7 訪問(2)
それからは、しばらく二人で話し込んだ。
雨が降った時のこと。
塔に移ったこと。
今付けて貰っている稽古のこと。
ここ一週間程の出来事について、アルス王子は何でも詳しく聞きたがった。どこまで話していいのかわからないけれど、特に口止めもされていないので、私は問われるまま答える。
手を離すタイミングは完全に逃してしまったが、代わりに気まずさも薄れて来たので、そっちは最早そう言うものとして放置する事にした。
会話の間、癖で相手の顔をじっと見てしまう私に対し、アルス王子は殆どどこか別の方を向いていた。風が吹くたびにふわふわそよぐ黒い巻き毛に遮られ、私の方からは目元が見えない。
――何度見ても、本当にフランス人形みたいな顔かたちだなあ。
彼がこちらを見ないのを良いことに、私は話しながら遠慮無くその横顔を観察していた。はっきり言って見飽きない。白い頬の、まだ丸みが残る幼い感じとか。ツンとした鼻と口元は彼の猫っぽい印象を作ってる要素の一つで、横から見ると特に可愛い感じがする。唇は口紅もしてないのに、赤くてぷっくりしててサクランボみたいだ。髪も黒いしこの色合い、まるで白雪姫だなぁ。
いやー綺麗な子だよほんと、写メ撮りたい。
「……あんまりじっと見るな」
「あ。失礼しました」
気まずそうに言われ、私は慌てて視線を外した。バレてたか。
さっと顔の向きを変えた時、出窓から入り込む風で日除けの布が大きく膨らみ、後ろからそれぞれの体を包む。
アルス王子がポツリと言った。
「この前のも雨のためか?」
「え?」
「確かめたかったとか言ってたやつ」
「あー」
バルコニーでの話か。
「あの時は雨というか、何かその『力』?を察知できるかなーと……」
そう答えると、アルス王子は小さな溜息と一緒に「やっぱそっちの話か」と呟いた。そっちってどっち。
「触ると分かるのか」
「うーん……」
「今は?」
私は改めて自分の手に意識をやった。でもやっぱり何も感じない。水読の言うように何らかの「力」がこちらに流れ込んでくるというなら、そういう感覚があっても良さそうなものなのにな。
「あはは、全然分かりません。王様のは分かったんですけど――」
「…………」
「……いや、えーと。そういう力があっても、似すぎてて分からないのかも。水読さんに私、アルス王子とは馴染みやすいとか言われたんですよ。三番目だし黒髪だし」
うっかり王様と比較するようなことを言ってしまったので、慌ててそう付け加える。内容は適当だけど。
これまで接していた中でなんとなく、私はアルス王子が王様に対して劣等感を持っている事を察していた。まあ、あの王様となると無理はない。規模はものすごく違うけど、私も、出来た兄を持つ末っ子の気持ちならよくわかるしね。
「俺はさ」
フォローが終わると不意に、アルス王子がこちらを向いた。今日の晴れた空のような青い目が、窺うように私を見る。
「俺は……」
「……?」
この前のように、何か言いかけては口篭るとふいと目を逸らす。
私は続きを待った。大きな目が何か言いたそうなのは伝わるが、それが何かまでは流石に読み取れない。
夜会った時は、もっと素直でわかりやすい気がしたのにな。今日は少し大人しい感じがする。
そういえば、彼を陽の光の下で見たのは初めてだったかも。明るいから、カールした黒い睫毛の一本一本や、白目が透き通って青みがかっている所まではっきり見える。目尻はほんのりと色づいて、それはもう大変可憐だ。
またしてもうっかりしげしげ眺めていると、アルス王子は開きかけていた口を完全に噤み、再び横を向いてしまった。
すいませんでした。もうガン見しないんで続きどうぞ。
「……いい。何でもない」
引かれてしまったらしく、謝っても問い直しても、もうそれからはずっとそんな調子だった。
その内、入り口の方からノックが響いた。
「あ。お時間ですかね」
私はゆっくり立ち上がった。さり気なく手を離し、グラスを持ってテーブルへ戻ると入り口から聞き覚えのある声が響いた。
