15 白か黒か(6) -- 憤慨
そんなこと、言われなくたって分かってる。
私は肩を怒らせて塔の石段を上っていた。
頭の中は、今しがたの出来事で一杯だ。一方的な主張と、蔑むような眼差しがぐるぐる廻る。面と向かって言い返せなかったのが悔しい。
――余所者だって?
当たり前じゃないか、別の世界から来たんだぞ。家族だって友達だって、みんな向こうにいる。好きでここにいるんじゃないんだから。勝手に呼ばれて、疑われて殺されかけて、なんでそんなこと言われなきゃいけないんだ。
足元で、橙色と闇色がちらちら入れ替わる。繊細さの欠ける歩調に、ランタンが振り子のように揺れ、私の影もその度に大きく揺らぐ。
親近感か罪悪感か、アルス王子が私の事を気にかけてくれていたのは理解していた。だけど結局それは思いやりでもなんでもなくて、ブロット氏の様にただひたすら自分の言う事を聞く相手が欲しかっただけなんだろう。
そうじゃないなら、もっとちゃんと話を聞いてよ。
信じろというなら、私のことも少しは信じて。
何も知らないくせに? 何も知らなかったら、私の意見は、感じた事は、一つの意味も無いの?
どうして、そっちの方が「傷付いた」みたいな目で見るんだ。
上に辿り着いて部屋の中に入ると、その真ん中に立つ水読と目が合った。
「ミウさん」
長い髪が翻る。ほっとした様子でこちらへ足を向けるた水読に、私はずんずんと突進した。
あああぁぁもう!
「水読さん、本当に”二の月”の動かし方知らないんですか!」
「わっ」
腕を伸ばし肩の辺りに掴みかかると、水読は面食らった顔で聞き返した。
「どうしたんですか、急に」
「知らないんですか!?」
知ってるよね? 知ってると言えー! あれもこれも放り出して、私は今すぐ日本に帰るんだ!
「言ったじゃないですか、知りませんよ」
うおおおお!!
「何でですかー!! 水読さんは水読でしょう!? 知っててくださいよー!!」
「あははは、ミウさん本当にどうしたんですか」
掴んだ肩をガクガクと揺らすと、笑いながら大人しく揺すられてた水読は「いたっ」と言って口を閉じた。舌を噛んだらしい。こんな状況で笑うからだ。
八つ当たりしても怒りの治まらない私は、口元を押さえる水読を放り出して隅のカウンターに向かう。そこにはいつも、透き通る水で満たされた水晶の水差しが備えられている。重たいそれを持ち上げグラスに水を注ぐと、一息に飲み干した。大きく息を吐いて、背後に尋ねる。
「……教えて欲しいことがあるんです」
「何ですか?」
「アルス王子のお母さんは、どうして亡くなったんですか」
軽い音を立ててグラスを置くと、繊細なカッティングがランプの火にきらめいた。水差しのプリズムで、壁とカウンターの天板にゆらゆら淡い虹が飛んでいる。
「アルス殿下の? ……ああ、マリエラ妃ですか」
その人は、マリエラという名前らしい。
「事故死ですよ。窓から落ちたんです。そんな話をしてきたんですか?」
「……いえ」
転落死。いや、「自分で死んだ」と言っていたから投身自殺か。
揺れる光を見つめながら、ぼんやりと考える。
確か彼女の死については、ブロット氏が何か言っていた気がする。なんだっけ……“呪い”のことで悩んでいたとかだったかな。自分の子供、しかも国王の子を産んだのに“呪い”が出たとなると、まあそれは色々あって当然だろう。
動機が何なのかは置いとくとして、それをまさかクラインが殺した、だなんて。
例えば、そのマリエラ妃という人が窓から転落する所に彼が居合わせたとか、そういう感じじゃないのか? 窓から身を投げるマリエラ妃をクラインが止めようとして、止められなかったとか。突き落とすよりも、そういう状況で彼が「事故を防げなかったのは自分のせい」なんて考える事の方があり得そう。それをアルス王子がああいう解釈をしている、とか。
じっと黙ったまま、納得できそうな仮説をあれこれ組み立てる。全くの憶測に過ぎないけれど、思いつく中で最も辻褄の合いそうなものを。
そこまで思って、私は密かに自嘲した。
アルス王子に「信じている」と言ったくせに、やっぱり私がより信用しているのはクラインの方みたいだ。きつい言葉を掛けられる前から、そういう前提で彼に向き合っていた。
でもそれって、私が悪いの? イライラする。もう一杯飲もうかな。
水差しをちらと見る私に、水読が尋ねる。
「アルス殿下とクライン殿下は、仲違いしてるんですか?」
「クラインの方は違うみたいです。アルス王子の方は、さっきの通りですけど」
「なるほど」
声から察する距離が予想以上に近かったので、私はすすっとソファの方へ逃げた。立ったままで居ると、同じように水を注いだ水読は、グラスを持ってこちらにやってきた。歩くたびに手元と髪がキラキラする。
「座らないんですか?」
「落ち着かないので」
「そうですか」
では僕は、と言ってソファに掛けた水読は、静かにグラスに口をつけた。……てかそれ、私の使ったやつじゃね?
