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雨の冠  作者: 桃宮
4.美しき雨
26/103

14 婚約

 

 結局私は、王様と共に塔へ向かうことになってしまった。重い気持と混乱を抱えたまま、暗闇でも変わらず堂々とした背中を追って石段を登る。


「足元は見えるか?」

「はい。ありがとうございます」


 塔の階段は小さな明かり取りが開けられている程度で、夜にはかなり暗くなる。その黒い沼のような床を、今は王様の持つランタンが歩く度に揺れながら照らし出している。お供は全て断ったので、しんとした塔の内部には二人分だけ影が伸び、足音が響いていた。


「さて、どうするかな」


 前を行く王様は、声を潜めて言った。


「場合によっては、お前の住まいについては口出しできぬだろう。やはり年を誤魔化すか」


 どうやら彼にとって目下の問題は、私の安全についてらしい。いまいちその事情が飲み込めないが。


「あの、水読さんはもう、私の年齢知ってます……」

「言ったのか?」

「はい……」

「……仕方がないな」


 小声で答えると、やれやれとため息を吐く音が聞こえた。

 その後ろ姿を見上げながら、私の頭の中では、先ほどの王様の言葉がぐるぐると渦巻いていた。


 曰く、水読は性格に難ありの奇人変人で、尚且つ手に負えない遊び人だそうだ。

 ……とてもじゃないが、信じられる訳がない。だって、あの水読だ。常に穏やかで優しげなあの態度の、どこが変人だろうか。むしろ人格者と言っていい。多少スキンシップ過剰なのは認めるが、別にいやらしさとか無かったし、同性と思えばそう不自然でもない。

 となればやっぱり、王様は誤解しているんじゃないだろうか。あの複雑な事情を伏せているが為に、色々と齟齬が生まれて蓄積しているのでは……でも、この人の見解にそうそう間違が起こるとも思えないんだよなあ。


 ああもう……!

 わからなすぎて、頭を抱えたくなる。

 こちらに来てから、何だかこんな事ばかりだ。なぜ信頼できそうな相手の言う事が、あちこちで食い違うのだろう。


「未成年ということに出来れば、幾らかましと思ったんだがな」


 引き続き王様が話しているのは、勿論水読への対策だ。

 ところで未成年というのは、20歳未満ではないですよね。最年長で14歳ですよね。私の身を守るための話は、どうも私の精神の方には容赦なく打撃を与えてくる。


「しかしまあ、どうせそれも確実とは言えないな。17、8やそこら離れた所で、手心を加えるような相手でもない」


 ……ん? 17、8差?


「流石に私、7歳と名乗るのは……」


 24マイナス17は7歳だよね。いくらなんでもそれは無い。7歳は無い。

 体がずっしりと重くなるのは、決して階段に疲れたからではない。気持ちの問題だ。本気で私、こっちの人にはいくつに見えてるんだろう。


「7歳? お前、水読は幾つだと聞いたんだ」

「24歳と……」


 私は投げやりに答える。もう、べっこべこに凹んだ心を励ます気力も無い。


「24?」


 王様は怪訝そうに繰り返した。そして幾度目かの衝撃的な言葉を放つ。


「早速騙られたな。奴は俺より年上だ」

「えええっ!?」


 どういう……じゃ、じゃあこの人は一体!?


「俺は28、あいつはその3つ上になるな」

「え、え」


 つまり水読は、本当は31歳……? いやこの場合、王様が一つ上とかではなかった事にホッとするべきか? どっちにしても、混乱は増すばかりだ。水読は私に嘘を教えた? 何のために? この人の話は真実なのだろうか……?


「この俺が、下らん嘘を言うと思うか?」


 肩越しに振り向かれて、私はブンブンと首を横に振った。華麗な微笑みはなんでか、普通に脅しに見える。怖いんですけど。


「ミウ」

「は、はひっ」


 あ、声裏返った。

 呼ばれただけなのに、反射的に若干のけぞってしまう。日頃に不足なくビビる私に、王様は立ち止まり改めてこちらを振り返った。


「俺は出来るだけ、お前に良い様に取り計らってやりたいと考えているんだ」


 足音が消え、代わりに石壁には深みのある美声が響く。

 数段上から向き直る姿の、そのあまりの神々しさに、私は密かに息を飲んだ。

 ランタンに照らされて、王様の濃い睫毛に縁取られた魅惑的な瞳が金色に輝いている。でこぼこした暗い塔の壁が淡い炎の色に染まる様は、まるでお伽話のワンシーンだ。嘘のように完璧な麗姿のこの人は、その登場人物。

 私は天啓でも受けているような気分で、幻想的な姿を見上げた。


「お前がそこまで俺の何を恐れるのかは疑問だが、別に取って食おうという訳じゃない。俺は無益に事を偽らぬし、お前にもその必要は無いように思う。……また、そうだな。もう絶対に秘密を持つなとも言わない。相談した方が得だぞ、とは言っておくが」


