6 訪問(1)
「そいつ、何だよ」
「え? ああ、えっと護衛についてくれることになった方で……」
「そういうことじゃなくて」
紹介すればいいのかな、と口を開いたら遮られた。違ったか。
「普通、控えは外だろ。何で中まで付いてくんだよ」
「そ、そうなんですか?」
不機嫌そうな声を、とりあえずまあまあと宥める。
私は朝食後、アルス王子の自室を訪ねていた。
朝の流れで予定を聞いてきてもらうと、その返事はすぐに戻ってきた。なんでも午後から用事があるそうで、「その前なら空いているからとっとと来い」との事だった。
しかし数日ぶりに顔を合わせた王子様は、見慣れない人物の存在に警戒心も剥き出しだった。城は同じ建物と言えど殆ど集合住宅みたいな状態らしく、各部屋に広い玄関や客間がある。ジルフィーを伴ってその客間に入った所で、今の会話だ。
「大体お前も、こういう時まで付いて来られて嫌じゃないのかよ」
「え、と、嫌とかは……お仕事ですし……?」
私は目を泳がせた。本人の居る前で、そんな答えにくい質問をしてくれるな。
そもそも嫌とか嫌じゃないとかでどうにかなるものでもないし、「こういう時」ってのもよく分からない。プライベートってこと? でも今は私も用事があって来てるから、“泉の乙女”を職業と捉えればオンタイムと言えるんだけど。
色々と率直には言えない理由をよぎらせつつ、案内されて奥へ向かう。高級そうなカーペットを踏みしめ、アルス王子はさっさとテーブルセットの所へ歩いた。その間に、素早くお茶の用意を終えた世話役たちが部屋を出て行く。控えは外ってのはつまり、そういうことを指しているのだろう。
しかしジルフィーが自分で出て行かない以上、私にはどうしようもない。作法とか謎だし、彼に指示を出すというよりは寧ろこっちが指示してもらいたいくらいだし。
よし、ここは笑って誤魔化すか。
「……とりあえず、座れば」
ヘラリとした愛想笑いを浮かべる私に、アルス王子は呆れた顔で言った。
ジルフィーに椅子を引いてもらい、そろりと席に着く。
アルス王子はそれを横目で見ながら、テーブルに浅く腰を預けていた。椅子には座らないんだろうか。全くお行儀良くないはずだが、如何せん見た目が大変にノーブルなので、様になってしまって文句を付けにくい。私がやったら一発で叱られそうなのに、美形マジック不公平です。
ボケっとそんな事を考えていると、アルス王子は手を伸ばし、用意されていた水差しからさも詰まらなそうにグラスに中身を注いで私に差し出した。
「ん」
「あ、ありがとうございます」
アイスティーかな。ガラスの水差しの中には輪切りのレモンのようなものがいくつも浮いていた。
「失礼します」
「え?」
グラスを受け取った途端、突然横からすっと手が伸びてきて私の手からそれを奪った。誰かと言えば、椅子の後方に控えていたはずのジルフィーである。呆気に取られて見ていると、彼はそのままグラスを口元に運び一口含んだ。え、何で?
「こちらを」
口を付けたグラスを渡され、私は呆然とそれを手にする。
当たり前だけど、喉が渇いていたとか、そんな理由では決してないだろう。要するに今のは。
ど、毒見……?
