13 白か黒か(4) -- 二人の距離
アルス王子と塔のパイプとなると、私が思いつくのはブロット氏しかいなかった。短絡的すぎるかとも思うが、いかんせん知り合いが少ない。それに、あの二人が情報を共有しているのは確かだ。
考え込む私に、クラインが尋ねる。
「リュイスハデルを知っているのか」
「はい?」
リュ……何?
「ブロネルドの家名だ」
「ブロネルド……」
耳慣れない単語に首を傾げる。翻訳されないってことは固有名詞か。聞くと、ブロット氏のことだった。あの人そんな名前だったんだ……ブロネルド・リュイス、ハデル。言いにくい。っていうか仰々しい。ちょっと名前負けしてないか。
ともかく知っていると返すと、クラインはそうか、と頷いた。
「あの人は、信用できる人なんですか」
ヒョロっとして落ち窪んだ目の、幸薄そうな姿を脳裏に描く。見た目としては中々胡散臭い部類に入ると思う。……とりあえず生贄事件の真犯人、危機が迫っているとアルス王子に発破をかけたのはブロット氏だ。でも初めて会った時も、アルス王子命! って感じで泣きまくってたし、彼は彼で嘘を言っているようには見えなかったんだけど。
「忠誠については本物だ。彼は弟の利になることを望んでいる」
「そうなんですか」
なんでも、今回を含め何度か王様直々に尋問(怖!)しているらしい。あのお見通しな視線をくぐってアルス王子に近付くことを許されているのなら、危険じゃ無いってことなのかな。ちなみに直近ではクラインも立ち会ったそうだ。
「じゃあなんで間違った情報を?」
「恐らくまやかしを掴まされたのだろう。彼の塔での立場は弱い」
「えぇ……」
噂にでも翻弄されてたんだろうか。ありそうだけど、結果的にアルス王子を窮地に追いやった訳で、うっかりでは済まないような。それとも、悪意があって偽の情報を吹き込まれたという事なのかな。
尋ねると、後者だと言われた。何? ブロット氏、いじめられてんの?
「リュイスハデルは水仕えの名門、旧家だけに敵も多い。出世できねば特に」
氏の家は、古くから塔に仕える神官を多く輩出している名家なんだそうだ。
各地にある寺院と違って、水読が住まう「塔」は格が違う。召し抱えられる神官もそれ相応。ブロット氏は、そこで落ちこぼれ的ポジションにいるようだ。世渡り下手そうだもんなあ。
塔にはいわゆるコネ就職したっぽいので、その事でやっかまれたり、いい年して通いの神官――つまり下っ端をしているので舐められてるらしい。ついでに言えば、アルス王子と懇意なのも妬みの対象なんだろう。神官って意外と陰険なんだね。
それにしたって、氏ももうちょい分別着くもんじゃないの?
見返すと、私の疑問を正確に理解したらしいクラインはごく簡潔に言った。
「彼は思い込みが激しい」
「あぁー……」
私は微妙な顔で頷いた。頷くしかなかった。身も蓋もないが、欠片も否定しようと思えないのが問題だ。大いに納得です。
しかし、それなら話は早い。
「あの、すごくお節介だとは思うんですけど、誤解を解きませんか」
ベッドに向かって提案する。布団と言えばすぐだらけた姿勢で転がる私と違い、クラインはゆったりとしつつも美しい姿勢を崩していない。っていうか倒れていた姿すら絵になってた。その生けるゲージュツ、もとい王子様はほんの僅かに首を傾げ、窺うようにこちらを見る。
「誤解、か」
「色々研究してるの、アルス王子の為でもあるって聞きました」
それなのに、逆に悪く思われているなんて報われない。アルス王子とブロット氏にデマに気をつけるように言って、クラインはやっぱり信用できると伝えよう。最初は反発するだろうが、そこは周囲にも協力してもらったりなんかして上手いことこう、ね。
よーし、そうと決まれば!
