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雨の冠  作者: 桃宮
5.日陰
45/103

17 火が消えて星が出る

 その夜私は、久しぶりに家族の夢を見た。




 両親と下の兄と私の四人で、夕飯を食べている。


『で、バイト先に良い人いないの? あ、でも駆け落ちは止めてね』

「だから、女の子ばっかりだってば。それに駆け落ちしたのはお母さん達でしょ」


 いつもの話題に、やれやれと思う。

 母は相変わらず私の将来を心配していた。将来というか、結婚の。10代で一世一代の恋をし、しかし実家に結婚を反対された母は、なんと父と一緒に親元から逃げたクチだ。お陰で私は、祖父母に会ったことがない。


『美雨ちゃん、まだ家にいればいいよ。大学出たばっかりじゃないか』

『でも私が美雨の年の頃にもう、お兄ちゃんがお腹に居たのよね。お母さんそろそろ孫の顔が見たいわー』

「孫って……」


 この話を聞くと、いつも変な気分になる。

 結婚なんて、ましてや子供なんて、まだ想像が付かない。それがいつもの私の返事だ。


『雪兄がそのうち結婚するでしょ』

「そうそう。とりあえず雪ちゃんからだよ」


 下の兄である「晴兄ちゃん」の言葉に、私は重ねるように賛同した。この「晴ちゃん」は軽そうに見えて何だかんだ真面目で、貯金したいとかでしらばく実家にいるつもりらしい。上の兄は「雪兄ちゃん」。彼女と暮らしていて、最近はあまり会っていない。

 生まれた日の天気で名前を付けたのは母だ。あっけらかんとした性格の彼女の信条は「女の幸せは結婚にあり」。これを裏付けるように、父とはとても仲が良い。

 父は髪が薄くなっても子供の様にどこかぽわんとしていて、母にも私にもすこぶる甘い。フワフワした両親と無意識にバランスを取るのか、私と二人の兄達は、彼らの子供にしては現実的な性格に育った。


 ――美雨。


 名前を呼ぶ声は、親しみに満ちている。

 お父さんが「女の子は守ってあげないと」と言ったから、私は兄達に随分可愛がられて育った。

 上の兄はいつでも私達のリーダーで、下の兄と喧嘩すると止めに入って、両親達よりよっぽど公正に叱ってくれた。下の兄とは年が近かったからよく喧嘩したけど、私が泣きだすとすぐ謝る。私に原因があってもそれなので、きまりが悪くて泣くのを遠慮するはめになった。


 狭いテーブルを囲む夕食がひどく懐かしい。

 私の席はいつも母の隣だった。小さい時は寝る時も。私が隣を取っちゃったから、下の兄は時々寂しくて泣いていたと、教えてくれたのは上の兄だ。


 雪兄ちゃん、次はいつ来るんだろう。会いたいな。仕事忙しいのかな。ここにいたら良かったのに。でも、晴兄ちゃんにもしばらく会ってない気がする。ううん、違う。お母さんも、お父さんにもだ。おかしいな、一緒にいるのに。






 ――気がつくと何故か、高校の教室にいた。

 懐かしい、クラスの女の子達が雑誌を見てはしゃいでいる。

 そういえば、大体の子と仲良しだったけど、ただ一人の大親友とかは出来なかったなあ……時には喧嘩したり、ハッキリものを言い合う女友達って憧れたんだけど、私は向いてなかったらしい。

 

 寧ろ、一対一の友達はいつも男の子だった。クラスも学校も関係なく、不思議と仲良くなった子が何人かいた。一目見て「あ、仲間だ」と感じるような、ほっとする関係。特に何を話したというわけでもなく、特別長い時間一緒に居たとも限らない。

 そんな子が時々現れては、一定期間が経つとお互い役目が終わったとでも言うように、何となく離れていく。恋とか愛とか、面倒なことには決してならない。


 そう、恋なら――恋人になるのは、そういう人ではなかった。積極的で仲間の中心でワイワイやってる人が、受け身な私に声をかける。そしてしばらくすると、「よくわからなくなった」と言って私を振るまでがお約束。

