数を数えてやり過ごしていると、12数えた辺りで水読が止めた。私とクラインは一瞬視線を交わし、手を放す。


「足りそうですか?」


 二度手間させるのは御免なので、水読に向き直り手を掲げた。さあ読め。しかし、水読は薄ら笑いを浮かべ、私の手首を掴んで引っ張った。


「ちょっ……痛っ!」

「すみません、少し勢いを付けすぎました」

「ふざけないでくれますか」


 いきなり額を合わせられ、っていうか殆ど頭突きされ顔を顰める。何なんだ一体。一応は申し訳なさそうに言う水読を振り払い、止めに入ったジルフィーの後ろへ下がる。……ほら、クラインも困惑してるじゃないか。思うよね、何で頭突きかまされてるんだろうって!


「一応聞きますけど、今ので雨を?」

「いいえ、力量を読んだだけです」

「…………」


 じゃあ手でいいじゃん。結構痛かったんですけど!

 へらっと笑う水読を睨んでいると、水色の目がふと入り口へ向けられた。釣られてそちらを見ると、間もなく白塗りの扉が重たげに開き、庭の光を背に人影が現れる。


「――やっと来ましたね。遅刻ですよ」

「言うのが遅すぎるんだろ、知らせが着いたのさっきだぞ!」


 水読に言って呼び出して貰った、もう一人の人物。

 憤慨しながら入ってきたのは、アルス王子だった。数歩遅れてブロット氏も付いてくる。私はジロリと水読を見た。


「私、昨日連絡して欲しいってお願いしたはずですけど」

「すみません、先ほど思い出しまして」


 わざとじゃないだろうな。わざとっぽいな……しかしより深刻な別のムードに飲み込まれ、その件は一時不問となる。


「何でそいつが居る」


 アルス王子が、クラインを見留めて低く問う。あっという間に空気が張り詰めた。実は、二人を引き合わせることは双方共に伏せていた。


「そいつを呼んだなら、俺が来る必要はないだろう」

「今後の事でお話があります!」


 踵を返しかけたアルス王子を、私は慌てて呼び止めた。同時にブロット氏に目配せして、こちらに来るように訴える。氏も呼んで貰ったのはこの為だ。周りから押さえるべし。

 ブロット氏はおどおどしながらアルス王子と私を見比べていたが、数回頷いて促すと、戸惑いながらも階段を下りてきた。

 それでも足を止めるに留まるアルス王子を動かしたのは、意外にもクラインだった。


「義務だ」

「…………」


 アルス王子はゆっくり振り返ると、射殺さんばかりの目つきでクラインを睨みながらもこちらに向かって来た。

 ……なるほど、そう扱えばいいのか。

 で。

 手配したのは水読だけど、この素敵に気まずい取り合わせを揃たのは、私自身であるからして。


「ええと、お話というのはですね……」


 勿体付けるにしても十分過ぎる間を取って話し始めると、全員の注目が集まった。し、仕切るの苦手だなぁ。ほぼ自分より大きい男性陣ばかり、寄せ集まると圧迫感がある。

 少々萎縮しながら、改めて私から祈雨の方法を説明した。とりあえず“呪い”の発作と、火と水、双方の力の関係について理解して貰いたい。


「……というわけで、“呪い”が強く出てる時は祈雨のご協力をお願い出来ないみたいなんです。いつまでという目処は立ってないんですけど、体調に合わせてそれぞれ協力して頂けると助かるんですが……」


 ちらりと水読を窺うと、笑みが返ってくる。作り笑いっぽいけど、まあいいか。この内容を話すという事は、事前に取り決めてあった。

 片方の調子が悪い時は、もう片方に”火”を借りる。

 現実問題必要性があるし、理由は通る。これが今の精一杯だ。こうして細くとも間を繋いでおけば、そのうち状況が分かって二人は和解できるかもしれない――それが、私の結論だった。

 現時点では、どちらとも交流を断たない。というか、断たせないというか。双方からある意味突き放されている立場にも関わらず、だ。

 い、いいんだよもう、好きにやらせて貰うんだ!


「ミウの体は平気なのか?」

「大丈夫だと思います。自分ではそんなに、よく分からないんですが……」

「兎に角、無闇に触れないで頂けるのが確実です」


 心配してくれるクラインにも微笑を向けながら、水読が私の肩へさり気なく手を伸ばす。もはや無意識にそれを避け、私はジルフィーを間に挟んで説明を続ける。“呪い”の頻度や病状がどの程度かは知らないが、これを機に兄弟の間にコミュニケーションが生まれるといいんだけど。

