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雨の冠  作者: 桃宮
5.日陰
29/103

1 新生活

「ん…………」


 淡い夢の世界を漂いながら、私は寝返りを打つ。


 ――ミウさん。


 呼びかける声は穏やかだ。いつかも、こんな風に微睡みながら聞いた。


 ――ミウさん。朝ですよ。


 それは長らく眠っていたあの人物の声であり、そういえば夢の中でしかやり取りができなかった時期もあり……でも今は違う、はずの。


「ミウさーん。起きないと、……しちゃいますよ」

「うっひゃあああ!!」


 耳元に吐息のようなものを感じ、私は絶叫と共に目覚めた。

 ガバっと跳ね起き布団をかき寄せると、すぐそこにこちらを覗きこむ顔があった。淡い色の瞳がにっこりと細められ、ベッドの中で後退る私の姿を追い掛けてくる。


「おはようございます」

「あ、おはようございます……」


 じゃないわ!


「ちょっと、何勝手に入ってきてるんですか……!!」

「ミウさんがちっとも目覚めないので、お起こししようと思いまして」

「ええっ!?」


 しれっと答えられて大いに焦った。


「わ、私そんなに寝坊を!? 今何時ですか!?」

「日の出前です」

「早いわ!!」


 大体5時半頃だ。私はいつも後一時間は寝ていて、それでも早いって言われてたよ。何で起こしに来るんだよ!


「だって、目が覚めてしまったんです。丁度よいのでミウさんの寝顔を観察していたのですが、手持ち無沙汰なので起こしてみました」

「みました。じゃない!!」


 ふざけんな! 早く起きすぎて眠れないってお年寄りか! しかも寝顔観察って……

 恥じらいも怒りも通り越して、私は引いていた。ドン引きだ。何この人、マジで意味分からない。なんで何事も無かったかのように部屋にいるの?


「私昨夜、ちゃんと鍵掛けて寝たと思ったんですけど……」

「合鍵が一本だけだなんて、誰が決めたんでしょうね」

「…………」


 無言で手を出すと、水読はにっこり笑いそっと自分の手を重ねた。


「寝直しますか? 一緒に」

「合鍵、渡して下さい」


 握られかけた手を叩き落とし、再び手を出し直す。寝覚め最悪だ。水読は叩き落とされた自分の手を見てブツブツ言う。


「ミウさんって、意外と気が強かったんですね……初めは、もうちょっと流されやすいかと思ってたんですが」

「何か?」


 布団越しにジロリと見る。私のことはどうでもいいので、早く鍵をよこせ。


「気の強い女性は嫌いじゃないですけどね。でもあの無警戒っぷりが見られないとなると、ちょっと惜しいです。可愛かったのに」


 その無警戒な私は、さぞや滑稽だったでしょうね!

 思い出すと、布団に潜ったまま3日くらい出て来たくなくなる記憶を、私は機械的に頭の隅へと追いやった。今ではその恥ずかしさを怒りに変換して、警戒心MAXで水読をもてなす術を身に付けたのだ。もう絶対騙されないからな。

 強硬な態度を崩さない私に、水読はつまらなそうに唇を尖らせた(ブリっ子はやめろ!)。懐から鍵を取り出し、渋々手に乗せる。それを受け取ってから、私は上掛けを頭から引っ被り、水読が居るのとは反対側からベッドを降りた。


「着替えるので出ていってください」

「えー」

「出ていってください」


 えーじゃないし!