 いつも思うのだ。私だってよくわからない。

 どうしてそっちが好きだと言ってきたのに、「よくわからない」まま別れを告げられるのか。

 でもそんなもんだよね。恋なんて。

 振られると悲しくて泣いたけど、その時ばかりは女友達に思い切り慰めて貰えてちょっと嬉しかった。

 懐かしいなあ。


 ――場面は、ゆらゆらと移り変わる。

 次は、もっと幼い私が中学の制服を着ている。

 思春期真っ只中、卒業間際まで地味にギスギスしていた我がクラスだ。同級生たちの顔色を窺い、無難に渡り切ったのが懐かしい。人畜無害も、貫けば立派な防具になるものだ。


 ――小学校。

 見学で郊外の農家に出かけ、何が気に入ったのか帰宅後、ビニールハウスに住みたいと駄々をこねた。

 理由は忘れた。子供の時ってよくわからない。でもまあ、そういうものなんだろう。


 ――保育園。

 敬老の日に、折り紙であてのないくす玉を作った。私は祖父母にあげるかわりに、お母さんにプレゼントした。

 これは駄々をこねたりしなかった。祖父母に関しては、もっと早くから「そういうもの」だと思ってたから。最初からいないと、特に寂しくない。


 ……なんだか、改めて思い返すと私、随分ぼんやりした子供だった。

 大方の事は「人それぞれ」で済ませ、どこに行っても誰が相手でも無難に合わせて波風立てない。

 そういう性格なのだ。でもそれは、家族がいたからだ。

 絶対的な居場所があったからこそ、外でアイデンティティを主張する必要がなかったのだ。


 今、それが近くにない。

 ……不安で足元がグラグラする。


 気持ちとは関係なく、記憶の再編はどんどん進み、何故か久しぶりにあの青い空間を訪れた。

 たゆたう二人の姿を、私は少し離れた場所から見る。引きずるほど長い白っぽい衣に身を包んだ水読と、同じような装束を身に付け、両手で顔を覆う黒髪の女の子。いや、私。

 水読が何か言っているようだが、あいにく聞き取れない。


 それがまたぼやけ、今度はどこだかわからない灰色の場所になった。

 全体的にほの暗く、朝か夜か、どんな天気かもわからない。

 そこで、また別の二人が向き合っている。

 どちらも黒髪でわかりやすい。私と、アルス王子かな。


「――どうして?」

『――どうしても』

「でも、兄弟じゃない」

『関係ない』


 交わされる言葉は、音として聞こえたわけじゃない。何だかよく分からないけど、テレパシーのように理解した。


「あなたは”集まった”からそう思うだけ。私は離れるの。それが持ち合わせた因果なの」


 淡々と、しかしきっぱりと言う。


『それは通らない。片方だけが叶うことはない。また別の因果が生まれる』


 静かな口調は、アルス王子というよりはクラインに似ている。


「終わらないの?」

『多分』

「私のせい?」

『二人とも』


 ――そう。


 最後の一言は、ごうっと突風のように吹き荒れ、空いっぱいに響き渡った。

 目に見えない流れに掻き消されるように、不思議な夢は渦を巻いて千切れていく。紙吹雪のようなその一粒に紛れ、私もぐるぐると回っていた。どこかへ吸い込まれていくようだ。


 どこへ行くんだろう?

 と思った途端、何故か目の前に巨大なお風呂が現れた。家のお風呂だ。……なんで?

