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雨の冠  作者: 桃宮
5.日陰
40/103

12 白か黒か(3) -- 痣

「ちょっ……!」


 なんでそんなとこで倒れてるんだ!!

 丁度ソファ裏側だったので、陰になって入り口からは見えなかったらしい。私はすぐに駆け寄った。


「クライン王子!? しっかりして!」


 床に膝を突き、頭を抱き起こして声を掛けるが返事はない。ただ、苦しそうだがちゃんと呼吸はしている。

 よ、よかった……。

 抱えた頭を膝に乗せ、私はホッと胸をなでおろし――たいところだけど、そうも行かなそうだ。何しろ、伝わってくる体温が普通じゃない。額に手を当てるとかなりの高熱だった。どうしよう、とりあえず誰か呼んでくるべきか。それなら一度、どこかに移動させないと……。

 考えながら手を離したその時、クラインが微かに身じろぎした。痛むのか、白い手で左目を覆い小さく呻く。体を起こそうとするので、私はあたふたと手を貸した。


「だ、大丈夫ですか……?」

「…………」


 不安定な肩を支えて、ソファの裏側に寄りかからせる。意識はあるようだ。しかし、ぐったりと項垂れ荒い呼吸を繰り返す様子は、かなり心許ない気分になる。早いとこ医者とか呼んで来た方が良さそう。

 よ、よし、ちょっと待ってろ……!

 立ち上がり掛けた所で、クラインが呟いた。


「誰だ……」

「え?」


 私は一瞬固まった。

 誰って。


「美雨です、けど……」


 答えると、重たげに頭が動き薄く開いた目が私を映す。束の間ぼんやりと見つめた後、彼はうわ言のように呟いた。


「彼女は、来ない」


 諦めの滲む声に、胸がズキリと痛む。しかし、それを上回る強烈な違和感に動揺した。

 だって、目の前に本人が居るのに「来ない」とはどういうことだ。

 まさか――


「クライン王子、もしかして、目が……?」

「…………」


 その整った顔を、私はまじまじと見返した。汗の滲む額には前髪が一筋貼り付き、隙間からくっきりとした二重の目が片方覗いていた。けぶるような睫毛に縁取られた瞳は、熱に潤んでいる。

 予感めいたものを感じ、私は恐る恐る手を伸ばした。指先が柔らかい金の髪に触れ、眉に沿って髪を避けると、クラインは僅かに目を伏せた。

 隠れていた左目が現れた瞬間、私は息を呑んだ。


 目頭から目尻の先まで走る、赤黒い痣。


 蛇の舌のように次々枝分かれしたそれは、以前ならうっすらと赤く染まっていただけだった。だが今は、薄暗い部屋でもはっきり分かるほど色濃く変化している。

 確か、以前は植物の葉に似ていると思った。だけど、本当はそうじゃない。


 これは、炎だ。

 肌を焼き、黒く燻る焔の象形。


 普通なら、痛ましいと思うものなんだろうか。

 何らかの意匠に縁取られた瞳はいっそ艶めかしく、言いようのない妖しげな魅力を放っていた。本来の優れた造形と相まって、ゾクリとするほど美しい。


「ミウなのか」


 我知らず魅入っていた所に問いかけられる。ハッとして指を離すと、一瞬遅れてその手を掴まれた。


「え、あの」


 瞳は湖面のように輝いていた。私の髪が、窓からの光を跳ね返しているのだ。じっと見つめるそれは瞬く度に色を変え、ある瞬間、確信の篭ったものに変わる。


「ミウ」

「えっ」


 気がついた時には、柔らかな抱擁を受けていた。

 頬を寄せるようにして、背中を抱き込まれる。寄せられる体温が、まるで子供のそれのように熱い。

 安堵のため息が耳朶を打ち、我に返った私は大いに慌てた。


「あの、クライン王子……!?」

「クラインと」

「え、えっ?」

「……そう呼べと、言った」


 浅い呼吸を押さえて囁く。確かに以前、そんなことを言われたような気がする……けど、それ今指摘する所か? ていうか、私は何で抱きしめられてるの?


「触れていると楽だ」

「は、はぁ」


 よく分からない理由だが、昏倒したんじゃないなら良かった。しかしとても抱き返せる気構えは無く、宙に浮いた両腕はまさにお手上げ状態だ。

 なんか私まで顔が熱くなってきたし、とりあえず流石に恥ずかしいと主張したいのだけど、タイミング的にはいかがだろうか。


「あのー……」

「もう、会いに来ないと思った」

「…………」


 気まずくて身じろぎすると、背に回る力が逆に強まる。

 ぽつりと呟く吐息に、思わず胸が締め付けられた。やっぱり私、この人を傷つけていたんじゃ。でもそれなら、アルス王子は……。


「弟は、何と」

「えっ」


 クラインが、私の質問を先回りした。

 何と言われたか……一言で言うならさしずめ「私はあなたに騙されていて、売られたそうですが」だけど、とてもじゃないが私に面と向かってそんなことを言う度胸はない。しかも相手はこんなに具合悪そうなのに。