 しかし、ひと通り話し終わった後、


「俺は歓迎しない」


 ガランとした聖堂に、声は冷ややかに響いた。


「そいつに頼めよ。症状ならそっちの方が軽い。発作が出ても、お前が立ち会えば平気なんだろ?」

「い、いやその……」


 アルス王子が水読に向けて刺々しく言い放ち、私は多いに焦る。


「私は、それでも構わないんですけどね」

「私は構います!」


 また熱が出て、とんでもない治療を施されるのは勘弁したい。

 剣呑な状況を前に、ブロット氏が狼狽している。ええ、私も心情的にはそちらです。


「用は済んだはずだ」


 アルス王子が出口の扉に向かって歩き出した。本気で協力する気がないらしい。私はスカートをかき集め、慌ててその先へ回り込んだ。


「どけ」

「……えっと」


 やっぱり、凄まれると怖い。でもせめて、クラインの調子が悪い時は協力するって約束して貰わないと困る。主に、私個人の為に。

 どうにか引き留めようと頭脳をフル回転させている私を前に、アルス王子がきつく吐き捨てた。


「お前の、下らない目論見にはうんざりだ。他人事に口を出すな。俺とそいつが和解する事はない」

「な、何でですか。そんな否定ばっかりしないで、ちょっとは話してみたらいいじゃないですか!」


 断定的な口調に、この前の夜の会話が蘇る。半ば八つ当たりだけど、感情が乱される。思わず言い返してしまってから、ちょっと悲しくなった。

 これも所詮は、押し付けでしかないんだろうか。

 一瞬怯んだその隙を見逃さず、青い瞳が含みを持って細められる。


「相変わらずの日和見か。そいつに与する方が、さぞかしお前の利になるだろうな?」


 侮蔑を敢えて甘く響かせるのは、この子の挑発の仕方だ。

 うるっっっさいな、普通に友達だって言ってんだろーが!

 ……とハッキリ言える性格だったなら、私も適職診断に「主体性がない」なんて書かれないんですが。暴言を飲み込み、固く口を引き結ぶ。これ以上言い返したら、もっとぐちゃぐちゃする。

 そこへ、透き通るような静かな声が響いた。


「ミウに当たるのは筋違いだ。協力を拒む権利もない」


 軽い足音を立てて、クラインが歩み出る。


「お前が私を憎むのは承知している。だが、それを関わりのない者に向けるな。――ミウ」

「は、はい」


 クラインは私とアルス王子の間に立つと、美しく、ほんの少し悲しげな頬笑みを浮かべた。


「私と弟の無礼を許して欲しい」

「お前に名を語られる筋合いはない!」

「公の場だ、口を慎め。内輪揉めで水乞いを阻むなど一族の名折れだ」


 凛と冴え渡る声はまるで魔法のように、この場を容易く支配する。

 冷静に窘める言葉を聞き、私の方が恥じ入った。喧嘩腰だったのはこちらも同じだ。

 アルス王子はぐっと歯噛みした。忌々しげに睨み返す青い目を、クラインは真っ直ぐ見据える。


「――しかし、その根因が私にもある以上、お前にも改めて謝罪せねばなるまい。誓言を立てよう。私がミウやお前を害することは無い。そのような気は、元より持ち合わせない」

「人殺しの言う事など信じられるか!」

「アルス王子!」


 カッと怒気を放つそれに、私は思わず声を上げた。しかし、琥珀色の眼差しに柔らかく制される。クラインに驚きは見えなかった。

 ……私がその話を知っていると、予想していた目だった。


「構わない。事実、アルスから母親を奪ったのは私だ」


 私は息を呑む。

 クラインはアルス王子にすまない、と詫びた。

 張り詰めた空気の中、石の床を満たす水のように、その瞳は凪いでいる。


「死んだ者は帰らない。許して欲しいとは言えぬが、害意を持たぬのは本心だ。そのような事に気を煩わせないでほしい。……私にその価値はないのだから」


 そこまで言うと、彼は迷いなく膝を折った。白い床に片膝を突き、背筋を伸ばしたまま頭を垂れる。

 突然の事に驚く私の先で、アルス王子が絶句していた。ブロット氏もだ。水読すら少し目を瞠っている。ジルフィーだけが、最初からずっと顔色を変えない。

 何故……?

 それらの反応を目にし、一歩遅れて理由に気付く。

 この前サニアが教えてくれた。これは、臣下の礼なのだ。

 クラインは王弟だから、その兄に対してならまだしも、通常安々と膝を突く事はあり得ない。膝を折り項を差し出すのは、信を得られなければ首を落とされても構わない、という意思表示だ。無論、目前の相手が帯剣していないと言えど。


「――ふざけるな!!」


 アルス王子が思い切り怒鳴った。白い壁に、ピィンと残響が広がる。


「立て、不愉快だ!」


 自分が言われたのではないのに、私の心臓は不安に高鳴る。

 激昂する異母弟を前に、クラインは乱れのない動作で立ち上がった。そして、アルス王子が何か言う前に、その奥へと向き直った。


「水読殿」

「何でしょう?」


 水読は、飄々と人ごとじみた態度で答えた。


「今後水儀の際は、弟を主に使って頂きたい」

「何故です?」

「次回から、私は体調が優れません」


 そう言って、クラインは微笑した――ぞっとするほど綺麗な微笑みだった。まるで、精巧に研磨された宝石みたいに。

 彼は身を翻し、私にも一振りその光の片鱗を投げ掛けると、その横を抜けて出口へ立ち去る。


 誰も、何も発しない。


 静寂の中、一部に金属が当てられたなめし革の靴底が、床に当たってコツコツ鳴る音だけが聞こえた。

 しかし、その主が出口の階段に足を掛けた、その時。


「……だ、騙されませぬ!!」


 突如、聖堂の真ん中から引き攣れた叫びが上がった。


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