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雨の冠  作者: 桃宮
5.日陰
37/103

9 乙女の条件(2)

 「フィニアヴェラ」、または「アヴェラ・フィニ」。

 無理やり日本語で言い表すとしたら、そんな感じか。


 これは私がこちらで一番最初に覚えた単語、メルキュリア語で“泉の乙女”という意味だ。この国の言語は一種類だから、正確には「何語」という概念は存在しないけれど。

 二つの言葉はどちらも同じ意味だが、後者の方が少し畏まったニュアンスがある。「フィニ」が泉の、とか水の、水から出た、という意味で、「アヴェラ」が「乙女」を表す。この単語を小声で何度も転がせば、「若い女性」の他に、「処女」の意も持つことをぼんやり感じられた。


「まさか、ご存じ無いとは思いませんでした。その条件のせいで、そんなに怖がってらっしゃるんだとばかり……ともかく、今お知らせできて良かったです」

「…………」


 私が“泉の乙女”の条件について聞かされていなかったのは、あまりにも当たり前のことだった為だ。確かに、呼称そのものがそういう意味なら、一々問うのもおかしな話である。


 私は壁を背に水読と睨み合ったまま、改めて自分の立場を振り返った。

 なるほど、これまで妙に若く見られたのは“泉の乙女”として考えられる年齢に見積もられたからだろう……と思いたい。

 以前リコたちに、こちらの女性の婚期は平均して20歳前後だと聞いた。農村などは比較的結婚が早く、上流階級に行くほど遅くなるが、それでも20代半ばにもなれば未婚の女性は珍しいという。

 でも、年齢のことはひとまずどうでもよくて。


 水読に関して、王様に相当な注意喚起を言い渡された事は記憶に新しい。あれは私の為でもあり、国の為でもあったのだろう。この国にとって、当面“泉の乙女”は必要不可欠なはずだから。

 水読はそのことにも言及しながら、自分はそういう意味でも危害を加えるつもりはないと言った。


「ですから、そんな壁になんて貼り付いてなんていないで座りましょうよ」


 微笑みながら入り口まで音もなく歩くと、どっしりした椅子をよいしょ、と持ち上げる。


「それは、そのままで」


 私は、こちらに椅子を運んで来ようとする水読を制止した。私の横にあるもう一脚と手元の椅子を見比べ、水読は驚いたように言う。


「え、だってミウさん遠いですよこれは」

「座るならそこで座っといてください」

「あれっ、まだ警戒してるんですか……?」

「当然です。あなたの言う事、全部嘘じゃないって言い切れないですから」

 

 私は油断無く見張りながら答えた。

 だって、水読がどれほど女癖が悪くて、私みたいなのにまでちょっかいを出す物好きだとしてもだ。“泉の乙女”の条件を本当に理解しているのなら、滅多なことはしないだろう。今そんなことをすれば国が傾くレベルで問題が起きるし、自分で自分の首を絞めるようなものである。

 それなのに王様があれ程不信を示していたのには、何か理由があるんじゃないか。


「それは誤解ですって。レオは僕のこと、世捨て人と思っている節がありますから」

「……世捨て人って」


 国の存亡より個人の快楽に走りそう、とでも思われてんのか。


「そんな感じじゃないですか。まあ結構色々どうでもいいので、全くの間違いでもないですけど」

「ええぇ……」


 投げやりな発言に後退る。この手の人間に能力や権力があるのって、一番ヤバイんじゃないの。大丈夫かこの国。そして私。


「でも、ミウさんは安心してくださいね。ちゃんと向こうにお帰しします。ですから、そんなに怖がらなくて大丈夫ですよ」

「近寄らないでください」


 再度鋭く止めると、ニコニコして勝手にこちらに足を進めようとしていた水読は、困り顔で首を傾げた。


「うーん、今の言葉には一つの嘘も無いんですが……」


 私だって、今までのあれこれがなければ、こんなに疑う必要もなかったんですが……。


「どうしたら信用してもらえるんでしょう。最悪、レオに証人でも頼みますか? ものすごく気が進まないですが」

「王様の前で本当だと言ったところで、またあなたの舌先三寸なら、意味なんてないんじゃないですか」

「それはないですよ、ミウさん。流石の僕でも彼に偽りを通すのは骨ですから、多少の意味はあります」


 多少かよ。


「彼は嘘を見破るそうですよ。……本当に僕は、貴女の資質を損なうつもりはないんです」

「それ、私を油断させるための言葉じゃないって証明できますか」

「ミウさん、本当に疑い深くなっちゃったんですね……」


 だから誰のせいだって。

 水読は、ふう、と軽く息を吐いて椅子の背に腕を乗せた。ゆったりした袖口が、繻子張りの背もたれを覆う。

 そして私の方をまっすぐ見て、いつもの落ち着いた声で語り始めた。


「この国にとっても大切ですが、私にとっても“泉の乙女”は特別なんですよ。水読は常に世にたった一人、通常他の水と相まみえることは生涯ありません。王族と違って血縁も増えませんしね。ですから私は、この幸運にとても感謝しているんです」