 湯船の底の銀の栓がカパリと開くと、お湯が音を立てて抜けていく。え、吸い込まれる場所ってそこなの? 排水口? 私、下水道に流されちゃうの? やだ、どうしよう。吸い込まれても安全なのかな。困ったなぁ…………。





 そこで、はっと目が覚めた。


 目に入ったのは、濃淡のすみれ色とチカチカ揺れる光。天井から吊り下げられた薄布と水晶は、私のベッドの天蓋だ。どうやら部屋で眠っていたらしい。


 ……変な夢見た。

 重たい目蓋を瞬かせ、ぼんやり余韻を味わう。後半は意味不明だったけど、前半では懐かしい顔が見られて幸せだった。皆、元気かな。私が居なくなってどうしてるだろう。


 警察に捜索願いを出されて、家族が知り合いという知り合いに電話を掛けまくっている――私がこちらに来てから、しょっちゅう考えた図だ。

 もし、このまま何ヶ月も何年も帰れなかったら、私は死んだと思われるんだろうか。

 私がいなくなっても多分、両親と兄達は立ち直れる。明るく仲の良い家族だ。皆で支えあい、だんだん私が居ない生活に慣れていって、辛いけれどどこかで諦めがまさっていって、喪失感を抱えつつも笑顔を取り戻していって――――気がつけば私は、「過去の人物」になっている。

 これが、一番恐ろしい想像だった。


「……やめよう」


 暗い考えを振り払うように首を振る。

 とりあえず、問題は今だ。

 体を起こし、自分の襟の隙間から覗き込む。胸元の赤い痣は殆ど消えていた。まだ少し残っているけれど、昨夜見たよりずっと小さい。ボタンは全て、きちんとかけ直されていた。リボンだけは抜き取られて、サイドテーブルに置かれている。


「…………」


 昨夜のあれ、何だったんだろう。

 体調はすっかりいつも通りで、今は熱っぽさもない。水読が何かしたことは確かで……というか、とんでもないことをされたような気がする。あの後どうなったんだ。

 ぶっつりと途切れた記憶に頭を抱え、連鎖的にその前の出来事も思い出して死にそうになる。超恥ずかしかったし、同じだけ怖かった。せめて説明してくれればいいのに、いきなり何すんだと怒りたい。でも、怒っていたのは多分水読の方で、何か理由があった様子なので安易に怒れない……いや、やっぱ腹立つな。力では絶対に勝てないという絶望感は、男の彼にはわかるまい。


 私はのそっとベッドから這い出した。雨降りの外は薄暗い。一本針の時計が差すのは、午前10時を過ぎた頃だろうか。

 さて、ドアを開けて水読が居たらどうしようか。

 しばらく部屋をウロウロした後、恐る恐る扉に近付く。できるだけ音を立てないように、そーっと開けると……あれ?


「おはようございます……?」

「…………」


 静かな目礼が返ってくる。部屋の前にジルフィーが立っていた。


「ミウさん、目が覚めましたか」


 その制服の向こうから声が掛かる。ソファの方だ。当然、水読も居たらしい。


「具合はどうですか? その人が邪魔するので、困ってたんです。正午を過ぎても目覚めなければ、仕方なくレオを呼ぶところでしたよ」


 こちらにやってくる水読は、全く通常どおりだった。普通に見れば警戒とは程遠い、虫一匹殺せなそうな穏やかな笑顔だ。

 しかし私は、咄嗟にドアの隙間から手を伸ばし、目の前の制服を掴んだ。ジルフィーが水読に道を開けると思ったのだ。でも杞憂だったようで、ジルフィーは相変わらず微動だにしなかった。ていうか無視だ。文句を言われてもガン無視。最高。

 水読はしばらく鉄壁をどかそうとしていたが、やがて諦めジルフィーの背中越しにこちらをすかし見た。水色の目が、何故か少し見開かれる。


「ミウさん、目に星が出ています」

「……は?」

「僕の目と同じですよ。水の気が強くなったんでしょう」

「は、はあ」


 水の気……星?

