19 金色の午後
次に目が覚めた時には、既に日が傾いていた。
自分の熱で温まった布団が気持ち良い。ゆっくりと目を開け、私は首元までシーツに埋もれたまま窓の光を見る。
リコ達は、まだ起こしに来てないのか。それとも、よく眠っていたのを見てそっとしておいてくれたのかな。
……もう少し寝とこ。
とろとろ微睡む意識の中、寝返りを打つ。そして反対側を向いた所で、私は一気に覚醒した。
いつかのようにベッド脇に置かれた椅子、そしてここに居るはずのない、常軌を逸したパーフェクトな麗姿。
「…………」
――眠っている?
椅子に腰掛けた王様は長い手足を組み、目を閉じて俯いていた。
秋物なのかビロード仕立の葡萄色の上着が、優雅なドレープを描いて脇へ落ちている。西日と張り合えそうな見事な金髪は、瞼に掛かって顔の上半分を影にしていた。
……何でここに居るんだろう。いつから?
私は音を立てないよう気を付けてそうっと体を起こし、腰ほどまで伸びた髪を肩へ避けて、ふかふかのマットに両手を突いた。寝ているのを良い事に、その美貌をまじまじと眺める。
相変わらず、桁外れに格好いい。何度見ても驚きだ。こんなにじっくりこの人を見るのは、最初の日以来かもしれない。くそう、なぜこの文明にはカメラが無いのだ。
勝手な事を思いながら、普段は直視できない目元を見上げる。調子に乗ってジロジロ見ていたら、長い睫毛がゆっくり開いた。
やっべ。
逸らす間も無く、エメラルドの瞳が私を捕らえた。
「――――ミナ?」
「えっ……?」
珍しくどこかぼんやりと呟いた王様は、聞き返した途端我に返ったようだ。透き通った眼に、たちまち鋭い輝きが宿る。
「ミウ」
いつもの「王様」の顔つきに戻ると、組んでいた腕をほどいて尋ねる。
「俺は今、眠っていたか?」
「……多分」
「そうか」
王様は、どこかしっくり来ないとでも言いたそうにゆるりと瞬いた。
中途半端に半身を起こしていた私は、そのまま一時停止だ。思い切り見ていたのがバレているので、もはや引っ込みが付かない。けど、王様の様子に違和感を覚えたせいでもある。何だろう、何かが今までと違うような。
考えている内に、先手が投げられた。
「お前、また感じが変わったな。水の相とはその目の事か」
体調不良もその為かと問われ、首を横に振る。
「王様こそ、何か……」
雰囲気が違うと言い掛けて、私はようやく気が付いた。
そういえば、いつもの威圧感がない。
これまでも超怖い日とそれ程でもない日とあったけれど、今日ほどあの理不尽な緊張を感じない日は無かった。今は寧ろ、その悠然とした佇まいに安心する。
「何だ?」
「……いえ」
不可解さに釣られて観察する私に、王様は軽く眉を上げ、何故か気が抜けた様に少し笑った。
「具合はどうだ。顔色は、然程悪くなさそうだな」
「寝たら、少し良くなったみたいです」
私はお腹をさすってみる。おお、さっきよりずっと胃が軽い。これなら夕飯入るかな。
私が食べ物の心配していると、王様は窓に目を移した。懐に手を入れ、金属製の丸い物体を取り出す。内ポケットから、それに繋がる細い鎖が伸びている。針が一本しか無いはずのそれは、こちらの世界の時計だ。親指で蓋をずらし確認すると、すぐにそれを上着に戻す。
「少し様子を見て帰るつもりだったんだが、まさかうたた寝するとは。会議が終わってしまった」
そう言って破顔する様子に、私は眩しさを覚えた。何気ない表情があまりに華々しい。大臣達にどやされるかな、と呟く背景には、リアルにバラの花でも湧いてきそうだ。
見惚れていると、王様は軽く息をついて言う。
「それにしても、お前は一向に俺を呼ばないな。頼れと言ったのに」
「えっ。そ、そうですか?」
本気で不可解そうな口調だ。いやいや、大した用も無いのに軽々しく呼び出せるか。あなた王様でしょうが。何か本当に困ったら、遠慮なく主張する心づもりですが。
「お前も“泉の乙女”だろう。心労で寝込む前に何か言って来い。水読の動向に問題は無いか?」
「は、はい……多分」
「それなら良いが。勉学にも根を詰めすぎるなよ。この所、一日中机に向かっているそうではないか」
「それはまぁ、慣れてるので」
