14 白か黒か(5) -- 誰も信じない
そちらこそ、どうしてここに。
「……水読さんが?」
「いいえ、私は呼んでいませんよ」
疑問を込めて振り向くと、水読は首を横に振る。じゃあ何で?
尋ねるとアルス王子は侍女に聞いた、と返した。どうやら先に、下の部屋を訪問したらしい。
「どういうことだ。何でここに居る」
「え? えーと……」
私は、一瞬思考を巡らせる。
そういえば、水読とのあれこれを説明するのが面倒で、この人には「塔に転居した」としか言っていなかった。またあの私ですらよく分かってない水の事情を話さなきゃいけないのか。
あと、水読が超危険人物だけど色々あって危険じゃない……とは言い切れないけど取り敢えずは安全、でも個人的には全く信用できると思ってない(ここ大事)という、これまた私ですら納得できなさそうな話も飲み込んで貰わなければ。しかも伏せたい内容も結構ある。主に教育的配慮という意味で。
うーん、どっからどう説明しよう。
真剣に悩んでいたせいで、近付く影に気付けなかった。
「それは、私と一緒に住んでるからです」
「ぎゃっ!!」
突然背後から抱き込まれて、飛び上がりそうになった。ゆるりと首に回る腕を全力で振り解きながら、私は水読を睨みつける。
「そういうの止めてって言ってるじゃないですか! あと、一緒に住んでるとか……」
「その通りでしょう? ミウさんはここで寝泊まりしてるんですから」
「…………」
私を見据える青い目が、一層険しくなる。
「本当か」
「本当ですよ?」
「お前に聞いてない」
アルス王子は既に不機嫌オーラ全開だ。ヘラヘラ答える声には一瞥もくれず、低く問う。
「ミウ」
「……本当です。でもこれは、事情があって」
あれやらこれやら問題はあるけれど、要約すると雨の為で……って私は一体、どうしてこんなに必死に言い訳しているのか。それは勿論対峙する相手が怒っているからであり、それが恐らく私の身を案じての事だからだ。
「とりあえず、心配しないでください」
私は、敢えて気楽な声で宥めた。水読が不審なのはよく分かる。でも王様も手を尽くしてくれたし、見張りの人もいるし。私と水読にしか見えてないが、扉の向こうでおじさん兵もしきりに頷いている。
まあ大丈夫、約束したから、多分。いや絶対。じゃなきゃ困る。
アルス王子は、何も言わずつかつかとこちらへやってきた。
そのまま、ぐっと二の腕を引っ張られる。
「来い」
「ど、どこに」
夜はここに居なきゃいけないって、今説明したよね?
困惑しつつ足を動かすと、今度は反対側から肩に手を掛けられてたたらを踏んだ。
「わっ、ちょっと」
「離して頂けますか」
「何でお前が、……――っ!」
私を掴むその手の甲に水読が触れるやいなや、アルス王子はビクッとして素早く手を離した。触れられた場所をもう一方の手で押さえ、酷く嫌そうな顔で水読を見る。
対する水読の方は、ゆったりと微笑みながらそれを見下ろすだけだ。
「ど、どうしたんですか?」
「…………」
双方を見ても、お互い睨み合うばかりで説明は無い。
一呼吸置いて、アルス王子の方が先に視線を外した。水読については一旦無視すると決めたらしく、私の方を向く。
「あいつに会いに行っただろ」
……あ。
言われて思い当たった。なるほど、クラインのことで来たのか。相変わらず情報が早い。
しみじみ納得する私に、アルス王子は目をつり上げた。
「お前、俺の言ったこと聞いてんのか!? 何ノコノコ出向いてんだよ!」
殆ど怒鳴るような声に身が竦む。私は慌てて説明した。
「いやあの、お見舞いというか……臥せってるって言われて」