 水読の目には、いつも不思議な光の粒みたいなものが二つ三つ輝いていた。あれの事か? 鏡を見に行きたかったけど、なんだか蛇に睨まれた蛙のような気分で動けない。

 水読が笑った。


「本当は少し、読ませて頂きたいんですけれど」

「…………」


 嫌だなぁ……。

 そう思ったけど、仕方なしにドアから出る。ジルフィーを盾にしたまま手を挙げると、水読はそれを取り、少し屈んで額に当てた。そして何に納得したのか、なるほど、と呟く。


「容量が増えてますね。中まで回ってます」

「何がですか」

「水ですよ。昨日火に寄った分だけ、力が反転しています。無茶した甲斐がありましたね」

「…………」


 思い出すとうめき声が出そうな記憶をセルフで上手いことオブラートに包み、私は水読の説明を聞く。


 あれこれ言われても自覚はないが、水読曰く、私は今「結構水寄り」になっているらしい。

 これまで体に負担がかからないようチマチマ溜め込んだ水が、どういうわけか昨日一気に飛び、火に寄った。それを荒療治でまた一気に水に戻したので、その振り幅で許容量が拡大した。みたいなことらしい。


 火でも水でも、そういった「力」は、水読には外と内の二重構造として見えているという。

 空間や皮膚の接触で移動する力というのは、いわば服のように体の外側に纏うもの。これまでの私は、この「外側」をどうこうしていたらしい。水読に渡される水の服をせっせと着こみ、時折太陽の服を数枚借りてきては水読に提供する。イメージとしてはそんな具合だ。


 そして、体の内側に満ちる力。これが「力」の根本的なもので、水読や王族は当然こちらの方が濃い。私のように外から貰ってくるのではなく、力の”泉源”を持っているからだ。これを水読は「血に宿る」と表現した。外側の力はつまり、そこから溢れだした余剰分みたいなものに当たる。


 さて、それを踏まえて昨日の私。

 まず最初に帰ってきた時点で「少し火に寄っていた」。水を相殺して余る程度に、火を纏ってきた。

 そしてアルス王子とやりあって戻ってきた際は「火傷するくらい」だったそうだ。外側だけじゃなく内側まで火の気が入り込み、体の中心部、つまり胸にその痕跡が出た。本来「水寄り」である“泉の乙女”にそんなことが起こり得るのかと、水読は仰天したらしい。で、手っ取り早く「内側」に水を流し込んだところ、量を間違って私が失神したと。いや、間違うな。


「ですから、唇にしますかと言ったじゃないですか」


 悪びれもせず答える声に、私は目の前の上着をぎゅっと握った。ジルフィーには何の反応もないが、意味深な発言も全て聞こえているはずなので複雑だ。まあ、一対一で言われても嫌だけど。他人など存在しないかのように話す、水読の神経の太さが羨ましい……ていうかさっきからベラベラ喋ってるけど、知られてマズいこととか無いの?

 心配をよそに、水読は続ける。


「粘膜は薄いですし取り込む器官ですから、微妙な流れも扱えるんです。その点、皮膚は本来、内外を隔てるものでしょう? 受け渡しには向いてないんですよ。そこを強引に使ったので、うっかり許容量を超えて『落ち』てしまったと」

「はぁ」


 なんか、電化製品がショートしたみたいに言う。


「それにしても、どうして急激に火が入ったのかが分からないんですよね。普通に考えたら有り得ないんですが。ミウさん、本当にアルス殿下に何もされてませんよね?」

「勿論です」


 少なくとも、あなたのような事はされてませんね。とりあえず、具合が悪そうだったので肩に触れたとだけ伝える。


「なるほど。“発作”でしたか?」

「……多分」


 触るなと振り払われたけど、苦しそうだったあの感じ、クラインの時と似ていた。発作だったと思う。考え込む私に、水読は宣言する。


「今後雨を呼ぶ時は、公的に行いましょう」

「こ、公的? なんか仰々しいですね……どう変わるんですか」


 やだなー面倒臭そう。


「個々でのやり取りから、『泉の乙女』と『水読』、そして『王族』の仕事に変わるだけです。参加者は今まで通り、当人達だけで良いでしょう。ただし」

「ただし?」

「これから火を借りる際は、必ず私の立ち会いの元でお願いします。特に“呪い”が強く出ている時は、出来る限り接触しないでください。――ミウさんの、命に関わるといけませんので」


 命に関わる。

 大げさな話と、しかし全く大げさだとは思っていなさそうな水読の口調に、私はゴクリと喉を鳴らした。


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