「アルス様、お邪魔して宜しいでしょうか……?」
「入れ」
気が抜けたような溜息の後、アルス王子がそう返事する。そうして入ってきた新たな訪問者は、私も見知った人物、ブロット氏だった。やっぱり今日も、ヒョロリと頼りなさげで陰気な顔をしている。
「お、お寛ぎの所、申し訳ございません……お久しぶりでございます……これからお出掛けになると伺いまして、ご挨拶だけでもと」
ブロット氏はどうやら、めでたくアルス王子の謹慎が明けたので、顔を見せに来たらしい。同時に一番奥にすっと入ってきた年配の侍女が、こちらに視線を寄越す。アルス王子がじろっと見返すと、彼女は一礼してまた出ていった。多分、出発予定時刻であるのは確かなんだろう。
その後ブロット氏も交えて二言三言交わし、アルス王子は会話を切り上げた。
私も、お礼を告げて帰る事にする。とそこで、もう一つ用事を思い出した。
「そうだ、帰る前にあの本の題名を知りたいんですけど」
「本? ……ああ、あれか。馬車で見せたやつだろ」
「それですそれです。あの、もしよかったら貸して貰えたりすると……」
「あー、いいよ」
アルス王子はあっさり頷いた。やった。これでリコ達に頼む手間が省ける。
「つーかあれ塔の本だから、そのまま持ってっても……」
「えっ、本当ですか!?」
「……いや、やっぱ駄目。返しに来い」
「は、はい」
持ってってOKだったらそりゃ楽だけど、よかった、貸すの自体が駄目じゃないなら十分だ。
「もしかしてまだ読んでました?」
「……別に。ちょっと待ってろ」
そう言うとアルス王子は奥のドアに消え、すぐに一冊の本を手に戻ってきた。
「これだろ?」
「そうです! ありがとうございます」
一度だけ目にしたことのある分厚い本に、私は目を輝かせた。これずっと気になってたんだよね。でもタイトルも分からなかったし、何となく聞きそびれて入手できなかったのだ。
「これ、いつ返せばいいですか?」
「別に、いつでも。また来るんだろ」
「はい。多分」
「じゃ、その時でいい」
いつとは言えないが、水読に言われれば協力してもらう必要がある。
ポンと渡されたそれを、私はしっかり抱え込んだ。そしてホクホクしながら暇を告げようとした所で、
「ミウ」
今度はアルス王子に呼び止められた。
「はい?」
「次も俺に言えよ。あいつは使うな」
「……あ、はい」
少し考えて、私は頷いた。
あいつ、っていうのはクラインだ。アルス王子は彼について、事あるごとに警告する。それが嫌悪なのか恨みなのか経験則なのか、何なのかは分からないけど――本当は、クラインの事を一番気にしているのは、この子自身なんじゃないだろうか? どうしても無視できない存在、みたいな。
私の中では、彼に関してはやっぱりまだ「保留」だった。アルス王子の忠告は一応重視しているけれど、それと周りの反応が結びつかないのがどうしても引っかかる。
例えば水読。彼は塔の人間だ。クラインの評判もそれなりに知っていると思う。王様とも、ある程度情報を共有している感じだし。でも特に「クラインには注意しろ」とかは言わなかった。雨の為に、クラインかアルス王子のどちらかと接触するように、と言ったのだ。
また王様自身からも、特別何か言われた事もない。普通に信頼してそうだった。クラインが幾ら切れ者でも、兄弟という距離であの人を欺けるものだろうか。
他にも、アプリコット達の話は。
送られてくる花と手紙は。
私の接した「彼」は。
考えれば考えるほど、違和感が際立つばかりだ。
「ブロット。塔までこいつ送ってけ」
「承知致しました、アルス様!」
物思いに耽っていると、アルス王子が何やら指示を出していた。私はハッと顔を上げる。ごめんブロット氏、また居ること忘れてた。ていうか壁際を見れば、結構みんな居た。ジルフィーとか、この部屋のメイドさんとか。
で、今なんか送ってけとか言ってなかった?