「嘘かもしれないだろ、もうちょっと色々考えて行動しろよ!」
「え、ええと、嘘じゃなかったです。本当に倒れてて……それとあの、クラインの事は大丈夫です」
「何が大丈夫なんだよ」
「あなたの事を心配してました。害意はないって。あと私の事も、友達だって」
「……は、」
その瞬間、目に見えて空気が変わった。青い目が冷たく睨みつける。
「お前は、そう言われて信用して、油断させられて帰って来たのか」
「え? 油断させられてとか、そんな」
「そういう事だろ!」
再び腕を掴もうとするが、水読の手が制すように間に割り込んだ。
「触らないでください」
「…………」
「……もういい」
睨み合った後、アルス王子は投げやりに手を下ろした。低く押し殺した声は、明らかに怒気を含んでいる。
「あの……」
「せいぜいそいつに守って貰えよ。俺はもう知らない」
そしてそう吐き捨てると、サッと踵を返した。
ちょ、ちょっと待った。まだクラインの事をちゃんと説明してないぞ! あと水読はぶっちゃけ無関係だ。
なのに、背中を追って駈け出す私を、滑らかな絹の袖が絡め取る。
「ちょっ、水読さん……!」
「駄目ですよ。ご自分の状態をお分かりですか?」
「何がですか!」
さっきから邪魔ばかりして、何なんだ。
「それ以上、火に近づけたくありません」
穏やかな囁きに、私はピタリと動きを止めた。
――火に寄っている。
それの意味する所は分からないが、分からない故に不安を煽る。どういう問題があるのか知りたい。でも今は、ゆっくり聞いている時間がない。人間関係っていうのはタイミングがあるのだ。ここを逃すと致命的というタイミングが。
「……すぐ戻ります、行かせてください」
私は開け放たれた扉を見て言った。アルス王子の姿はとっくに消えている。
「少し話をしてくるだけです。今行かなきゃ駄目なんです」
「ミウさん」
「お願い」
水読を振り返って懇願し、力任せに腕をすり抜けた。
「待ってください、一人では……」
「階段からは出ませんから!」
付いてくるなと言外に制し、驚く見張り番の横を抜けた私は、壁に掛けられたランタンを引っ掴んで階段に踊り出た。
◇
「アルス王子、待って!」
足音が反響する。この暗い階段を、明かりも持たずに下りられるなんて。
ランタンに照らされて浮かび上がった後ろ姿に、私は必死で呼び掛けた。追いつくと一瞬躊躇した後、服の肘の辺りを引っ張った。
「待ってくださいってば」
「何だよ」
「話したい事があるんです」
「…………」
一度は無視しようとしたらしいアルス王子は、足こそ止めないが僅かに首を動かした。
すたすた階段を下りる後に続きながら、私は語りかける。
「今日私、クラインのお見舞いに行きました。でもアルス王子に止められてたこと、蔑ろにした訳じゃないんです。色々悩んだんですけど、リコやハノンさんに同行して貰って行ってきたんです」
実際対面した時は一人きりだったけど、そこはこの際伏せておこう。
「クラインは私の事もですけど、アルス王子の事、とても心配してました。塔と懇意なのも、“呪い”の研究してるからだって聞きました。あなたの為でもあるんだって」
「そんなこと、何とでも言える」
アルス王子は素っ気なく答えて歩き続ける。この調子じゃあっという間に階段が終わってしまう。
「話してみて、嘘をついてるって思いませんでした。私に嘘が見抜ければいいのにって言ってました。疑っても構わないけど、事実は変わらないって……」
「じゃあ俺がお前を騙してるのか?」
「違います!」
……よね?