 睨みつけて早くしろと急かし、ようやく退室させると、私は内側から鍵をかけ直した。更に念のため、どっしりとした布張りの椅子をドアの前まで運んでおく。ふう……これでひとまず安心だ。今夜からは寝る前もこうしておこう。

 そしてこの判断は、素晴らしく正しかった。


「まあ、鍵が二つしか無いとも言ってないんですよね」


 ドアの向こうで呟かれた言葉は聞こえていなかったが、閉め出されても機嫌の良い水読の様子に、私は警戒を緩めるべからずと再度心に誓ったのだった。




 ◇ ◇ ◇



「はぁ……」


 もう、朝から凄く疲れた。テーブルに突っ伏し溜息をつく。

 遂にあの部屋へ転居した昨夜、私はまだ係の神官がいる内に早々に充てがわれた部屋に引っ込んで眠った。水読と一対一を極力避けろという王様の忠告には、出来得る限り従いたい、でも今朝起きてみればあれだ。今夜からは、更に気を引き締めて当たらないと。


「ミウ様、お茶が入りましたわ」


 この先を思って憂鬱な私に、優しい声が掛かる。


「ありがとうございます……」

「お菓子も美味しそうですよ」


 リコはふんわりと笑みを溢して、自分も席に着いた。

 お茶請けにふっくらしたマフィンを勧められ、私は喜んで頂く。オレンジの輪切りが乗ったものと、クルミが入ったものの二種類がある。まずオレンジの方を切り分けて頬張ると、さわやかな香りと甘さが口に広がった。思わず顔が緩んでしまう。なんという癒し。


「休憩が終わりましたら、また続きを致しましょうね」


 同じようにマフィンを切り分けつつ言ったのは、サニアだ。私は頷いてから、お茶に口を付けた。ううん、こちらも美味しい。さすが。


 今私がいるのは、塔の4階のとある居室だ。

 フロアの隅、階段の下にかかるこの部屋が、私のために確保された自室だった。神官長の部屋と同階のため警備しやすい事と、塔の中心ではなく端の増築部分に位置することから、城のメイドさんであるリコやサニアも入室を許可されている。

 日当たりが良くて気持ち良いその部屋を、私は一目で気に入っていた。以前の部屋よりは手狭でバスルームが無いが、そんな事は一向に構わない。準備ができ次第もっと広い部屋に……とか言われたが、断った。むしろこの広さが良い。


 落ち着いた色合いの薔薇の花柄で統一されたカーテンやベッドカバーが、ようやく見えかかった夏の終わりに秋の気配を添えていた。温かい木製の家具によく馴染んでいる。派手過ぎず甘過ぎずのロマンティックさは、恐らく私の選ぶ服装などから割り出された嗜好だろう。一言も尋ねられたことがないが、リコ達のリサーチ力は一流だった。

 これで、本業がメイドではないというから驚きである。


「ミウ様は、元々姿勢がお綺麗なので結構ですわ。細かいお作法を覚えられると、すぐにでも社交界に出られますよ」

「お食事も概ね問題無さそうです。ですが、より美しく見えるコツというものがございますので、更に磨いて参りましょう」

「恐れ入ります……」


 褒められて恐縮する。「他人を不快にさせない」というマナーの本質は、異世界でも同様だった。二人の言葉はお世辞だろうけど、取り付く島もないなどと言われなくて本当に良かった。


 “泉の乙女”という立場が確定した後、私に待っていたものは上流階級のマナーを身につける事だった。

 先生はリコとサニアだ。彼女達は何と、かつて王妃を輩出したことがある程の、メルキュリアでもトップクラスの良家のご令嬢らしい。てっきり普通のメイドさんだと思っていたけど、リコのおっとりした雰囲気も、サニアの物怖じしない佇まいも、言われてみれば貴族然としている。


 因みにこちらでは15歳で成人だが、成人してから20歳くらいまでは大抵修行期間とされるそうだ。奉公人のように、仮のお勤めに出されるらしい。彼女達もそんな風に城に身を置いている時期で、そうして城に仕えるのは生家で代々続く花嫁修業という事だった。