16年間学生でしたし。テレビもネットも無いこの世界では、本に向かうか散歩するくらいしかやりようが無い。
「お前があまりに熱心なので心配だと、あの二人が案じていたぞ。少し手遊びにでも興じてやれ。俺は、異国へ来て書物を読み漁る気持ちは分かるがな」
王様はゆったりと微笑む。私は心の中で、リコとサニアにお礼を言った。好き。
その他にも二、三、お小言を頂戴して、そろそろ行くか、となる。
「あの、ありがとうございました」
「構わん、寝ていろ。寝間着だろう。礼を欠いたのは俺の方だ」
見送りの為ベッドを出ようとする私を止め、王様は動作もエレガントに席を立つ。そのまま彼は部屋を出て行き、私は閉められたドアを眺めて溜息を吐いた。
結局、クライン達の話はしなかった。
「煩わせたくない」と止められてたし、それに、以前聞いた水読の言葉もある――もっと人任せにしないと早死する、とかなんとか。いつここへ来てくれたのか知らないが、あの王様が居眠りするなんて、相当疲れてるんだろう。
むちゃくちゃ忙しいのに、来てくれたのかな。
「……胃痛とか言ってる場合じゃないわ」
私は両手で頬をぺちっと叩いた。
何か、ちょっと元気になったかも。気まずさなんて大した事じゃない気がしてきた。
ひとまず明日、クラインに謝って相談してみよう。”二の月”とか“泉の乙女”とかもサッパリだけど、そっちだってまだまだ。頑張ろ。
私は、王様には出来るだけ、余計な負担を掛けたくない。
翌日。
マリエラ妃周辺については、予想外に早く機会が巡ってきた。
儀式を昼食後に控え、いつものように勉強していた午前中だ。
すっかり失念していたが、国史というからには最近の事についても記されている。例の本の最後の数ページ、後は巻末の語録を残すだけという所で、それは現れた。
「水読様が代替わりされた翌年ですな。先代様とご正室様のご成婚は」
馴染みがなく丸暗記の必要もない歴史に若干反応が鈍っていた耳が、ヴィルズ先生の口から発せられた「先代」の単語にピーンと研ぎ澄まされる。
単語の解説も入れながら読み上げる声を、私は必死に書き取った。
先代の成婚から王様が生まれ、クラインが生まれ、先々代の崩御に際し先代が即位。
その後クラインに“呪い”が出た関係でマリエラ妃が輿入れし、アルス王子が生まれた。
“呪い”はアルス王子のように生まれた直後から出ている場合もあるが、2歳、3歳辺りで出るパターンもあるらしい。クラインは後者だった。
“呪い持ち”は血が濃く短命であるとされるため、世継ぎから外される。しかしマリエラ妃以降、先代国王が側室を娶ることは無かったようだ。
その他特筆すべき大きな事件や政治関係のあれこれが続き、王歴1586年……つまり13年前、正室のフィーネ・エミール前王后が季節病により逝去。
この時王様は成人したばかり、クライン僅か10歳。
その5年後の1591年、マリエラ・ルクク前王妃が転落事故により夭折。アルス王子7歳。
更に3年後、1594年に前国王トーガスタ=テッゼ・エドリユ・メルクリウス崩御。
そして春を待って翌年、現国王であるレオナルド=グラメナス・エドリユ・メルクリウスが弱冠23歳にして即位、メルキュリア王国第61代国王誕生。
「…………」
聞こえた通りにカタカナでメモを綴りつつ、私は率直な感想を抱く。
即ちみんな名前が長い……じゃないや、みんな早死に。
「然様でございますな。先代様は40と7歳、フィーネ様は39歳、マリエラ様に至っては、まだ20代半ばを過ぎたばかりでした」
「20代……」
私とそう変わらない。
こちらの平均寿命がどのくらいかは知らないが、この先生や塔の爺さん達を見るに、そこまで短いという事も無いだろう。なんとも気の毒な気分になる。アルス王子だけでなく、言われてみれば3人とも既に両親が居ないのだ。フィーネという王様達のお母さんもマリエラ妃も、さぞや心残りだろう。
……で、クラインがそこへどう関わっているというのか。
「転落事故って、よくあるんですか?」
「お亡くなりの理由が気になりますかな?」
しばし逡巡してそう切り込んだ私に、キラリと光る眼鏡が向けられる。
間抜けな質問の意図などお見通しだろう。ヴィルズ先生は穏やかに微笑む。
「不慮の事故というものは、誰にも、いつ降り掛かるものかも分かりませんな」