唐突に物々しさが漂い、私は言葉に詰まった。この対応は初である。いやその、アルス王子っていったらそりゃあんな事があったし、塔側にとっては最警戒対象なんだろう。それはわかる、わかるんだけど。
「…………」
ちらっと窺うと、青い瞳は既に氷点下だった。
で、ですよねー……。
元々機嫌悪そうだったのに、こんなあからさまな態度を取られて悪化しない訳がない。どうしよう、私は生憎、これを上手く裁ける程の社交スキルを持ち合わせていない。
「塔の犬が」
重苦しい空気に狼狽えていると、アルス王子が先に動いた。ジルフィーを鋭く睨み、冷え込む空気に見合った声で一言だけ言うと、水差しを掴んで別のグラスに中身を注ぐ。そして同じようにそれに口を付けてから、私に突き出した。
「お前はこっち」
「え」
揺れる水面を前に、愛想笑いが引きつる。やめろ、そんなことで張り合うんじゃない。どっちの方を信用するか、みたいな空気になるじゃん……。
無視するわけにもいかず、ピリピリした雰囲気の中それを受け取ると、予想通り後ろから声が掛かる。
「そちらでは意味がありません」
「あーそうだな。でもどっちでもいいんだよ、元々何も入ってないんだから」
淡々と言及するジルフィーに、アルス王子はフンと鼻を鳴らした。私は、両手にグラスを持った間抜けなポーズでオロオロしていた。どちらも置くに置けない。戸惑っていると、アルス王子は視線を戻して言う。
「王族に毒は効かないんだとさ」
「……は、はあ。なんですかそれ」
「そのまんまだよ」
曰く、その血に宿る炎が毒など燃やしてしまうそうだ。どういう理屈か知らないけど、本当ならそりゃまた便利な話である。例えデマでも言い伝えとかが効果絶大なこのご時世、大いにプラスに働きそうな……“泉の乙女”にもそういうのないの?
「つーか別に、嫌なら飲まなくていい。ほんとはもっと美味いもんもあったけどな」
「ええ……」
不機嫌そうにそう言われて、私はがっかりした。
別に食べ物に未練があった訳じゃない。ただ、ああ、やっぱり日本は良かったな……なんて思ってしまうのだ。よそで何か出されても、疑いを持って食事する必要なんて無かったし。ここで毒を盛られるなんて思ってないけど、その可能性がある社会というのがなんかもう。
「あの、大丈夫です。頂きます」
私は少し振り返ってジルフィーに目配せし、アルス王子から受け取った方のグラスに口を付けた。食べ物に釣られたような雰囲気で、大丈夫ですよーこの人安全ですよーと言外に伝える。一瞬だけ繋がった視線は、目礼する様にすぐに落とされた。
そして向き直ると今度は、少しだけ驚いたような顔のアルス王子と目が合った。
「いや、なんであなたが驚くんですか」
「驚いてない」
「そうですか……?」
何にびっくりしたのか知らないけど、ちょっと毒気を抜かれたような雰囲気だ。ま、何でもいいや。
「所で、そんなとこに居ないで座ってくださいよ。話しにくいですよ」
心持ち空気が緩んだと見て、私はすかさず口を出した。このまま何とか刺々しいムードを脱却したい。全く、何で私がこんなに気を使わなきゃいけないんだ。ジルフィーと水読の相性の悪さには喜んだものだけど、アルス王子とも宜しくないとは先が思いやられる。
ひとまず大人しく椅子に掛けた彼を見て、やれやれと息を吐いた時。
「――外におります。有事の際は、くれぐれもお早めに」
「えっ……は、はい!」
まさかの申し出に、私は驚いて振り返った。その時にはもう、声の主は部屋のドアに向かっていた。束ねた砂色の髪を揺らし、ちらりとも振り返らずその向こうへ消える。
なんでいきなり出てく事にしたんだろう。アルス王子に害意がないって分かったんだろうか。
ジルフィーがどう思ったかはさておき、それを見届けて私はこっそり胸を撫で下ろした。申し訳ないけど、席を外してもらった方がスムーズになるのは間違いない。この王子様、かなり人見知りっぽいし。
実際、アルス王子の雰囲気は明らかにマシになっていた。
安堵した所で、私は本来の目的を思い出した。別に今日は、知り合い同士を紹介しに来たんじゃない。
「アルス王子、お願いがあるんですけど」
「何だよ」
「またちょっと、手を貸して欲しいんです」
「え」
少しで良いので、と手の平を差し出すと、彼は困惑を浮かべた。
「……なんで」
「えっとですね、あのドへ……いえ水読さんが、かくかくしかじかで」