彼らに次に会った時、どう切り出そうか。うんうん考える私を、クラインは黙って見ていた。視線に気づき、ふと顔を上げる。
「……クライン?」
穏やかに結ばれた薄い唇は、微笑を形作っている。なのに、どこか悲しげだ。
どうしたんだろう。やっぱりお節介だったか。
「そうではない。ミウの気持ちが嬉しい」
クラインは、そこで初めて姿勢を崩した。疲れたのか、積み上げて背に当てていたクッションに寄りかかり頭を乗せる。
「こちらには馴染んだか」
「え。はい、まあ」
「弟とも?」
「ええと多分、それなりに……」
仲が良いかどうか、でしょ。この質問何度目だろう。流行か。
「意外に世話好きですよね。すぐ怒るけど」
「……そうか」
クラインは笑った。
「ミウ」
何故か、やけに切なくなるような笑顔だ。
「この先もずっと、私を友と思っていてくれるか?」
「……? 勿論」
何を今更。そう返すと、彼はもう一度微笑んで身を起こし、ベッドの端に掛け直す。
「私とは、もう会わない方がいい」
「え」
「どうしてですか……?」
尋ねると、クラインは微かに視線を彷徨わせた。長い睫毛が瞬く毎に、光の下限が変わり瞳が複雑に色を変える。
「私と会うことを、アルスは決して許さない」
――許さない。
「……だから、どちらかとしか居られない?」
「ああ」
その事については、勿論私も考えた。
というか、だから誤解を解消したいと思ったのだ。
「どっちに着くか」みたいな話は、正直勘弁して欲しかった。どちらも悪くないなら、スッキリ和解を目指せば丸く収まるじゃないか。それとも、今までにも試みては失敗してきたんだろうか? 間に入る人は居なかったの? 例えば……、
「兄には言わないで欲しい。煩わせたくない」
思い浮かんだ人物をかき消すように、クラインは一つ息を吐いた。
一応、関係が悪い事は知られているらしい。王様はその上で静観というわけだ。個々の問題だから、って事だろうか。そんな雰囲気なら、ぽっと出の私が首を突っ込むのは相当無神経じゃないか。
だけどそれで「会わない」ってのも……。
「――アルスは、幼少から乳母にも懐かないような子供だった」
クラインが唐突に言った。
「病ゆえに殆ど外へ出たことも無く、気を許せる相手も少ない。人を側に寄せる事は非常に珍しい。傍に居てやってくれ」
何だか、以前もどこかで言われたような話だ。
「……っていうか、何でいきなり諦めモードなんですか。私も言うだけ言ってみますから」
クラインてば超弟思いじゃないか。アルス王子に味方が少ないというのなら、その事だけでも伝えたほうがお互い幸せになれるのでは。
「では、害意は無いとだけ」
「それっぽっち、遠慮しすぎですよ」
不満そうな私に、クラインは小さく笑った。
「それで良い。『誤解』は解けないし、私もそれを望んでいる」
「え……?」
「ミウは信じてくれるのだろう? それだけで充分だ」
何を望むって……?
混乱する私と対照的に、クラインは淡々と続ける。
「今後も学会や議会の一人として力になろう。困った事があれば、人か書簡で知らせを。必ず手助けする」
「…………」
「弟を宜しく頼む」
何か言いたいけれど、上手い言葉が見つからない。
その顔を見つめて黙り込む内に、部屋にノックが響いた。ケレンさんが様子を見に来たのだ。気がつけば結構時間が経っていた。相手は熱があるというのに、すっかり長居してしまった。
私は腰を上げつつ戸惑う。こんな所で会話を切り上げて、果たして良いのだろうか。不安がよぎるが、居座る訳にもいかない。
「ミウ」
クラインが、片手を差し出した。そこへ手を重ねると、しっかりと握られる。
「ありがとう」
これが別れの挨拶だった。
出てきた私がどんよりしているのを見て、リコもハノンさんも不思議そうな顔をした。
塔に帰っても本など手に付かない。辛うじていつものように夕食を終えた私は、のろのろと上階へ向かう。
――誤解は解けないし、それを望んでいる。
あれは、どういう意味だったのだろう。頭の中で、そればかりが繰り返される。
石段を上り部屋に入ると、乾いた夜風が頬を滑った。窓が開いていて、白い薄布の幕がフワフワと膨らんではランプの光を遮っている。
淡いオレンジ色の部屋の中で、長い髪は真珠のように柔らかく輝いていた。
「おかえりなさい」
窓辺に立つ水の司祭は、外を眺めていたらしい。
ふにゃっと笑うその姿の方へ、私は真っ直ぐ歩く。
「水読さん、雨ってそろそろですか」
「ええ。そうですね」
「今やってもらっても良いですか。出来そうなら」
「……ミウさん?」
自主的に申し出た私を、水読は驚いた顔で見下ろした。
「どうしたんですか?」
「そろそろかなと思いまして。必要無ければいいです」
「いえ……丁度良い頃ですが」
じゃ、お願いします。そう言って両手を差し出す。
水読はそれを取り、私をそっと椅子に座らせた。訝しむような空気を感じながらも、私は黙って目を伏せる。額が合わされると、心の中で数を数えた。
「――火に寄ってます」
額が離された時、水読が呟くように言った。
「火?」
「はい。ほんの少し」
……って?