食卓に芋虫でも出されたような顔をする私を見て、水読はいつもの様にニコリと笑った。嫌がらせか。
「それで、上手く行かなかったんですね」
「…………」
「あの二人を取りなしたかったんでしょう?」
「……はい」
私は一人がけのソファの肘置きに腰を預けた。水読はグラスを長机に置いて、少しだけクッションに寄りかかった。
「彼らの事を、どうしてミウさんが気に掛けるんですか?」
「え? だって、それは……」
私が、どちらとも接触があるからだ。双方仲が良いに越したことは無い。妙な立場もあるし、個人的にも片方に敵対してもう片方には味方するような、派閥争いみたいな人間関係はまっぴらだった。
不憫な身の上であり、世を拗ねたような彼を可哀想に思った。
弟思いの、優しくて綺麗な友人を大事にしたい。
大したことは出来なくても、何か手助けになるならば。
「全員と仲良くするなんて無理ですよ」
水読が当たり前のように言った。
「距離を取るならまだしも、踏み込むなら摩擦があって当然です。怪我をするのが関の山じゃないですか」
「……でも」
「でも?」
「気まずいままも嫌です。雨のことだって、頼まなきゃいけないし」
言い訳じみた言葉を吐くと、薄い色の目がこちらを向く。
「雨乞いでしたら、もっと事務的にこなすことだって可能です。まさか協力を断る王族は居ないでしょう。それぞれの関係についても、どうしてミウさんが悩むんですか? 片方を諦めれば良いだけじゃないですか。それともクライン殿下辺りから、執り成してほしいと頼まれたんですか?」
「……いえ」
頼まれたわけじゃない。寧ろ「無理だ」と言われた。
そしてクラインとブロット氏、そして恐らくアルス王子自身も、ある意味ではぴったり意見が一致していた。
アルス王子の味方になってほしい、と。
「えぇ……僕は嫌ですよ、あんな生意気な子供。あの態度といい、一体ミウさんの何のつもりなんでしょうね。気に掛ける必要なんて無いですよ」
ツンと口を尖らせる水読を見て、敢えて「あんたこそ私の何なんだ」という突っ込みを飲み込む。言っても意味がないのは学習済みだ。
内容の方は、今回ばかりは半分同調した。だってアルス王子には、もう関係ないとか言われたし、話も聞かないし……自分勝手な態度を思い出して、また少しムカムカする。でもここで、じゃあこっちももう知らないと切り捨てられる性格なら、こんなに腹が立ったり悩んだりしなくて良いんだけど。
「欲張りですね。僕ならそんなの放っておきます」
「……そしたら、どんな顔でクラインに会えばいいんですか」
「そのままお伝えすれば良いんじゃないですか。クライン殿下は想定済みでしょう。というかミウさん、彼とどれ程親しいんですか?」
「そりゃまあ、それなりのつもりですけど」
「へぇ……」
水読は退屈そうにチラリと横目で見て、グラスの中身を空ける。
「ほどほどにした方がいいですよ。王侯貴族も塔の人間も、貴女とは比べ物にならない程強かですから。敵を作りたくないのはわかりますけれど、全て丸く収めるなんて甘いです」
「でも、まだ手立てがあるかもしれないですし」
「貴女のそれは、優しさですか?」
「…………」
私は答えに詰まった。
部屋がしんと静まり返る。居心地の悪い沈黙。
――それは、優しさというよりは。
「本当は、彼らの為ではないでしょう? 貴女個人の欲求ですよね。そのままにしておくだけの強さが無い、ただそれだけなんでしょう? 自分の心を満たす為に」
保身と、自己満足。
「わかってます……」
この薄っぺらい使命感の正体が、ただのエゴだってこと。
命の危機が去り、帰れる希望があると分かり、状況は確実に良くなった。しかし最低ラインが上がれば上がるほど、人間というのは次の欲求が膨らむものらしい。
こちらでの私の生活というのは、常に誰かの手を借りなければならない。本を借りたり文字を尋ねたり、調べ物一つにも手間がかかる。勿論、リコもサニアもジルフィーもハノンさんも、嫌な顔一つせずに面倒を見てくれる。
私が、“泉の乙女”だから。
クラインやアルス王子と居る時は、傅かれる関係ではない分、少し気楽だった。そういう意味では王様もか。“乙女”の立場を超えた部分の、ただの人間としての私を見てもらえるような気がして。
本音を言えば、アルス王子の味方をして欲しいと頼まれた時、嬉しかったのだ。私は、自分の存在価値を認めてくれるものを求めていた。そういう何かが無いと不安でしょうがない。必要だと言ってもらえないと、それを肌で感じられないと。
「何を不安に思う必要があるんです? その地位に胡座をかいたって誰も咎めませんよ。“泉の乙女”なんですから」
その呼称がチクリと胸に刺さる。
「雨が降らなければ、生き物は皆生きていられません。この上なく誰かの役に立っているじゃないですか」
「それは、そうかもしれませんけど……」
そこに、私の人格は一つも絡まない。
敬意も親切も、“泉の乙女”だから受け取ることが出来ている。そう思うたび、少しずつより糸がほつれるように心がスカスカになっていく。勉強に没頭して紛らわしても、それは日々着実に染み出して足場を削り取っていく。
「そんなに誰かの役に立ちたいんですか?」
ぼうっと床を見ていると、微かな衣擦れが聞こえた。
「じゃあ、僕に同情してください」
「……え?」
「必要とされたいなら、居場所が欲しいなら、僕を支えてくれればいいじゃないですか。その他大勢の事情なんて放って置いて」
いつの間にか立ち上がり傍へ来ていた水読が、覗き込むように見つめる。
「僕は、ただ貴女が居ればそれでいい。互いに、この世で唯一の理解者として一緒に居てくれれば、それで。他の人間にはわからない事が、私達にはわかります。私以上に、貴女を必要とする者など居ない」
月影のような、熱のない眼差しが私を捕らえる。
淡々と告げる声は、まさに水のよう。心の隙間に、いとも容易く忍び込んでくる。