 水読は、私に何らかの力を感じたり、水の感覚を共有できることが嬉しいと言う。なまじ普通の人間とは違うため、能力や感覚を理解してもらえることはまず無いらしい。

 そして、いつかは帰るという事は残念だけれど、それが“泉の乙女”の道理だと考えてるのだと私に言った。


「先代の“乙女”は、水に消えたと言います。ご存知ですよね?」

「“悲恋の乙女”という人ですか」

「そうです」


 私は壁に背を預けたまま頷いた。その呼称は、今日借りた本の中に出てきたものだ。


「彼女は生贄になったんじゃないんですよ。故郷に帰ったんです」

「えっ」


 驚いて身を乗り出す。

 本に書かれていたのはただ「低き水に消えた」と、それだけだ。その他には何の記述もない。なのに何故、水読はそんな事を知っているんだろう。“泉の乙女”に関してはあの本が一番詳しいと聞いたんだけれど、やっぱり別の資料があるのか?


「それはだって、水読ですから」

「はぁ……」


 不審そうに見る私に、水読が笑い掛ける。


「ね、ミウさん。今朝のことでしたら謝りますから、こちらに来てください。雨、呼びましょう? 心配なら、見張りの方に立ち会いをお願いしたって良いですよ」

「…………」


 瞬く瞳は美しく澄んでいて、とても嘘を言っている様には見えない。でも、それが水読なのだ。見た目はあてにならない。

 らしくなく譲歩された発言を、私は慎重に吟味した。完全に信用できるまでに至らないけど、言っている事が矛盾している訳ではない。


「……私の嫌がること、もうしませんか?」

「勿論、お約束します。僕、本当に女性に無理強いはしない主義なんですよ? 貴女に怖がられるのは不本意です」


 無駄を承知で問うと、そう返された。果たして、その言葉を信じて良いものか。

 うーーーん……。


 穴を開ける勢いでじーっと水読を見定めた後、私は決断する。

 祈雨に関しては、居間で行うことを条件に協力することにした。だってこればかりは、いくら水読が嫌でも断れない。肉を切らせて骨を断つ、というやつだ。


「これでまだ変なことしたら、私はもう水読さんのこと二度と信用しませんから」

「わかりました」


 しつこく念押しをして、居間の長椅子に移動する。


「額を合わせる必要性って、本当にあるんですか」

「ええ、そこからですか?」


 隣に掛けて向き合うと、私は距離を詰められる前に質問した。今後のためにも、納得できる理由があるのかは聞いておきたい。


「ありますよ。額は読み取り器官みたいなものですから。あ、これ結構重要な秘密なので内緒にしてくださいね」

「はぁそうですか」


 その割には軽いな。


「水読はここで”読む”んです。これが目印です」


 彼は白い指先で自分の額を示した。そこにはうっすらと、小さな逆涙型が浮き出ている。


「ちなみに印は胸にもあります。そちらは別の役割ですけれどね。あ、お見せしましょうか?」

「結構です。そういうのも止めてください、セクハラですよ」

「セクハラって何ですか?」

「性的嫌がらせです。言葉も含まれます。そのつもりが無くても、相手が不快と感じたら該当します」

「……結構厳しいですね」


 約束したんじゃ?

 そんな意を込めてじろりと見ると、水読は慌てて姿勢を正す。


「で、続きは?」

「ああ……ええと。僕が額で触れることで、ミウさんの力の質や量を読みます。干渉すること自体は主に肌で行いますが、それだけだと手探りになりますから。目安があった方が円滑です」

「それなら今朝みたいに、私は手でいいじゃないですか」


 水読は額で触れて、肌も接触する。


「同じ箇所を合わせる、というのが大事なんですって。僕が外から貴女の体を使うわけですから」

「…………」


 何か嫌だなぁ、その表現。


「額合わせる以外に方法はないんですか?」

「ありますよ。そちらにします?」

「……いえ、結構です」


 意味あり気に笑みを深めるのを見て、私は慌てて首を横に振った。あまりにも嫌な予感しかしない。


「じゃあ、始めましょうか」


 両手を出すように言われ、私は観念して腹を括った。従うと水読はこの前のようにそっと手を握り、俯く私の額に自らの額を合わせる。

 ひさしのような銀の睫毛が伏せられた後も、怪しい動きがないか見るため、私は目を開けていた。

 ほんの数十秒で、張り詰めていた気持ちとは裏腹に、儀式は何の問題もなく終わった。ゆっくりと目を開けた水読に合わせて、即座に手を引っこ抜く。

 しかし頭上に掛かる影から抜けだそうと身を引いたとき、不安気に揺れる瞳がすっと追いかけてきた。そして再び顔を近づけて、尋ねる。


「……ミウさん、口付けまではいいですよね?」


 私は、思いっきり水読を突き飛ばした。


「何言ってんですか、良い訳ないでしょう!!」

「ええっ、なんでですか!?」


 なんでも何もあるか。

 水読は後ろに半分転がりながら、驚いた顔で抗議する。


「じゃ、じゃあぎゅってするのは!?」

「ダメに決まってるじゃないですか!」

「まさか……手を握るくらいしか許して頂けないんですか?」


 それも別に許可した覚えはないぞ、この色狂いが。


「用のないときに触らないでください。それが普通です」

「えぇ……」

「というか、なんでそんなにベタベタしたがるんですか。あなたが遊び人だろうが女泣かせだろうがどうでもいいですけど、その対象に私を含めるのはやめてください。歓迎してくれる、もっと綺麗な人でも当たればいいでしょう」


