2 王様
目が覚めたら、明るい日差しが差し込む寝室だった。
ぽかぽか陽気で、窓からは気持ちのよい風が吹き込み、白いカーテンを膨らませている。私は、大きなふかふかのベッドの中に居た。
えーと……なんだったっけ?
寝起きの頭で、しばしぼーっとする。それにしてもよく寝たなー。夢も見なかった。
「……って、違う! やっぱ夢じゃないじゃん!」
私はガバッと起き上がった。昨日の記憶が蘇り青ざめる。
呑気に寝てる場合じゃなかった。私、変な場所に来てたんだった……! なにこの全然見覚えのない部屋! 目に映る全てものもが、問題は解決していないというメッセージ!
「ど、ど、どうしよう」
動揺しつつベッドから這い出ると、足元に革のスリッパみたいなものが揃えて置かれていた。細かな刺繍とビーズで彩られた、かなり手の込んだものだ。なんだなんだ。高そう。
そーっとそこに足を入れ辺りを見回す。
部屋もかなり立派だった。
まず広いし、壁の一片は全て窓。カーテンやソファ、ベッドは光沢のあるベージュ系の布で纏められ、家具も彫刻を施されたつやつやの木製で、ロッキングチェアとか、足元まである楕円形の姿見なんかもある。……どうも、私の生活には円が無さそうな部屋に見えますが。
鏡に映った自分を見て、私は片手で胸を押さえた。服装は、昨夜借りたワンピース姿のままだった。裾が少し皺になっている。
…………。
だ、大丈夫、大丈夫。別にまだ、人生終わったわけじゃないから。ほ、ほら、とりあえず現時点では安全そうだし? こちらに来られたのだから、帰る方法が無いって事はない。はず。
かなり必死に自分を励ましながら、私はこの部屋唯一のドアに向かった。優美なカーブの取っ手を握る。
まずは情報だ。現状把握だ。あらゆる事が意味不明なので。
ドアを開けると、応接間のような所で見知らぬ女の子がテーブルの用意をしていた。
「まあ。おはようございます」
目も肌も髪も、色素が薄い。長いスカートにエプロンをして、結い上げた髪にリボンを付けている。
外国のおとぎ話に出てきそうな、可愛い子だった。まさか、メイドさん?
「お体の具合はいかがでしょう。朝食は召し上がれそうですか?」
「……あ、はい」
優しく話しかけられて、なんだか拍子抜けする。どう言ったらいいかわからず、あの私……とモゴモゴ話しかけると、メイドさんはにっこり微笑んだ。
「ご事情は伺っております。“泉の乙女”様、かもしれない、お方でいらっしゃますね」
「……そうです」
なるほど。そうじゃない可能性のほうが遥かに高いけど、昨日の爺さんと違って「かもしれない」に留めてもらえて、少し勇気付けられる。
メイドさんは再度朝食を食べられるか尋ね、私が頷くと、「では、まずお着替えを致しましょう」と言った。また服を貸してくれるらしい。しかし持ってきてくれたものが、部屋とスリッパに負けず劣らずきらびやかで、服というよりドレスと呼ぶべきムードだったので尻込みする。
「あの、もっと地味な服で大丈夫で……朝ご飯、これで食べるんでしょうか?」
今着ている服だって、シンプルだけど上質そうだ。この手の木綿の服を貸してくれれば十分、薄布を重ねた繊細なドレスは過分なような。
戸惑う私に、メイドさんは理由を明かした。
「実は、お時間までにお目覚めでしたら、貴女様を朝食のお席にお誘いするよう国王陛下より申しつかっております」
「国王陛下!?」
なんだそれ!?
