11 白か黒か(2) -- お見舞い
椅子の上で膝を抱えて、窓の外を眺める。
庭と森、こまごましたドミノ並べのような城下街、遠く見える山々。今日もいい天気だ。また少し空が高くなった気がする。もう二、三日もしたら、また雨を降らせることになるだろう。私はまだまだ課題を抱えているけど、一見するとこの国はすっかり平穏を取り戻したかのようだ。うん、平穏をね。
手紙、来ない。
「ミウ様、落ち込んでいらっしゃいますね」
「ですから、お返事をされたらと申し上げましたのに」
「…………」
サニアやリコが「あーあ」という風にポソポソ呟くのを聞きながら、私は無言で黄昏れていた。壁に頭を預け、束ねられたカーテンに埋もれる。できるならばスッポリ隠れて、背景と一体になってしまいたい。
これまではきっちり二日置きに届けられていた音信が途絶えて数日。私は存外にダメージを受けていた。差出人をずっと無視し続けていた分際で、何とも身勝手な話である。しかも予想通りというか、こうなることを想定して行動していたのに。
「どうされたのでしょう。諦めてしまわれたのかしら」
「いいえ、いわゆる『押して引く作戦』ということも考えられますよ」
「まあ。そういう事でしたら、効果ありとお伝えしたいですわね」
「いやあの、そういうやつでは無いんで……」
飛び交う推測とハーブの香りの中に、私は今にも消えそうな声で割って入った。
「そうなんですか? 今までは、あまり詮索するのも失礼かと黙っておりましたが……」
「ミウ様がちっともお返事なさいませんから、わたくし達、一方的なご関係かと思っておりましたのよ」
「一方的……?」
思わず聞き返すと、二人は茶器を並べる手をピタリと止めてこちらを向く。
「クライン様がミウ様に言い寄っていらして」
「ミウ様はそれを拒否されてるのだと」
いやいやいやいや。
「あっても友情です、友情。最初からそういうのは欠片も無いですから。手紙の内容とかも超普通ですし」
「まあ、本当ですか?」
「本当ですとも!」
がばりとカーテンから抜け出し、きっちり訂正する。この私に、知り合ってほんの数日であのハイスペックな王子様に惚れられるような魅力があるとお思いか。
「ではどうして、これまでクライン様を避けていらしたんですか?」
「えっ」
サニアが少し迷った素振りで問いかける。
「そうですわ。以前は気が合うと仰っていましたのに」
「それは……」
私は答えに躊躇した。
実は、この二人に理由を話したことはない。質問してみようとは思ったことは何度もあったが、探りの段階でクラインが余りにも高評価なので、それ以上尋ねられなかったのだ。だって顰蹙買ったらどうしようとか思うじゃん? こちらで生活する以上、この二人とギクシャクした日にはメンタル終了のお知らせが届く。
しかし、今日はサニアの方から話題に切り込んでくれた。ここは私もいま一歩踏み込むべきか。
「聞こう聞こうと思ってたんですけど……実は」
クラインの本心が分からない。私を欺いていると言われ、接触を止められたこと。仲良くなったと思われたのは、上辺だけではないのかということ。
思い切って事情を説明すると、二人は真剣に聞き入り、
「そんなはずはございませんわ」
「そのお話は、アルス様から?」
思った通りの反応をした。私はこくりと一つ頷く。やっぱり、リコ達は「クラインに限ってそんなことは無い」と考えるようだ。
「ミウ様も、クライン様のお人柄はご存知でしょう?」
「そのようなお方でしたら、国王陛下の片腕となっておられませんわ」
曰く、そもそもクラインが“呪い”の矛先を逸らすために他人を陥れるというのがナンセンスらしい。塔の会議の代理を任されるほどだから王様との信頼関係は確実だし、神官たちとの関係も良い。わざわざ身内を売ったりしなくても、王族としても研究者としても有能な彼の立場は“呪い”程度で揺らぐものではないと言うのだ。
うーん、なるほど。言われてみればその通りか。顎をさすって唸る私を、二人はおいでおいでと手招きした。お茶の用意が整ったらしい。
「それに何より、殿下がご研究に就かれたのはアルス様の為と存じます」
「えっ?」
「クライン様はずっと、不治の病の活路をお探しなのですわ」
「勿論ご自身の為もあるのでしょうけれど、この度の国難以前から“乙女の黒”まで視野を広げていらっしゃるのは、アルス様を思われてのことに他なりません」
言われた言葉の説得力に戸惑う。
その感じなら、私が実際に目にしたクライン像と違和感なく一致する。でも、そしたらアルス王子がクラインを嫌う理由は一体どこに。
考え込む間に、私の前には蜂蜜入りのカップが置かれ、コポコポと音を立ててハーブティーが注がれた。部屋にはミントの湯気が立ち上る。
「ミウ様、アルス様の方は疑いませんのね」
「んー、そうですね……」
そっちの方が不思議と言いたそうなリコに生返事をする。
アルス王子を疑うのは今更だ。色々あった中での主観でしかないが、この件に関して彼が嘘をついているとは考えにくい。むしろ妙に心配されているし、王様からも水読からも特に気を付けろとか言われてないし……ってそこはクラインも同じだけど。
「つまり、その矛盾にお悩みだったんですか」
「……はい」
肩を落として同意すると、リコもサニアも納得したように頷いた。とりあえず二人が急によそよそしくなるということは無さそうで、ちょっと安心する。
「クライン様に関しましては、わたくしはやはり、信をお預けして宜しいお方と申し上げますわ。アルス様の方は、詳しく存じ上げませんけれど」
「そうですね。ご成人されたばかりですし、私達も顔を合わせる機会は殆どありませんでしたから。お二方が不仲とは、聞き及んでおりませんでしたが」
「そうなんですか……」
もう、誰の言ってることが本当なんだ……。というかなんで異世界まで来て、人間関係に頭を悩ませなきゃならないんだ。
こうして相談した事だし、リコ達が上手いこと真相を探ってきてはくれないものか。他力本願に望みを託し、私は溜息をついた。脳裏には、この前の庭での光景が浮かんでくる。
もし、リコ達の言うことが真実なら。
手紙の返事どころか礼もなく、顔を合わせても実質無視した私をクラインはどう思っただろう。
腹を立てたか、呆れて愛想をつかしたか、それならまだいいけれど、私は彼を無用に傷つけてしまったのではないか。それが気分が滅入る根本的な理由だった。
以前王様と水読の言う事が食い違っていた時は、水読に完全に嘘を吐かれていた。でも今度こそは、何らかの誤解が原因ですれ違っていると信じたい。
聞き出すなら、クラインからだ。
とりあえず返事出してみようかな……。
そう思ったちょうどその時。部屋の扉を遠慮がちに叩く音がした。サニアが応対すると、ドア口からハノンさんが顔を出す。
「どうされました?」
「ミウ様にお客様がお見えですが……」
「私に? 誰でしょう」
「クライン殿下の付き人と仰る方です」
クラインの付き人?