 さっさと立ち上がって距離を取ると、水読は身を起こして弁解した。


「僕は、ミウさんに出会ってからは貴女一筋ですよ」

「そういうこと言うから信用出来ないんです」

「本当ですって。毎晩ここにいるじゃないですか」


 それはそうかもしれないが、まだたったの3日目だ。


「それよりミウさんこそ、酷いじゃないですか」

「は?」

「10数える程度と言ったのに……」


 拗ねたように言われて、私は少々苦い気持ちで見る。そうだ、そういうの分かるんだったっけ。プライバシー無いな。


「……足りないよりいいじゃないですか」


 指摘されたのは、アルス王子との接触についてだ。


「あの方、幾つになられたんでしたっけ」

「15だそうです」

「ええっ、もうそんなになったんですか!? まだ11かそこらだと……」

「知らないとかあり得るんですか……」


 仮にも王弟だぞ。

 呆れていると、水読は何か考えるように首をひねった。


「やっぱり、次回からはこちらに来て頂くことにしましょうか」

「こちらって、この部屋ですか? なんか、塔には顔出しにくそうでしたけど」


 ブロット氏が、例の塩湖のことで風当たりが強いような事を言っていた。


「そうですか。僕としては、あの件については寧ろ褒めてあげたいんですけどね。確かに黒髪をやっかんだり“呪い”が云々などという無知も居ますが、そんなものはどうとでもできます。所詮只人ですから」

「はあ……」


 この人、案外毒吐きだよね。でもまあ水読が味方してくれるとなれば、アルス王子も喜ぶだろう。自分の価値を再確認できていいかもしれない。そう言うと、水読はつまらなそうにツンと口を尖らせた。


「別に、私はアルス殿下の味方ではありませんよ」

「え? でも」

「目の届かない所で、貴女に触られるのが嫌なだけです」

「……あ、そうですか」


 一瞬フリーズしかけて、私は慌てて軽く流した。その様子を見定めるようにじっと見つめて、水読は続ける。


「あの塔兵にしたってそうです。いくら神官長の実孫だからといって、若い男を近衛に付けるなんてどういう了見なんでしょうね」

「いや、あの人に関しては適任の気がしますけど」

「なんでミウさんは、彼を信用するくせに僕のことは疑うんですか」


 だから、日頃の行いだっつーの。


「男なんて、いくら表面が誠実そうでも頭の中はたかが知れてるもんです。あまり信用しない方がいいですよ」

「それを、あなたが言いますか……」


 新手のギャグにしか聞こえない。私が溜息をつく横で、水読はぶつぶつと勝手につぶやいている。


「それにしても、もう15歳でしたか……うーん、今後はクライン殿下の方が良いですかね……」

「彼は良いんですか?」


 丁度名前が出たところで尋ねてみた。この人の基準が分からない。


「ええ。あの方、大層な禁欲主義者と聞きますから。塔や水にも造詣が深いそうですし、その辺の神官より神官らしいんじゃないですか? とりあえずあの三兄弟の中では、一番まともだと思ってるんですけれど」

「へえ」


 人のこと、まともとかまともじゃないとか言える立場なのか。突っ込みたいのをぐっと堪らえ、私は神妙に頷く。


「ですが言われてみれば、絶対という事は……ここはやはり、難しくてもレオに頼むべきでしょうか。でもレオにしたって僕がやりにくいだけで、結局条件は同じとも……」

「あの。とりあえずその中にあなたより危険な人は居ないと思うんで、余計な心配しないでください」


 その色恋ばかり詰まっている頭はどうにかならないのか。

 げんなりしながら、私は考える。

 水読から見ても、クラインの評価は高いようだ。やはり、アルス王子やブロット氏とは話が違う。この点については王様に聞いてみるのが手っ取り早い気がするけれど、尋ねて良い質問なのかが不明だ。身内の不和なんてすごく聞きにくい。というか、聞ける自信がない。


 そうこうしている内に、小さな音が聞こえ始めた。


「ほら、降って来ましたよ。今回は早かったですね」

「本当だ……」


 窓の外で、雨が降り出した。

 理由はわからないけれど、条件を既に満たしていないはずの私も、変わらず“泉の乙女”らしい。なんでだろう。もしかしたら、その条件自体が間違った伝承なのかもしれない。


 ただ、その事は迂闊に口外しない方が賢いだろうと思った。

 だって、自分の身を守る手立ては一つでも多い方が良い。

 今のところ一番ヤバイのは水読だけど、他にも物好きな変質者が居ないとは言い切れないじゃないか。この条件が国の命運に関わるとなれば、何かあった時は強力な切り札になるはず。


 絶対、誰にも言わないでおこう。

 雨の音が響く中で、私は固く心に誓った。

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