「何か誤解があると思うんです。クラインの事、誰から聞いて今みたいに思うようになったんですか。周囲の人の話、食い違ってませんでしたか。――ブロットさんも、」
その名前を口に出した所で、アルス王子は足を止めて振り向いた。
「…………あの」
「続けろ」
射抜くような鋭い視線に、私はゴクリと唾を飲み込む。
「……ブロットさんも、クラインについてはあなたと同じように思っているんですよね」
「あいつを疑えと言われたのか」
「い、いえ、違います。ただ彼は立場的に、偽物の情報を掴まされることもあるだろうって……この前の塩湖の時みたいに。だから、もっと慎重になった方が」
察するに、やはりアルス王子が一番信頼しているのはブロット氏のようだ。多分クラインより余程、家族的な感じなんだろう。
「クラインは、ブロットさんのあなたへの忠誠は本物だって言ってました。私もそう思います。何も特別な事情なんてなくても、すっと仲良くなる相手って大事だし」
私は言葉を選びながら伝える。
波長が合うとでも言うのか、時々、不思議といきなり親しくなる友達というのがいた。こちらで言えば、それこそクラインのように。それまで何ら関わりがなくても、無条件で信頼関係が築ける相手というのは存在すると思っている。
だけど、偏った情報だけを盲信するのは危険ではないのか。
「ブロットさんも、クラインの事を誤解してるんじゃないですか。もっと視野を広げたら何か、か、変わると思うんです……」
「…………」
怖い。
欠片も臆する事のない、威圧的ですらある視線に怯む。
落ち着け自分、相手は8つも年下の少年だ。説教出来る立場でもないけど、ビビってないでしっかりしなきゃ。
怖気を抑える私に、アルス王子がゆらりと体ごと向き直った。
「お前は、誰を信じるんだ」
「え」
目の前に、ゆっくりと右手が伸ばされた。容姿に比べると無骨な感じの手の平が、私の首元を覆う。力は入れられていない。触れるだけだ。けれどサニアと廊下で襲われた時の事が蘇り、それだけで声が出なくなった。
「俺とあいつの、どちらを信じる」
気圧されるようにして後退ると、頭の後ろがコツンと壁にぶつかった。
ランタンの火に燃える瞳が容赦なく刺す。鼓動が、どんどん早くなる。
「答えろ」
そんなこと言われても、私。
「どちらも……信じています」
震える唇を動かし、掠れた声でなんとか呟いた。
「あり得ない」
「あ、あり得ます。仲違いしてるのは、誤解だと」
「俺はそう思っていない。つまりお前は――――目を逸らすな」
親指で顎を押し上げられ、僅かに上を向かされる。人形のような顔がぐっと近付けられた。見下ろす表情は、いつかも見た冷酷なそれだった。息を呑む私に、アルス王子は低く問いかける。
「お前は、あいつの方を信用したって事だ。そうだろう?」
そんなことない。どっちの方がという話じゃない。
だから――でも、もしかしたら……?
「違い、ます……」
答えた途端、唐突に全ての拘束から開放された。
手を離したアルス王子は、脱力する私から一歩距離を取る。強張っていた肩を下げて見返すと、その目にははっきりと失望が浮かんでいた。
……何故?
「あいつが俺を思い遣ってる? そんなはずがない」
「あります! どうして決め付けるんですか。だってあの人は私に、あなたの側に居ろって……」
もう、会わない方がいいって。
「体よく追い払われたんじゃないのか?」
「…………!」
愕然とする私を前に、アルス王子は冷笑した。自分のシャツの胸の辺りを掴み言う。
「もしそれが本当なら、あいつにとって、お前が俺につく方が益になるって事だ」
「何でそんな風に……!」
ひねくれた考え方に腹が立つ。少しは、素直に聞いてくれたっていいじゃないか。
――『誤解』は解けないし、私もそれを望んでいる。
その声が脳裏に響いた直後、私は理解し難い言葉を聞いた。
「俺の母親を殺したのはクラインだ」
……え?
「本人は否定したし、周りもそれを信じた。俺の母親は、自分で勝手に死んだ事になった。表向きは事故死だけどな」
虚を突かれる私に暗く笑いながら、アルス王子は一つ肩で息をした。
「全て落ち着いた頃に、あいつは俺にだけ言い分を変えた。自分が殺したって。……言ったよな。立場によって言葉を変える奴は信用できない。あいつは、お前にこの話をしたか?」
ちょっと待って。
話が見えない。
動揺する私のすぐ隣に、トンと片腕が突かれる。
「何でお前が誤解だって言い切れるんだよ。何も知らない癖に……」
黒い前髪の下に、いつの間にか汗が滲んでいた。それを見たかと思うと、アルス王子は胸元をぎゅっと押さえて苦しそうに背を丸める。
えっ?
「アルス王子……?」
「……っ」
「どうしたんですか!?」
押し殺しても、上下する肩は呼吸の乱れを隠せていない。壁に寄りかかり、立っているのがやっとのように見えた。これって、もしかして。
「触るな」
思わず肩に触れた私の手を、彼は疎ましげに払い除けた。唇をきつく噛み締め、石の階段を後ろ向きに一つ下りる。
そして、ゆっくりと身を起こして、言う。
「国も雨も、お前も、俺には関係ない。
――忘れるな、“泉の乙女”。お前は所詮、余所者だ」