確か私は今「水寄りにする」を実行中じゃなかったか。
「そのはずですが、力が逆に動いています。しかも、アルス殿下じゃないですね。クライン殿下ですか」
「……はい」
「この前までは、こんな事はなかったですよね。今日は何をしたんですか」
水読は、珍しく真顔で尋ねる。何をしたかって……。
「ちょっと、お話を」
「それだけですか?」
「はい」
ほんの1、2時間話しただけだ。和解して、……会わない方がいいとか言われて。
「あ」
そういえば、抱きしめられました。
……なんて言える程明け透けではない。ただの感動の再会的なアレだとしても。
「何ですか?」
「……いえ。“呪い”で熱を出していたらしくて、お見舞いに行ったんです」
「なるほど。肌の接触は?」
「え。えーと、握手しました」
「それだけじゃないですよね」
んなことも分かるのか!? 怖いんですけどこの人。
「ちょっと、倒れてたので肩を……」
とりあえずそう誤魔化すと、水読は私を見下ろしたまま考えるように黙った。こちらまで目を合わせている義理はないので、私はそそくさと窓の外でも見る。星が綺麗だ。
「解せませんね」
ついでにそーっと離そうとした手を握り直して、水読が言った。
「何がでしょう」
「それ程の短時間で、火の方が勝る理由です。今までの水は皆飛んじゃってますよ」
「え!?」
そ、そ、それは、戦々恐々でここに寝泊まりした分の苦労がパァという意味だろうか。
「そういうことになりますね。近道、します?」
「いえ遠慮します」
ニコッと笑った水読に、私は微妙に仰け反り距離を取る。近道の内容は不穏なので聞かない。
「熱が出ていたというのは“呪い”の発作ですよね。そのせいでしょうか――ミウさん、体調に変化はないですか?」
「特には……」
「そうですか……それにしても、“泉の乙女”がここまで火に染まるなんて」
淡い色の目が興味深げに私を眺める。それはやっぱマズイ事なんでしょうか。何か分かったら教えて下さい、ではでは私はこれで。
そう言って立ち上がろうとした所で、止められた。上手いこと振りほどいたと思った腕は、まだその手に引っかかっている。
「クライン殿下とはどういう関係なんですか?」
「友達です」
私は即答した。ええい、袖口から指を差し込むのをやめろ。キモい!
「どうしてミウさんは落ち込んでるんですか?」
「落ち込んでませんよ」
手首の内側を撫でる指を叩き落としながら、私は今度こそ立ち上がり部屋に向かう。
「待ってください、ミウさん」
「何ですか」
「誰か来ます」
「え?」
立ち止まりじっと耳を澄ましてみると、確かに微かな足音が聞こえた。誰か、石段を駆け上がっているようだ。だんだん近づいて来たそれは、入り口の外で揉めるような声に変わる。
そして、扉が勢い良く開けられた。外の廊下から見張りのおじさん兵が顔を覗かせ、困惑気味に視線を送ってくる。
黒い髪と、猫のような大きな青い目。
「お前、何でここにいるんだ」
入ってきたのは、厳しい表情のアルス王子だった。




