14 婚約
結局私は、王様と共に塔へ向かうことになってしまった。重い気持と混乱を抱えたまま、暗闇でも変わらず堂々とした背中を追って石段を登る。
「足元は見えるか?」
「はい。ありがとうございます」
塔の階段は小さな明かり取りが開けられている程度で、夜にはかなり暗くなる。その黒い沼のような床を、今は王様の持つランタンが歩く度に揺れながら照らし出している。お供は全て断ったので、しんとした塔の内部には二人分だけ影が伸び、足音が響いていた。
「さて、どうするかな」
前を行く王様は、声を潜めて言った。
「場合によっては、お前の住まいについては口出しできぬだろう。やはり年を誤魔化すか」
どうやら彼にとって目下の問題は、私の安全についてらしい。いまいちその事情が飲み込めないが。
「あの、水読さんはもう、私の年齢知ってます……」
「言ったのか?」
「はい……」
「……仕方がないな」
小声で答えると、やれやれとため息を吐く音が聞こえた。
その後ろ姿を見上げながら、私の頭の中では、先ほどの王様の言葉がぐるぐると渦巻いていた。
曰く、水読は性格に難ありの奇人変人で、尚且つ手に負えない遊び人だそうだ。
……とてもじゃないが、信じられる訳がない。だって、あの水読だ。常に穏やかで優しげなあの態度の、どこが変人だろうか。むしろ人格者と言っていい。多少スキンシップ過剰なのは認めるが、別にいやらしさとか無かったし、同性と思えばそう不自然でもない。
となればやっぱり、王様は誤解しているんじゃないだろうか。あの複雑な事情を伏せているが為に、色々と齟齬が生まれて蓄積しているのでは……でも、この人の見解にそうそう間違が起こるとも思えないんだよなあ。
ああもう……!
わからなすぎて、頭を抱えたくなる。
こちらに来てから、何だかこんな事ばかりだ。なぜ信頼できそうな相手の言う事が、あちこちで食い違うのだろう。
「未成年ということに出来れば、幾らかましと思ったんだがな」
引き続き王様が話しているのは、勿論水読への対策だ。
ところで未成年というのは、20歳未満ではないですよね。最年長で14歳ですよね。私の身を守るための話は、どうも私の精神の方には容赦なく打撃を与えてくる。
「しかしまあ、どうせそれも確実とは言えないな。17、8やそこら離れた所で、手心を加えるような相手でもない」
……ん? 17、8差?
「流石に私、7歳と名乗るのは……」
24マイナス17は7歳だよね。いくらなんでもそれは無い。7歳は無い。
体がずっしりと重くなるのは、決して階段に疲れたからではない。気持ちの問題だ。本気で私、こっちの人にはいくつに見えてるんだろう。
「7歳? お前、水読は幾つだと聞いたんだ」
「24歳と……」
私は投げやりに答える。もう、べっこべこに凹んだ心を励ます気力も無い。
「24?」
王様は怪訝そうに繰り返した。そして幾度目かの衝撃的な言葉を放つ。
「早速騙られたな。奴は俺より年上だ」
「えええっ!?」
どういう……じゃ、じゃあこの人は一体!?
「俺は28、あいつはその3つ上になるな」
「え、え」
つまり水読は、本当は31歳……? いやこの場合、王様が一つ上とかではなかった事にホッとするべきか? どっちにしても、混乱は増すばかりだ。水読は私に嘘を教えた? 何のために? この人の話は真実なのだろうか……?
「この俺が、下らん嘘を言うと思うか?」
肩越しに振り向かれて、私はブンブンと首を横に振った。華麗な微笑みはなんでか、普通に脅しに見える。怖いんですけど。
「ミウ」
「は、はひっ」
あ、声裏返った。
呼ばれただけなのに、反射的に若干のけぞってしまう。日頃に不足なくビビる私に、王様は立ち止まり改めてこちらを振り返った。
「俺は出来るだけ、お前に良い様に取り計らってやりたいと考えているんだ」
足音が消え、代わりに石壁には深みのある美声が響く。
数段上から向き直る姿の、そのあまりの神々しさに、私は密かに息を飲んだ。
ランタンに照らされて、王様の濃い睫毛に縁取られた魅惑的な瞳が金色に輝いている。でこぼこした暗い塔の壁が淡い炎の色に染まる様は、まるでお伽話のワンシーンだ。嘘のように完璧な麗姿のこの人は、その登場人物。
私は天啓でも受けているような気分で、幻想的な姿を見上げた。
「お前がそこまで俺の何を恐れるのかは疑問だが、別に取って食おうという訳じゃない。俺は無益に事を偽らぬし、お前にもその必要は無いように思う。……また、そうだな。もう絶対に秘密を持つなとも言わない。相談した方が得だぞ、とは言っておくが」
そうしてどこか悪戯っぽく笑うと、鮮やかな色の目がきらっと光った。その表情があまりにもチャーミングで、私は畏怖を忘れて魅入られてしまう。