雨についてのあれこれを簡単に説明する。
主に祈雨の為に王族の協力が必要な事や、アルス王子が最適だと言われていた事を強調して話す。それは勿論、何となく喜ぶんじゃないかなーという思いからだったんだけど。
「……お前、それで今日来たのか」
予想と違い、アルス王子は然程嬉しそうでもなかった。寧ろ、ちょっと機嫌が傾いたような……あれおっかしいな、利用されているとでも思っただろうか。堅いこと言うなって。
「あと、引越しの挨拶がてら……」
「引越し?」
「はい。塔に住居を移しまして、4階の隅っこの部屋を借りることになりました」
こちらの住所まで持つことになって、何だか変な気分だ。自分が着々と「こっちの人」になりつつあるような。
「ふーん……」
アルス王子は何か考えるような顔で返事した。そして新しく自分のグラスに飲み物を注ぎ、それを持って立ち上がると、そのまま大きな出窓まで歩いて窓枠に腰掛けた。
「お前も来いよ」
「椅子嫌いなんですね」
「……そういう訳じゃねーよ」
違うのか。とにかく私も、同じようにグラスを掴む。
白塗りの窓枠に腰を据えた所で、ぽい、と投げ出すように手を差し出された。なるほど、横並びの為の移動か。確かに、あっちの長椅子使うよりは涼しそうだ。
アルス王子はダルそうに枠に寄り掛かり、何故かふてくされたように横の方を見ている。
それでは失礼をば……。
私は断ってから、そっと自分の手を重ねた。皮膚が触れていればいいとの事だったので、そのまま乗っけてようと思っていたのに、ぎこちなく握り返されてぎょっとする。背は同じくらい、顔は多分向こうの方が小さいけど(悔しい)、手は彼の方が少し大きかった。
で、10秒でいいんですが。
言いそびれたな。
無言で手を握り、アルス王子は部屋の隅を見ている。それはもう頑なに見ている。微妙な緊張が伝わってきて若干気まずい……何か言ってくれなどと思うのは身勝手だろうか。
「お前、いつも手が冷たいな」
「そ、そうですか?」
念波が通じたのか、アルス王子がボソッと口を開いた。
でもよりにもよってそんなコメントですか。こっ恥ずかしいんですけど。手を握った感想とかいらない。
とっくに10数え終わっても、もう充分だと伝えるタイミングが掴めなくて、私は場を誤魔化す為にひたすらグラスに口を付けた。この調子じゃすぐ空になるね。ていうかなったね。
「そういえば、この後お出かけするんですよね?」
空気に耐えかね、私は完全に「なるほどお忙しいんですね、じゃあそろそろ~」というゴールを想定した話題を振った。アルス王子は、チラッとこちらを見た。
「……ん。会合がある」
「会合?」
意外な用事だな。遊びに行くんじゃないんだ。
「お仕事ですか?」
「まあな」
頷く表情にどことなく誇らしげなものを感じ、更に意外に思う。へぇ、いかにも面倒くさいとか言いそうなのに。
「今年中に色々決めなきゃいけないから。俺、領地を貰うんだ」
「領地?」
「ああ。15超えるか怪しかったし、様子見だったんだけどな。一応王族だから、統治の真似事」
要するに、王様の仕事を分け与えられるらしい。と言っても完全に統治権を譲られるわけではなく、現在主にその土地の管理をしている上官を補佐に……というか、逆にアルス王子が補佐役かもしれないけど、管理を任されるそうだ。
事情がスッキリしないのは、一重に彼の”呪い”のせい。
遠くなく命が尽きる。
そんな前提のせいで、彼には普通の王族や領主達のように、一手に民を引き受ける事は出来ない。しかし立場や年齢的に存在を無視する訳にもいかないため、状況が複雑になっている。
そういった事を本人が当然の様に語るので、何とも言えない気分になる。
「仕方ないだろ。お前が気にしても変わんねーよ」
微妙に沈みかける私に、アルス王子は釘を刺した。
「同情するくらいなら普通にしてろ。しんみりされる方が不愉快」
一瞬鋭く睨みつけたかと思ったら、鮮やかに色を変えニヤリと笑う。無意識かもしれないが、この表情の巧みさは王様とよく似ている部分だと思った。
私は微笑みを作って頷く。
「……わかりました。その代わり、脳天気って怒らないでくださいね」
「怒んねーよ。笑うかもしれないけど」
「笑われるんですか。まあ、それならまだいいか……」
単純なもので、耳に馴染む口調に私もようやく調子が戻ってきた。
そうそう、この感じなら話しやすいんだよね。