私はリコやサニアと顔を見合わせる。なんというタイミングだろう。
「……お通ししてください」
「畏まりました」
ハノンさんが再び引っ込むと、間もなく暗緑色のワンピースにエプロンを付けた50代くらいの女性が案内されてきた。白髪交じりの髪をきりりと引っ詰めた、厳格そうな人だ。
「突然のご無礼をお許しくださいませ」
彼女は部屋に一歩踏み込むと、入り口で深々と頭を下げる。
「わたくしはクライン様のお部屋の侍女頭を務めております、ケレン・ティーヌと申します。本日は、“泉の乙女”様にお願いがあって参りました」
お願い……?
「ええと……とりあえずこちらへどうぞ」
「いいえ、結構です。すぐにお暇致しますので」
勧めた椅子をを断って、ケレンさんは単刀直入に話に入った。
「お願い申し上げるのは、クライン様の元へご訪問頂きたいという旨でございます」
「えっ?」
「クライン様は、数日前から床に臥せっておいでです」
予想外の知らせに、私達ははっと息を呑む。
「この数日は日没後も熱が下がらず、大変お辛そうなご様子でいらっしゃいます。通常なら夜間は症状が治まりますのに」
熱? 夜間は症状が収まる……?
ただの風邪という話では無さそうだ。私は呆然と聞き返す。
「それはあの、もしかして……」
「“呪い”の症状でございます。――クライン様は、病床でも貴女様の事を気にかけておいでです。文のお返事も何日もお待ちでした。その事について、わたくしは何か申し上げる立場にございません。ですが、ただ今この時、クライン様の為にそのご心労を一つでも減らして頂きたく存じます」
そう言ってケレンさんは再び深々とお辞儀をした。
それを前に、私は動揺していた。臥せっているなんて、大丈夫なんだろうか。そんな状態でも私の心配をしてくれているなら、訪ねて行かないのはなんとも恩知らずだ。でもアルス王子に言わせれば、即答で「それは罠だ」とか言われそうな内容でもある。
「ミウ様……」
「…………」
様子見に徹するのも、そろそろ限界か。
こちらを見るリコとサニアに、私は頷き返す。
「ぜひ、お伺いさせてください」
返事をすると、顔を上げたケレンさんは、改めて目礼した。
◇ ◇ ◇
ケレンさんの案内で、私は王宮の廊下を歩く。リコとハノンさんも一緒だ。
「こちらでございます」
久々に訪ねたその部屋に到着すると、テラスのある応接間を抜けて更に奥への扉へ通された。こっくりとした飴色に磨かれたドア板には、植物や鳥を象った見事な彫刻が施されている。クラインの寝室だそうだ。
見るからに特別なその扉の前に立ったのは、私一人だった。リコ達は応接間で待つらしい。一緒に来てもらえると思っていた私は少し焦ったが、礼儀的な問題なのか何なのか同行願える雰囲気ではなかった。アルス王子に直接「止めろ」と言われていたハノンさんでさえ、付いてくる気配がなかったのはどう考えればいいんだろう。
「…………」
いや、ドアを眺めていてもしょうがない。ひとまずノックしてみる。耳を澄ませて少し待ってみたけれど、返事は無かった。寝てるのかもしれない。
「……クライン王子、ミウです。入りますよ」
私は一応声を掛けて、金色のノブを回した。
そっと中に入ると、靴の裏にふかふかした絨毯の毛足を感じた。日除けに白いカーテンが引かれていて、室内は少し薄暗い。思いのほか家具の少ない部屋は大きな本棚ばかりが幾つも置かれ、寝室というよりは書斎のようだった。
「クライン王子?」
なるべく静かにドアを閉め、角の方に見つけたベッドに向かって呼びかける。やはり返事は無い。
しんとした空間に、妙に緊張してくる。
微妙に身構えつつ、私はベッドに近付いた。天蓋から垂れる幕の隙間から、息を潜めて中を窺うが……。
「……あれ?」
人が寝ていた形跡があるものの、そこには誰の姿も無かった。
――クラインは、この部屋に居るんじゃなかったのか?
臥せっていると聞いたけど、寝ていないならどこに。
訝しく思い部屋を見渡そうと振り向いた所で、心臓が凍りついた。
床に散らばる金の髪。
重なるように投げ出された、しなやかな手足。
視線の先に見つけたのは、倒れ伏す部屋の主の姿だった。