「もっと俺を頼れ。それが最もお前の為になる」
「…………」
私をなるべく怖がらせないように気を配っている事が、声色と表情から感じられた。
諭すように言われ、私は気が付くとぼんやりと頷いていた。
この人を頼ることが、私の為。
そう言い切れるのがすごい。実際に相応の説得力があるのもすごい。
言われた瞬間、何故かものすごく安心した。
よく考えれば、王様ってずっと私の味方をしていてくれたのだ。ただ怖いっていうか、畏れ多い気持ちがあまりに強かったせいか、気がつけば私は顔色ばかりを伺っていた。失望されたらどうしよう、見放されたら、と思っていた。頼って良いと言われたことが、想像以上に私の心を軽くした。
でも、この人は、どうして私にそこまで言ってくれるのだろう。
「ん? いや、特に理由など無いよ。お前は元いた場所に家族があったのだろう。突然引き離されてここへ来たと言ったな。元は極一般的な平民だとも。何の心構えもないまま祭り上げられて、たった一人では辛かろうと思っただけさ」
そう語ると、王様は笑った。中身に至るまでなんたるイケメン。
さり気なく、そしてあまりにも優しいその言葉に、うっかり目の前が滲みそうになる。
この人はずっと、そんな風に思って私に接してくれていたんだろうか。手を差し伸べられながら、私はこれまでひたすら怖がっていただけだ。
情けない顔を見られたくなくて、私は足元に視線を落とした。
王様の言った理由は、ある意味ではごく当たり前の思い遣りではある。ただこれまで、同情を求めるのが酷くはばかられる状況にあった私にとって、この人の口から聞いた事がとても大きかった。
「あの……怒らないでくださいね」
私はそう前置いて話し出す。
「何故かはわからないんですけど、怖いのは……その、怖いんです。でもそれは王様のせいと言う訳じゃなくって、前も言いましたけれど、私が凄く緊張するだけなんです」
こうして話している今も、既にじわじわ焦燥感が迫ってくるのがわかる。それを抑えて、私は必死に言葉を紡いだ。真摯な言葉を貰ったのだから、可能な限りそれに相応しいものを返したい。
「だからあの……出来るだけ、普通にしていられたらいいなと思います。で、でもすぐには無理かもしれません。努力しますから、呆れないでいてくれると有難いです……」
「ああ」
何とかそこまで言うと、王様は満足そうに答えた。
「俺も以前言ったな。慣れろ、と。今すぐ『直せ』とは言わぬから、お前の無理の無いようにしなさい」
なんだかすごく優しく言われたのが分かって、私は俯いたまま何度も頷いた。
黒い石段の影にこっそり涙を一粒だけ落としたことは、気付かれていないと良いなと思った。
「さて、そういう訳だ」
しんみりした空気を切り替えるように、王様は軽く息を吐いて壁に背を預けた。そして言う。
「水読の言うことは嘘八百だ。あいつは物凄く性格が悪い。どこまでが事実かは俺が吐かせるから、お前自身に関しては口裏を合わせろ」
「く、口裏ですか?」
それはどんな。
そしてやっぱり信じ難いが、水読は王様の言うような人なのだろうか。物凄く悪い性格って、どんなレベルだ……それに、性別は?
一瞬そのことについて聞いてみようかと思い、踏み止まる。どの道、部屋に着けばはっきりする。とにかく今は、この人の言う事に従おう。
そう決意した矢先、私は耳を疑う提案をなされる。
「お前は、俺と婚約したという事にする」
「は、はい!?」
私、今日は何回度肝を抜かれればいいんだろう。
突拍子なすぎて口を開けて固まる私に構わず、王様は続けた。
「恐らく、これ以外にお前が無事でいられる方法は無い。恋人が居ようが配偶者が居ようが奴にとっては関係ないが、俺は一般に比べれば使える手札が多いからな。お前を俺のものとするなら、手出しすれば不利益を被るように根回しできる」
「…………」
なんだそのちょいちょい心臓に悪い言い回しは。
「で、でもフリとは言えそんな、大丈夫なんですか……!?」
「勿論。今の所縁談も受けていないし、他所へ漏れても平気だな」
自失しかけたところを立て直して尋ねれば、王様は拘りなく頷く。
い、いいんですかそんな軽くて……!
「では、行こうか」
王様はこれにて解決と言わんばかりに向きを変え歩みを再開する。返事も出来ず、私は呆然とその様子を見送ってしまった。振り返った艶やかな声にどうしたと問われ、慌てて後に続く。
婚約って。
フェイクと重々承知していても尚、恥ずかしいやら恐縮やらで頭の中が一杯だ。この人は、それで構わないんだろうか。周りの都合じゃなく、気持ちとして嫌じゃないのか。
胃に変な浮遊感を感じながら、私は慎重に次の段に足を掛ける。とりあえず祈る。階段を登り切る前に、ほっぺた超熱いのが治りますように……。