 お茶も済み茶器を下げ出した頃、サニアがカップと一緒に小さな花瓶をワゴンに乗せようとして、ふと手を止めた。


「あら。このお花は、こちらのお部屋のものでしたよね」

「あ、はい。棚の上にでも避けときましょうか」


 私はそれを受け取り、壁際の家具に置こうと立つ。

 するとアプリコットの目がきらりと光った。すすっと傍へ寄ってきて言う。


「ミウ様。大変差し出がましいとは存じますが……そちらは、クライン様からの、お花ですわね?」

「……ということは、お手紙も?」

「えっ。っと、ええあの……はい」


 私は内心ギクリとしてた。さすが、目ざといな……。

 観念して頷いた通り、これはクラインから来た3通目の手紙に添えられていた花である。今朝、この部屋に逃げ込んだ後に届けられた。

 でも、受け取っただけだ。


「お返事は書かれないのですか? まだ綴りが苦手と仰られるなら、代筆致しますよ」

「いいえ、いっそお会いなされば宜しいですのに。すぐにでもご予定を伺うべきですわ!」


 サニアもリコも、何故私が応対しないのかが疑問らしい。まあ、当然だよね。

 しかし理由をあやふやに答えると、節度のある彼女達はそれ以上追求してこなかった。不満そうではあるけど。どうして、二人の方が熱くなるのだ。

 そう言うと、リコが「まあ!」と驚く。


「良いですこと、ミウ様、クライン様ですよ。クライン様と言えばあの儚げなご麗姿に明晰な頭脳、そしてお優しいご気性! 国中の婦人が気にして当然のお方ですわ」

「クライン様は、特に女性の信奉者が多いんですよ。社交界でも花形ですから」

「そ、そうなんですか」


 それは、分からなくもないけど……。熱の篭った説明に気圧される。


「あの、やっぱり彼は評判良いんですね」

「勿論です!」


 二人は力強く頷いた。

 クラインの評価は、女子の間では最高峰のようだ。さすが王子様っていうか。”呪い”の同情票も含めて、彼付きの侍女に志願する者は後を絶たないという。……これがアルス王子の言う「外面の良さ」だろうか?

 もうちょっと探り入れてみるべきか。


「二人はアタック……えーと、クライン王子と付き合いたい! とか無いんですか?」


 女の子のリアルな声を聞くと言ったら、やっぱりこの方向だよね。彼女達なら身分的にも、そう現実から乖離した話では無いだろう。

 さぞ色めき立つかと思いきや、二人はその問い掛けに困ったような笑みを返した。


「そうですわねぇ……わたくしにはもう、許嫁がおりますし」

「あれだけお美しいと、並び立つ女性にも覚悟が要るでしょうね」


 あれ? なんか予想以上に地に足の付いた答えだったな。


「それに、ここだけの話ですが……”呪い”がございますから。少なくとも私は、家の者に反対されます」

「……なるほど」


 結構シビアである。


「勿論、そんな事はお構いなしという方は多いですよ。ですが、その辺りは寧ろ、クライン様の方が避けてらっしゃるようにお見受け致します。一度は、恋人と噂された方もいらっしゃいましたが、”呪い”が原因で破局になったと聞きますし」

「クライン様は、生涯独身を貫かれるおつもりなのですわ」

「へえー……」


 密やかに打ち明けられる噂話に、私は真剣に聞き入った。情報は情報だし、多く仕入れておくに限る。何故なら私は恐らく、塔側に所属しつつ城にも足を掛けなければならない立場だからだ。今後を思えば、大まかな派閥や人間関係などは把握しておきたい。


「ミウ様、気になるのでしたらやはり、お返事をなされば良いですのに」

「文でなくても、例えば遣いの者に一言、言伝てを頼めば宜しいんですよ」

「そ、そうですよね……ちょっと、考えます」


 やっぱり不思議そうな二人に、先延ばしの文句を告げてお茶を濁す。

 どちらにしても、もう少し様子を見てから行動しよう。迂闊な判断で墓穴を掘ったり、無駄に傷つくのはもう懲り懲りだ。


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