「……そうですよね」
もし何か知っていても、この人は言わない。
そんな空気に押しやられて、その話題はたったそれだけで流れていった。うーん。
パラリと本を捲って、最後の用語録に入る。これまでのように掻い摘むのではなく、全部書くとなると膨大だ。が、塔史の前に理解しておくと楽だと言われ、そこも書き写す事にする。固有名詞は活用が少ないから、文字覚えるのにはいいかも。
どれくらいあるのかな。パラパラと全体に目を通していた私は、ある項でハッと手を止めた。
「せ、先生! “泉の乙女”……!」
「おお、ではその項からやりますかな?」
もはや“乙女”の単語を拾う事に関しては、私以上に敏感な人間は居ないんじゃないか。この本にまだ“泉の乙女”の文字があったなんて……用語集だけど。
「泉の乙女……日照りを断つ水使い、黒目黒髪に月の肌、夜の娘……」
水使いとは、ニュアンス的には水神、か。特に無力な私みたいなのまで呼び出されるというのに、あっさり書いてくれてある。少々引っかかりながらも、そのまま日本語でノートに綴る。
しかし、その続きが思わぬ収穫だった。
歴代の“泉の乙女”の名簿的なものが載っていたのだ。
おおおお……! “悲恋”以外を目にした感動!
ちなみに前聞いたように私で6人目だから、ここにあるのは5名の呼び名だ。
まず1人目。
『ミミカーヴェラ』または『アヴェラ・ミミク』。
“泉の乙女”に対して意味は「最初の」。
つまり“原理の乙女”。生没年不明。
2人目。
『イレギャヴェラ』または『アヴェラ・イレグ』。
意味は「違った」や「変わった」……通称“変異の乙女”。
同じく生没年不明。
3人目。
『メディリヤヴェラ』または『アヴェラ・メドルード』。
意味は「受け取る」。通称“甘受の乙女”。
王歴755年水出。同813年没。
4人目。
『エリアヴェラ』または『アヴェラ・エリア』。
意味は「知る者」。通称“叡智の乙女”。
王歴1182年水出。没年月日不明。
そして5人目、
『マド-パヴェラ』または『アヴェラ・マドエラ』。
「愛叶わずの乙女」……これが“悲恋の乙女”だ。
王歴1498-1499存とある。
私は、これまでにない熱心さでモリモリとメモった。
勉強、語録からやれば良かったかも……!
続きをせっつく私に、ヴィルズ先生はページを捲る。しかし“泉の乙女”はそこだけで、残りはなんと暦だった。こちらの数字がつらつらと並んでいる。
「カレンダーじゃなぁ……」
一気にペンの勢いを削ぎ肩を落とすと、先生はいやいや、と首を振る。
「ミウ様。塔史をなさるなら、この暦が大切でございます。塔史は水歴を使います。王歴とは異なりますゆえ」
「水歴……?」
眉を寄せながら次ページを開いて、私は題名に「水」の語を確認する。
そして先生が読み上げる謎の単語を、大人しく聞こえたままに書き写した。
「永代」、「変異」、「針の扇」……「罪過」、「浮き足」……
……年号みたいなものかな?
数字を使う王歴に対して、こちらはその謎の単語をメインに時代を読むらしい。
そうこうしている間にお昼が近付く。その後は、いよいよ祈雨だ。
取り敢えずその単語の意味だけを書き写して、授業は終了となった。この本に関してはもう、リコかサニアに読んで貰う程度で良いだろう。意味だけ取れれば構わない。
明日からは本が変わる。
塔史を見れば、もっと何か分かるのかな? そうだといいけど、“泉の乙女”はこの本と以前クラインに見せて貰ったもの以外にはほぼ出て来ないだろう。何度もそう聞いているのだ。
「伏せられていた情報」は、もう出尽くしたんだろうか。質問して得られない答えなら、もはや推測するしかない。
伝聞で済まさず、何故私が書籍を求めるのか。
それは黒目黒髪の“泉の乙女”が、私と同じく日本人ではないかと予想しているからだ。
“泉の乙女”の単語が見当たらなくても、どこかにその片鱗が見当たらないものか。日本語を思わせる言葉が、どこかで不意に現れないか。そう思って本を進めていた。もしそんなものが存在するなら、きっと私にしか分からない。
気付いたのは少し前。
「水読」を表すメルキュリア語の発音は、日本語と同じく”ミズヨミ”だったから。