この国の王様という人が、詳しい話を聞きたいらしい。
「勿論、ご気分が優れないようでしたら、ご無理をなさる必要はありません」
思わず「じゃ、それで」と頷きそうになり、私はギリギリ思い留まった。
よくわからないこの国の、王様。
お国で一番偉い人。
正直行きたくない。いきなりレベルが高過ぎる。即行で粗相して、首ちょんぱとかになりません? そんな高難易度なブレックファースト、誰が好んで挑むだろうか。
しかし相手は権力者、問題解決の布石として、ここは一つ繋がりを作っておくべきか。ていうか今の「無理しなくていい」は社交辞令で、本当は何が何でも出席しないとその時点で不敬罪だろうか。
「あのー……お招き大変光栄なんですが、私、本当にただの庶民で。失礼をしてしまわないか、かなり心配で……」
「そのようなご心配でしたら、ご無用ですわ。国王陛下は大変寛大なお方ですもの」
明らかにビビっている私を、メイドさんは優しく励ます。
ほ、本当かなぁ……。
全然大丈夫とは思えなかったけど、断ったら断ったで心配だ。ということで、思い切って出席を決める。
そして。
「ああ、名乗りもせずにすまなかった。俺はレオナルドと言う。この国の王だ」
「ええーーー!?」
と叫んだらよかったのか、叫ばなくてよかったのか。
案内された部屋に行ったら、昨日のトンデモ美形の神がいた。神は、神様じゃなくて王様だった。私は全く驚かない。むしろ大いに納得だ。異様な風格も威圧感も、国王陛下なら致し方ない。神様より断然、現実味もある。
「この時間に来てもらえて幸いだ。日中は時間を取るのが難しくてな」
神改め王様は、冷たいスープを掬いながら言った。私は昨夜同様、放たれるプレッシャーでガチガチに緊張しながらパンを食べていた。ドライフルーツが入った、少し甘い噛みごたえのあるパンだ。
「“泉の乙女”でないというのなら、貴女の名をお聞きしてもよろしいか?」
話というのは相変わらず、私が“泉の乙女“であるとか無いとかいうやつだった。
喋るくらいなら、堅めのパンをいつまでも噛んでいたかったがそうもいかない。
「長瀬美雨と、申します……」
「おお……!」
しどろもどろで答えた途端、隣で老人が感嘆の声を上げた。
……はい。実は、昨日の爺さんも同席しています。
王様と一対一ではなく、この老人が居ると聞いたために、今朝私はここに来られたようなものだった。一人だったら無理だったかもしれない。
「本名か?」
「はい」
「ふむ。長き瀬の美しき雨、か」
「なんと神々しいお名前……やはり貴方様こそ“泉の乙女”!」
「違います!!」
ちょっと感心した、という程度の王様に比べ、この爺さんは昨夜から本当に、一欠片も私の主張を信じていない。でも確かに水っぽい名前なので、この反応は少し予想していた。だからあんまり、言いたくなかったんだけど。
「あの、全部が名前じゃなくて、”長瀬”は姓です」
「成る程。では“美しき雨”とお呼びして宜しいか?」
「え!? あ、い、いえ……」
なんだそのサラッと恥ずかしい呼び名は。
あんまりよろしくないと必死に訴えながら、私は重大な違和感に気付いた。
なんで普通に会話出来てるのに、名前はストレートに伝わらないの?
……そもそも何で言葉通じてるんだろう??
私は今、日本語で普通に話していた。
そして相手も何故か、日本語を話している。まさかのびっくり、異世界は日本語圏でしたー。いや、そんな馬鹿な。
音が通じず、意味だけが伝わったかのような今の会話。何でだ。あれ?
「美雨、美雨、ミウ……」
自分の名前を、小声でブツブツ繰り返してみる。何かが引っかかる。”美しき雨”と、”ミウ”。
「どうした?」
王様が不思議そうな声で尋ね、私はハッとした。
今の言葉、日本語じゃなかった。
何と言っているのか、意味は分かる。でも耳は確かに、日本語にはない子音を拾ったのだった。しかしそれはすぐ、頭の中で日本語に置き換えられる。なんだこれ。
その後の検証の結果、何も考えずに聞くとまるで日本語で話し合っているように聞こえるが、実は向こうは私の知らない言葉を話しているらしい、という摩訶不思議な事実が発覚した。言われてみれば、音と口の動きに多少の違和感がある。
しかしもっと驚愕したのは、私自身もちゃんとこっちの言葉を話していた事だった。こちらも、口の動きでは日本語を離している。でも耳に聞こえる音をよくよく注意して聞くと、日本語と分離して別の言語が潜んでいる。
メルキュリア語っていうんだって。
…………。
いやいやいや、意味不明すぎ。
頭がこんがらがりそうなので、深く考えるのを止める。とりあえずそれは後回しだ。
「ミウ、と呼んでください」
意識的に発音すると、その通りの音が口から出てきた。と、思う。ちゃんと言えただろうか。
「ミウ?」
あ、大丈夫そう。
「“美しき雨“という名ではないのか?」
「えーと……意味はまあその、そうなのですが」
「やはりこのお方、伝書にあります通りの……!」
「違います!」
爺さんはちょっと黙っててくれないかな。
ともかく、こっ恥ずかしい呼び名(と“泉の乙女”疑惑)を訂正できて良かった。これがこの、いきなり難易度高い朝食会に出た成果だった。
それにしても、言葉は通じるのに名前は通じないって謎だな……。