「ミウ」

「は、はい」


 しかし再度促され、観念して口を開いた。言い辛さを押して、なんとか適切な言葉を探す。

 塩湖に落とされることになった理由。そして、「私は騙されていた」と、聞かされた事を言うと、クラインはぐっと私の肩を掴んで身を離した。

 しっかりと目を合わされる。


「友人だと言ったはずだ。私はミウを裏切らない」


 静かに、しかしはっきり断言する声は一つの気取りもなく、ただ真っ直ぐ心に差し込まれた。逸らすことも叶わず、私はその瞳の中に真意を探った。金茶にも緑にも見える虹彩は蝶の羽のようだ。


「嘘を、見抜けるなら良いのに」


 固まったままの私に、クラインは苦しそうな息を殺して言った。


「え……?」

「私の言葉が、真実だと」


 そこで言葉は途切れ、部屋はしんと静まり返る。

 ……つまり、私に真実を見抜く力があればいいのに、という事か。その能力に関しては、こちらに来てからすっかり自信喪失してしまった。その一端を担うのは言うまでも無く、某ド嘘吐きに手酷く騙された経験だ……あの猫かぶりの完成度にも物申したいけど。

 ともかくそんなだから、私はいっそう慎重に、人の裏を警戒しようと決めたのだ。ここは私がぼんやり暮らしていた日常とは違って、もっと駆け引きとか陰謀とか派閥とか、色々な事情が身近に存在する場所らしいから。

 だけど。


「信じても、いいんですか……?」


 私の口からポロッと溢れたのは、そんな言葉だった。それは、前にこの人から問われたものと同じだと頭の隅で思い起こされる。


「ああ」


 クラインは静かに肯定した。肩を捕まえていた手の平が、腕をたどってそっと肘の辺りまで落とされる。


「疑っても構わない。ただ、覚えておいて欲しい。私の気持ちは変わらない」


 声はさざめきのように部屋に広がった。その余韻の中で、私は言葉を失った。

 私はやっぱり、騙されやすい性格なのかもしれない。だって真っ直ぐこちらを見つめる目を、どうしても疑えそうにない。

 この人は、私の知っているクラインだ。他人を陥れたりしない。

 私は腹を決めて頷く。

 それを目にしてようやく、クラインはほっとしたように少し笑った。




「大丈夫だ」

「駄目だと思います。今、倒れてたんですよ」


 その後、遠慮する所へむりやり肩を貸しクラインをベッドに戻した。

 どうやらこの人、先程は一人で庭に出ようとしていて気を失ったらしい。あんなにフラフラだったくせに無茶をする。その為に着たと思われる上着を預かりながら、私は気になっていた事を指摘する。


「あの、目は」

「平気だ」


 いやいや。平気だ大丈夫だって、そればっかりだけど、どう平気なんだ。思い切ってちゃんと見えているのかと追求すると、一時的なものでもう治ったと言われた。近頃は「発作」の際に視力が消え失せる事があるらしい。……やっぱり、さっきは見えていなかったのか。

 寝た方がいいのではと勧める私を、彼は半身を起こしたままさらりと躱す。


「ミウの顔を見たから、もう良くなった」

「……そんなこと言っても、何も出ませんよ」

「居るだけでいい」


 そう言う顔は殆ど無表情だが、よく見れば薄く微笑んでいる、と見えなくもない。判り難い冗談に、私も苦笑を返した。クラインの体調は、確かに回復したようだ。熱はまだあるだろうけど、少なくとも息遣いは随分落ち着いている。

 さて、そうとなれば。

 へらっと笑い返す頬を一旦引き締めて、私は改めて彼に向き合った。話したいことは色々あるが、まずは謝罪からか。


「あの、お手紙やお花、ありがとうございました。返事もせずにごめんなさい」


 ついでにこの前会った時のことも謝る私に、クラインは構わない、と言った。逆に、塩湖の件で謝られる。


「力が及ばずに済まない。ミウが無事で良かった。それから、弟を助けてくれてありがとう」

「…………」


 続けて言われたその言葉を、私は複雑な思いで受け止めた。一緒にいる所を見られているので今更だろうが、アルス王子と和解した事も伝える。


「お陰様で、良くしてもらってます。でも、その」


 あなたの事をめっちゃ警戒してましたが、何でですか。

 要約するとそのような意味のことを、私はしどろもどろに伝えた。気まずい話題に困窮する様子をクラインは静かに、しかしどこか不安気に見上げる。うおお、そんな目で見ないで欲しい。信用しようと決めたのだ、疑っているわけじゃない。


「塔の情報が、弟には間違って伝えられているのだろう」


 ソワソワと服のひだ飾りを弄ぶ私に、クラインはそう告げた。

 王様も言っていたが、“泉の乙女”を生贄にという解釈は、全く主流では無かったそうだ。アルス王子の処遇も同様だ。というか、それなら城も塔ももっと組織的に動いて大事になっていたはずだと言う。

 じゃあ何で、こんなこんがらがった事態に?

 兄であるクラインの事は信用せず、自らの命を賭ける程に追い詰められていたアルス王子。


 私は考える。

 人間関係が希薄な彼に、デマを吹き込んでいるのは一体。


「ブロット氏……?」


 ふと浮かんだ名前を呟くと、クラインは涼やかな目元を少し細めた。


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