「あの、ご心配なく……?」
謎の気遣いだな。ジルフィーが居るし、これ以上ぞろぞろ付き添いはいらないんですが。
「いいから、連れてけ」
幾ら遠慮しても意味はなく、結局強引に承諾させられた。部屋を出るとブロット氏は、私とジルフィーの後からのそのそ付いてくる。城の中は一体、どれだけ危ないってんだ。
◇ ◇ ◇
「――実はアルス様は、レオナルド様やクライン様とは腹違いにございます」
「ええ、そうなんですか!?」
「はい。陛下の後に“呪い”が出ました為、先代様は別の筋からもうお一方、妃を迎えられたのです」
それは初耳だ。驚きつつ、神妙に頷く。
私は今、中庭の一角で立ち話をしていた。相手はブロット氏だ。
ジルフィーの存在にビビリながらも同行してくれた彼は、自身も塔に戻る所だと言った。
じゃあついでだし良いかと、私は部屋を出た後、歩きながら氏に事情を尋ねてみた。つまり、アルス王子があんなにもクラインに敵意を持っている理由をだ。なるべく多くの人の話を聞いておきたい。
しかし、ちょっと話をするにもこの“泉の乙女”という身分は厄介だった。ジルフィーが物理的に間に入る為、歩きながらでは結構話しにくい。
ブロット氏は一応、例の事件について、表向きはどうにか無関係となっいる。でも依然塔にとっては、アルス王子と並んで要警戒人物の一人でもある。
更に今聞きたい内容も、あんまり大っぴらに語れる事ではないので、私たちは非常に不自由な会話を強いられた。
だってクラインの話題から、うっかり事件の詳細にでも触れたらエラい事だし。というか、自分がやらかしそうで怖い。
そういう訳で私とブロット氏は、見通しの良い中庭の木陰で不自然に向かい合い、文字通り立ち話をしているのだった。話声が聞き取れない程度の距離から、ジルフィーがじっとこちらを見張っている。私の「ブロット氏と二人で話したい」という要望は、ギリギリこのレベルで叶えられた。
「アルス様が二つになられた時にお后様が、七つの年にご側室のお母上様が、そして九つの時、お父上であらせられます先代様が崩御されました」
私の質問について、ブロット氏は「根の深い問題でございます」と前置いて、アルス王子の身の上を語った。
「周囲の者は、これらを皆アルス様のせいだと言うのです。不吉な呪いのせいだと。……勿論、根拠のない話でございます。お后様は元々お体の弱いお方でしたし、お母上様も――呪いのことを気に病んでおられましたが、それがどうしてアルス様の咎になりましょう――。先代様は定かではありませんが、過労と。殆ど眠らないと言われるお方でございましたから」
ほうほう……。
「クライン様とて、“呪い”があるのは同じ事でございます……しかし彼の方は、それについて悪し様に言われることは少ないのでございます。その咎は殆ど、アルス様がお引き受けになっておられるのですから。クライン様は幼き日はご両親に、またその後は塔に守られて生きて来られた方にございます。またアルス様と違い、お髪の色を引き合いに出されることもございません。彼の方は長らく、アルス様を隠れ蓑にされて来たのです」
ブロット氏の話によれば、アルス王子に関して“乙女の黒”を“呪い”で穢したと騒ぐ声も、クラインが裏で糸を引いていた為だと言う。
「ですのでどうか、クライン様にはゆめゆめお気を許されませんよう。やはりわたくしも、彼の方とは一切の接触を断たれることをお勧め致します」
そう締めくくって、氏は口を噤んだ。
一連の話に、私は何の言葉も返せなかった。
だってね、重い。超重い。
クラインの事も含め、アルス王子ったらなんとも壮絶な家庭環境だ。波瀾万丈過ぎる。王子様という時点で今更かもしれないけれど。
それに加えて“呪い”による早死の宿命と、身体的な痛みがある訳でしょ。家族仲良好、父母兄弟も自分自身も健康に暮らしてきた私では、とてもじゃないが想像がつかない。彼の性格のひねくれ具合があの程度で済んでいるのは、もしかしたら大分マシな結果なのかも。
因みにその辺りは、このブロット氏の尽力の賜物ではないかと推測する。
彼がアルス王子と関わるようになったのは、先代の王様が亡くなってからだそうだ。塔に出入りするようになったばかりの氏と、幼くして両親を失ったアルス王子は、偶然にも縁あって不安な身の上を慰め合う友人同士になったそうだ。この辺は、物凄く熱く語られてちょっと引いた。
下っ端神官の氏にとって、目に見えてアルス王子の支えになっているという事実は、大変誇らしい事らしい。まあ、それもそうか。とりあえずこの人にもアルス王子にも、お互いを除いてまともに友人と呼べる相手が居ない、ということだけは察せられた。
「わたくしはアルス様が不憫でならないのです」
ブロット氏は、陰気な顔を更にさめざめと曇らせた。
「“呪い”の為に不自由が多く、あの方は広い城の敷地の中、殆どの時間をお一人で過ごされます。“泉の乙女”であらせられるミウ様はどうか、アルス様の味方になってくださいませ」
「はい……」
相変わらず涙腺が弱いらしく、氏の目はちょっと潤んでいた。私は私でそれを見て若干目頭が熱くなっているので、あんまり人のことは言えない。でもギャラリーが居る手前、これ以上の涙は我慢しよう。庭の真ん中、微妙な距離で棒立ちしてメソメソ泣く大人二人なんて不審過ぎる。
そんな怪しい光景を、ジルフィーは最初の位置から微動だにせず、無表情でじっと見ていた。