 そうしてどこか悪戯っぽく笑うと、鮮やかな色の目がきらっと光った。その表情があまりにもチャーミングで、私は畏怖を忘れて魅入られてしまう。


「もっと俺を頼れ。それが最もお前の為になる」

「…………」


 私をなるべく怖がらせないように気を配っている事が、声色と表情から感じられた。

 諭すように言われ、私は気が付くとぼんやりと頷いていた。

 この人を頼ることが、私の為。

 そう言い切れるのがすごい。実際に相応の説得力があるのもすごい。

 言われた瞬間、何故かものすごく安心した。


 よく考えれば、王様ってずっと私の味方をしていてくれたのだ。ただ怖いっていうか、畏れ多い気持ちがあまりに強かったせいか、気がつけば私は顔色ばかりを伺っていた。失望されたらどうしよう、見放されたら、と思っていた。頼って良いと言われたことが、想像以上に私の心を軽くした。

 でも、この人は、どうして私にそこまで言ってくれるのだろう。


「ん? いや、特に理由など無いよ。お前は元いた場所に家族があったのだろう。突然引き離されてここへ来たと言ったな。元は極一般的な平民だとも。何の心構えもないまま祭り上げられて、たった一人では辛かろうと思っただけさ」


 そう語ると、王様は笑った。中身に至るまでなんたるイケメン。

 さり気なく、そしてあまりにも優しいその言葉に、うっかり目の前が滲みそうになる。

 この人はずっと、そんな風に思って私に接してくれていたんだろうか。手を差し伸べられながら、私はこれまでひたすら怖がっていただけだ。

 情けない顔を見られたくなくて、私は足元に視線を落とした。

 王様の言った理由は、ある意味ではごく当たり前の思い遣りではある。ただこれまで、同情を求めるのが酷くはばかられる状況にあった私にとって、この人の口から聞いた事がとても大きかった。


「あの……怒らないでくださいね」


 私はそう前置いて話し出す。


「何故かはわからないんですけど、怖いのは……その、怖いんです。でもそれは王様のせいと言う訳じゃなくって、前も言いましたけれど、私が凄く緊張するだけなんです」


 こうして話している今も、既にじわじわ焦燥感が迫ってくるのがわかる。それを抑えて、私は必死に言葉を紡いだ。真摯な言葉を貰ったのだから、可能な限りそれに相応しいものを返したい。


「だからあの……出来るだけ、普通にしていられたらいいなと思います。で、でもすぐには無理かもしれません。努力しますから、呆れないでいてくれると有難いです……」

「ああ」


 何とかそこまで言うと、王様は満足そうに答えた。


「俺も以前言ったな。慣れろ、と。今すぐ『直せ』とは言わぬから、お前の無理の無いようにしなさい」


 なんだかすごく優しく言われたのが分かって、私は俯いたまま何度も頷いた。

 黒い石段の影にこっそり涙を一粒だけ落としたことは、気付かれていないと良いなと思った。


「さて、そういう訳だ」


 しんみりした空気を切り替えるように、王様は軽く息を吐いて壁に背を預けた。そして言う。


「水読の言うことは嘘八百だ。あいつは物凄く性格が悪い。どこまでが事実かは俺が吐かせるから、お前自身に関しては口裏を合わせろ」

「く、口裏ですか?」


 それはどんな。

 そしてやっぱり信じ難いが、水読は王様の言うような人なのだろうか。物凄く悪い性格って、どんなレベルだ……それに、性別は?

 一瞬そのことについて聞いてみようかと思い、踏み止まる。どの道、部屋に着けばはっきりする。とにかく今は、この人の言う事に従おう。

 そう決意した矢先、私は耳を疑う提案をなされる。


「お前は、俺と婚約したという事にする」

「は、はい!?」


 私、今日は何回度肝を抜かれればいいんだろう。

 突拍子なすぎて口を開けて固まる私に構わず、王様は続けた。


「恐らく、これ以外にお前が無事でいられる方法は無い。恋人が居ようが配偶者が居ようが奴にとっては関係ないが、俺は一般に比べれば使える手札が多いからな。お前を俺のものとするなら、手出しすれば不利益を被るように根回しできる」

「…………」


 なんだそのちょいちょい心臓に悪い言い回しは。


「で、でもフリとは言えそんな、大丈夫なんですか……!?」

「勿論。今の所縁談も受けていないし、他所へ漏れても平気だな」


 自失しかけたところを立て直して尋ねれば、王様は拘りなく頷く。

 い、いいんですかそんな軽くて……!


「では、行こうか」


 王様はこれにて解決と言わんばかりに向きを変え歩みを再開する。返事も出来ず、私は呆然とその様子を見送ってしまった。振り返った艶やかな声にどうしたと問われ、慌てて後に続く。

 婚約って。

 フェイクと重々承知していても尚、恥ずかしいやら恐縮やらで頭の中が一杯だ。この人は、それで構わないんだろうか。周りの都合じゃなく、気持ちとして嫌じゃないのか。

 胃に変な浮遊感を感じながら、私は慎重に次の段に足を掛ける。とりあえず祈る。階段を登り切る前に、ほっぺた超熱いのが治りますように……。


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